【15歳】指名依頼(41)依頼完了報告
乗せるの乗せないのとすったもんだした割には飛行船の準備は滞りなく進められていて、その日の夕刻には、デニス・カスタルマンがリーダーを務める冒険者パーティーは無事、依頼を達成しサンドラ北部にある冒険者ギルド、セイラム支部に凱旋した。ここは全ハーメルン王国に大小零細合わせて555拠点ある冒険者ギルドを纏めるギルドマスター、マリーア・ケーニヒが常駐している主幹ギルドのひとつとされ、支部になってはいるが、実質本部のようなものだ。
カスタルマンがギルドマスターの部屋をノックする前に情報は伝わっているが、これは儀式のようなものであるから、厳かにドアをノックする。そしてギルドマスターが「入れ」と声をかけるところまでが一連のお約束だ。
カスタルマンがギルドマスターの部屋の重い無垢材のドアを開けて中に入ると、まずはギルドマスター、マーリア・ケーニヒが出迎え、ソファーに座る前に固い握手を交わし、労いの言葉をかけてもらう。
指名依頼は各ギルドの長に直接報告するのがならわしだ。まだ慣れてないシリウスやパトリシアにも、なんだかホッとして胸を撫で下ろすような安心感が伝わた。報告するまで指名依頼は完了しないのだ。
冒険者が危険な指名依頼を受けて、無事に依頼を遂行して帰ってくる、ここで自分たちを信頼して送り出してくれたギルドマスターが出迎えてくれる。誰も口に出しては言わないが、ゴールドメダル以上のランカーはみんな家族のような、奇妙な連帯感を覚えているという。
「無事にお帰り、カスタルマン、ダービー」
「無事に依頼達成し、戻ったよ」
「お疲れさま、セインさん。シリウスくんは男らしい顔つきになったね、ところでこちらのエルフ? の女性はどういった関係なのかな?」
「私の弟子でヒルデガルドという、ここのギルドで面倒見てもらうつもりだ」
紹介を受けたヒルデガルドは目を伏せて小さくお辞儀をしてみせた。
「はあ? ダービーの弟子だと? いったい何の弟子だ? こんな若い子にいらんこと教えるなよ?」
「ギルドマスター、そんなこと言ってていいのか? ヒルデガルドは凄腕になる。私が保証するからな、最初からシルバーぐらいのメダルくれ」
「アホか! 凄腕というなら尚更自分の実力で取るんだな。ヒルデガルドか、顔と名前は覚えたよ、酔っぱらってギルド酒場でケンカするようなバカ師匠だが、そんな場面に出くわしたら、ちゃんと止めるんだぞ? わかったな」
「は、はいっ」
「ん、いい返事だ。さて、みんな掛けてくれ。妖精族の売買を阻止したという報告はすでに入っているのだが、妖精はどうした? カスタルマン、報告をしてくれ。はやく」
カスタルマンが目配せで指示すると、シリウスが腰につけたポーチを開いた。
すると勢いよくスクルドが飛び出してきて、息苦しい狭いポーチからやっと出られたことで気をよくしたのか、シリウスの周りぐグルグルと2~3回まわったあと、肩にとまった。
カスタルマンが報告する。
「見ての通り、妖精族のスクルドさんを盗賊団『レッドベア』の拠点から無事に保護し、依頼達成しましたことを報告します」
「お、おおおう。まさか妖精族とこんな間近でまみえるとは……、ちっこいな。これでちゃんと指が5本ついてるんだな。……ちょっとまってもらおうかな。もうすぐルーメン教会から使いの者が……」
「もう来てますよ、すぐそばに」
シリウスの気配察知スキルがルーメン教会からの来訪者を捉えていた。
マーリア・ケーニヒは少し訝りながらドアの方向へ向かおうとすると、すぐさまノックの音がした。
気配察知スキルを使ったことがギルドマスターに知れた。
ギルドマスター、マーリア・ケーニヒは「ほう……」と感心したように鼻を鳴らすと「どうぞ、開いてますよ」と軽い声で歓迎の意を表した。
ドアが開くとシリウスの思った通りの人物がそこに立っていた。いつものように暗い配色ではあるが、若い娘が着るようなフリルのついた服を着ているアンドロメダだ。しかしギルドマスターの想像とは違ったらしく、目を見開いて一瞬息の根でも止まったかのように硬くなった。
「シリウスおかえりっ! パトリシアもお疲れさま」
二人はあんな酷い戦いに指名で送り込んだ悪魔のような女に、すこし引き攣った笑顔で応えた。
後ろにはまた苦虫を噛み潰したようなシブい顔をしているコンスタンティンが控えている。
アンドロメダの顔を見たギルドマスター、マリーア・ケーニヒは反射的にブーツの踵を鳴らし『きをつけ』の姿勢をとり、騎士の敬礼をビシッと決め二人を迎えた。ギルドマスターはどうやらアンドロメダの正体に気付いている。
しかしアンドロメダはギルドマスターの敬礼に対し、軽く手を振って会釈するという軽い挨拶で応えた。何というか、少し違和感が残るほどよくない対応であったが、カスタルマンには「ありがとうございます」と丁寧なお辞儀をして礼を言った。
カスタルマンのほうもソファーにどっしりと腰を沈めくつろいでいたのに、ギルドマスターの大仰な敬礼を見たあとだったので畏ってしまい、慌てて立ち上がって敬礼をするといった醜態を演じた。ちなみにカスタルマンもアンドロメダとはセイカ要塞で会い、その後ケスタール砦近郊まで一緒に帰っているのだから知らないはずはないのだが、その記憶は削除されている。
同じく獣人支配地域で会ってるダービーに至ってはアンドロメダとじーっと見つめ合う時間が長く、頭をひねったり、眉をしかめながら空中の何もない空間を睨みつけたりしながら、何か思い出しそうな、思い出せなさそうな、なんとももどかしい顔で迎えた。
「えっと、どなただったか。喉のここまで出かかってるのだけど、申し訳ない、思い出せないのだけど、後ろのあんたは覚えているぞ! あははは、コンスちゃん・チンだろ! ひさしぶりだな」
「変なところで切らないでください。コンスタンティンですよ」
柔らかいソファーに背中をずぼっと沈めて寝そべった格好で行儀の悪かったダービーが立ち上がり、指折り数えながら、
「18、19、んー、20年ぶりか?」
「ハイ、ソウデスネ……」
コンスタンティンの苦虫を噛み潰したようなシブい顔が引きつっている。この顔の原因は、どうやらダービーがここに居るからだろうことは何となくわかった。コンスタンティンはダービーのことが苦手なようだ。
にこやかに微笑むダービーの笑顔とは対照的に、コンスタンティンは酷いストレスに曝されている。
そんなコンスタンティンを横目でチラッと見ながら、アンドロメダはダービーにもお礼を言った。
「困難な依頼を達成したわね、お疲れ様。シリウスたちを助けてくれてありがとうね、ダリア・フレイラング」
さっきまでコンスタンティンとの20年ぶりの再会に微笑んでいたダービーの表情が暗転し、急速にこわばりはじめた。
ダリア・フレイラング、これはダービーがずっと思い出せなかった名だった。
6年前の指名依頼で勇者パーティーのメンバーとして獣人の支配地域に入ったとき、ギンガの鑑定眼で名前が違うことを指摘されたことがあった。ギンガの鑑定スキルは勇者の『見通す目』の上位スキルで、非接触鑑定で偽名を許さず、その両親の名前まで見抜く。ダービーは、名乗っている名前が本名ではないこと、孤児院で育ったので、自分の名前を覚えてないことをギンガに伝え、それでももう、本名を知りたいだなんて思わないこと、自分の名前はダービー・ダービーであることを伝えて、その名を知りたくないといって、ギンガの親切心を断ったのに。
ダリア。本名を呼ばれたことで、フラッシュバックを起こしたように、呼び起こされた記憶が洪水のようにあふれ出した。
幼い自分の手を引いてくれる母の笑顔が眼前にパアッと映った。おぼろげにしか覚えていなくて、セピア色になってしまった静止画の世界から飛び出したように、母の笑顔は劣化のない極彩色に彩られていた。
シーンはザッピングするように移り変わる。黄金色に実った麦の穂を揺らす風に飛ばされた麦わら帽子の赤いリボン……。追いかける小さな靴。
平原の真ん中に立っている幹の歪んだ木に寄り添うように建てられた板張りの粗末な小屋のような家。
家の横の木の枝から吊られたブランコに乗せられて、ゆっくり背中を押してくれた大きな手。振り返ってみると短髪で巻き毛の若い男が優し気に微笑んでいる。ダリアを見つめる瞳は、愛に満ち溢れていた。
ダービーは得も言われぬ経験をした。
なぜ忘れていたのだろうか、なぜ思い出せなかったのだろうか、封印された記憶が蘇り、ものすごいスピードで現れては消えてゆく。
ある秋の夕暮れ、家族で麦の収穫をしていると、うちに馬車がついた。
荷車じゃない、乗用の馬車なんて見たことがなかったので印象的だった。
客が来たのは分かる。だけどダリアはいつも優しいお父さんが険しい顔をしていたのを強く思い出した。馬車に乗った客が帰ったあと、着の身着のままで母と二人、家を出た……。
そのあと、ダリアは孤児院に預けられ、いくら待っても、母が迎えに来ることはなかった。
自分が捨てられた日の記憶だった。
ダービーは思い出したくもない悲しい記憶を呼び起こされ、それを否定しようとしても、どうしようもなく脳裏に浮かんでくるのを抑えることはできなかった。
アンドロメダをじっと見つめたまま視線をそらさず、その大きな瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちるのを止められない。
ダービーはすべてを思い出した。
いま目の前にいる、このひとのこともだ。
「シスター・アン!! なぜあなたが……、なぜ30年前と同じ姿でここにいらっしゃるのですか!、そ、それに獣人支配地でも私たち会ってますよね……」
「あちゃあ、記憶が戻ったのねダリア。言い訳はしないけど、説明はあとでいいかな? いまはほら、可愛い妖精さんを迎えに来たのですよ……。初めまして、妖精さん。まあっ、きれいな翅、ノルンの三姉妹ですね、お名前を聞かせてください。ウルドさん? それともスクルドさんかな?」
『初めまして、私はスクルドです。なぜウルドの名を知っているのですか?」
アンドロメダはスクルドの問いに、パッと手品のように、葉っぱのついた、小さな木の枝を出すことで答えた。小さなハート形の葉が6、7枚ついた細い枝だ。それをスクルドに見せると、ゆっくり差し出した。
シリウスには少しわかりづらかったけれど、森に精通したパトリシアには一目みただけでハッキリと分かった。これは、ディミトリ・ベッケンバウアーの霊廟に寄り添うように立っている巨木の小枝。聖域を聖域たらしめる力ある樹木のものだ。ルーメン教会にある聖域の森の中心部に、あの巨木が立っているせいで、森のほとりまで季節感が希薄になっている。森に棲む悪魔、悪霊と言われる『オセ』となったパトリシアも、聖域の樹木には奇妙なパワーを感じていたところだ。
パワーを秘めた小枝を差し出されたスクルドは、少し困惑したように翅音を響かせ、小枝に触れたあと『ヴェルザンディ……』とつぶやいてシリウスの肩に戻った。
『シリウス、わたしはあの人と一緒には行きたくないです。だってヴェルザンディが死んでしまったなんて、私には信じられないもの……』
「ヴェルザンディはきっとあなたに会いたいと思ってるはずよ?」
悲し気な翅音を鳴らしながら、あの人に私を渡さないでと懇願するスクルドと、優しい言葉で説得するアンドロメダ。シリウスにはアンドロメダがどうしても教会に連れて帰りたいような、不確かな印象をもった。
「スクルドが怖がってる。オレも一緒に行くよ。絶対に悪いようにはしないって約束したからな」
「悪いようにするわけないじゃん?」
「どう思うかはスクルドだよ、怯えてるじゃないか」
「はいはい、わかりました。じゃあこのあとシリウスも来なさいね。ところでスクルドの買い手は誰だったの? 調べてきたんでしょうね」
シリウスは「魔導大学院だったけど証拠がこれしかない」と言い、ポケットの中からミスリル製の小物をふたつ取り出して手のひらの上に乗せた。
ひとつはコインぐらいの大きさの鏡、もうひとつはスクルドが捕まっていたとき、頭にかぶせられていた、小さいヘルメットのようなもの。コインぐらいの大きさの鏡とは、2年前、聖域に仕掛けられていた魔鏡のうちのひとつで、ルーメン教会の魔法技術で録画機能を付けたものだ。
飛行船に乗せるの乗せないのといった押し問答が最初から最後まで克明に録画されている。
ダービーが不審に思ったショルダーベルトのバッヂがこれだった。あのときシリウスは視覚誤認スキルを使って、不審な鏡を、子供が好む勲章を模した、安っぽいバッヂに見せていたのだ。
アンドロメダは音声がなくても、唇の動きさえ見えれば会話の内容を解読することができる。
要するに音声が入っているも同然なのだ。




