[16歳] ミッション・インポッシボー
好き放題やらせていただきました! 第一章めでたしめでたし。
次話から第二章、ディムが捜索者の仕事を受けて頑張ります。
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エルネッタはカーテンの隙間から抜けてくる朝の柔らかい光に刺激を受けて、ようやく目を覚ました。
ベッドで寝かされている。ってことは、いつものように酔いつぶれたせいで、ディムに抱えられてここに寝かされたってことだ。
様子がおかしい。ボーっとしてなかなか冴えてこない頭でまず最初に気付いた異変というのは、いつもだったら、このローベッドの下に敷かれた布団にはディムが死体のように眠っているはずなのに……。
いない。
不審に思ったエルネッタは、首をぐるんと右いっぱいに回して部屋の中を見渡して見ると、灯台下暗し、ディムはエルネッタのすぐ隣で、ぐっすり眠っている。
いったい……どうしたというのか、エルネッタはいま自分が見ているものが信じられなかった。
いつもベッドのすぐ隣に布団を敷いて寝るはずのディムが、布団を敷いてあるにも関わらず、どういうわけか同じベッドに寝ている。
しかも半裸……、パンツ一丁だ。うつ伏せで半分ケツが出てる。
そしてエルネッタの服装もむちゃくちゃに乱れていて、豊かな胸はいまにもポロリ寸前のところまでこぼれていた。
「はあ? スカート? ワンピースじゃん。ってなんでわたしこんな服着てんの!」
エルネッタは自分が女性の服を着てることに混乱していた。『なぜだ? どうして? いったい何があった?』と、起き抜けでハッキリしない脳をフル回転させ、薄れてしまった記憶の糸を手繰り寄せる。生まれてからの26年間これほどまでに頭を使ったことは一度だってない。
「うー。昨日、帰って来てからどうしたっけ? ディムがいて……、テーブルの上にプレゼントが……」
記憶は徐々に鮮明になってくる。
思い出した!
昨夜もどってきたらディムにしてやられて、あれよあれよという間にうまく乗せられて、いつのまにか女の服を着せられたんだった。
「けど、なんでディムが一緒のベッドに寝てんだ? ッツー、頭が痛い」
昨夜の酒が残っていてフラフラしながらも立ち上がり、はだけてしまった服装を直しながら、意図的に視線を逸らしていたが、ちょっと背中の筋肉の付き方がいい感じだと思ってしまったエルネッタは、半裸で倒ているようにぐっすり眠るディムの裸体を、チラッと、何の気なしにもういちどチラッと見たところ、そこにあってはならないものが見えた。
ディムの首筋に、キスマークがついている。赤い口紅でべっちょりと……。
心臓が高鳴る。ドキドキしていたものがバクバクと鼓膜の奥で大暴れしている。
「ディムにキスマークだと? 誰だ……誰がディムに……」
まさかという不安に襲われたエルネッタが恐る恐る自分の唇に触れてみると、指にべったりと紅い色が。
「ええっ……うそだ、誰かウソだと言ってくれ……」
間違いであってくれと呟きながらディムの首筋に震える指先を近づけていき、キスマークと照合してみる。
同じ色だった。
エルネッタの混乱は収まることなく、この部屋の状態から推測される事態に頭を抱えた。
それまで子どもだと思っていたディムが、少しでもイイ男に見えた、その翌朝にはこんなことになっていた。酒が入ると記憶が飛んでしまって、昨夜いったい何があったのか覚えていないのだ。
まるっきり、これっぽっちもだ。
いつもはディムが助けに来てくれて、朝目が覚めると、ちゃんとベッドに寝かされているから、エルネッタは安心して酒を飲んで、思う存分記憶を飛ばすほど飲んだくれることが出来たのだが……。
今日はいつもとわけが違う。いつもとは違う意味で、どうやらディムと……、一夜を共にしてしまったのかもしれない。ただ、惜しむらくはその記憶がないことだ。
……っ!
エルネッタに記憶がなくても、だいたいいつも、ディムには記憶がある。
自分の記憶にない痴態をディムだけが覚えているなんて……、屈辱的だ! ……などとこぶしを握り締めたところで、その屈辱は週一ぐらいの頻度でこれまでも実際に起きている事実だった。
「やばい。やばい。やばいったらありゃしない……、どうする、どうする、どうすればいい。考えろわたし、いますぐ考えて最適な解を導き出せ」
これまでどんなキツい依頼もそうやってこなしてきた。どんなピンチに陥っても、冷静に対処することで切り抜けてきた。
そしてエルネッタの脳はひとつの単純明快な答えを導き出した。
「証拠隠滅してシラを切り通すしかない!」
これだ。
物的証拠と状況証拠を全て隠滅することで、ディムの記憶そのものを何かの間違いとする。
名付けて "なにそれ? 夢でも見てたの? 男の子ってイヤらしい夢を見るのね。うふふふ" 作戦だ。
寝乱れたベッドで倒れるように寝息を立てているディムの首にべったりとついた物的証拠をまず消去しなくちゃいけない。
そのためにまず台所へと急ぎ水瓶から鍋に少量の水を取る。
種火をつけてコンロを立ち上げると、ぬるま湯を沸かす。これが人肌に温まったのを見計らってサッと手拭いに含ませると、まるで死んだように眠っているディムの首にべったりついた紅色をそっとふき取った。人肌のぬるま湯を使った理由は、ディムが冷たさに驚いて目を覚まさないようにとの配慮だ。
刺激を与えないよう、手拭いに力を入れず、なんども擦りながら、手拭いを裏返したりもしつつ、ディムに気付かれずにそっと拭き取ることに成功した。
「よしっ!」
ひとつミッションを完了したことで小さなガッツポーズを決める。
次はディムの半分ケツの出た下着を引き上げてやらないといけないのだけど……。
エルネッタはそうっと手を伸ばしてはひっこめ、また手を伸ばしたけれど、すっと引っ込めた。
この状況でもし、万が一にでも、ディムのパンツに手を掛けた時に目でも覚まされた日にはこれまで築いてきたいろんなものが音を立てて崩れていくのがありありと予見できた。
だけどこれは証拠を隠滅するために必要な作業。
大丈夫だ、ディムは朝が弱い。いつもなら名前を呼んで揺すったところですぐには起きない。ちょっとパンツを引き上げるぐらいで目を覚ますことはない。
そうっと、指先でつまんで、くいっと引き上げてみるけれど、なかなか思ったようにスッとは上がってくれない。これはきっと、男性特有の障害物がこの裏側にあるせいだ。
だけど力を入れちゃダメだ。持ち上げながら引かなきゃいけない……。
「そうっと、そうっと」
エルネッタは試行錯誤を繰り返したが、男のパンツを引き上げたことなどなかったせいか、けっきょくパンツのしわを引き延ばして尻を覆っただけだった。前の部分は何かに引っかかって1ミリたりとも上がってない。
「よっしゃ!」
ここでもひとつ小さくガッツポーズを決めたエルネッタ。
「はあ、今の私にはこれで精いっぱいだ……」
上半身裸になってるのは仕方がないので、このままそっと毛布をかけてやることにしてやり、もうヤバいものはないかと指さし確認を終えると、ベッドの横に敷かれてある布団に横になり、毛布をかぶって寝たふりを決め込むことにした。ここはいつもディムが寝ている寝床だ。
毛布をかぶるとディムの匂いが……。
「考えるな! 考えちゃダメだ!」
もう一度作戦を確認する。先にディムに起きてもらって、そのあとエルネッタが何事もなかったかのように起きた振りをすると言う、それはそれは完璧な作戦だった。
エルネッタはドキドキしながら寝たふりをしつつ、まだ起きないのかな? ディムはまだ起きないのかな?と気になりつつも、鮮明になってくる昨夜の記憶に頭を悩ませていた。
ディムには触れもせずアビリティやスキルを鑑定する能力が備わっているらしい。それだけでもかなり上位の鑑定スキルだ。相手を見ただけでどんなスキルを持っているのか知れる能力は王都でも10人あまりしかいないという上位鑑定士なのに加えて、見ただけで人の名前と年齢、レベルを含めた各種ステータスが分かってしまうなんて……。王都か首都に行けば、必ず認められるから、こんな辺境の街から出て都会を目指せば、こんな安アパートで貧乏暮らししなくて済むはずだ。
エルネッタは本名も実年齢もすでに知られていた。いま名乗っている"エルネッタ"という名前が、子供のころ自分を可愛がってくれた、家臣筋のお姉さんの名だったこともとっくに知られていたなんて、驚いたというよりもお手上げの状態だった。
これで人探しが得意だなんて。
もう衛兵の公安部捜査課なんていうお堅いところで仕事するほうが絶対に向いてると思うのだけど、当の本人はこんなとこで昼前までゴロゴロしてる。
寝たふりしているのに、つい目を開けてしまいベッドを見上げると……。
ディムと目が合った。
ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打っていたのだろう、落ちそうになりながらもしっかりと目は開いていて、もう微睡んでいるという風ではなかった。ということは、ずっとエルネッタの寝顔(寝たふりの顔)を見ていたのだ。
「んー。おはよーうエルネッタさん」
ディムは起き上がりもせず、寝転んだまま朝の挨拶をした。
「おっ、おはおうー」
うまくおはようと言えずに朝の挨拶を初手から噛んでしまったエルネッタ。いま願うのはひとつだけ。ディムが昨夜のことを憶えていませんように! ただそれだけだ。
エルネッタはディムの言葉を待った。
何を言われるのだろう、何を憶えてるのだろう? 第一声は何だろう? 頭の中に渦巻きながらディムが放つ次の言葉をドキドキしながら、心臓バクバク言わせつつ待っているけれど、ディムはずっとエルネッタを見つめたまま、ぼ――――――――――っとしてる。まるで目を開けたまま眠っているかのようだった。
その見つめ合いが1分、3分、5分、10分とエンドレスに続くものだから先に音を上げたのはエルネッタのほうだった。
「ディムおまえ本当に朝弱いな」
「ん――――っ、なんでぼくがエルネッタさんのベッドに寝てて、エルネッタさんがぼくの布団に寝てるのかな? と思って考えてるんだけど、うーん、思い出せないんだ……」
……グッ!
エルネッタは毛布の中で、ディムに見えないように拳を握り締め、小さなガッツポーズを決めた。
珍しくディムの記憶も飛んでいるようだ。そういえば昨夜はブロンズ昇格のお祝いとかで、アルスたちに酒をすすめられていた。
いつも役に立ったことがないあのアルスが、この土壇場で役に立つなんて、分からないものだ。
「いいよもう、思い出さなくても。間違えることもあるさ。……なあ、おなか空かないか? 肉食いに行こうか?」
難なくこの場から離れることで作戦は完了となる。
「朝から肉ぅ?」
「もう昼過ぎじゃないか」
「んー。いく」
もそりとベッドで上体を起こしたディムが異変に気付いた。
「あれ? なんでぼく服きてないの?」
「あ、暑かったんだろ?、暑いって言ってたからなお前」
「シャツどこだっけ? ぼくどこで脱いだっけ?」
エルネッタがぐるっと見渡してもシャツは見当たらなかった。
そう、エルネッタが布団に潜り込む前に指さし確認したのは、この部屋にあって困るものだ。ディムに見られて困るものがないことを確認したに過ぎない。
だからこの部屋に足りないもの、なければおかしいものの存在にまで頭が回っていなかったのだ。
だいたい推理小説などでも完璧なアリバイを用意している犯人が完全犯罪を目前にして全てを破綻させるのは、蟻の穴のような小さな綻びからだ。
エルネッタは頭の中でホイッスルを鳴らし、戦時警戒と同等の警戒心でディムのシャツを探した。
「あ、シャツめっけ……」
ディムのシャツは思わぬところから、毛布の中からモソモソと丸まった状態でシャツが出てきた。まったく皺だらけになったシャツを洗濯もせずにまた着ようなんて、まだ寝ぼけてるのか……。
その時だった。
ディムがいま正に着ようとしてるシャツの首のところにピンク色の何か見たことある物体がひらひらしているのを発見!
あれは!
あの薄ピンク色の、レースのフリルがヒラヒラしてるあれは……。
―― バッ!
エルネッタは目にも留まらぬスピードでディムがいま潜り込もうとしているシャツを奪い取ると、半分寝ぼけたディムの背後に回り込みシャツを着させてやるため腕から通してやった。
「ほらほら、バンザイするんだ。ほんとに手がかかるなー。お前なんかまだ子どもだ、子ども」
半ば声が上ずってしまって、心臓の鼓動はバクバクである。
「んー、エルネッタさんありがとー」
エルネッタが後ろ手に隠したピンクのヒラヒラ。それは現代でいうところのブラジャーというものだった。
護衛などの依頼に出るときは革製の胸当てを着用するのだが、革製だとこすれて痛い事から鎧下に使われるものだった。なぜそんなものがディムのシャツ中から出てくるのかは分からないが、エルネッタにしてみればディムに見られさえしなければオーケー。何もかもなかったことにすればいい。
今朝のこの大失態に、エルネッタは反省しきりだった。
もう二度とこんなことのないようにと、堅く心に誓い、ディムが縋りついて止めるのも聞かずいつもの男装に着替えた。
「なあディム、なんでわたしに女装させようとするんだ? ギャップ萌えってやつか?」
「美しい女性に目を奪われるのは当たり前じゃん。エルネッタさんは残念美女だ」
「わはははディム、それは褒めてくれてるんだよな」
「そんな喜ぶほども誉めてないからね」
不機嫌な顔をしながらもディムは結局、夜になって空腹で腹が鳴るまで、ずっとエルネッタの身体をメンテナンスをしながらゴロゴロ過ごし、
エルネッタは日がな一日、ずっとディムの記憶が蘇らないかドキドキして過ごしたが、話題が昨夜の話にならなかったことで、ホッと胸をなでおろした。




