[16歳] ベラ・イサク 行方不明案件(5)マヌケ野郎
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けっきょく夜になって傭兵たちが12人集まるまで、ディムはギルド長の驕りで一番いいステーキを3枚たいらげて3万ゼノ分食ってやったことで腹が膨れたのと同時に、頭に血がのぼっていたのもいい加減冷静になってきた。それでもざまあ見やがれだった。金額的にはまだ食い足りない気分だけど、脂っこいものを食べ過ぎてしまって、ちょっと吐きそうだ。チョイスを失敗したかもしれない。
ギルド長ダウロスさんもレベル41の剣士系でしっかりと戦闘用の装備を固めてきたから負けることはないと思うけれど、ディムは捜索者という立場で傭兵をゲッコーのいる場所まで間違いなく案内するという任務となり、エルネッタさんの肩にケガをさせた奴を捕まえるというのに、その大捕り物には参加させてもらえない。
戦闘になることは明白だし、戦うのは傭兵の仕事だからこれは譲れないのだとか。戦闘はダウロスさん以下、11名の傭兵ランカーたちに任せることになった。
昨夜から午前中まで降り続いた雨のせいか、道がぬかるんでいて馬車が走ると泥水を跳ねるぐらいの水たまりが残っている。フル装備の傭兵たちの行進はぬかるむ道のせいかザッザッザッと夜の街に響くから音で気取られる危険性が高い。
「ギルド長、音でバレちゃいますよ。まずはぼくとギルド長の二人で、ゲッコーがいるかどうかを確認して、いると決まれば突入と同時に包囲という作戦にしたほうがいいと思います」
「音でバレるほど敏感なのか!」
ディムの脳裏に『不安』の二文字が浮かんで……、消えた。
今更そんなことを言い出した……。この人たち本当に大丈夫か? そんなことじゃ取り逃がすために行くようなものだ。
「軍靴の音が隊列を組んで迫ってきたら、何もしてないぼくでも逃げるよ」
ディムはギルド長とふたり一本裏の通りから、通りの向かいから覗ける二階建ての建物を屋根まで上がり……、上がり……。
ギルド長が上がってこない。
「大丈夫ですか? 登れませんか?」
「ちょっ、私は鎧を着込んでるんだ。こんな身軽な動きには向いてないからちょっと手加減してくれ」
尻を押し上げたり、上に回って手を引いたりと、ほんと子どもみたいに手がかかるんだけど、なんとかダウロスさんも屋根に上がって窓から覗き込むベストポジションにつけた。
「滑らないでね。落ちたら大変だから」
「瓦が滑るんだ。手を離すなってば……」
屋根のてっぺんの一番細いところを音もなく移動する猫とヒグマのようなシルエットが写し出された。
ダウロスさんは身を乗り出して食い入るように、通りの向こう、対面する窓の中を覗き込むと、低い声で呟くように言った。
「メガネをかけていて髪の色は違っているが、間違いない、あれはゲッコーだ。見つけたぞクソ野郎……」
「ここから見て左側が入り口のドアになってます。一階の入り口から入って二階にあがり、一番奥の突き当りの部屋です。ダウロスさんがだれかとツーマンセルを組んで踏み込んだらゲッコーはきっと顔を覚えてますから、窓から飛び出すと思うんですけど……」
「窓の下で10人が待機してればいいわけか。だが私が下で待っていた方がいいのではないか?」
「ドアを破って突っ込んだ人が死にますよ?」
「そ、そうだな……」
「ぼくはどこで見てればいいですか?」
「キミはできれば離れていてくれ。ケガでもさせてしまったらエルネッタに申し訳が立たない」
「わかりました。ゲッコーはきっと逃げます。あのソファーに座ってる方の男がフェデロ・ディラスコなので、ダウロスさんはディラスコの確保をお願いします。突入したもう一人の傭兵さんが、女を確保して下さい」
「女も確保する必要があるのか?」
「50%ぐらいの確率ですけど、たぶんあの女がベラ・イサクです」
ただ、いくつかの状況証拠がベラ・イサクだと示しているだけで、物的な証拠は一つもなかった。
実年齢は48歳とかなりイッてて、かなり無理のある厚化粧だけど肌のメンテナンスだけはきっちりやってるらしく遠目に見ると30代に見えないことはない。加えてこの地域には珍しい派手なブロンドヘアに目の覚めるような碧眼。依頼者であるイサクさんの証言にピッタリだ。何より、フェデロ・ディラスコたち知的盗賊団のターゲットがイサク商会の資産だとしたら、まずは結婚から入るのはセオリーだ。
ステータスの名前だって、ベラの旧姓も関係なく、すべてが偽名で偽装の結婚だとしたらステータスにまで反映されるのか不明だったものが、今回のケースでそれも分かるだろう。
これは予想だけど、もともと偽名だった者が結婚してもたぶんステータスは変化しない。
もし仮に偽名のエルネッタ・ペンドルトンと結婚しても、エルネッタさんのステータス上の指名は、ディアッカ・ライラ・ソレイユのまま変化しないということだ。
だから根拠なしだけど50%ぐらいの確率でベラ・イサク本人だと見た。
本来なら確証を得るまで調査を重ねるんだろうけど、どうせ踏み込んで逮捕するなら"ついで"に確保してもらえば確かめる手間が省けるじゃん? ってこと。どうせ知的盗賊団の構成員なんだろうし。
依頼者に会わせてみて、違うと言われたら別を探すし、本人だったら依頼完了だ。
「キミはいったい? ……いや、今はそんなことどうだっていいな。分かった。キミが受けた依頼に便乗する形になったからな、女は責任をもって確保しよう」
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ギルド長のダウロスさんともう一人が、たった1カ所しかない扉の前で合図を待っていた。
準備ができると外から喧噪に紛れて口笛が鳴るはずだったのが、通りの真ん中でフル装備の傭兵たちがウロウロしてるだけでも異様なのに、抜剣したとあっては通行人たちが騒然となるのは当然の事だった。
外の騒ぎにいち早く反応し、窓から顔を出したアンデス・ゲッコー。口笛を待たずしてドアを蹴破り、部屋に突入したダウロスさんが見たのは、すでに短剣を抜いて構えていたアンデス・ゲッコーの姿だった。
―― ッキイィン!!
短剣で首を狙う必殺の一撃がダウロスを襲ったが、ギリギリで見えていた。もし部屋の明かりを消されていたら最初の一撃で殺されてしまったかもしれない。これが短剣の一撃かと思うほど、その攻撃は速く、そして重い一撃だった。両手剣で受けてなおビリビリと腕に響くほどの衝撃を残す。
ゲッコーのほうも今の一撃を受けられたことで、突入してきた招かれざる客が相当な腕前であることを察し、タン!タン!と2度バク転でトンボを切り、奥の部屋に逃れ、その勢いを殺さぬよう、流れるようなスムースさで窓に足をかけて外へ飛び出した。
ギルド長ダウロスはゲッコーが外に逃げることは想定済み、窓から外に飛び出したのを確認すると、窓の下で待ち伏せる10人の傭兵たちに指示を飛ばした。
「作戦Bに移行だっ!」
だがゲッコーは窓から外へ飛び出しはしたが、階下へ飛び降りることはなかった
2階から1階へ飛び下りることなく、壁をよじ登って屋上の方へと逃げてゆくのだった。
「くっ、ゲッコーめ逃げる道を用意してあったか! ダレンはフェデロ・ディラスコを確保。逃げられるぐらいなら殺しても構わん。女もだ」
「はっ!」
フェデロ・ディラスコは丸腰のまま首に剣を突き付けられ、ブロンドのイゼッタ・カルカスは剣を抜いた傭兵にひと睨みされただけで動けなくなってしまった。逃げられそうなら殺せと命令されたのだから、ソファーから立ち上がろうとしただけで生命が危機にさらされる。
ダウロスは窓から壁を登って屋上に向かったゲッコーを追ったが装備品を外さないと手も掛からないほど小さな手がかり、足掛かりに苦戦しながら逃亡するゲッコーを追うけれど、身軽なゲッコーは木に登る猿のような見事な手際で、すぐさま屋上まで登り切ってしまった。
ダウロスはまたもやこのゲッコーを取り逃がしてしまったのだ。
悔やんで悔やみきれるものではない。
「くっそ! ゲッコオオオォォォ!!」
ダウロスの叫び声は、夜の空へと溶けて消えてゆく。逃げ切ったゲッコーにとってその叫びは敗北者の断末魔。己を称賛し、喝采する声だった。
「ハハハハッ、ウスノロが……。テメエらなんぞに捕まるワケねえだろうが、マヌケめ!」
屋上から地上を見下ろして一瞥し、地べたで歯噛みする傭兵たちをウスノロと嘲笑するゲッコーは、まんまと逃げおおせた建物の屋上で奇妙なものに出会った。
それはまるで闇から足が生えてそこに降り立ったようにも感じられ、本当にそこに在るのかどうかも分からないように不確かなものだったが、敢えて例えるなら少年のように見えた。
隣の建物に飛び移り、その一室から地下通路に逃れるという完璧な逃走経路に繋がる屋上で、それはまだあどけない顔をしていながら、泣く子も黙る盗賊ゲッコーに向かって「こんばんわ、いい夜ですね」と丁寧な挨拶をすると、クスッと少し鼻を鳴らして微笑んだ。
「……マヌケになった気分はどうかな?」




