【15歳】指名依頼(5)麻痺毒
バーランダーはくだけた雰囲気を作り出すのがうまく、デートか? などと言ったことで、ケツに焼けた鉄を突っ込まれたような緊張感が吹っ飛び、少なくともシリウスたち冒険者のほうはずいぶんと和んだ。もっとも駐留する騎士たちのほうは串刺しにでもなったかのように動かないのだが。
「なんちゃってな、実は冒険者として指名依頼で来たことは報告を受けたんだ……。ところで何年ぶりかな? デニス・カスタルマン氏、ダービー・ダービー氏、その節はギンガが世話になったね。バーランダー・アーソム・ソレイユだ、この砦では総司令なんてお飾りをさせてもらっている。こんな色気のない砦でおもてなしもできないのだが、歓迎するよ」
バーランダーは無造作に手のひらを差し出して握手を求めた。
サンドラのトップランカーと謳われたデニス・カスタルマンともあろう男がガチガチに緊張した様子だ。顔を引きつらせながらズボンでゴシゴシと、何度も手汗を拭いてから握手をしたし、ダービーに至っては、男か女か分からない容姿のくせに、こんなときだけしおらしくくねくねとお辞儀をしたあと、そっと手のひらを合わせるように手を握った。
「バーランダーは接触鑑定スキルもってるから触れるとぜんぶ見られちゃうよ?」
「んっ! お二人とも騎士団の精鋭に引けを取らない、素晴らしい戦闘力を有している。さ、ささ……」
パトリシアは鑑定されると知って手を引っ込めてしまいたかったが、バーランダー・ソレイユと言えば、ソレイユ家本家の長男で、近く家督を継ぐことが正式に決まっている男だ。握手を求められて応じないのは失礼にあたる。
恐る恐る出した手をガシッともぎ取るように握手したバーランダーの手のひらは、大きくて、まるで石みたいに堅く、分厚いものだったが、パトリシアの、華奢な指先を包み込み、暖かさを伝えた。
「セインさんもよく来てくれたね、こんなところじゃなんだ、中に入ろう。食事はもう済ませたのかい? 兵士たちと同じ食事しかないが、食べていくかね?」
接触鑑定されると分かっていて握手に応じたパトリシアを横目で見ながら、シリウスはバーランダーの耳元でヒソヒソと小声で話をしている。
「どう?」
「始まるのは5日後だ、時間は十分あるからな、健闘を祈る」
「わかった。アリガト」
いまの不審な会話を小耳に挟んだパトリシアは、笑顔を絶やさず、横目でシリウスを睨みつけた。
これは怪しいとしか言いようがない。
「5日後って何?」
小声だったせいかシリウスには聞こえなかったようだ。バーランダーについて砦の中に入っていこうとしている。
パトリシアにはシリウスの【夜型生活】が『宵闇』を発動させてることは分かっている。針の落ちたような音でも聞き分けるくせに、いま話しかけた言葉が聞こえないなんてことはない。パトリシアはますますシリウスの行動を怪しんだ。
「シリウス!」
ぎこちなく背中越しに振り返るシリウスに、同じ問いを投げかけた。
「5日後って何?」
シリウスは答えに窮した。パトリシアには必殺の『聞こえないふり』が通用しない。
二人は絶対に嘘は言わないという約束をしているから、ここで問い詰められると正直に話さなければならない。男女間で『絶対に嘘はつかない』なんて約束事をすると、往々にして困るのは男のほうだ。
「ごめん、それは言えないんだ」
そう、そう答えるのが正解だ。
だがしかし、
「なぜ言えないのか言いなさい」
「正直に言うと、オレとバーランダーの男と男の約束があるからパトリシアにも話せないんだ」
ナイスな対応だった。こう言えばパトリシアは強く説明を求めることができない。
不満そうにシリウスの後頭部に刺すようなジト目を送りながら、促されるまま砦の中に入っていった。
扉を入るとたったいま小走りで到着しました!みたいなおっさんがいて、バーランダーの顔を見るや否や狭い通路で道を譲るため壁に背中を張り付ける形でビシッと敬礼したまま動かなくなった。
「お? ヘイロー中隊長、こちら冒険者ギルドから指名依頼で来たそうだ。先にカスタルマン氏から依頼書を預って、必要な情報を集めて作戦会議室にきてくれ」
「はっ!!」
シリウスたちは砦の囲いの中庭にでて、離れの食堂棟に向かった。ちょうど夕食時だったのだろう、砦に従事する者たちが大勢集まっている。
コンソメのいい香りが漂ってくる、否が応でも腹の虫が騒ぎ出す。昼食は軽くとったが、飛行船での移動時間がことのほか長く、夜ご飯はまだ準備もしていない。シリウスたちの晩御飯はパンと干し肉だけの予定だったので騎士団の夕食を食わせてもらうのはうれしい。
バーランダーについて食堂に入ると、気付いたものから順番に全員が敬礼をして食事が進まなくなった。おかげで配膳の列もぜんぜん進まない。バーランダーは配膳係の者に「このままじゃゆっくり飯も食えんな、じゃあ5人分を会議室に持ってきてくれ。肉多めでな」と指示し、自分たちは砦の二階にある作戦会議室へと向かった。まったく、騎士団というのは一番偉くなっても気苦労が絶えないということだ。
作戦会議室はとはいえ、学校のミーティング室のようなもので、前面の壁に黒板があり、椅子の連なる大テーブルには砦を中心とした精巧な地形図が描かれていた。
「うわっ、いいなこれ」
等高線と、森の中を縦横無尽に走る狩人の道まで描かれている地図を見てダービーが色めき立った。
ダービーのように地図を読み解く術に長けたものには、精巧な地図ほど貴重な情報はない。
「まあ、すぐ夕食が届くだろうから、あとあと」
食事はすぐさま届けられた。皿に盛られた料理を表現するには、肉多めというよりも、肉しか乗ってないんじゃないかと思うほど。兵士と同じものと言ってたが、明らかに肉と野菜の配分が違う。
こんなものを毎日食べられるのなら、兵士という仕事はもっと人気があってもいいはずだ。
「ねえバーランダー、これ肉おおくね? オレ野菜も欲しいんだけど……」
「何が野菜だ! 肉くっとけシリウス、肉を食わないと筋肉が育たないからな、いざというとき力が出ないと困る」
まごう事なく脳筋のセリフだが、残念なことにソレイユ家では脳筋思考がまかり通っている。
辟易するシリウスをよそに、フォークとナイフを使って器用に肉を口へ運んだカスタルマン。ひと噛み、ふた噛みして、その肉がかなり上等であることを知った。
「これは、いい肉ですね。サンドラでは値が張る……」
「ああ、誤解しないでほしい。私たち騎士団が贅沢をしているわけじゃないよ? これはここの森で獲れる良質なカシルカモシカの肉なんだ。夏から秋にかけては脂が乗って、もっと旨くなるぞ?」
「ほう、砦の兵士たちの食い扶持を賄うには大変でしょう?」
「うむ、だから毎日というわけではない。週に何度か関所の村にいる狩人が売りに来るんだ。我々はそれを買って、兵士たちの食い扶持の足しにしている、あなたがたは幸運だったというだけさ」
なんだかんだ言って、騎士団と冒険者ギルドは持ちつ持たれつの関係にあるというとこだ。
シリウスはむこう一か月の間、便所掃除を言い渡された門番の男を少し気の毒だと思っていたのだが、あの男もギルドの恩恵にあずかっているのだから、意地悪はいただけない。便所掃除1か月で丁度いいような気がして、妙に納得してしまった。
シリウスたちが食事を終えると、配膳係の者が呼ばれ、食器などをワゴンに乗せて全て片付けられ、そのかわりに、人数分のコップと水差しがテーブルの端っこに置かれた。水はセルフサービスのようだ。
配膳係が食器を下げたのと入れ替わりに男が入ってきた。さっき情報公開依頼書を渡したヘイロー中隊長だ。両手に持ちきれないほどの荷物を抱えている。巻物になった地図が3巻きと、バインダーに閉じられた書類。
シリウスには気配探知と同等の『知覚』スキルがあるので、ずっと扉の前で待機していたのを知っている。
この男も苦労人なのだろう。
「お待たせしました」
「いや、ちょうどよかった、すぐ始めてくれ」
「はっ! ではまず情報提供依頼書に明記されてある依頼内容は妖精族が売買目的で我がハーメルン王国に入ってくるのを水際で阻止し、当該の妖精族を保護。保護した妖精族はひとまず王都に連れてゆき、ルーメン教会が保護するとのこと。我が騎士団が提供する情報は2つ。うちひとつめ、ハセ大森林の詳細な地図の提供。……これです、確認してください」
地図などはダービーが担当する。受け取るとすぐさま開いて確認しはじめた。テーブルに広げられた大きな作戦地図と相違ないかを確認するぐらいしかいまはできないが……。
「ふたつ、有力な盗賊団とそのアジトの位置ですが、これは推定になりますがかなり信頼度の高い情報になります。地図に書き込みますか?」
「いや、万が一盗賊に捕らえられたときアジトの地図を持っていたらタダじゃ済まないからね、地図にはフェイクの情報しか書き込まないことにしている。説明してくれたら暗記するよ」
「ほう、さすがはギルドマスターに信頼されるトップランカーですな。ではその地図は収めてください。テーブルの作戦地図で説明します」
ヘイローは小箱を取り出すと、作戦地図に置いて説明を始めた。
「この辺りに盗賊団『レッドベア』のアジトがあります。国境線を越えた向こう側なので、詳細なことまでは分かりませんが、これまで50人規模だった『レッドベア』が、5日前の情報では80人規模にまで膨れ上がっているという情報があり、アッテンボロー側の監視所が要注意を喚起しました。おそらくは他の中小規模盗賊団が合流したのではないかと考えていたのですが、なるほど、依頼内容を見たことでようやく理解できました」
カスタルマンは情報の信頼度が気になった。
「その情報源は?」
「関所に駐留する衛兵ですね、今は北側の森には狩人も入れないと言ってました」
「警戒されてるのは承知の上だよ、そのためにダービーが同行している」
「ダービー氏は『警戒』スキルを持っているから簡単に奇襲されることはないだろうが、だが『レッドベア』には『気配探知』スキルを持つものがいて、アッテンボロー側の衛兵もなかなか手出しできないんだ」
「うわっ『気配探知』か……、ハードな依頼になりそうだ……」
これは偶然だったのだろう、話が『気配探知』能力者が居るという段に進むと、シリウスは自然と
(オレの気配消しスキルとどちらが上なのかな?)なんてことを考えながら、なんとなく、ただ漠然と、周囲の気配を探っていた。砦では数百人という単位で人がいるのだから、そのすべてを判別することは困難なのだが、ことさら近くの気配に異変があると、目立つ!
……っ!
シリウスは息をのんだ。
おもむろに立ち上がり、唇を人差し指で抑え、この場にいる全員に「しーっ」静かにして、という合図を送った。
訝る皆の視線が集まる中、シリウスは黒板の前に立ってチョークを持つと、
(→隣の部屋にいるひとが、いま気配消しスキルを使ったっぽい)と走り書いた。
パトリシアについて森で探索者の依頼を手伝ってた経験でわかった。パトリシアと一緒に森に入ると、気配の輪郭がおぼろげになるのだ。さすがに森に入ったパトリシアほどじゃないにせよ、隣室にいる者の気配が、わずかだが、明確に不確かなものになった。
シリウスはその小さな変化を見逃さなかった。
この場に居る者、全員の目が据わった。聞き耳スキルを使っているとすれば、いままでの会話は聞かれたと考えていい。壁は分厚く密閉度は高いが、その分、空気を入れ替える必要があるため、部屋のスミっこに通気口が設けられていて、ここが隣室とつながっている。
バーランダーが筆談に応じた。
(隣室には何人いる?)
(ひとり)
隣室は今シリウスたちのいる作戦会議室と同じ大きさ、同じ形だが、この部屋にあるような大きな地図を囲む大テーブルが設置されてないという違いがある。隣室は会議室として使われているから、そもそも今の時間に、ひとりで隣室に居ること自体が怪しい。
バーランダーは壁の上のほうにある通気口を指さした。あそこから聞かれているという意味だ。そして、黒板に部屋の見取り図を書き始めた。
なるほど、隣の部屋とは背中合わせになっていて、ドアからドアが最も遠い構造になっている。
たとえばドアを蹴り開けて廊下を走っても、聞き耳スキルを使っているなら当然気付くだろうから、ドアを開ける音を聞かれた瞬間に逃げられてしまうだろう。もっともシリウスのスピードをもってすれば逃がすこともなかったのだが。
一方バーランダーはさっき握手したときダービーが足跡追尾のスキルを持っていることを知っている。ドアから出た一番新しい足跡を追尾すればいいだけかもしれないが、その場合、こちらが一歩出遅れることになる。万が一にでも砦の外に逃がしてしまうと、スパイされた会話内容を誰かに伝えられてしまうという危険をはらむ。情報そのものより、シリウスたちが妖精族を保護するため盗賊の拠点に向かうことを知られるのは、非常にまずい。
バーランダーが(部屋から出さず、その場で取り押さえたい)と書くと、
シリウスはパトリシアを指さしたあと、
(麻痺させよう)と書いた。
バーランダーが親指を立てた。任せるという意味だ。
パトリシアはこくりと頷くと、バックパックをテーブルの上にそっと置いて、中から小さな木箱と風を起こす団扇を取り出し、そのふたつをシリウスに手渡した。
パトリシアはくれぐれも"ちょっとだけ"を意味する指のサインをしつこく、くどく、なんどもなんどもシリウスに見せた。シリウスに渡した箱の中には、パラシアスキノコの胞子を詰めた布袋が入っていて、匂い袋のように、織目から胞子がこぼれ続けている。この胞子というのが人にとって強力な麻痺毒になるという仕組みだ。
シリウスの目配せにバーランダーが応じた。通気口の下で肩車をして、背丈の足りない分を補った。
通気口にギリギリ手が届く。シリウスはパトリシアから預かった木箱のふたを"ちょっとだけ"ずらすと、その隙間にむけて団扇でそっと風を送った。通気口に向けて、はたはたと、音がしないように扇いだ。
パトリシアがなにかを伝えようと一生懸命ジェスチャーしているのだが、シリウスは小箱を扇ぐのに集中していて目に入ってない。パトリシアがシリウスの足を掴もうかとしたとき、こっちの部屋にいたデクスター・ヘイローが 机に額を打ちつけ、もんどりうって派手に倒れた。
「あ!」
「多いってば! もう、このヘタッピ!」
バーランダーも、たまらず片膝をついてしまい、バランスを崩しそうになったので、肩に乗ってたシリウスは "ひょいっ" と軽やかに飛び降りた。
「くっ、こいつはいかん……、ヘイロー中隊長は大丈夫か……」
そもそもパトリシアの麻痺毒は脳に作用し、神経の伝達を阻害する。森で使っても敵を倒せるような代物だ、こんな狭い密室で使うとどうなるか、真っ先に大きな音を立てて倒れてしまったヘイローを誰が責められよう。
「やっちまった、どうしよう」
すぐに動けたのはシリウスとパトリシアだけ、ほかの3人については、倒れるというより、ドアにたどり着くまでに足がもつれて転倒し、そのあともモゾモゾと起き上がることすら困難な状況だった。
「先に急いでっちゃられっ」
「すぐ向かうっちゃら」
バーランダーとカスタルマンはシリウスたちに『先に行け』と言いたかったのだが、もう舌まで痺れてしまって言葉も満足に出てこない状況に陥っていた。
麻痺は少しずつ確実に体の自由を奪う。
シリウスとパトリシアは麻痺毒に耐性を持っているからこそ、この麻痺地獄のなかを平気で動き回ることができる。当然ほかの3人についてはしっかり麻痺毒が効いていてしばらくは役に立たない。
シリウスとパトリシアが先行、廊下をぐるっと回り込み、背面にあるドアを開けると、中で女がひとり倒れていた。ほかに人がいないことは気配で読めていたが、念のため入室するときは警戒する。
実はこの時、シリウスたちが飛び出したドアを閉め忘れたことが大失敗の始まりであった。
そして開いた隣室のドアも、開けっ放しで入室してしまった。開けたドアを閉める、たったこれだけのことを忘れただけで王立騎士団、北の国境の砦は未曽有の危機にさらされることになる。




