【15歳】庇いだて
釘を抜き去った穴にパトリシアが自前の魔法で作った糸を入れてみた。釘を抜いた穴の付近はどうやら乾燥していて生命の息吹を感じない。これは材木と同じ感覚だ。
根から水を吸い上げて、全身に水分を渡らせるため、樹を枯らす毒を打ち込むなら根の近くがいちばん手っ取り早い。今回は毒が塗られた釘を打たれた。ならその釘から一直線に上方向は致し方なく細胞が死滅する。だから白っぽくスジが残る。直上の枝まで被害が広がっていれば、枝もいずれ折れて落ちることになる。
普通の樹木なら死滅した細胞はもう蘇らないだろう。だがしかしこの樹はマナの塊かと思えるほど生命力に満ち溢れている。洗浄して毒を洗い流しさえすれば、死滅した部分もあるいは蘇るかもしれない。
パトリシアはまだ慣れない水の魔法を駆使して毒の打ち込まれた釘の穴を洗浄するのに躍起になっている。
ジャニス・ネヴィルは教会の秘術である回復魔法を樹木にかけている。毒で失われた部分をどうにかできるわけはないが、苦痛は和らぐという。シリウスの母ヒカリが死の病に犯され、ただ死を待つだけだったころ、苦痛を和らげるためジャニス・ネヴィルはシリウスの家になんども通った。その時と同じ役割だ。
「パトリシアねえ、枯れないわよね……」
あの無敵のアンドロメダが涙目である。突っ込んでやりたいところだが今は勘弁してやることにした。
この樹に長く触れているパトリシアは、傷口の洗浄をしながら、濃度の高い毒の通った釘からまっすぐ上に向かう細いラインだけ細胞は死んでいるが、枯死した部分にもマナが循環していることまでは突き止めた。この様子だと心配はなさそうだ。
「大丈夫ですよ、こんな大きな樹がそう簡単に枯れますか。でも樹木の特性上、死滅した部分にカビが繁殖して幹の強度が下がるはずです。これ以上もう1本だって釘を打たせないようにしてくださいね、今すぐどうなるということはありませんけど、こんな根っこに近い部分からカビに侵されると、これほどの大樹ですからね、自重に耐え切れなくなって、いつか必ず倒れます」
他の誰も気づかなかったとしても、アンドロメダにだけは伝わった。
抗生物質を作るため、パトリシアと2年以上もパーティーを組み、土壌細菌を探して東奔西走したアンドロメダだからこそ、この発言の重さが理解できる。ラールの街から遠く離れた森にまで遠征したこともある。そしてパトリシアはまず、森に入ると自然に倒れた樹木から調査を開始するのだ。
樹齢何百年も生きた、古い樹木と言うのは、輪切りにすると中心のほうが年老いていて、外周にむかうと、年輪に刻まれたとおり、どんどん若くなってゆく。自然倒木をみると、だいたいが中心部が腐って大穴が空いてることがほとんどであり、内側から浸食されて倒れるといったケースが多くみられた。
ヴェルザンディの樹が倒れるところを想像すると、さすがのアンドロメダも手が震える思いだった。
「ちょ、ちょっといいか?」
遠慮がちに話に割り込んできたのはダービーだ。
「なにか?」
「この釘さ、打たれた時期が違うよな。ほらこっち、これは錆びてるけど、こっちのは錆びてなくて、鉄の表面に艶がある」
アンドロメダは一瞬考えたあと、信じられないといった表情をみせた。
外部からの侵入者が聖域に忍び込んで、こんな酷いことをしたのだという前提で話をしていた。
だがダービーが指摘した釘の錆びは、その前提そのものを根底から覆す証拠になる重大なものだった。
ダービーはそれ以上何も言わなかった。
アンドロメダも何も言えなかったが、改めて検証してみる必要がある。
コンスタンティンが24本すべての釘を抜き終わったとき、右から順番に打たれたのだろう、ダービーの見立てではおよそ2年ほどの間に10回ぐらいに分けて撃ち込まれたのではないかと推測された。
更に一番新しく見える釘に至っては、まだ紫色の、おそらく塗られた毒も残っていて、釘はまだ錆びどころか汚れもほとんど見られないものが4本。
この4本は、打たれてから1か月程度の新しいものだ。
シリウスは腕組みを解かず、いつもの悪い癖を出した。
「これって内部の者の犯行だよね。まったく、教会も騎士団も、どうにかしてるよ」
考えなしに思ったことを口走ってしまう。これで何度パトリシアに怒られたか分からない。
一瞬パトリシアに睨まれたがそのまま続けた。
「だってさ、おかしいじゃん。オレやパトリシアがいくら気配を消して侵入してもすぐ見つかって酷い目に遭わされるのにさ、アンドロメダに気付かれずに こんな所まで来られるようなやつ、居るわけねえって」
「これは私の責任ですから、私が落とし前を付けます……。コンスタンティン!! 集落の住民の中でここまで入ることを許された人は何人いますか?」
「はい、ここの篝火の薪を用意する係のダイナスとゲーリーの2人、広場から遊歩道の草刈りと掃除、道路の維持にテキサ、ドニー、ハーネスの3人で、合計5人です」
その5人のうち、ここ半年ぐらいの間に外出したものは居ないという。
この樹を枯らして倒してしまおうなどという陰謀を実行に移してくるような者がこの王国にそうそう居るわけがない。誰が命じてやらせたのか、個人名は分からないが、裏でルーメン教会と敵対している権力者がいることは分かっているので、当然のことながらアンドロメダには身に覚えがある。
これまではお互いに表立って敵対したくないからこそ水面下でやり合っていたのだが、ここにきて、その手口が過激になってきている。自分が最も大切にしてきたものを奪おうとする、そのやり口を目の当たりにして、頭に血が登るのを感じながら、アンドロメダは深く深呼吸をすることで冷静さを保った。
パトリシアは釘を抜いた跡にできた穴に残った枯葉剤を洗浄するため、水魔法で作った細い糸を集めて太く撚り、『こより』のような道具を即席で作って洗浄、穴から掻き出す作業を行いながら、ひとつ疑問が頭から離れなかった。
それは素朴な疑問で、ここルーメン教会ゲイルウィーバー本部に暮らす400人余りの避難民たちは、外出しないのか?といったものだ。
もちろん教会と王都ゲイルウィーバーを隔てる白く高い塀の外には当然ながら全方位から衛兵や諜報部員が監視していて、教会の敷地から一歩でも出るとたちまちにして殺されてしまうことにもなりかねない。
だから外出したくても外出できないのだ。
「じゃあ行商人とかは?」
「表門の前までです。中には一歩も入れてません。ひどいな……。もしかしてパトリシアさんもシリウスの内部犯行説を支持するのかい?」
コンスタンティンは若干の呆れた表情を滲ませ、わざとらしく驚いて見せているようだ。
パトリシアは、コンスタンティンの表情からいつもと違った何か、違和感のような物を感じ取っていた。
「じゃあその行商人と接触した人は? たとえばジャガイモの入った大袋を誰が運ぶの? 小麦粉とかはどうです?」
「穀物は自給自足できているのですが、果実と肉と鮮魚は定期的に仕入れています」
しゃあしゃあと言ってのけはしたが、コンスタンティンの表情は自然と堅くなった。
容疑者の中に入れられてしまった友人を疑いたくはないのだろう。
パトリシアの感じたもの、それはコンスタンティンのそんな、友人を庇い立てしようとする、その行為の裏にある、小さな小さな、一抹の不安のようなもの。
コンスタンティンは自信をもって友人を庇っているわけじゃない。シリウスに指摘されて、コンスタンティン自身も、ちょっと疑わしく感じているのだが、それを悟られまいとして妙に硬い表情になっているのだ。
「じゃあさっきの5人の中に、その行商人と接触した人いませんか?」
皆の視線がコンスタンティンに集まる。
……。
「いえ、居ませんね。やはり身内に裏切り者がいるなんてことありませんよ? きっと」
「じゃあその5人の家族はどうかな?」
「えっ? ……、そういえば、ゲーリーの妻ケイティが鮮魚の目利きのできるやつで、魚の仕入れは任せてるんですけど……、魚屋は門から中に入れませんよ?」
「こんな閉鎖された箱庭みたいなところに住んでるひとが魚の目利きなんてできるんですか?」
パトリシアのくりっとした大きな目が細くなり、そのまま眼力の篭ったジト目をコンスタンティンに向けると、普段あまり見せないけれど、すっぽんのように噛みついたら離さない、往年の刑事が取り調べをするかのような追及モードになった。
コンスタンティンはシリウスに目配せをして助けを求めたが、さすがのシリウスもパトリシアがこうなってしまうともう打つ手がない。
むしろ対象がシリウスではく、コンスタンティンだったおかげで、シリウスはホッとしているところだ。
コンスタンティンはシリウスが役に立たないと知るや、ジャニスの顔を見たあとアンドロメダの顔をみて止まった。なにか含むところがあるのだろうか。
「ケイティはここにきて日が浅いとはいえ、もう15年は経ってますよ?」
「女性なのね? じゃあそのケイティはここに来る前、どこでなにをしていましたか?」
「詰所に行けばハッキリしたこと書かれてある帳面あるんからわかるんですけど、たしか暗殺者の襲撃を受けて当時の夫を亡くしたはずです」
「再婚なの? じゃあ子どもは?」
「いえ、ここに来たときは一人でした……けど」
「外に残してきたってことありませんか?」
「調べておきます……」
何も悪いことしてないのにパトリシアに追及され、どんどん追い詰められているコンスタンティンの表情を見ていたアンドロメダもようやく違和感に気が付いた。
「調べなくていいでしょ、コンスタンティン。私、ケイティから相談を受けたことがあるのよ、外に残してきた娘のことで。このことはあなたも知っていたと思うけどねー?」
だそうだ。
捜索者志望のパトリシアは普段訓練しているせいではなく、もともとからしてこういった推理が得意なのだ。コンスタンティンはがっくりきているのが誰の目にも見て取れた。
「じゃあさ、それとなくでいいから、ちょっと探ってみてください」
「は、はあ……」
「コンちゃん案内してあげて、こういうのはシリウスが向いてます」
「今からっスか!?」
「今から行けば私が釘穴の洗浄おわるまでに白黒ハッキリしますから。もし違った場合は別の可能性に着手しましょう」
アンドロメダは、なるほど、確かに一理あると思った。
渋るコンスタンティンに対し「行ってきなさい」と命令すると、コンスタンティンは了承するしかなかった。なぜイヤそうな顔をしているかと言うと、いまやり玉に挙がっているゲーリーは、コンスタンティンとは割と気さくに話す間柄でケイティと結婚するときも式で誓いの儀式を執り行ったのはコンスタンティンだったからだ。だからこそ疑っているという顔すらみせたくないのだ。
「は……、わかりました。でもゲーリーに限って絶対にそんなことしませんからね。すまんねシリウス、こんなことに付き合わせて。きっと手ぶらで帰ってくるんだぜ?」
コンスタンティンが抜いた釘のうち、もっとも新しい釘を手に取ってまじまじと監察し、匂いを嗅いだりしながら、本当に毒が塗られているのか? シリウスなりに確認しているところに指名が入った。
「いいっスよ、今日もパトリシア大活躍の日で、オレなーんもしてないし。ちょっとぐらい働かないと」
「私もお仕置きされてから釘を抜いただけなんですけどね……、さてと、見失わないようにしっかりついてきてくださいよ」
「見失わねーし」
いうとコンスタンティンは、身体強化魔法を唱えた形跡すら見せることなく、シリウスには及ばないにせよ、目で追えるか追えないかという猛スピードで走り去ってしまった。




