アンとの再会
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調子がよくなって体力も戻り、昼食後ゆっくりしないと消化に悪いと言っても、ぜんぜんじっとしてないヒカリを無理やりベッドに押し戻したパトリシア、いつもなら昼寝の時間があるのだけれど、今日は客が来るからということで同席することになった。
レーヴェンドルフと、午後になって学校から帰ってきた子どもたち2人のうち、シリウスだけ「今日はあなたにお話があります。騎士の修練はお休みしてうちに居なさい」と言い付けると、弟のアルタイルは木剣と盾を担ぎ、ひとりで騎士団の訓練場へ行った。
アルタイルとほぼ入れ替わりだろうか、ノックの音がして使用人が来客を告げた。
レーヴェンドルフが応対に出ると、豪華な白衣を着た一団が扉の前に並んだ。
静かに一礼してヒカリの病室に入ってきたのはハーメルン王国で医術の分野で頂点に座する宮廷医師長スウェン・カリス。貴族や王族までもが利用する宮廷医師が、もはや死を待つのみと診断されたヒカリの苦痛を少しでも緩和するため、この国でも屈指の回復術師を連れて来てくれたのだそうだ。
主治医を任されていた宮廷医師長のスウェン・カリスが寝室に入るとすぐさま手持ちのトランクを広げ、役に立たないであろう薬品をテキパキと並べる看護師の女……。
いきなりこの国でも屈指の医師が来たことで気後れしてしまって、うつむき加減でそわそわするパトリシアは、突然居場所を失ってしまって部屋の隅っこのほうに自分の居場所を探すことで精いっぱいで、小さく、小さくしぼんでしまった。
少し遅れて寝室に入ってきたのは神官服を着た妙齢の男……と、その背後からぴょこっと顔を出して、にっこり微笑んだのはアンドロメダだった。今日は医師の訪問に合わせてヒカリたちの様子を見に来たらしい。実はヒカリがシリウスとパトリシアに会わせたかったのはスウェン・カリス医師長ではなく、アンドロメダだった。
ディミトリ・ベッケンバウアーとギンガの消息について、現代でいちばんよく知る者がアンドロメダなのだから、アンドロメダの口からちゃんと説明してもらうのが一番だと、そう考えたのだ。
一方、医師たちの間ではもはやヒカリの治療は不可能であり、少しでも安らかにヴァルハラへ迎えられるよう、痛みと苦しみを緩和するという名目で連れてこられた治癒師はハーメルン王国でも屈指の回復術を使うルーメン教会の聖ジャニス・ネヴィルだった。
勇者パーティの回復術師として銀河と共に戦った神官であり、アサシンの襲撃で戦死された大賢者ホーセスに代わり大賢者となるかもしれない最有力候補である。
要塞化したセイカ村でレディ・ピンクとして獣人軍に手を貸していたアンドロメダのことは、捕虜となった者たちの記憶を削除したため覚えてなかったが、アンドロメダのデタラメな能力をよく知るジャニス・ネヴィルは、こっそり見つからないよう衣服の内側に、日記のように何が起こったのかを書き留めていたため、記憶はしっかりと整合性のとれる程度にまで復活させている。もちろん無事に王都へと帰還したその日のうちに、予告通り、アンドロメダから目を離したお目付け役のコンスタンティンに、火が付いたような猛抗議をしたのは言うまでもない。
しかし、程なくして王都が謎の襲撃者により、一夜にして焼け野原となった。
ジャニス・ネヴィルは負傷者救助に呼ばれ、王都メナード宮殿に赴いたが、そこはジャニスが行った戦場よりもひどい、まるで地獄絵図だった。
ゲイルキャッスルを守護し、世界最強とも言われた竜騎士はドラゴンとともに、あっさり落とされるわ、大賢者ホーセスは得意の完全魔法防壁で襲撃者に対抗したが、いとも容易く抜かれ敢えなく戦死されたという。それが伝説のアサシンの襲撃だと言うから恐ろしくないわけがない。
犠牲者の数すら正確に認知できないほど混乱を続けている王都ゲイルウィーバーで、翌朝には弟王ルシアンにより『王都を襲撃したアサシンは勇者ヒカリと王立騎士団により倒された』と発表された。
ジャニス・ネヴィルはアサシンがそんな簡単に倒せるようなものではない事を知っていたし、発表では父親が倒されたというのに、アンドロメダに別段変わったことがないことから、王都の発表は嘘であり、アサシンはいまもどこかで生きていると確信している。
だからこそカリス医師長が『こちら、勇者パーティで治癒師の大役を務めあげられました、聖ジャニス・ネヴィルさまでございます、ホーセスさま亡きあと、次の大賢者はこちらの聖ジャニス・ネヴィルさまに決定したようなものでございますな』などと紹介されたところで、
「いえ、私はまだまだ勉強不足でありますから、そのような役職は謹んで辞退させていただく所存です」
などと条件反射的に辞退する旨を伝えるのだが、その姿勢が謙虚に見えるため余計に好感度を上げてしまい、
「これはこれはネヴィルどの、ご謙遜を……」
そう言われて「いえ、謙遜など……」と返すまでが一連の挨拶のような通過儀礼であった。
大賢者に任命されてしまったら王宮に住み込むことになる。それはいろいろと面倒なことになりかねないからこそ、丁重に辞退し続け、次期大賢者の席には他の人を座らせてやってほしいと切に願っている。
一方、こちらカリス医師長はジャニス・ネヴィルを紹介すると、続けてヒカリの容態を診るためベッドに歩み寄り、ハッと息をのんだ。
もはや意識も混濁しているであろうと思っていたヒカリ・カスガがベッドの端っこに腰かけていて、きょとんとしている、その顔色の良さを訝った。
カリスの見立てではそろそろ命の炎が燃え尽きる頃だと考えられていた。
だからこそ苦痛緩和のため治癒師が必要であったし、治癒師が懸命の回復魔法で苦痛を緩和させたとしても、闘病の末に力尽きることも予想がついていた。
ヒカリ・カスガがヴァルハラに召されたとき祈りを捧げるため、司祭が居れば尚更都合がいいと考えて、もっとも適任と思われる聖ジャニス・ネヴィルを指名したのだ。
ちなみにアンドロメダがくっついてきたのは馬車に同乗させてもらえるからという、ただそれだけの理由なので、カリス医師長などは当然だが、その正体が教会の最高権力者であるアンディー・ベック教育長だということを知らない。
カリス医師長にしてみると当の患者であるヒカリ・カスガの顔色がすこぶる良好であるし、どうやら髪も整っていて、身を起こしてベッドに座ってらっしゃる。いったい何が起きたのかと訝るのは当然のことだ。
10日ほど前に来たときは目が虚ろで、視線も定まらない様子だったが、いまは肌艶も良く、目の輝きも生命力に満ち溢れているし、凛としたその目に力強さを感じる。
医師長の知らない、わずかばかりの短い間に何が起こったのか理解できず、困惑の表情も隠せない。
頭の中では理由が分からず混乱気味であったが、顔色一つ変えず「おおっ、今日は顔色がよろしいですな」と少し微笑んだあと、ヒカリの手を取った。
この世界の医師は接触鑑定をもとに医療診断を下すことができる。つまり医術系アビリティに付随する鑑定スキルで病状を診断するのだ。もちろん非接触鑑定の下位スキルだから、得られる情報はそれほど多くはないのだが、仮にも鑑定する医師がハーメルン王国医療チームの最高峰である宮廷医の医師長なのだから、その鑑定スキルは医療系に特化されていて、触れられてしまえばもう誤魔化しは利かない。
体温、血圧、風邪をひいてしまったなど些細なことから大病まで、事細かに鑑定できることからカリスは医師長の地位にまで上り詰めることができたのだ。
だがしかし、その鑑定結果が信じられないものだった。
カリスは患者を不安にさせてはいけないことから、診療時は微笑みを絶やさない。しかし、手から伝わってくる情報に狼狽を隠しきれなくなった。
ヒカリの腕から脈をとり、訝りながらも首をかしげる仕草をしてみせるカリスに、ヒカリは問うた。
「どうかなさいましたか?」
にっこり微笑んだ表情をみたカリスは、何年もかけて徐々に悪化してきた症状がなぜこの土壇場で急に回復したのか分からず、苦虫をかみつぶしたような顔で考え込んでいたが、結局のところヒカリが何か勇者のチートスキルでも使って死の淵から戻ってこようとしているのかもしれないとしか思えなかった。
レーヴェンドルフもシリウスも、ヒカリの『どうかなさいましたか?』という問いに対する回答を待っていたのだが、医師長に皆の視線が集まる中、静寂は思いもよらぬところから破られた。
部屋の隅っこで壁に張り付いて小さくなっていたパトリシアが素っ頓狂な声を上げたのだ。
「あれっ? アン? なにしてるんですかこんなところで……」
パトリシアの視線の先、神官服を着たアンドロメダが小さく手を振ってにっこり微笑んだ。
「パトリシアが来てるって聞いたからさ、遊びに来ちゃった」
「ええっ? 遊びに? なんで? ここはソレイユ家で、気軽に遊びに来られるようなトコじゃないはずなんだけど……」
「えへへっ、ソレイユ家とルーメン教会は顔パスなのよね、私……」
「え――――っ、聞いてないよ! なんでよー?」
こうやってパトリシアとアンドロメダが女子高生ばりのキャピキャピさでテンション上げ上げ。
飛び跳ねて再会を喜んでいる間、聖ジャニス・ネヴィルは耳に指をつっこんで背を向けていた。
何も見てないし、何も聞いてないということを皆に知らしめるための大げさなパフォーマンスだ。もし万が一、迂闊なアンドロメダが何かとんでもないことを口走ったり、口を滑らせたりした場合、こうでもしないと帰りの馬車までの記憶が飛ぶことになるかもしれない。
ヒカリはそんなジャニス・ネヴィルを横目で見ながら困惑した表情でパトリシアに問うた。
「パトリシアさん、もしかしてアンドロメダと知り合いだったの?」
「アンは腕のいい探索者だったの。この若さでプラチナメダルなのよ? 凄いんだから。私の難しい依頼を何度も完璧にこなしてくれたし、クスリの実験台になってくれる人まで紹介してくれたのよ? 抗生物質がこんなに早く完成したのはアンのおかげ。まさかこんなトコで会うなんて思わなかったんだけど、ふうん、なるほど、もしかしてヒカリの知り合いだから私を手伝ってくれたのかな?」
「そうですね、それも確かにあるかもしれませんね……」
アンドロメダは少し思わせぶりな返事をしてみせた。
パトリシアが言うには、ヒカリの感染症を治すため、抗生物質を作る材料を集めるのにアンドロメダが全面的に協力していたということだ。レーヴェンドルフもヒカリも、パトリシアとアンドロメダがやけに仲がいい理由が分からなかったが、そう言われると合点がいく。
アンドロメダはヒカリたちの与り知らぬところで抗生物質を完成させるため、パトリシアをバックアップしていたということだ。
「アン……優しい子。ほんと誰に似たのかしらね……」
ヒカリがまるで自分に似たとでも言いたげにこぼすとレーヴェンドルフは胸を張って答えた。
「母親に似たんだろう、アンドロメダの母親は優しくて、とてもいい子だったからね」
ヒカリに似たんだねと言えばいいのに、レーヴェンドルフはこういう空気の読めない男だったからこそ、貴族の家に生まれながらヒカリに出会うまで女性と付き合ったことすらなかった。ここは『ヒカリに似たんだね、優しい子だよ』というのが正しかった。
レーヴェンドルフの言葉を受けてショックだったのだろう、アンドロメダは笑顔のままこめかみを少しひきつらせているのが見える……。
「あははは……やだなあ、そんな事あるわけないじゃないですか、私のお母さんは怒ったら獣人だろうがドラゴンだろが、それが可愛い娘だろうがお構いなしにガチで勇者パンチくれるようなオニでしたよ? 私はお父さんに似たんです」
「あら……あなたのお父さんは王都を恐怖に陥れたアサシンじゃなかったっけ?」
「あ――っ! ヒカリがお父さんの事を悪く言った!」
この会話はマズい。レーヴェンドルフはすかさず止めに入った。
「ヒカリ!! カリス医師長がいらっしゃるのに、その話は……」
「大丈夫よ、どうせこの部屋を出るときにはもう何も覚えてないわ。そうでしょ? アンドロメダ」
「まあ、当然そうなるんだけどね、夜ならまだしも日中だとちょっと、記憶の部分消去って簡単じゃないんですよ?」
言うとアンドロメダはカリス医師長の顔を下から覗き込んだ。
ヒカリの手を取り、ステータス鑑定しながら首をかしげたままの姿勢でピクリとも動かず制止している。
助手の看護師も、まるで石になったように動きを止めていた。瞬きもしていないし、まるで時間が止まってしまったかのようだ。




