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魔鏡

「見られてる? ここには私たち以外に誰もいないのですけど?」


「人の気配を感じないのに、なんだか見られてる気がします……」


「えっ? 私の気配察知は昼間は劣るけど、それでも人の気配を見逃すことはないんですけど? どんな感じなのかな?」


「んーと、こっちのほうなんですが……。ちょっとこっちへ……」


 アンドロメダは聖域の森に侵入者があるなんてこと信じられなかった。気配察知には自信があるせいか、半信半疑で工房を出るパトリシアについて行った。それでもアンドロメダのパトリシアに対する信頼が上回る理由は、2年以上もラールの冒険者ギルドで何度も一緒にパーティを組んで森に入っているからだ。


 普段は普通の町娘といった雰囲気のパトリシアだが、一歩森に入ると豹変し、アンドロメダでさえ一目置く存在へと変貌する。パトリシアが森で何かおかしいといえば、絶対に何か異変がある。


 シリウスはそのとき、目の前にいるはずのパトリシアの存在そのものが不確かなものになったのが分かった。パトリシアをしっかり見ていないと、目の前に居てなお見失ってしまいそうなほどだ。


 シリウスはパトリシアが気配消しスキルを目の前で使ったのだと理解した。最初から見ていなければパトリシアの存在に気付けない、スキルレベルは相当に高い。


 実はシリウスもこっそり内緒で、アビリティ【夜型生活】が発動してる間だけは気配消しスキルが使える。家にいるとき何度か使ったことはあるが、自分以外の者が『気配消し』スキルを使ったのを見たことがなかった。


 シリウスは小走りでパトリシアの後を追った。



 パトリシアは木漏れ日を避けるため手のひらで影を作りながら、巨木から広がる枝の下に回り込んで遥か高いところを見上げている。どうやら木の上の方に何か異常を見つけたようだ。



「なに? 私には何も見えないけど……」


「だいたいキツネリスのような動物がいる感じなのかな、この木が違和感を出してるんですよね。でも動物の気配がないからおかしいのだけど、どうにも見られてる感覚があるのよね……、あのあたりから。何か擬態してない? 私の目じゃ見えないからアンが見て、絶対何か変なんだって……」


「うーん、分かんないなあ。どういう感じなの?、あの3段目の枝のトコよね? ちょっと登ってみようかな……」


 樹齢千年にもなるであろう巨木を見上げている二人の傍ら、シリウスが叫んだ。


「見つけた! あれは魔法かな? ぼくにはあれが何なのか分からないけど、あそこで何か魔法が起動してるよ」



 ……っ!!


「うっそ! 魔導器を仕掛けられてるの? シリウスありがとう、パトリシアもアリガトね。ちょっとここで待ってて、動いちゃダメだよ。魔道器を安全に解除できる人を連れてくるから!」


 いうが早いか、アンドロメダは視界からフッと消えてしまった。

 パトリシアもシリウスも気配を読むことはできるので、一瞬でとんでもなく離れた位置に離れてゆくアンドロメダのスピードに驚いた。


「なにあの人、もうあんなとこまで行ってる」

「だってアンドロメダは敏捷が242万もあるんだ、本気出したアルタイルでも10万ちょいなのにさ。勇者の24倍だよ? ちなみにトシは95倍ぐらいイッてる」


「トシの話は聞かななったことにするけど、俊敏が勇者の24倍も? アンったらほんとデタラメよね」


「ひとはアンのことをチートという」


「チートといえば夜のシリウスは、どれぐらいになるの?」


「……んー。パトリシアさっきぼくが夜になると強くなるって言ったよね」


「うん、言った」


「なんでそんなことが分かるの? パトリシア鑑定スキルないじゃん」


「そうね、鑑定スキルなんてなくても、シリウス見てたら何となくわかったの」


「なんとなく?」


「そ、なんとなく」


「なんだそれ!」


「すごいでしょ?」



 シリウスのことは何でも知っているパトリシアはちょと自慢げに、フッと鼻を鳴らしてみせた。

 パトリシアに何もかも知られているシリウスは、最も身近にいる母でさえ知らない自分のことを知ってくれる存在に、なんだか温かい、胸の高鳴りを感じていた。



----


 フィトンチッドの柔らかな風に吹かれて、木漏れ日の揺らめく光が揺れるなか、サラサラとさやけく葉擦れの音に耳を傾けていると、とんでもないスピードで接近する気配を感じた。


 二人は同時に振り返ると風を巻いてアンドロメダが立っていた。

 慣性が残っているせいで髪もスカートも前に吹き上がり、首根っこを掴まれた男がその勢いのまま巨木の根元から真上に向かって投げられた。


「ひえあああぁぁぁぁぁええええぇぇぇぇぇ!!」


 投げられた、というよりはるか上空に向かって打ち上げられた男、パトリシアの知った顔だった。



「ああっ、コンちゃん! 久しぶりですっ!」


「たひゅけてー、パトリシアさ――――ん!」


 と叫びながら太めの枝にしがみついた。投げた蝉が最寄りの木の枝にぱちっととまるように。


 男の名はコンスタンティン・ソレイユ。ルーメン教会総本部統括特務実践調査部長兼教育長付秘書課書記長という、とても難しい名前の役職についている。ちなみに、ルーメン教会総本部統括特務実践調査部長兼教育長付秘書課書記長というのはアンドロメダが無茶やらかさないよう監視して、しでかしてしまった面倒ごとを、やっちまった後から何事もなかったようもみ消す部署のトップという地位にある。


 ウルトラブラックな職場で働く、おそらく世界一気の毒な男だ。


「コンスタンティン! 仕掛けられた魔道器を解除するまで降りてくんな! ……、私の留守中に間者の侵入を許しただなんて信じられない、これは責任問題ですからね!」


「ここ数年は私も教育長に同行してましたってばー! 悪いのはきっとジャニスですからー」


 コンスタンティンは3年前、ラールの街にきたプラチナメダルの探索者シーカー、アンのパートナーとしてくっついてきた男で、何度も何度も、何度も何度も、細菌の感染症にかかってはパトリシアの抗生物質の実験台になってくれた親切な人物だ。

 いったいどうやれば、そう頻繁に感染症にかかってくるのか不思議に思ったこともあるが、なるほど、こういうことだったのかと、ここ数年の謎が一気に氷解した瞬間だった。


「コンちゃん凄いんだね、魔動器を安全に解除できるんだ……」


 素直に感心してみせたパトリシアの傍ら、アンドロメダは冷たくボソッと言い放った。


「コンスタンティンなら爆発しても構わないですからねっ」


「そ、それ安全じゃないんじゃ……」


「え? だって私たちは安全でしょ?」


「ええっ?」


「大丈夫だってば。ここは私の工房よ? エリクサーの在庫もたくさんあるし、頭さえ吹っ飛ばされなければ命だけは助けるから」


 ラールの冒険者ギルドでアンの助手として一緒についてきたコンスタンティン、時折死んだ魚のような目をしていたのがパトリシアの印象に強く残っている。

 なるほど、日常的にこんなひどい目に遭わされているのだ、そりゃあ目も死ぬだろう。


 コンスタンティンはというと3段上にある高所で枝にしがみついてシリウスの「もうちょっと先」という指示を受けながら、大の大人の体重に耐えられるかどうか、折れるか折れないか瀬戸際のようなギリギリの攻防を繰り広げていて、しなる古木の枝の先、不審物を見つけた。


 コインより一回り大きな金属の丸い鏡だ。まるで木の実のように枝にくっついていて、木の表皮の色と同化するよう擬態されている。


「見つけました――!」


「報告が先っ! ブツは何? どんな魔法が起動している? 危険性は?」


「鏡ですー! ミスリルっぽく見えますが、コインぐらいの大きさの鏡ですー! 魔法は機動してますけど遠隔魔法なので危険なモノではありません、でもこれって……」


 コンスタンティンの思ったこと、当然アンドロメダにも心当たりがあった。ピカピカに磨いたミスリルの鏡を媒体にした魔導器。いまより1000年近くも昔、プロキオン・ソレイユが父ディミトリ・ベッケンバウアーのヒントをもとに理論構築した遠隔魔法だ。


 仕組みはこう。

 鏡を2枚用意する。そのうち1枚の鏡に映った鏡像を遠く離れた場所にあるもう1枚の鏡に転送するというものだった。しかしこの魔法はすでに使える者のいないロストマギカとなって久しいし、魔導構築式を解説している魔導書もルーメン教会の図書館に死蔵されているだけで誰の目にも触れていないはずだ。

 ちなみに送られるのは映像だけで音声を送ることはできない。映像が送れるといっても鏡像なので、筆談しようにも書きづらいし読みづらいといった欠点がある。


 いつ、どこから流出したか分からないが、こんな古い魔法を復活させて、こんなところに仕掛けようだなんて、その相手は容易に想像がつく。


 鏡を掴んではもそもそと降りてくるのに手間取っているコンスタンティンを容赦なく叱咤するアンドロメダの声。


「飛び降りなさいよ!」


「無理!」



 アンドロメダは巨木をゲシゲシ蹴って、その衝撃でコンスタンティンを落とそうとするのだけど、幹が太すぎるせいでびくともしない。まるで樹上にいるカブトムシを狙って落とそうとしている子供のようだが、落とすまでには至らなかった。結局、降りてくるまでの間、イライラしながら待った。


「遅い!」


「精いっぱい急ぎました。はい、魔鏡ですよねこれ」


 パトリシアは『魔鏡』と呼ばれるこの小さな鏡を覗き込んだ。


「パトリシア! 覗き見してる奴に丸見えだからね、相手はもう魔鏡が発見されたことを知ってるわよ」


「いまも見てるんですか? こんな魔法があるなんて知らなかったです……」


「そうね、相手がアホだったら今も見てるでしょうね」


「アホ?」


「そうよ。この小さな鏡に写った鏡像を遠く離れた場所から見られるんだもの、こんな便利な魔法が、いったいなぜ人に知られることなく失われてしまったのか……わかる?」


「魔法のことはサッパリです……」


「ですよねー。こんな魔法があちこちで使われると困るのは国の偉い人なんだけど、だからと言って軍や諜報部なんて危ない奴らが使おうにも、イマイチ使いづらいのよね」


「なんでですか? 便利だと思うんですけど?」


「だってこれ、お父さんが遠い外国に出征していて、会えなくて寂しいディアッカ母さんがプロキオン兄さんに作らせた魔法なのよ?」


 ……。


 一瞬の沈黙のあと、


「……あっ!」


 思わず声が出たパトリシア。たったそれだけの説明でこの魔法の正体が分かってしまった。


「わかった?」


「もしかして、こっち側からも向こう側を見ることができちゃったりして……」


「パトリシアすごい! さすがね、まさか2秒でこの魔法の本質がわかるなんて」


「エルネッタさんの考えそうなことです」

 そしてエルネッタはディムに近づく若い女に対しては容赦なく嫉妬深かった。通話だけじゃなく、きっと監視にも使われただろうことは容易に想像できる。というか、目に浮かぶようだ。


「ディアッカ母さんは単細胞だったからね、だからこんなにも簡単に……」


 ―― パチン!


 アンドロメダが指を鳴らすと、一瞬鏡が青く輝き、ぼやっとした映像が徐々にくっきりと映し出された。

 映像の向こう側は薄暗い部屋で男が二人、見たことのない男だったが何か慌てている様子で振り返ったり画面をみたりと落ち着きがない。未だアホ面ぶらさげて鏡の前から動こうともしないあたり無知が服を着て歩いてるようなものだ。とはいえ男二人が着用している服は魔法使いが好んで着ているローブだ。

 それだけでもう相手の正体が窺い知れるのだが、鏡が見つかってしまって非常事態を察したのか、そんな場合、無能どもはだいたいからして上司を呼んで指示を仰ぐ。


 思った通り二人の男のうち初老の男が立ち上がると、押しのけるように女が割り込み、鏡を覗き込んだかと思うと指をさして何か指示しているようにも見える。かなり切迫した表情だ。何を言ってるのだろう、パトリシアには分からなかったが、アンドロメダは鏡に映る女の唇を読んだ。


「えーっと『この若い女は誰? すぐに調べなさい』って言ってますねぇ、パトリシアにも監視ついちゃうかもです。ふふふっ、あー、ちなみにこの年増としま女の名前はダンス・トレヴァスといって、魔導大学院の学長サンなんだけど……、なんで魔導大学院が諜報部のマネゴトしてるのかな。まあいいわ、コンスタンティンは他に魔鏡が仕掛けられていないか、敷地内をくまなくチェック!」


「あのー、ちょっといいですか教育長、ここは広すぎますし、そもそも魔導鏡が起動してないと感知魔法に引っかからないです。もし仮に魔導鏡が起動しているところ感知魔法を使って近づくと、たちまちバレて接続をカットされちゃいますってば。そうしたらもう探せません」


「うるさいですね、泣き事いってる暇があるなら探しなさい」


「とほほほ……、また無茶を……」


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