【15歳】指名依頼(1)サンドラ冒険者ギルドにて
パトリシアがディムとの約束を果たし、抗生物質を完成させたことで勇者・ヒカリ・カスガ・ソレイユが死の病を克服してから2年と半分の月日が流れた。
春、草木の芽吹く季節だ。
13歳だったシリウスも15歳になり、登校拒否気味だった中等部も、無事に卒業した。
貴族社会では男児が15歳になると元服する決まりで、シリウスは『ミルザム』の名を戴いた。
これからはシリウス・ミルザム・ソレイユと名乗ることを許される。
シリウスがヒカリの故郷、地球から見た全天で最も明るく輝く恒星であったのと同じく『ミルザム』はこの世界の全天にある数億の星々のなかで、最も明るい星の名であった。またミルザムは常に北を指し、夜の闇で旅人に指針を示すポーラスターでもある。レーヴェンドルフは考えに考え、悩みに悩んだ末、大きな期待を込めてミルザムという名を子に与えた。
シリウス・ミルザム・ソレイユは中等部を卒業すると、首都サンドラにある大学府に付属する高等部へ進学することを選んだ。
魔導を学ぶなら魔導学院、国防を担う将校になるなら陸軍省兵科という選択肢もあったが、鑑定眼阻害スキルをオフにする方法がわからないシリウスは鑑定士に見てもらったところでアビリティなしと鑑定されることから、魔導学院も陸軍省兵科も、そのどちらの入学資格も有してはいなかったのだ。
それに比べてサンドラ大学府の付属高等部では入試で一定の学力が認められさえすれば、あとは役人程度の収入が必要だと言われている学費を払うだけだ。一応は全ての王国民に開かれた学校という建前になってはいるが、一般の平民には学費の負担が大きくのしかかる。親が借金して子供を学校にやるのは普通にみられたし、当の学生も勉学が疎かになると知りながら、アルバイトがてら冒険者ギルドに登録して、簡単な依頼をこなして生活費の足しにしているのだった。
もちろんシリウスは13歳のころから、サンドラに下宿するパトリシアについて森に入っていたので、探索者として見習いランクで登録を済ませている。15歳になったので見習いのレッテルは外れ、いまでは立派なDランクの駆け出し冒険者だ。
13歳のころと比べて、ほかに変わったことといえば、、ずいぶんと背が伸びたぐらいか。
中等部を卒業し、あこがれの一人暮らしを始めるにあたって、ひとまず学生寮への引っ越しも終わった。来週には入学式があり、口煩く干渉してくる母親の手を離れることができた。入学式までの、あと一週間が待てずに家を飛び出してきた、解放感に胸躍るサンドラでの一人暮らしが始まる。
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サンドラはハーメルン王国の首都であり、最大の都市だ。
周辺の外郭都市を含めると30万の人口を誇る。中央の大通りだけでなく、サブストリートを含めて道路の舗装率は70%に達していて、馬車の往来する道路でも車輪の轍ができたり、そこに水が溜まったりしないよう水はけも考えられている。灌漑と治水が高レベルで同居している、この王国にはここまで進んだ都市は他にない。
そんなサンドラの北西に位置するウェストコンラッド区は少し小高い丘になっていて、シリウスが入学する大学府高等部があり、その東側、太陽の昇る方向にはサンドラ薬科大学院というこの世界で最も進んだ薬剤師の学校がある。この薬科大学院こそ、パトリシアの通う薬剤師の専門学科だ。
地理に明るくないヒカリには分からなかったが、大学府の卒業生であるレーヴェンドルフの目をごまかすことはできない。シリウスがパトリシアを追いかけてサンドラに来たことは、間違いない。
ウェストコンラッド区から南の大通り沿いに少し歩くと露店街があり、そのいちばん賑やかな区画に白い鷹の旗がはためいている立派な建物がある。
構えは古いが石造りの三階建て、ガラスの窓がなく、城壁のように厚い壁がそそり立っている。
いかにも異質な雰囲気を醸し出している、この要塞のような建物こそ、サンドラの冒険者ギルド、セイラム支部だ。
大都市サンドラには5つの冒険者ギルドがあるが、ここは苦学生が多く集まるので、ライセンスなしでも受けられる……、たとえば庭の芝刈りや落ち葉掃除、畑の雑草抜きなどという、雑務まで依頼として引き受けている。もちろん冒険者ギルドとして探索者ライセンスに対応する薬草取り、キノコとりだけでなく、食肉をとる狩人の仕事も取り扱っている。パトリシアは特例として探索者と狩人のWライセンスを持っていたので、ここでもWライセンス持ちとして自給自足の生活をしているのだ。
薬科大学院の目玉が飛び出るほど高い学費はソレイユ家もちだが、生活費ぐらいは学業の合間に受ける依頼と、たまにいいコロリタケが手に入った時だけ作る殺鼠剤、ネコイラーヌの納品だけで十分すぎる収入になり、シリウスと同い年の弟の学費に充てるため、仕送りもしている。
ちなみにサンドラ広しといえど、ダブルライセンスをもっているのはパトリシアだけである。
そういえばサンドラはラールの街のように、冒険者ギルドと狩人組合が分かれて活動しているなどということはない。
ラールでも元は冒険者ギルドひとつだったのだが、仲たがいをしてケンカ別れをしてしまった。むしろ冒険者ギルドと狩人組合に分かれていたのはラールの街だけで、よその街のギルドでは傭兵も探索者も、狩人も、同じギルドで仕事を探し、同じ酒場で酒を飲む。普通は仲よくやっている。特にここセイラム支部は学生も多く出入りするギルドだ、ガラの悪い傭兵たちが幅を利かせているということもない。
ギルドの真新しいドアを開けて中に入ると、右側が酒場エリアで、左側はおちついたカフェのようなエリアになっている。その広さはラールの比ではなく、100人ぐらい入ったところで席が足りなくなることはない。
一階いちばん奥にあるのが冒険者ギルドカウンターで、依頼のカードを貼り出すボードは壁に一面といって過言でないほどビッシリ貼り出されている。
ちなみに二階は傭兵たちの依頼が貼り出されることから、一階よりも二階のほうがはるかにガラの悪い連中がたむろしている。
シリウスは一階にしか用はないので、いつものように依頼の貼り出されたボードを眺めていると、ギルドカウンターから声がかかった。
探索依頼を担当するカウンター嬢のお姉さんだ。
「シリウスくん、今日はセインさん一緒じゃないの? 実はセインさんに指名の依頼がきてるんだけど」
シリウスはここのギルドで『シリウス』という名前だけで登録している。ダブルシルバーメダルのパトリシアが身元保証人になってくれたおかげだ。なぜ姓を隠す必要があるのかというと、この王都ゲイルウィーバーの城下町サンドラでソレイユの名で冒険者家業をするのは何かと面倒なのだ。
「パトリシア? まだ来てないの? ならもうすぐ来ると思うけど……、指名って何よ? 指名依頼はゴールドメダルからじゃね?」
「それがさあ、ちょっと大きな依頼なのよね」
「大きな依頼? なんだそれ?」
「詳しくはセインさん来てからの話になるわね、でもシリウスくんが一緒に行ける依頼じゃないよ?」
「え? なんで?」
「たぶんランクが足りないと思うのだけど……」
カウンター受付嬢の視線がシリウスを超えて、その向こう側にあるドアのほうに流れた。
シリウスも視線の先を追う。
大きく膨らんだバックパックを肩から降ろしながら入ってきた女性、パトリシアだ。
厚手のデニム生地のズボンと、靴ひもが膝下まである編み上げの革ブーツを装備している、今日もこれから依頼を受けて仕事をする支度をして来ているのが分かる。
ギルド受付嬢も真剣な眼差しで依頼ボードを精査するパトリシアを見つけた。
「あ、セインさん! ちょっといいですか?」
「はい? 何でしょう」
「実は指名の依頼がありまして、ギルドマスターがお呼びです、奥の階段から3階のギルドマスターを訪ねてください」
「指名? じゃあ、えっと、ネコイラーヌの納品は? どうしましょう? 急ぎです?」
「はい、納品は後回しで構いませんので、まずはギルドマスターに会って話を」
パトリシアはふうっと小さなため息をついたあと、ここで待ち合わせていたシリウスを見上げた。
「指名だってさ? なんだろうね」
「シラネ」
初めて会ったとき、パトリシアよりもすこし目線下だったシリウスも、2年と半分の間にびっくりするほど身長が伸びていて、頭一つ分の差がついてしまった。パトリシアからは見上げる格好になるし、シリウスからは頭のつむじが見えてしまう。
パトリシアに手を引かれ、シリウスが見習いとして冒険者登録しに来たときは、どう見たってパトリシアがお姉さんで、シリウスは弟に見えただろう。
男子三日見なければ刮目してみよという格言通り、冒険者見習いとしてFランク探索者だったころの面影はすでにない。たった2年と半年の間に、少なくとも見た目だけは大逆転していて、いまのシリウスは15にして将来有望なイケメンの雰囲気がぶいぶい醸し出している。
近頃はギルドでバイトしている女学生たちの間でもシリウスは注目株なのだが、いつもパトリシアと組んでいるせいで声をかけづらいらしい。
いまもカフェエリアから若い女の視線がシリウスに向けられていて、そのついでといっては何だが、パトリシアに向けられる視線には、わずかばかりの敵対心が含まれている。
そんなものをいちいち気にしていたらキリがない。
パトリシアは気付かないふりをして奥の階段をのぼった。
二階は傭兵と狩人の専用エリアになっていて、こっちの酒場エリアは少し薄暗く、ガラの悪い男たちが酒場の隅のボックス席に散って、朝っぱらから酒を飲んでいる。
ラールのギルドを知っているパトリシアにとって見慣れた光景ではあるが、厳格な貴族の家庭に育ったシリウスにとって、朝っぱらから酒を飲むこと自体がダメ人間の所業だ。パトリシアは狩人ライセンスを持っていることから2階にもけっこうな頻度で顔を出し、そのたびガラの悪い狩人や傭兵たちが「ねえちゃん、こっち来て一緒に飲もうぜ。奢ってやるからよぉ」などと声をかけることから、シリウスの最重要警戒区域となっている。
「3階だよ、急げってさ」
シリウスはパトリシアの腰に手を添えて階段へと急がせた。
駆け出しの探索者など、どこのギルドでもだいたいお味噌の扱いであることに違いない。
例に漏れずシリウスもここではガラの悪い傭兵たちの下に見られている。要するに腕のいいシルバーメダルの女狩人パトリシア・セインの子分というのが、ここでのシリウスの評価だ。
現にパトリシアのパンパンに詰まったバックパックを持っているのだから、そう思われても仕方ない。
にらみを利かせる傭兵どもをチラッと横目で一瞥だけして、シリウスは足を止めることなく階段を上がった。
3階は事務エリアで、開かれたカウンターと、パーテーションで区切られた相談テーブルがいくつか見えた。依頼者は1階、2階の冒険者の顔ぶれを見た後、3階で依頼を発注する。もちろん一般の冒険者たちは3階に用はない、パトリシアたちの顔が見えると、すぐさま受付の女性が立ち上がり、用件を聞いてきた。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用向きでしょうか」
依頼者の扱いからしてラールのギルドとはえらい違いだ。洗練されたお客様第一主義が伺える。
「いえ、ギルドマスターに呼ばれているそうで。私、パトリシア・セインといいますが……」
パトリシアの首にぶら下がっているシルバーのメダルを見たギルド職員は態度を改めた。
「ああっ、失礼しました。指名依頼ですね。ギルドマスターの部屋はこちらです、すでにお二方来てらっしゃいますよ」
職員の案内で通路を奥に進み、いかにも……な重厚なドアをノックし「指名依頼の件でセインさんがいらっしゃいました」というと、中から女性の声で「入ってもらえ」と答えた。
ドアを引いて開けると中は応接室のようになっていて、ソファーがあり、女性が二人、男性が一人いて、一番奥の席についていた、眼光の鋭い女性が立ち上り、二人を招き入れた。
「さあどうぞ、入ってくれ」
中年女性とはいえ、体格はがっちりしていて、こめかみから頬にまでざっくり斬られたような古傷がある。部屋に招き入れたということは、この女性がこの部屋の主だ。
シリウスは無意識のうちに先手を打ち鑑定を試みた。
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□マリーア・ケーニヒ 43歳 女性
ヒト族 レベル055
体力:71183/72540
経戦:44199
魔力:―
腕力:20200
敏捷:1020
【騎士】S /片手剣S/短槍A/盾術S/鑑定D
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女性のステータスを勝手に覗き見するとあとでパトリシアに怒られるのだけど、相手が冒険者なら話は別だ。目の前に立った時点で相手の戦闘力を値踏みするのは当然だからだ。
「招集に応じていただき感謝する。私がギルドマスターのケーニヒだ。よろしく。狭い部屋だが、どうぞ、その辺に掛けてくれ」
掛けてくれと言われても、両脇にある二人掛けの椅子のどちらにも一人ずつ座っているので、シリウスはパトリシアと別れて座る必要がある。
左側に座ってるのは、こちらも50歳ぐらいのベテラン臭のぷんぷんと漂うオッサンだ。
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□デニス・カスタルマン 55歳 男性
ヒト族 レベル051
体力:50840/51990
経戦:27550
魔力:-
腕力:18460
敏捷:870
【騎士】A /片手剣A/盾術A/パーティ戦闘A
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レベル51でステータスも騎士団の精鋭クラスと見た。
もうひとり、右側に座っているカウボーイハットで一人分の座席を占領している女……。
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□ダービー・ダービー 35歳 女性
ヒト族 レベル050
体力:30900/32700
経戦:15880
魔力:-
腕力:850
敏捷:35940
【狩猟】A /弓術S/短剣C/警戒D/足跡消しB/追跡B
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ダービー・ダービー! この名前、シリウスには覚えがあった。
姉であるギンガと一緒にパーティを組んで獣人の支配地域に入り、遭難したメンバーの一人だ。




