[16歳] 無力であるという優しさの尺度
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一方こちら、ラールの街でディムたちがどんなことになっているかなんて欠片も知らず、護衛の片道を終え、サンドールの町へと到着したエルネッタの傭兵パーティ。
商人たちが倉庫で荷車の積み替えをしている間の自由時間、ギルド酒場のチャルから聞いた情報、記憶をなくしたディムの母親がいるという雑貨屋の前に立っている。
サンドールはラールの半分にも満たない小さな町だけど、この町に暮らす人は活気にあふれていて、子どもの数も多い。定期的にラールからの隊商往復という仕事あるぐらいだから経済基盤もしっかりしていて、将来は発展することが確実だと言われている。
そんな小さな町の、繁華街から外れた住宅街で生活必需品を売る、古い店構えの雑貨屋だ。
店の軒先には干されたトウモロコシがぶら下がっていて、農家の収穫物を入れる麻袋、鋤や鍬、たも網、タワシや洗濯用の石鹸、洗濯板、手桶などが。店内を覗き込めば文具からノート、糊から火打石、焚き付けの燃焼材、厚手の手袋や針金、金槌やタガネなど工具類、ありとあらゆる生活雑貨が所狭しと陳列されている。
エルネッタはしばらく店の前に立ち、入るべきか入らざるべきか、またはここに居るべきか、背を向けて帰るべきか、店主にだけでも声をかけるべきなのか、それとも、何もなかったことにして帰るべきなのか……。散々悩んだあと、この店に入る勇気がなくて、やっぱり止めようと踵を返したところで店内から声が掛けられた。低いけど優しげな、男性の声だった。
「いらっしゃい。おや? 見ない顔だね、お客さんじゃなさそうかな……」
「あーすまん悪かった。ちょっと懐かしい感じの店だったのでつい魅入ってしまったんだ。別に何かを買おうと思ったわけじゃない……」
エルネッタはやはり勝手にこんなことをしてはいけないと思い、諦めて帰ることにした。
店主の顔を見ることもできなかった。優しそうな声だったことは確かだが……。
俯いたまま店主にぺこりと頭を下げて振り返ると、そこには小さな子どもを抱いた女性が立っていて、まるで森の空気を一緒に連れてきたのかと幻視するほど、とてもいい笑顔で挨拶をしてくれた。
「いらっしゃい。きれいな人ね。この辺の人じゃないかしら?」
エルネッタはこの女性の顔を見て視線を外せなくなってしまった。瞬きすらできない。まるで動きを止める魔法にでもかかってしまったかのように。
女性の顔はディムにとても良く似ていた。情報ではこの人はディムの母親じゃないかと言われてる女性だ。もしかすると……、なんてレベルを遥かに超えて一目で確信をもてるほど似ていたのだ。
「えっと、なにか?」
二人は無言のまま、ただ見つめ合う時間が流れると、店の男が何かを察してエルネッタを店内へと招いた。
「あなたはやはりお客さんですね、別に商品を買ってくれる人だけがお客さんじゃないです。どうぞ中へ、温かいお茶でも嗜みながら、そうですね、少し世間話でもいかがでしょう」
そう声を掛けられて、エルネッタはようやく店主の顔を直視することができるようになった。
若い。
この女性より7か8か、もしかすると10若いかもしれない、エルネッタと年の頃は変わらない、とても物腰の柔らかい男だった。
「もしかすると妻のことを知ってらっしゃるとか?」
エルネッタは最初、この男の顔を見た時あまりの若さに、きっと店主の前妻の息子かなにかだろうと思ったけれど、いま間違いなく "妻" と言った。
「す……すまん。人違いだ」
「あの……、やはりあなたは妻のことをご存知なんですね、私が事情を知りたいと思うのはいけないことでしょうか」
真実を知りたいと思うのは、ヒトに生まれた性なのだろうか。
知れば必ず後悔するのに。
まるでエルネッタとディムほどに年の離れた男女がこうやって共に肩を寄せ合い、子を生して幸せに暮らしている。
エルネッタは思った。
いま幸せなのだから、わざわざ波風を立てる理由がどこにあるのか。
いま紛れもなく幸せなのだから。
「いえ、人違いでした。もう会うことはないと思いますが、どうかお幸せに」
エルネッタは踵を返し、深々と頭を下げる若い夫の前から足早に立ち去った。
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「ねえあなた、あの人、私のことを知ってるのかな? 人違いって言われたけど。もしかして、また私の知り合いを探してくれてたの?」
「いや、知らない人だよ」
「そう……。でもあのひと、傭兵さんなのかね? 怖そうな出で立ちをしていたけれど、優しそうな目をしていたねえ……」
「優しい人なんだよ、きっと」
隊商との合流地点へ早足で急ぎながらエルネッタは考えた。
" 今のわたしじゃディムのために何もしてやれない。"
自分の無力さだけを再確認して、アルスたちと合流し、護衛の残り半分。ラールへ向かう復路に出た。
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ラールのギルド酒場では、エルネッタたち隊商の護衛が剣を抜くような事案もなく、無事に戻ってきたところだ。ギルドカウンターで予定通り往復の行程を無事に終え、報告を終えたところだ。
「あー久しぶりに盾担いだら肩こるわー。早く帰ってディムのマッサージ受けないと死んでしまう」
エルネッタはいつものように酒場エリアに足を踏み入れると、酒場はいつもの3倍ぐらいの客が入ってて大盛況だった。
ギルド酒場なんて殺伐としたところに吟遊詩人が歌ってるだなんてこれまで経験のないことだ。
「なんだなんだ? 何かめでたいことでもあったのか?」
「おおっエルネッタお疲れさん。そこの壁見てみな。うちのギルドが表彰されたんだ。感謝状だってよ。そしてあのゲッコーが死んだらしいぜ? めでたくない訳がないだろ?」
「あのクソ野郎が死んだだと? くっそわたしが殺してやりたかった。……どんな死に方をした?」
「ギルド長に追い詰められて自害したらしい。首を短剣でひと突きだってよ」
「首を短剣でひと突き?……」
「ああそうだそうだ、んでお前んトコのディムがBランク昇格だ。すげえなおい。ディムがゲッコーを見つけてギルドに報告したんだそうだ。賞金300万だぜ? お前らしばらく仕事しなくていいじゃねえか」
ビアーを注文してジョッキを握ったアルスも、この騒ぎが何だか分からないようで、エルネッタの肩を叩いた。
「なあなあエルネッタ、まーたディムがなにかしでかしたのか?」
「ああ、そうらしい。なあマスター! ギルド長は上にいるのか?」
エルネッタは酒場の話を鵜呑みにはせず、正確な情報を得るため最初にギルド長を訪ねることにした。
―― コンコン。
「入れ」
エルネッタはディムが絡んでいそうな今回の件について話を聞きたかった。
どうせディムに強く詰め寄ったところで軽く往なされ躱され、煙に巻かれるのがオチだ。エルネッタの追及に対し、ヒラリヒラリと風に舞う羽毛のように躱して切り抜けるという一点において、ディムはプロフェッショナルだ。エルネッタですら勝ち目はないと思っている。
ギルド長なら最悪、首根っこ掴んで締め上げるという荒業も通用するから、この部屋に軟禁した状態で詳しい話を聞き出しておきたかったのだ。
「ディムくんの昇格? ああ、特別扱いはしてないぞ。昇格はギルドへの貢献度だ。今回Bランクってことになったが、実はAランクになってもおかしくないほどの貢献をしたんだ」
「違うよ。聞きたいのはゲッコーの野郎のことだ。あのゲッコーが死んだって聞いたけど?」
「あれは私のミスだ」
「短剣で首を突かれて死んだと聞いた。まさかディムが絡んでるなんて事はないんだな?」
「……ディムくんには情報提供だけという約束だった。戦闘には参加するなって、私は口を酸っぱくして言ったんだ。そして私はゲッコーのヤサに突っ込んで取り逃がしたんだよ。私はまたゲッコーのクソ野郎に逃げられた。逃げられたんだ!」
「それで? どうなればゲッコーが死ぬんだ?」
「……逃走中に自害したらしい」
「あのゲッコーが自害? バカなことを言うな! 奴に限って自害だなんて考えられないだろうが!」
「実はな、これも私のミスなんだが……、ディムくんにだな……その、エルネッタの左肩に短剣を刺したのはゲッコーだって……」
「話したのか! ディムにそんなことを話してしまったのか!」
「なあエルネッタ。あれは何モンだ? 私個人の見立じゃあ、実力はSランク相当か、それ以上だぞ」
「Sランクの根拠は?」
「ディムくんが受けたのは、皮屋の奥さんが帰らないから探してくれという依頼だった。それがどういう訳か首都で衛兵を2人殺して指名手配になってるやつを見つけてきたリ、あのゲッコーを見つけてきたり、最後には依頼のあった家出妻も見つけて依頼完了。傭兵12人がかりで取り逃がしたはずのゲッコーは、短剣で喉をひと突きにされて死んでた。ディムくんはナニか? さすらいの名探偵か仕事人か何かか?」
エルネッタはディムのスキルの使い方を一つ理解した。
「ああー、なるほど。そうか、あのスキルはそう使うのか……」
「知ってたんだな。何かそういうスキルを持ってるってことなんだな?」
「知らないねぇ、ディムに聞きな。んな事より、わたしのディムに危険な仕事は紹介しないで欲しい。今後、危険なことはわたしが引き受けるから」
「言ってんだろが、ディムくんが受けたのは皮屋の奥さんを探す依頼だったんだ。おまえ居なかっただろエルネッタ。ディムくんも言ってたぞ、こんな時にだけ居ないって」
「ぐっ……」
「なあエルネッタ。お前も二人分の食い扶持稼ぐのに仕事取りすぎだったんだ。ちょっとはゆっくりしろ。ディムくんはカネ持ってるぞいま。ギルド酒場で景気よくみんなに奢った残りが400万ゼノぐらいあった。いいなあオイ、おまえんトコのヒモは稼ぎがよくてよ」
「よっ、よんひゃくまんゼノだとおぉ!!」




