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ヒカリは逆襲してみた

 パトリシアがソレイユ家にきて3度目の朝が来た。

 とはいえ、昨夜はいろんなことを考えたり、もらい泣きをしてしまったりして瞼は腫れ上がっていて、目覚めとしては最悪に近かったが、シリウスの本音を聞くことができたことと、シリウスがディミトリと同じ【羊飼い】アビリティをもってることがわかったことで、気分は良かった。


 ただ、今朝も暗いうちからヒカリの食事を指示するのに厨房に行ったりして二度寝するとどうしても朝食に間に合わず寝坊してしまうのは仕方のない事だ。


 髪をとかす時間もなく、まとめてクルッと上げ縛ると、朝の分の抗生物質をもってヒカリの寝室へ向かった。


 ノックをしようとしたら中から話し声が聞こえた。

 どうやら寝坊しすぎたようだ。シリウスの声がする。



 薬の時間が遅れてしまうと困るので、慌ててノックすると、内側からガチャリとドアが開いた。


 ドアを開けてくれたのは、シリウスだった。


 いつもとは様子が違う、パリッとした学校の制服を着ている。さすが王都の上品な学校だ、仕立てのいいパリッとしたブレザーのスーツで、ワイシャツに蝶ネクタイまで完璧に着こなしている。


「あらおはようシリウス、カッコいいわ」


 朝が弱いはずのシリウスも早くから起きて支度したのだろう、髪もぱりっととかしてあった。


「おはようパトリシア。お母さん昨日よりもずっとよくなってるよ」


「だってあなたのお母さん強いもの」


「違うよ、パトリシアのおかげさ」


「じゃあ完全に治るまでもうちょっとこの苦いお薬を飲んでもらわなきゃね。今日はどうしたの? カッコいいわね」


「制服だよ。ぼく今日から学校に行くんだ」


「そっか、気を付けてね」


「うん、行ってくるね!」


 シリウスはパトリシアが入ってきた扉を閉めるでなく、そのまま入れ替わりで廊下を小走りに駆けて行った。


 パトリシアは背中を見送り、両手で重い扉をそっと閉めると、いつもはパトリシアが引いて明かりを取り込むカーテンがすでに開けられていることに気が付いた。


 空気の入れ替えを行ったのだろう、少しだけではあったが窓が開けられていて、気持ちのいい風を取り込んでいる。


 ヒカリはベッドから身を起こしていて、パトリシアのレシピで作らせた朝食も終えていた。顔色もずいぶんと良くなった、脈をとるために手首を握ってみると、むくみも引いているし、脈も強く、ゆったりと打っていた。勇者ヒカリの驚異的な回復力にため息が出そうだ。2日前まで死にかけていたとは思えないほど回復している、いまも凛とした気を発していて、じっとパトリシアの一挙手一投足を見ている。


「おはよう、パトリシアさん。私もう出歩けそうなんだけど……」


「ダメです。でも勇者ってすごいですね、なんで髪をとかして上げてるんですか? 顔を洗いに行ったんですね?」


「だって朝から調子が良かったんですよ? 昨夜は家族と一緒に食事ができました。今日は昨日よりずっと調子がいいです。ねえパトリシアさん、私もう家族と一緒に食事ができますよね?」


「子どもですか! 勝手にベッドから出て出歩いちゃダメって言ったじゃないですか! なんで動き回るんですか」


「だってほら、わたしが寝てたらあなたにシリウスを取られちゃうし……」


「とりません!」


「え――っ、だってシリウスは1年以上も学校に行ってなかったのよ? それが明日からは週2回、騎士団の訓練場にも行くっていうし、いったいどうやってあの子を説得したの? 初等部の卒業式も欠席、中等部のほうは籍だけの幽霊学生だもの。朝いきなり仕立ててあった制服を着て学校行く!って言うもんだからレーヴェンも朝から大慌てで手続きしに学校へ行ったわ。……まあ、喜んでたけどね……」


「そうだったんですか」


「何それ? 私たちこんなに驚いていて、どうシリウスと接すればいいかわかんなくて困り果ててたのに、そうだったんですかの一言で済ませるの? 私って母親失格なのかな、ギンガも私とケンカした挙句に出ていっちゃったし……」


「そんな事ないですよ。あなたは紛れもなく母親です。失格だなんてとんでもない、とても家族思いのいい母親だと思いますよ? だからシリウスがあんなにも苦しんでいるのに、手を差し伸べてやることもできなかったんじゃないですか?」


 その通りだとヒカリはぐうの音も出なかった。

 シリウスに剣や槍の才能がない事を知って、どんなに傷ついたか分かったつもりいながら、何もわかっちゃ居なかったのだ。騎士の家系に生まれながら戦うアビリティを持たないレーヴェンドルフに相談しても、自分は次男だったし、強い兄が居たからすべて兄が引き受けてくれたので、分からないという。


 シリウスは誰よりも親の期待に応えたいと思っていたのに、その親が敗者にかけてやるべき、慰めの言葉など……、言えようはずもなかったのだ。



「はいっ! これが朝の分のお薬です……」


 パトリシアは不機嫌な顔を隠そうともせず、乳鉢で擂り潰したばかりのクスリを手渡した。


「教えてくれないの? 私はあなたに隠し事なんかひとつもないのに……」


「私も隠し事なんかしてませんよ。でも親である以上は何を言ってもダメだと思います。親はどこまで行っても親ですからね、でも私は友達ですから」


「何て言って説得したの?」


「説得? そんな事してませんよ? どっちかというと、イヤなら逃げてもいいんだよって言いました。それだけです」


「私何言ってるのかホントわかんない……って、これ苦い! いつもより苦いんじゃないの?」


「同じです」


「絶対苦いよ! だって色からして違うもの!」


「はい、無駄口ばっかり叩いてないで、早く飲んでくださいね」



----


 この日からヒカリは家族と一緒に食事をとれるようになり、日々、顔色や肌艶が良くなっていった。

 回復しているのは誰の目にも明らかとなり、ついには着替えやトイレ、お風呂など、日常生活で介護が必要だったことが、もうなんでも一人でできるぐらいにまで回復するのに、たった7日しか要さなかった。


 まだパトリシアが来てから7日だというのに、死の淵に居たはずのヒカリは病人だったころの面影もなくなった。

 ヒカリの急速な回復に合わせるように、シリウスも心機一転し、ソレイユ家の嫡男として胸を張って生活している。さすがに騎士団の訓練場へ行って腕に酷い打撲痕をつけて帰ってきたときはパトリシアも心配したが、当のシリウスは泣き事ひとつ言わなかった。


 学校のほうも、今のところは朝寝坊することなく、ちゃんと朝食をとってから早めに屋敷を出ていく。弟のアルタイルの準備が間に合わず、逆に兄を待たせているほどだ。


 ベッドで寝ているよりも腰かけて本を読んだりする時間が長くなったヒカリを診察するに、パトリシアはこの調子でいくと来週にはもう完治してしまうかもしれないと診断を下した。



「パトリシアさんは恩人ね……」


 ヒカリはまたこんなことを言い出した。


「まだ完治してませんよ?」


「ううん、違うわよ……シリウスのことよ? なんだか急に自覚が出てきたみたいで、男の子ってこうやって母親の手から離れていくのね……、なんだか寂しいわ」


「そう思います?」


「何か含みを持たせたわね? 何かあるの?」


「んー、私にはちょっと無理してるように見えるので、心配ですね」


「あらあ? パトリシアさんがシリウスのこと分からないんですか? やっぱここは母親である私の勝ちかな! 無理してるのがいいんじゃないの。心配することなんかないですよ。シリウスはいま精いっぱい無理してます。でもね、そこを分かってあげないとダメですよ、あはは、パトリシアさんに勝っちゃった」


「なんかムカつきますね、シリウスはこれまでずっと無理してきたんですから、無理しない方がいいに決まってるじゃないですか」


「そうですね、でもシリウスがいま無理して頑張ってるのは、きっとパトリシアさん、あなたに気に入られようとしてるのよ。ほんと男ってバカね、はたで見てるほうが赤面しちゃうわ……」


「え? 私みたいな地味な平民を? ないですね。正直なところ男の人に告白されたこともないです。あんなにガラの悪いギルド酒場に居て、誰も私を口説こうともしませんでしたからね。殺鼠剤作るのに成功して商売になるからと商家から縁談が何件か入ったぐらいかな、それも最近はなりを潜めてしまって……、そうこうしてるうちに来年はハタチで、立派な行き遅れだもの。おまけにしゅうとめにはきっと苦い薬を飲ませますからね。私は自他ともに認める不良債権みたいな女です。でもね、シリウスは超A級貴族の長男で、将来は約束されたようなものだし、それに何しろ顔がいいですよね。将来ものすごくモテるようになりますよ? どうですか? 不良債権のような女を嫁に迎える勇気がありますか?」


「あなたさえよければ喜んで! シリウスが15で元服したら縁談を進めてもいいですか?」


「何言ってんですか、シリウスには自由な恋愛をさせてあげてください。私のことはどうだっていいので、どうか放っておいてほしいです」


「あーん、パトリシアさん、嫁にきてくれたら、こんどはクスリを苦くしないでほしいなあ。あれ水で流しても口の中がいつまでも苦いのよね……」


「まったくもう、冗談言う体力が戻ったのはいい事だと思いますけど、もしシリウスに聞かれたら気まずくなっちゃいますからもう言わないでください、本気で怒りますよ!」


「あら、パトリシアさん顔が赤いですねー、もしかして熱でもあるんじゃないですかあ?


 パトリシアは乳鉢で薬を擂り潰すのに、いつもより5割増しの力を込めた。

 カチャカチャカチャカチャと、この世界で最も苦いと言われているカサナツの葉を念入りに擂り潰し、抗生物質の粉に、いつもより多めに混ぜてヒカリに手渡した。



「はい、これね、今日のお薬です。なにムキになってんだか……、大人げないですよヒカリ」


「だって嬉しいのよ、今日は私の勝ちだし。なんだか一本取ったみたいで嬉しいわ……。あれっ、ちょ、これ苦っ!! これすっごく苦いわ、なにそれ? もしかして仕返し?」


「そんなことないですよー? いつもと同じです」


「ちょ、何その『してやったり!』みたいな目は! あなたいま私に大人げないって言いましたよね、確か……」


「さあ、そんなこと言いましたっけ? ささ、早く飲んでくださいね、良薬、口に苦しって言いますし」


「ひどい! いつもはこんなに苦くないのに……」


「いつもと同じです」


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