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敗北の歴史

 ……。


 話を聞いてしまったレーヴェンドルフは言葉もなく俯いた。絶対王政を1000年もの長い期間守り続けるには並大抵のことではない、ハーメルン王国は外から見ると安寧の1000年を過ごしてきたように見える。だがしかしだ、何事もなくとも30~40年に一度ぐらいのサイクルで王位が替わるというのに、正室の男子が一人だけならまだしも複数いると、多かれ少なかれ必ず継承者争いが起こるものだ。削ぎ落されてゆく王国の権威を維持してゆくためには、外敵になり得る存在をあらかじめ減らしておく必要がある。


 その程度の黒歴史、どこの王国にも往々にして普通にある些末な出来事だ。

 この王国は英雄立国だった。強大な力を持つ英雄が国民の全てを引っ張った。ディミトリ・ベッケンバウアーの力は絶大だった。そんな力を持っていたからこそ、人類の半数が死んだ人魔大戦で、こんなにも弱小勢力だったハーメルンを勝利させることができたというのに、いざ平和を手に入れ、強大な力が不要になると政治的に英雄の血縁そのものが邪魔になったのだ。


 グッと握った拳が小刻みに震えている。レーヴェンドルフも悔しくないわけがない。

 こんな事はよくあることだと頭で理解しながら、当然、ベッケンバウアーの子孫がギンガの子孫であることもハッキリ理解している。


 ギンガの子孫、つまりレーヴェンドルフとヒカリの子孫が人知れず暗殺されているということだ。



「ジャニス、レーヴェンを図書館に案内してあげて。ヒカリさんも行って、歴史書を読んでもらうといいでしょう、父と母がいかに戦い、いかに生きて、いかに死んだのか……、真の歴史がそこにあります。シリウスも行っておいで、ほら」


「パトリシアはどこにいくの?」


「私の秘密基地で見せたいものがあるのよ」


「秘密基地!! すごそう! 見たい! ねえねえ、ぼくも行ってもいい?」


「ええいいわよ? でもシリウスにはつまんないかもしれないわよ?」


「ううん、絶対すごそうだ。ぼくはパトリシアと一緒に行く」


 ヒカリが細――い目でパトリシアを見ている。あの顔は何かひがんでいる顔だ。

 パトリシアはぷいっとヒカリの視線を振り切り、アンドロメダについていった。

 子離れできない母親の嫉妬に、いちいち付き合ってはいられない。



----


 アンドロメダが向かうのは図書館からさらに奥だ。荷車のわだちが水たまりになっているのを避けつつ、集落の中心地と思しき粗末な家が密集した地点から左に回り込むと小道は森へと続いていた。


 パトリシアは森に足を踏み入れると得も言われぬ安堵感にその身を浸すことになる。


 そう、森に数歩踏み入っただけだ。柔らかな髪がフワッと舞う風を感じた。


「はあぁぁぁ――、やっぱ森はいいです。心が洗われます。ん――、いい香り……。ここの森を生きる木々たちは恵まれているのね、生存競争を戦っている必死さを感じないですね。とてもゆったりしている」


「さすがパトリシア、森に入ると本領発揮ですね」


「フィトンチッドの香りが五臓六腑に染み渡ります……」


「シリウス、ほら見て、パトリシアのスキルを。すごくない?」



--------


□パトリシア・セイン 19歳 女性

 ヒト族  レベル030

 体力:103992/125220

 魔力:-

 腕力:1100

 敏捷:74220

【薬草士】/短剣/錬金術/緑の指/状態異常耐性

『レンジャー』(罠設置/擬態/吹き矢/気配察知/気配消し/聴覚/嗅覚)


--------



 シリウスは反射的にパトリシアのステータスを瞼に焼き付けた。

 その数値とスキルを知った人と比べて、パトリシアの実力を推し量る。


「ええっ! 騎士団のボリビア隊長よりだいぶ強い! どうしたの?」


「勝手に女の子のステータスを見ちゃダメって言わなかった? 女の子は勝手にステータスを覗き見されると嫌がるの。学校ではぜったいにやっちゃダメだからね」


「ごめんなさい、もうしないよ。でもパトリシア、さっきまで普通の女の人だったのに、どうやったらそんなに強くなるの?」


「もしかして私強くなってるんですか? なんだ、そっかー。うふふ、隠しスキルか何かあったりしてね、でもシリウス、あなたが夜とても強くなるのと同じなのかもしれないわね、私は森に入ると頭が冴えるのよ。こう、シャキーン!って感じ。目を閉じると動物たちの気配を感じ取ることができるし、ここだけの話、狩猟アビリティを持った狩人にもかりの腕では負けませんからね」


 気配察知はディムですら持ってなかったレアスキル。それもネズミサイズの小動物の気配まで察知できるというのはアンドロメダ以上の精度をもっているということだ。それにラールの冒険者ギルドでは狩人組合との厳しい協定があって冒険者ギルドに所属するものは森で狩猟をしてはいけないということが決まっているのだが、ディムたちがいなくなったラールでもまだ冒険者ギルドと狩人組合との抗争が続いていて、まあ、いろいろあってパトリシアは狩人ライセンスも所持していることもあり、罠専門ではあるが狩猟の腕は相当に高い。


 まったく、シリウスにとって、どこをどう突っ込んでいいのか分からないほどツッコミどころ満載だが、アンドロメダに言われて改めて見ると、確かにパトリシアのステータスは軒並み上昇していた。


 ステータスアップの原因について怪しさ爆裂しているのが隠しスキル『レンジャー』だった。

 付随する狩猟系のスキルが全て森で生きてゆくのに都合のいいものばかり、そんじょそこらの狩人に負けないというのも頷ける。


 そんな狩人の腕前なんかよりも、シリウスは誰にも言ってないアビリティの秘密を知られていることに驚いた。勇者の『見通す目』をもってしても見ることができないシリウスのステータスを知っているということだ。シリウスはパトリシアと一緒にいると心が安らぐその理由が少し分かったような気がした……。なんて言ったところで、その実、恋しているだけなのだが……、当のシリウス本人はまだその事実に気付いてはいない。



 森に入ってすぐ左手に見えてきた古木に寄り添うような格好で、古いレンガ造りの建物がひっそりと建っていた。


 ここに何百年建っているのだろうか、壁も屋根も補修の痕が何重にも折り重なって見える。ぱっと見ではずいぶん古い建物にしか見えないが、扉だけはまだ新しく見えた。


 アンドロメダはドアノブも指を掛ける溝もない引き戸の隙間に指先を器用に差し込むと、力を籠めるわけでもなく、扉の法からスッと開いたようにパトリシアとシリウスを迎えた。


「ようこそ、ここが私の秘密基地……どうぞ、パトリシア。シリウスもね、中にあるものを勝手に触っちゃだめだよ?」


 ドアのところから中を窺って見えたのは壁に吊るされたゲンダツバの束、カサナツの束、キョウサクランの葉、レアすぎてラールの街ではめったに流通しないラクヨウの枝、ムチャクチャ高価なドイセンの実がたくさんついた穂……、そして棚に並べられたガラスの瓶にはエリクサーの原料になるコウゲンラムサスの新芽が……。森に足を踏み入れ、頭が冴えに冴えているパトリシアが見間違えることはない。


 間違いない。ここは薬草の工房。しかもかなり高度な薬品を扱っている。


 アンドロメダはパトリシアを奥の扉へ導いた。


「パトリシアに見せたかったのはこっち。ようこそパトリシア、ここが私の工房……」


 扉が開かれるとひんやりした空気が流れてきた。土の匂いがする、いや、土壌細菌を培養しようとしていたのだろう、腐葉土の発酵した微かな香りが鼻をかすめた。


「私には暗くてよく見えないのですが……、でも、この匂いには覚えがあります……」


 ボボッと音を立てて壁にへばりついたコーン型のランプに明りがともった。

 何かの魔法なのだろう、パトリシアの目でも不自由ない程度の明るさで照らし出された室内は窓のない、空気の澱みやすいじめっとした空気を貯め込むタイプの部屋だ、薬剤を調合する工房としては申し分のない環境だが、ガラスの蒸留器の数が多いし、液体を遠心分離させるためのドラムもある。ピザ窯のような大型の温室もみえた。あれは菌を培養するため庫内を一定の温度に保つものだ。


「えっ? これは……、もしかしてアンも抗生物質を作ってたの?」


「パトリシア、あなたさっき私に『ヒカリの知り合いだから私を手伝ってたのですか』って聞きましたよね?」


「はい、違うの?」


「ディミトリ・ベッケンバウアーから抗生物質の製法を教わったのが、あなただけだと思っているのですか? パトリシア」


「……えっ?」


「私も父から教わったのですよ。抗生物質の製法を。この工房は私の戦場、そして私の敗北の歴史でもあります……。ねえ、パトリシアにはどう見えます?」


 パトリシアと同じように、アンドロメダも薬の作り方を託されていたと知り、パトリシアは少し訝るように眉根を寄せた。ちょっとした違和感を感じたのだ。


 室内に足を踏み入れた。

 所狭しと並べられたガラス製の器具がパトリシアの目には、苦心の証と映った。


「カビの培養は芋ですか? 機材も自作ですよねこれ、試行錯誤と改良を繰り返した痕跡が手に取るようにわかります……でも」


「でも? どうぞ、忖度そんたくのない意見を聞かせて」


「はい、これで抗生物質は出来ると思います。試験管の中の細菌は十分に殺せると思いますが……」


 パトリシアは重要なところで言葉を切った。

 アンドロメダは黙ってその言葉の続きを待ったが、数秒の沈黙が流れたあと、自らの研究の近況を語った。


「そうね、病気になってしまった人に投与しても、症状の進行を遅らせるところまでです。だからといって長期間投与し続けると、薬はいつか必ず効かなくなるの……必ずね」


 細菌に耐性が付いてしまうと、抗生物質はもう効果がなくなってしまう。

 確かに効果のある薬が一種類だけだと、耐性菌に対して対抗する手段を失ってしまうのだ。


「最後の行程で木炭に吸着させた薬効成分に酢酸溶液で洗浄しますよね、その後は蒸留水で連続的に流したあと濃度を高める、ですね。私もその方法でやってみたのですが、薬にするのに必要な濃度を得られませんでした。きっとディムさんの生きた異世界と、私たちの住む世界では何か誤差があるんだと思います」


「パトリシアは酢酸濃度どれぐらいにしましたか?」


「100分の1です」


 100分の1と聞いて、アンドロメダは眉をひそめた。


「そんな薄くていいの?」


「高精製酢酸なんてラールじゃ手に入らないです。アンが手配して入手してくれたものを湯水のように使えませんよ。だって洗浄に使って不純物を落とすための用途ですよ? もったいないじゃないですか」


「もったいない……、なるほど。じゃあ最後の工程で抗生物質の濃度を高めるために、何を使ったのですか。差し支えなければ教えてください」


「アルカリです」


「アルカリは何を?」


「わたしは重曹を使いました。手荒れしないぐらいの濃度です」


「重曹? 洗剤に使うアレですよね?」


「そうです。重曹を使うことで吸着率の高い、いい木炭を使っても薬効成分を効率よく取り出すことができます。使い勝手がいいので高品質の木炭が手に入れば、きっともっといいクスリができるはずです」


「そっかあ……やっぱ私じゃダメだった……」


 アンドロメダは発想力で負けていることに気付いた。

 口惜しさに歯噛みしながら、うつむいて、強く閉じられた瞼の隙間から涙がにじみだした。


「父さんの言った通りです、あなたは天才だった。もしあなたが1000年前にいてくれたら、父さんも母さんも、あんなに早くヴァルハラに旅立つことはなかったんだけどね。私も父さんから抗生物質の作り方を教えてもらったんだけど、やっぱり私では完成させることが出来ませんでした。ありがとうパトリシア、ヒカリを助けてくれて。あのひとあんなヒガミっぽい性格だけど、私のお婆ちゃんなんだ。ヒカリが苦しんでいるとき、私が作った効果の怪しい未完成の抗生物質を飲ませようかと何度も思ったけど、すぐに効かなくなることは分かってましたからね。……間に合ってよかったですよ。本当に」


「そんなことないですよ、アンが調達してくれた機材とカビ菌がなければ私にはどうすることもできませんでした。酢酸もラールではいいものが手に入りませんでしたし。木炭も……」


 パトリシアの言葉が途切れる。いまアンドロメダは重大なことを言った。この世界の大勢の人がそうであるように、ディムもギンガも……最期は感染症という病に倒れたということだ。ショックで無意識のうちにうつむいていた。


「そんなに謙遜するものではないですよパトリシア。父が話してくれました『勇者にできる事は敵を倒すことだけだ、ひとの死に乗った世直ししかできないんだ、でも抗生物質このくすりが完成したら世界の人々を無条件で助けることができる』と。あなたが完成させた抗生物質くすりは世界を救うものです。さあ、顔を上げて。私はあなたのような天才が父の弟子であることを誇りに思います」


「そっか、どういたしまして。ここの設備なら私の工房よりいくらも高純度のものが量産できますから、世界を救う役目はアンにお任せします」


「えっ? あなたはどうするんですか? ラールに帰っちゃうの?」


「ディムさんがここにいたのは1000年も前の話なんですよね? でもね、ラールにはつい3年前まで居たんです。ここよりも絶対ラールのほうがディムさんを近くに感じられます。アパートは焼けてしまってもうなくなっちゃいましたけど、ギルド酒場のカウンターなんて、今でもディムさんが座ってて、いちばん強いお酒をストレートで飲んでるような気がしますからね。それに世界を救うのは抗生物質ばかりじゃないですよ。コロリの殺鼠剤は伝染病を媒介するネズミを一掃しますから……? んっ? ……あれっ?」



 ……。



 ……。



 ……。


「パトリシア? どうしたの?」


「誰かに……見られていますね……」


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