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勇者の子、期待、重圧、そして孤独

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 その日の夜はシリウスのために、3年遅れではあるが、ささやかなお祝いが催された。

 レーヴェンドルフが急に『今夜やるぞ』と言ったまではよかったが、厨房では祝いに出すような食材がなくて、慌てて使用人たちがバタバタと買い出しにいった。そもそも貴族の屋敷には買い出しという習慣がなく、朝日が顔を出して間もない早朝に、前日から頼んでおいた食材を配達してもらうのが普通だった。


 今朝の分のオーダーはもう渡したのだから、明日届くのは普通にパトリシアが依頼した病人食レシピに関わる食材だ。お祝い用の豪華な食材を明日の朝オーダーしたら届くのは明後日になってしまう。


 買い出し用の荷車の準備ができず、使用人たちが黒塗りの高級馬車に乗って食材を買い出しに行く様はパトリシアの目にもおかしく映った。


 フィクサ・ソレイユ家の使用人たちが自分たちのコネクションを存分に使って集めた高級食材をもって、その日の夜は急ごしらえとは思えないほど完成度の高い料理が提供された。


 もちろん病床に臥せっていたヒカリも今夜ばかりは髪を結いあげて会食場にいる。

 パトリシアから、いつもより3倍の回数よく噛んで食べるなら同じものを食べてもいいですよとの許可も得ている。


 シリウスのアビリティ発現(発覚)と、ヒカリの回復。

 フィクサ・ソレイユ家にとって二重の喜びであった。


 パトリシアなどはその料理に圧倒されてしまうほどだ。

 自分にアビリティが降りてきたとき両親にしてもらったお祝いとは天と地ほどの違いを見せつけられた形となった。


 パトリシアが会食の席に着き、運ばれてきた料理と、盛りつけられた器の豪華さに目を白黒させて、少々委縮気味に肩をすぼめたとき、普段着ではない、いつもより仕立てのいい服に身を包んだレーヴェンドルのスピーチが始まった。



「今日、この喜ばしき日を祝おう。3年遅れではあるけれど、シリウスにアビリティの加護が降ろされた。大器は晩成するというからね、お母さんもほら、こうやって久しぶりに家族そろって食卓を囲めるほどに回復している、女神アスタロッテの加護に感謝を」


 テーブルの斜め前にいるシリウスが少しはにかんで頬を掻くと、弟のアルタイルは少し表情を硬くして問うた。


「母上、僕には兄上のアビリティが見えません」


「未熟なんだよアルタイル、お前には10年早いって、お母さんが言ってた」


 シリウスは、今朝ヒカリに言われた言葉を、そのままアルタイルに返した。ドヤ顔でだ。

 バカにされたと思ったのか、アルタイルはムッとした表情で言い返す。


「そういう兄上は剣も槍も、盾も満足に使えぬではないですか。10年早く、未熟だという僕に、兄上のアビリティを教えてほしいものです」


 アルタイルは騎士の家系、ソレイユ家に生まれて勇者という最上級のアビリティを得たことで、力をもたず、身体も細くて小さい兄のことを少々見くびるようになったのも仕方のない事だ。


 毎日、大人たちとの厳しい訓練をして、木剣で打ち合ったとしても、ここ最近は全てを受けきり、圧倒する力があるのだ。もう兄との力関係はとっくに逆転している。


 そんなアルタイの心情を知ってか、シリウスはすこし挑発的に応えた。


「仕方ないな、どうしても知りたいなら教えてやるよ。ぼくは【夜型生活】【羊飼い】そして【人見知り】なんだ」


「兄上、またご冗談を……。そんなアビリティ聞いたこともありません、それに人見知りは兄上の性格ではないですか……、まったくもう」


 ヒカリもレーヴェンドルフも、この兄弟のやりとりをただニコニコと笑って流した。

 弟がムキになって挑発しても、兄はかるくいなして笑いを取ったのだ。さすがシリウス、兄の余裕で返したと、みんなそう思った。


 しかしパトリシアだけは耳を疑った。

 確かに今、シリウスが【羊飼い】と言ったのを聞き逃さなかったのだ。


 そう、パトリシアが師と仰ぎ、その力に憧れたディミトリ・ベッケンバウアーも【羊飼い】アビリティを持っていて、ギルド酒場では、だいたいいつもこんな感じで、アビリティをバカにされていた。それでも腐らず、めげず、笑顔を絶やさず、冗談で返して笑いを取っていたことも今じゃあ懐かしい思い出だ。


 まさかシリウスが【羊飼い】アビリティを持っているだなんて考えてもみなかった。

 それにこれはディムから直接聞いたわけじゃないが、襲撃事件のあと急いでラールに帰ってきたダグラスとプリマヴェーラに話を聞いて、ディムが複数アビリティ保有者だという事も知っていた。


 まさかここまで共通点があるとは。


 弟の挑発を軽く躱したシリウスは、手のひらで口を覆い、瞬きをすることすら忘れたようにじっと見つめるパトリシアに気が付いた。



「どうしたの?」


「ううん、何でもないよ。そうね、じゃあシリウス、あとでお祝いのプレゼントもらってくれる? 私おっちょこちょいだから部屋に忘れてきたの」


「わあ、ありがとう。またあとでね!」


「うん、あとで」



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 『あとで』、これは二人の合言葉のようなものだった。


 パトリシアはお祝いの豪華な食事を終えると、お風呂をいただき、洗い髪を乾かすいとまもなく、とん、とん、とんと、軽やかに階段を上がる。

 2階のバルコニーに出ると、暗闇の中、いつものように屋根のてっぺんで、気持ちよさそうに星の光を浴びているシリウスを見つけた。


 パトリシアの接近は気配で分かっているのだろうか? 目が合うとシリウスは突然存在ごと不確かなものとなり、視界からフッと消え、この前と同じように、パトリシアの目の前に現れた。


 姿を消したとしても、本当に消えるわけがない。目に映ったことを認識させない阻害スキルだ。

 足音の消し方も完璧で、さながらゴーストのように間合いに入ってくる。


 パトリシアはこんなにも美しい夜と同化することができるシリウスに憧れを重ね合わせ、見とれるように目が離せなくなった。


 そしてこんどはシリウスの方がパトリシアに決まり文句のような言葉をかけた。


「こんばんは、いい夜だね」


「はい。今夜も夜空は美しいです」



「うん!」


 パトリシアは後ろ手に隠していたものをシリウスの目の前に出した。


 革のベルトでぐるぐる巻きにされていたのを紐解くと、ごろりと革のシースに収められた短剣が顔を出した。


「シリウス、あなたは剣も槍も盾も使えないって言ったわね」


「うん、まるっきりダメなんだ」


「これはね、ミセリコルデという戦闘用の短剣なの。私もある人に憧れてね、一生懸命お金を貯めて買ったまでは良かったんだけど、これ難しくてさ、私じゃうまく扱えなくて、いまじゃお守りになってるの。シリウスなら絶対うまく扱えるわ」


 シリウスはどうせ扱えるわけがないと思いつつ、短剣を受け取った。パトリシアがお祝いだと言ってくれたものだ。短剣など使ったことはなかったが、どこか惹かれるものがあり、シースのホックを外して、スラリと抜いてみた。


 ミセリコルデは夜空の星々からの光を微かに反射することで、ぼんやりと光っているように見えた。

 いや、驚くべきはそんな事ではなかった。


 短剣を持ったその手が軽いのだ。


 こんなことを言うと頭がおかしいと思われるかもしれないが、革のシースに入った短剣は、手のひらの上に載せるとずっしりとした重みを感じた。しかし今こうやってグリップを握り、抜いてみると、どういうわけか素手よりも軽く感じるのだ。


 驚いたシリウスは一歩下がって、羽のように軽い短剣を振ってみた。



―― ヒュッ!


 シリウスは確かに短剣を振り、空気を切り裂いた。

 パトリシアの目には見えず、代わりに届いたのは、少し遅れて鼓膜を震わせた風切り音だった。


「ほら、やっぱり」


 パトリシアがあらかじめ知っていたかのような口ぶりでドヤ顔をしてみせると、シリウスは開いた口が塞がらなかった。


 パトリシアは誰よりもシリウスのことを理解し、信じていたのだ。



「これ、すごいよ、軽い……。なんで? なにをしたの?」


「何もしてないわよ、ミセリコルデがあなたを選んだの。私の目はごまかせなかったわね、シリウス。貴族が持つには装飾の一つもない、武骨で質素な短剣かもしれないけど、刃の強さは折り紙付きよ。きっとあなたを守ってくれるわ」


 瞬きも出来ず、言葉にならない感動に打ち震えるシリウスはただ立ち尽くして、なまめかしく映った自分だけの女神の姿に魅入られつつも半ば狼狽うろたえていて、小刻みに震える手で美しく輝く短剣をシースにもどすと、ナイフベルトを手繰ってパトリシアに返そうとした。


「シリウス、もらってくれないの? これはもうあなたのものよ、あなたの加護、そしてこれは何より、あなたの命を守るものです。剣や槍を使えなくたっていいんじゃないかな? だってあなたはこんなにも気難しい短剣を握っただけでもう扱い方を知っている。私のほうが嫉妬してしまうほどに……」


 パトリシアは短剣ミセリコルデをシリウスにもう一度手渡し、その手をぎゅうっと握りしめた。

 シリウスはその手からとても温かい体温を感じ取っていた。



 剣を使えないことは戦うことを宿命付けられたソレイユ家の嫡男として、いかがなものか。

 槍を使えないことは、騎士の家系に生まれた男として、いかがなものか。


 騎士の訓練場では、何度も聞こえてきた落胆の溜息がシリウスの心を傷めつけた。


 シリウスもこれまで何度か騎士団の訓練に参加させられたことがあったので、いろんな武器、防具をつけて試してみたが、いずれの武器も才能が認められなかった。アビリティが発現する前にでもスキルは効果を発揮するものだからだ。ギンガが3歳にして木剣で父親の腕を叩き折ったのも強力な片手剣のスキルを持っていたからだ。


 シリウスは騎士団のほうから武器のスキルなしと判断された。

 騎士が修練する武器に短剣などない。短剣はだいたいが盗賊や狩人など、卑しい身分の者が使う武器と相場が決まっているからだ。


 10歳で発現したアビリティも【夜型生活】をはじめ、【羊飼い】やら【人見知り】という、当のシリウス本人ですらどう使えばいいかわからないものばかり。両親に秘密にするつもりはなかったが、自分だけこんな訳の分からないアビリティが降りているなど、誰にも知られたくないと思ったのは確かだ。


 騎士の家系であるソレイユ家の嫡男であり、勇者の子として生まれたからには、周りの期待も大きかったが、それ以上に、期待に応えなくてはならないというプレッシャーの大きさに押しつぶされた。



 騎士団から『この子は剣を使えない』とダメ出しされても、家族は何も言わなかった。

 何も変わらず、シリウスに接してくれた。


 騎士団から才能がないと言われ、いちばんガッカリしたのは他でもない、シリウス本人だった。



 シリウスが生まれて初めての挫折を味わってから、腫れ物に触るように、誰もアビリティの事は口に出さなくなった。



 学校でも、家でもだ。



 シリウスを傷つけまいとして、みんなが気を遣っている。だからアビリティのことには誰も触れなくなった。



 そのこわばりの空気が、シリウスの心を、より深く傷つけた。


 そして弟のアルタイルが10歳になると、勇者の加護を得た。


 姉であるギンガが勇者のアビリティを持っていたことを考えると、アルタイルに勇者のアビリティが降りてきたことに何の疑いもなかった。


 だがしかし、長男シリウスは見るからに役に立たなさそうなアビリティを受けていて、現に剣も槍も満足には使えない。本来なら兄が率先して行うべき厳しい騎士の訓練を、弟のアルタイルが肩代わりしてくれている。


 騎士として、勇者として、誉れ高きフィクサ・ソレイユ家の家督を継ぐのは、こんなにも頼りない兄ではなく、皆の期待に応え続ける、弟のアルタイルになるだろう。


 自分は役に立たないダメな兄なのだと、そう思い始めていた。



 加えて、姉の結婚のことで、家族が自分にウソをついていることがわかった。


 姉の結婚相手がアサシンかもしれないと知ってからは、アサシン襲撃で家族を失ったものが少なくない学校にも行けなくなった。


 シリウスは家にも学校にも、居場所がないことを肌で感じ取っていた。


 こんなに生きづらい世界でも、夜はシリウスに優しかった。惨めで情けない兄の姿を白日はくじつもとさらすようなことをしないから。


 夜な夜なバルコニーに出ては降り注ぐ微細な星屑のシャワーを浴びながら、こんなにも冷たい現実から逃避するように、満天の星空を見上げるのが癖になった頃……、パトリシアと出会った。


 パトリシアは、凍り付いてしまいそうだったシリウスの心を温かい言葉で包んでくれた。

 ウソ偽りなく、シリウスに真摯に正面から接してくれた。


 父でもなく、母でもなく、家族でもない、パトリシアだけが、シリウスのことを理解していたのだ。


 あまねく星の光に照らし出された、洗い髪のまだ乾いていないパトリシアの姿が、シリウスの目には女神のように映った。



「ぼくも勇者だったらよかったのにな……」


 思わずこぼれたのは、シリウスの心からの願いだった。

 これまでどんなに願っても叶わなかった。


 勇者というアビリティを得られなかったことが、シリウスの心に深い澱みを作っている。


「私はシリウスが勇者だったらよかっただなんてこれっぽっちも思ったことないわよ?」


「だってぼくは、みんなの期待を裏切ってしまったんだ」



 シリウスは孤独を打ち明けた。

 誰も自分のことを分かってくれない世界で、ひとり孤独に苛まれている。


「ちがうわシリウス、あなたは誰も裏切ってなんかないよ、まだ期待に応えることができずにいるだけ。大器は晩成するって本当だと思うわ。だから、ちょっと躓いて転んだぐらいで諦めてしまわないで、私はずーっとシリウスに期待しています、でもね、もしシリウスが勇者じゃないことで責めるような人がいるなら、逃げ出しちゃえばいいです」



「えっ? 逃げ出しても……いいの?」


 決して逃げず、退かない。騎士団とはまったく逆の考え方だ。

 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだと思うたびに、身体が動かなくなる。


「あなたが勇者じゃないのなら、勇者とはまた違った生き方を選べるということじゃないかな。私には勇者なんて鎖で縛られているようにしか思えないもの」



 ……っ。


 目から鱗が落ちる思いだった。


 そうだ、シリウスは鎖に縛られていた。

 いろんなしがらみに、がんじがらめにされて、もう身動きが取れなくなっていたのだ。


 パトリシアは優しい言葉でシリウスの苦しみを、ひとつひとつ、取り除いていった。


 周りの大人を落胆させるばかりだと思っていたシリウスは、パトリシアの言葉に救われてゆく。



「……ぐっ……うううっ……」



 シリウスの目からは、ポトリ、ポトリと、止めどなく涙がこぼれた。

 何かを言おうとした言葉は嗚咽に途切れ、夜の静寂しじまに消えてゆく。


 もういい、言葉などなくともパトリシアには痛いほど伝わった。


 まだ子どもだと言うのに、勇者であれと願う周りの大人の期待に応えようとして、こんなにも辛い思いをしていたのだ。


 パトリシアは、苦しい心中を振り絞るように吐き出したシリウスをそっと抱きしめた。




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