【15歳】ダービー・ダービー(2)
「分かりました。順を追って説明するととても時間がかかるのですけれど、あなたの母方の曽祖父、つまりひいお爺さんのお話からになりますね」
「その話、朝までに終わるんだろうな」
アンドロメダはダービーの両親の話をするのに、100年も前のひいお爺ちゃんの話からするという。ダービーにしてみれば、母方の祖父すら知らないのに、曽祖父のことなんて考えたこともなかった。驚いたというよりもあっけに取られてしまう。
「あなたの曽祖父、ハインリヒはルーメン教会の中にある集落で生まれました。同い年の他の子よりも腕っぷしが強くて、活発な男の子でした。成長すると武力に長けるようになり、教会の防衛を担うようになりました……。今のコンスタンティンやジャニスと同じ役割です。でも24歳のとき、毎週サンドラから行商に来る娘と恋に落ちたのです。そして二人は結婚して教会を後にしました。この夫婦の次男として生まれたのが……ハイネス。でもハイネスというより『ガラハット』の名のほうが有名ですね」
御者台の座布団に浅く腰掛け、手綱を握ったままダービーはシスター・アンの顔を食い入るように見た。
『義賊ガラハット』は、王国を襲った干ばつと冷夏による危機的な食糧難の折、国軍の食糧輸送を襲撃し重税に苦しむ農民や市民たちに還元したことで今も人気の高い正義の人だ。盗賊であるがゆえ、その末路は悲惨なものであったが、それでも王国民の記憶の中に残り続ける、正義に殉じた志高き人物だった。
「ガラハット!! あの、吟遊詩人の歌に謳われた正義の盗賊団か。歴史上唯一、冒険者ギルドと敵対しなかった盗賊団だ。マジであのガラハットが私のお爺ちゃんなのか!」
「そう、義賊ガラハット。名をハイネス・ベッケンバウアー。結婚はしませんでしたが、愛した女性との間にひとりの娘をもうけました。その子の名は……エトナ」
「エトナは母の名だが……、ベッケンバウアー?」
「そうです。あなたのお母さんはハーメルン王国が根絶やしにしようと目論む一族の末裔でした。エトナは引っ越しを繰り返すなど、巧みに出自を隠し、サンドラからほど近いローライドという小さな町で、針子の仕事をしていました。そこで平凡だけれど優しい男性と出会って、恋愛をして、やがて結婚し幸せな家庭に暮らしていたのですけれど……、エトナに追手がかかりました……」
ダービーは眉をひそめて訝った。
爺さんがガラハットだからといって、結婚もしていない女に産ませた娘に追手がかかった? というのはおかしい。
ダービーは何も言わずに視線を前に戻した。
「ありがとう、でももういいよ。そこまで教えてもらったら、あとはもう自分で調べられる」
「あなたの腕なら記憶が戻っただけで十分でしょう。手掛かりを辿れば、いずれすべてを知る時がきます」
「ちょっとまって、ひとつ教えて欲しいんだ。さっきあの義賊ガラハットの名をベッケンバウアーと言っただろ? もしかしてあのアサシン、ディミトリ・ベッケンバウアーと何か関係があるのか?」
「そうですね」
「もしかして私もアサシンの血が流れてるってことか?」
アンドロメダはその問いには答えず、少し微笑みながら、ダービーの、30半ばにしてまるで少年のように好奇心に輝く瞳をみていた。優しく。
シスター・アンの眼差しを受けてまさか本当にあのアサシン、ディミトリ・ベッケンバウアーの血筋にあたるのかと困惑し、いつ『冗談よ』と言ってもらえるのかと思って反応を待っていたダービーだったが、そのままフェードアウトしてしまいそうになり、心は落ち着きを失ってゆく。
「えっ? え――――――――っ! マジで? …… マジでー!?」
シスター・アンはとてもいい笑顔で微笑んでいた。
ダービーは開いた口がふさがらず、口あんぐりのまま、馬車の走行風により目が乾くにもかかわらず、ほとんど瞬きも出来ないまま、自分の体験してきたこと、忘れてしまっていたことも、これまでの自分の身に起きたさまざまな出来事が頭の中をぐるぐる回るのを感じていた。
混乱の極みだった。
一瞬にして多くの情報がスライドショーのように脳裏に浮かんでは消えてゆく。情報を時系列順に並べ替える作業だけでも時間がかかる大変な作業だ。
ダービーは無心になって、知り得た情報を整理することに専念した。御者台に座って馬車の手綱を引いていても、まるで馬を操ろうとはせず、ただ馬なりに走らせていたせいか、サンドラから王都ゲイルウィーバーに入ったことも、どの道を通ってルーメン教会まで辿り着いたのかさえ覚えてないけれど、それでも一行は無事、ルーメン教会に到着した。
ちなみに昨夜は命のやり取りをしていたパーティーメンバーたちである。飛行船の中で少し寝た者もいるが、ほとんど寝ていない。馬車の中で眠ってしまうのは致し方ないのだろう。
シリウスは分かりやすい両手に花という状態で、パトリシアもヒルデガルドも、シリウスの肩に頭を預けて仮眠をとっている。
ポケットの中に追いやられたスクルドは少し不満顔だったが、シリウス本人はまんざらでもなかった。
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馬車がルーメン教会の門をくぐり、いくつかの施設の入った建物を素通りすると、道の突き当り、石畳が途切れ、舗装されていない土の路面で止まった。
薄暗い街灯があって、やわらかな暖色系の明かりがともっているので目を凝らさずともよく見える。
道路に車輪の轍がぐるっと周回するように残っている。馬車はここでターンして戻るのだ。
粗末な小屋から男たちが二人でてきて、馬車の扉を開いたが、屋根に縛り付けられているコンスタンティンには目もくれない。つまり慣れっこだということであり、こんなことは一度や二度じゃないということだ。
ズボンの裾をパタパタと払いながら降りたシリウスと、肩に乗るスクルド。
パトリシアは眠そうな目を擦っている。短時間だが馬車で眠っていたらしい。
馬車の中、ヒルデガルドはスヤスヤと心地よい寝息を立てて眠っている。起こしてやるのが気の毒なほどだが、ダービーに叩き起こされた。昨日寝てなくて、飛行船でも興奮して寝てなかったのに、すぐシャキンと目を覚ました。目を覚ましてすぐに高いパフォーマンスを見せることができるのはヒルデガルドの強みになるかもしれない。
馬車の入ってきた方角から人が三人、追いついてくる気配があった。
アンドロメダは三人に「遅い」と一喝し、部屋と食事の用意を命じた。ちなみに詰所前で止まらなかった馬車を追いかけてきた三人のうち一人は聖ジャニス・ネヴィルだ。
「おおっ、ダービーどのではないか」といって元勇者パーティーメンバー同士が再会を喜んだが、ジャニス・ネヴィルにはどうもこのメンツが解せない。
コンスタンティンが馬車の屋根に括り付けられているのはいいとして、アンドロメダとダービーがなぜ一緒になって、この、馬車で行ける一番奥の聖域の近くまで来ているのか? 普通の来客なら、わざわざこんな奥にまで来ず、詰所の受付があるエントランスで下ろすはずだ。
聖ジャニス・ネヴィルは深々と眉間にしわを寄せ、頬をポリポリと掻いてこのメンツに訝ってみせた。
ニヤニヤと唇を持ち上げて何か言いたげにしているダービー・ダービーが特に怪しい。
「もしかして、思い出しましたかの?」
「それはもう、ジャニス修道士にお尻ひっぱたかれて泣かされたことまでしっかり思い出したわ」
「聖なる経典にカメムシを挟むなどといういたずらをしたからですよ、お転婆ダービー」
ダービーはとりもなおさず、ジャニス・ネヴィルにヒルデガルドを紹介した。
天涯孤独だと思っていた自分の人生に、関わる人物がいきなり大勢増えたのだ。別に嬉しいなんて思っちゃいなかったけれど、少々浮足立っていた。やはり心のどこかで喜んでいた。勝手に捨てられたものだと思い込んでいた自分の出自が明かされたのだ。嬉しくないわけがない。
一方、シリウスのポケットに追いやられたスクルドは馬車を降りるとすぐさま飛び立ち、さっきまでパトリシアに占領されていたシリウスの肩に腰掛けたが、真っ暗闇の聖域の森に視線を奪われていて、何かを感じ取ると、すっくと立ち上がった。
「シリウス、疲れたでしょ? 詰所で休んどく? 粗末なもので良ければご飯も準備させますよ?」
「ん、ありがと。ハラへってっけどオレもいくよ、聖域は久しぶりだし、姉ちゃんに報告もあるしな。スクルドも一人じゃ不安だろうし……、まさかダービーさんが遠い親戚だなんて思ってもみなかったしな。パトリシアどうする? 疲れたろう?」
「ちょっと寝たから大丈夫、私もいく」
こちらの会話を小耳にはさんだのか、ジャニス・ネヴィルたちと詰所に戻るつもりだったダービーも急に振り返って「私も行く」と言い出した。シリウスが『姉ちゃんに報告もある』と言ったからだ。ダービーはシリウスの言葉に引っかかった。もしかするとこの教会内にギンガがいるんじゃないかと思ったのだ。
確かにダービーはさっきの話でベッケンバウアーの末裔だということが分かった。つまり、聖域に入る資格が与えられてもおかしくない。
だけどアンドロメダは「墓所の前までならいいわよ」といった。
墓所だなんて冗談きつい。ダービーは突然、得も言われぬ不安感に襲われた。
「だ、誰の墓があるんだ?」
「ここからは聖域の森です、黙ってついて来なさい。ジャニスはランタンをもって」
聖ジャニス・ネヴィルはライトの魔法が使えるのにランタン持ちをさせられることとなった。
ジャニスの無駄遣いも甚だしいのだが、ライトの魔法は明るすぎる。厳かな雰囲気の森には相応しくないのだろう。




