[10歳] ぼくは羊飼いでした。
20180206改訂
朝霞星弥がディミトリという少年の中で、他5人と共同生活をする多重人格者であると気が付いたのは、物心がついてしばらくした頃のことだった。
目は見えていて、耳も聞こえている。だけど転んでも痛くないばかりか、起き上がるのもまた走って転ぶのもすべて全自動で行われていて、星弥はディミトリの網膜を通して、見ているものをただ見ることが出来るだけだということに気が付いた。
そう、星弥は異世界に転生して人生をやりなおしているわけじゃなく、異世界に転生した人の人生をシアターの椅子に座って臨場感たっぷりに追体験しているだけなのだ。
要するにディミトリという少年は別にいて、朝霞星弥はそれにとり憑いた憑依霊なのか、それとも多重人格の副人格という立ち位置にいる。
2時間や3時間で起承転結あり、見終わるような映画ならそれで感動もあり、面白かったと拍手喝采してもいいだろう。だがしかし、他人の人生をリアルタイムで見て何が面白いのか?
ディミトリが寝てる時、朝霞星弥の人格だけが目覚めても、瞼を閉じていて眠っているせいか、真っ暗闇の中、すやすやと寝息を聞くだけの時間が流れるのだから。
退屈地獄に落とされたかと思った朝霞星弥にも、実は同じ境遇の仲間がいた。
ひとつの身体に5人の人格が同居していたのだ。頭の中であーだこーだと話し合える同じ境遇の元日本人が5人いたおかげで、少なくとも暇つぶしに雑談ぐらいはできる。それが多重人格の副人格なんてのに転生した男の、唯一の救いだった。
基本人格が葉竹中
副人格に、細山田、そして雨宮と、桜田がいて、
朝霞星弥も名を連ねる。
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愚痴ばかり言っててもつまらないので、話をディミトリに戻そう。
まず日本に暮らしていたころと完全に違う点から説明しなくちゃいけない。これがあるからこそ、ここは異世界なんだと分かったのだから。
まず、この世界じゃ10歳になると必ずアビリティというものがひとつ発現する。
発現するのは誕生日の前後で、知らない間に、いつの間にか、目が覚めたらいきなりアビリティ持ちになっているというもの。
もちろん神さまってのが本当にいて『おおディミトリよお前には勇者のアビリティが発現しておるぞ』なんて教えてくれるわけじゃないから、年に一度、三つ隣のわりと大きな町から来てくれる司祭さまがアビリティ鑑定のスキルを持っているから、子どもたちは10歳になったら教会に集まって鑑定してもらうことになっている。
セイカ村で今年10歳になるのは、ディミトリと、メイリーンと、あとダグラスの悪ガキトリオだ。
アビリティというのは先天的な才能から生み出される能力のことで、所謂天賦の才というものだ。
職業に就いたり訓練するなりして身に付く技術と呼ばれる技術を得るにしても、才能の有無によっては習熟度がかなり違ってくる。才能に関連する技術は簡単に覚えられるけど、逆に才能もないのに技術は数倍の努力をしてもなかなか身に付かないということでもある。
簡単に説明すると、戦士のアビリティがある者は、剣や盾のスキルを得るのに有利だということだ。
逆にアビリティが戦士だと、魔法スキルや算術といった、魔法使いや商人が得意なスキルは、ほぼ身につかないであろう。
アビリティは自分の身を助けるし職業に直結することが多いので、自分のアビリティは知っておくほうがメリットがあるということだ。
せっかく戦闘系の才能を持っているのに、それを知らずに、ずっと畑を耕しているのも勿体なかろうという話になる。自分がどんなアビリティを持っているのかを鑑定してもらって、自分の持って生まれた才能を生かせれば、自分のため、村のため、ひいては国のためにもなるというのがお偉方の考えなのだ。だから鑑定スキルをもつ司祭さまが、こんな小さな村にでも来てくれて、10歳になった子どもたちに、どんなアビリティが発現しているのかを教えてくれるのだ。
ひとりにひとつ、必ずひとつだけ何らかの才能が天から降ってくる。この世界に神がいるかは分からないけど、人はそれを女神の加護だと信じている。
そしてディミトリは10歳と4か月。すでにアビリティ発現していて確定済みだろうから今更ちょっと急いだところで結果が変わるわけじゃないのだけれど、逸る気持ちを抑えきれない。アビリティを鑑定できるひとに見てもらうまで分からないというのは、少しもどかしいほどに。
いくらのんびりしてる子でも遠足の朝はシャキッと起きる子がいる。
ディムにとって鑑定の朝は、まさに遠足の朝だった。
「ディム! 遅いってば。何してんの? もう司祭さま来るよ?」
メイがいつものように、朝っぱらから騒がしく誘いに来た。朝から相当なハイテンションだ。
そう、今日はセイカ村に司祭がきて、10歳になった悪ガキどもの鑑定をしてくれる日だ。
子どもたちはその日のことを "運命の日" とよぶ。
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ディミトリ少年を実際に動かすことが出来る基本人格は、葉竹中という男だった。
5人の中でただ一人、ディミトリを動かすことが出来ることから、専属パイロットと呼ばれていて、ディミトリはまだ10歳の少年だというのに、某アニメに出てくる白いモビルスーツのようにニュータイプが操縦していることになっている。
運命の日、司祭様の待つ礼拝堂へ、メイに手を引かれて向かう。
基本人格の葉竹中は緊張していて言葉少なだ。
ディミトリの中、5人いる人格の中で、どういう訳か細山田だけは浮かれていてた。
『なあ、異世界に転生したんだからやっぱ魔法だよな。俺は魔法を使ってみたいよ』
この世界には魔法を使える人がいると聞いたとき、星弥の憧れも魔法使いとなった。
ただし魔法アビリティっていうのは300人とか500人とかに1人だけしか発現しないレアアビリティだから、魔法使いを引き当てるのは、なかなか難しいのだそうだ。
魔法使いに憧れる細山田に、基本人格の葉竹中は別のアビリティが良いと言った。
『うーん、ぼくは男に生まれたからには剣士系のアビリティがいいなあ。 兵士になろうなんて思わないけどさ、どこの組織にも属さない最強剣士とかカッコいいと思わないか? 勇者とか呼ばれてみたいよな!』
葉竹中は剣士志望、細山田は魔法使いじゃなければ勇者がいいと言った。この世界には勇者の伝説がある。教会のシスターに本を読んでもらったときに聞いたおとぎ話だ。
日本人に分かりやすく言うと、桃太郎のような、むかーしむかし……から始めるような架空の英雄譚だった。
基本人格の葉竹中は順に問う。
『雨宮さんは何か希望ありますか?』
希望だなんて聞いて集めたところで希望のアビリティが発現するわけはないのだが、雨宮は女性だからか、剣や魔法などという、戦いに仕えるアビリティには、さらさら興味がないらしい。
『あー、ムリムリ。最強剣士とか戦いとか絶対ムリだし。わたしはそうね、芸術家肌のアビリティだったらいいな。わたしがもし結婚して子どもが生まれたらピアノ習わせたかったのよね……』
ちなみに雨宮は一生を未婚のまま終えたという。
朝霞星弥も未婚のまま前世を終えたのだから『気持ちはわかるよ』なんて慰めてはみたけれど、星弥には生前、一応彼女がいて、恋愛してた経験があったことを明かしてる。雨宮に言わせると、長く恋愛したのなら、それは結婚したのと同じことらしく、リア充は死ねと言われた。
死んでしまったからこそ、こうやって異世界に転生しているのだけど、突っ込むと機嫌が悪くなるので星弥は固く口を閉ざすのだった。
会話が途切れたところで、頭の中だというのに大きめのボリュームで声が響いた。
『ちゃうで! やっぱり男は探検家やろ。エベレストに単独無酸素で登ったり、犬ぞりで北極点目指したりするのがカッコええ生き方やと思うで。オマケみたいな人生やねんから太く短く生きようやないか』
太く短く生きてすぐに死ぬことが前提で話す桜田は、五人の中じゃ72歳まで生きたという前世では最年長の男だった。
ちなみに星弥は前世で35歳までしか生きた記憶がない。つまり桜田は星弥の倍以上生きてるというすさまじい生命力を持っているということだ。そんだけ長生きしたくせに、2度目の人生、太く短く生きようだなんて言われても説得力がなさすぎる。星弥はジジイになるまで生きてみたいと思っていたので、太く短くだなんて当然却下、むしろ逆に、細く長く生きてみたいと感じている。
しかも桜田は謎の関西弁を使うのだ。
大阪人だった星弥言わせればアクセントの違う似非関西弁である。
星弥はツッコミ自慢の大阪人でもあるのに、いちいちアクセントの違いを指摘しない理由は、もう5年ほどずっと指摘し続けて、桜田にはいくらコーチしても関西弁はマスターできないということが分かったからだ。
このように意見が割れたとき、主人格の葉竹中はまとめ役としての役割も担う。別に話し合って葉竹中をまとめ役に決めたわけではなく、葉竹中が立候補したわけでもないが、自然な流れでそうなっている。
『多数決で言うと魔法だね。でも何がくるのか全く分からないんだから、楽しみにするしかないよなあ』
だいたいこういう時は多数決にすると話は丸く収まるのだ。だけど葉竹中の言う通り、多数決とったところで何が来るかなんて全く知れないのだし、あくまで希望は希望ということだ。
そうしていつものようにメイリーンは結果を急ぐ。メイリーンの性格上、楽しみなことは待ちきれない。
「ディム、はやくはやく、ダグラスも司祭さまも、もうとっくに来てるよ」
畑の小道を早足で駆け抜けて礼拝堂のある小さな村の教会へ急ぐ。
青い鱗の瓦ととんがり屋根の教会が見えてきた。
礼拝堂は村人の半分ぐらいは余裕で入れる中規模のもので、明かりとりの窓にはステンドグラスがあしらわれ、東側、朝日を浴びるとステンドグラスの陰影で礼拝堂内に翼を羽ばたかせる天馬が映り込み、夕刻には西側のステンドグラスから女神アスタロッテが映し出される仕組みだ。なぜこんな小さな辺境の村にこれほど凝った装飾の礼拝堂があるのかはわからないが、セイカ村の教会は、ちょっとした街の礼拝堂に負けないぐらいの規模を誇っている。
そんな村の人口とは釣り合わない礼拝堂には2年前、【薬草士】のアビリティが発現した隣のお兄ちゃんもいて、悪ガキどものアビリティ発現を祝福してくれるために待ってくれている。年下の奴らも、近所のおばちゃんたちもたくさんいて、ちょっとしたお祭りのようになっていた。
奥の扉が開き、司祭さまが真っ黒な装束で出てくると、最初にダグラスが少し緊張した面持ちで司祭さまの前に出た。
「よっしゃ! 俺が一番だかんな。ダグラス・フューリーです。よろしくお願いします!」
「うむ、元気があっていいね」
司祭はダグラスの頭にそっと手を乗せると、すぐに何やら驚いたような声を上げた。
「おおっ、これは凄い。【騎士】のアビリティを持っておる。キミは人を守るという運命のもとに生まれてきたようだ。ダグラス・フューリーの未来に光あらんことを」
まるでダグラスの性格そのまんまのアビリティが発現したことに、星弥は驚いた。アビリティが本当にランダムで発現するのか、少し疑わしいとまで思ったほどだ。
特に細山田は剣士系のアビリティに憧れていたこともあって、ダグラスの【騎士】アビリティ発現を、まるで自分の事のように喜んだ。
「うわー、ダグラスおめでとう! いいなあ戦闘アビリティの中でも特にカッコいい騎士じゃん」
うちの村からまさか【騎士】アビリティもちなんてのが出るなんて思わなかったもんだから、ダグラスのお母さんは喜んでるのか驚いてるのかよくわからない顔をしながら、ダグラスを腕にしっかり抱きしめて我が子の将来が明るくありますようにと神に感謝の祈りを捧げている。
それはダグラスの未来に明瞭な光が差した瞬間だった。
そしてメイは【騎士】アビリティを得たダグラスに気後れせず、自分はもっとすごいとでも言いたげな強い眼差しで司祭様の前に立った。
「すごいよダグ。わたしも何か強いのに当たったらいいな。ダグを一発で倒せちゃうようなのがいい」
「おう! メイはなんだ? 聖騎士でも出さないと一発でなんて倒せないぞ」
いうとメイリーンはゆっくりと手を挙げて名乗りを上げた。
「司祭さま、メイリーン・ジャンです。わたしにもいっちょ凄いのをお願いしますっ!」
「おおっ、キミは聞きしに勝るお転婆さんだね。どれどれ……」
司祭さまが小さなメイの美しい髪に手を触れると一瞬なにやら訝しむように表情が険しくなり、教会に集まった者みなを不安にさせたが、すぐにその理由が分かった。
「おおおっ! この娘には【魔法使い】のアビリティが発現しておる。騎士の次は魔法使いとな。今日はなんと素晴らしい日だ。レアアビリティもちが二人も出るとは、この村のことは王国でも評判になるぞ」
ダグラスの時は周囲から歓声が上がったが、メイリーンはまず、どよめきから。ついで喝采で迎えられた。メイリーンが【魔法使い】アビリティを受けたことに葉竹中ディミトリは飛び上がって喜びを表現している。
「おおっ、メイすごいよ。魔法使えるようになったら見せて。呪文とか唱えるの? カッコいいな」
メイリーンのレアアビリティにダグラスも興奮気味で応える。
「メイは魔法使いか。オレは騎士なんだから、オレの盾でメイを守ってやるからな」
司祭は言った。【魔法使い】アビリティなんて10年ぶりに鑑定したと。
なんでもその10年前に魔法使いアビリティが発現した子は、いま若干20歳でありながら大きな街を守る顧問魔導師に籍を置き、家族そろって都会に引っ越して今はお手伝いさんが何人もいる屋敷に住んでいるのだとか。
つまり、魔法使いはめっちゃ儲かるということだ。
魔法使いが儲かると聞いて、さっきまでは芸術家推しだった雨宮はあっさり推しを変えた。
『ええっ魔法使いのほうが儲かるのですか? 葉竹中さん、やっぱ時代は魔法使いですよ。魔法使いを引いてください。頑張って』
騎士、魔法使いと続く流れにテンション上がった細山田は、この流れに身をゆだねるのがいいと発言した。
『いーや、魔法使いはメイにとられた。ディミトリは勇者でいこう。ほら葉竹中! 勇者を希望するんだ』
そう、ダグラスとメイリーンに自分も加わって魔王でも倒しに行くとしたらこれしかないというアビリティが残っている。
『お、おう。じゃあ勇者を採用しましょう。ぼくが勇者になればダグとメイと3人パーティを組めるからね』
葉竹中ディミトリはグッと拳を握りしめ、いかり肩で立ち上がると緊張感を飲み込んで司祭さまの前に立った。
「ディミトリ・ベッケンバウアーといいます。勇者のアビリティをください。ぼくが世界を守ります!」
礼拝堂に来ていた人たちは少し微笑みながら、ディミトリに発現したアビリティの発表を暖かく見守った。
司祭様はうんうんと頷きながら、ディミトリの頭に手のひらを乗せた。
「ふむ、その意気やよし。どれどれ、キミにはどんなアビリティが……」
ディミトリからすると頭に手をのせられていたので、司祭さまの表情は窺い知れなかったが、ダグラスよりもメイよりも、自分の頭に触れていた時間が長かった。おそらく3倍、5倍ぐらいの長い時間だった。
「はて……これは……」
まだアビリティが発現していないのかとも思ったけれど、それならそうとすぐに答えが出るはずだ。
それなのなぜ言葉が出ないのか。教会に集まった皆が固唾を飲む中、司祭の声が響いた。
「うーむ、初めて見るアビリティなのだが【羊飼い】とは、もしかして遥か昔になくなってしまった職業の羊飼いかのう?」
勇者を希望していた細山田は慌てて聞き返す。
『ちょっと良く聞こえなかった。葉竹中さんもう一度ちゃんと聞いて!』
それを朝霞星弥と雨宮は冷静に返す。
『ぼくには羊飼いと聞こえたが……』
『間違いないよ、私の耳にもたしかに羊飼いって聞こえたし』
司祭は膝を折り、ディミトリと目線の高さを合わせてこう言った。
「ディミトリくん、キミには世界を守るよりも、他にもっと向いたことがあるようじゃの」
それはとても優しい目で語られた、とても残酷な言葉だった。
ダグラスは【騎士】という名誉あるアビリティを。
メイは【魔法使い】という、王国民みなが憧れるレアなアビリティを得て、将来を約束された。
そしてディミトリは、【羊飼い】というアビリティをありがたく頂戴したところだ。
ちなみにその【羊飼い】という職業そのものが、このハーメルン王国ではもうとっくになくなってしまっている。いや、羊を飼ってない訳じゃなく、ただ現在の羊飼いは牧羊犬などという犬に職を奪われてしまって久しいというだけの話だ。
そう、この国で羊飼いなんて、犬にも劣る役立たずなのだ。
ディミトリががっくりと肩を落として将来に絶望していると、教会のシスター・アンが優しく慰めてくれた。
「大丈夫よディミトリ。あなたは勇者になれますよ。気持ち次第なのですから。さあ、前を向いて、胸を張って帰りましょう」
気休めというには、気の利いた言葉だった。
シスター・アンはそういってディミトリを見送った。
ディミトリは目の前が真っ暗になるのを感じながら、母親に手を引かれ、トボトボと家に帰ってゆく。
なんだかガッカリしてしまって、気分の晴れないまま。教会から家まで、その道のりはいつもよりもずっと遠く感じた。