複数アビリティ
その日、昼食後の投薬が終わり、睡眠不足のパトリシアがちょっと昼寝している間、レーヴェンドルフとシリウスはヒカリの寝室に集まっていた。
弟のアルタイルは朝から騎士の修練場へ行ってしまった。まだ11歳だというのに大人を相手に剣の稽古をしているんだそうだ、帰りは午後になる。
レーヴェンドルフは椅子に座って、ヒカリの手を握り、シリウスはもう13歳だと言うのに、まだ甘える子どものように、お母さんの横たわるベッドにゴロンと転がった。母の調子の良し悪しは顔を見ただけで分かる。シリウスは昨夜のパトリシアとの約束を思い出して、約束の重みを噛み締めていた。
レーヴェンドルフは驚きと喜びが同居した表情で、そっとヒカリの手を握った。
「ヒカリ、今日は顔色がいいじゃないか。パトリシアさんは凄いな」
「そうね、昨日までは息をするのもしんどくて、意識を保っていられる時間も短かったのだけど、今日はずいぶんと楽になったわ。あの子すごいわね、抗生物質を作るだなんて、無理だと思ってたのに」
シリウスは父と母の会話にドヤ顔で割り込んだ。
「ぼくね、パトリシアと約束したんだ。絶対にお母さんを助けてくれるって」
「そうねシリウス……、ほんとお母さん、助かるかもしれないわ。パトリシアさんすごいわね、あなたのお友達なんでしょ?」
「なんだヒカリ知ってたのか、実はそうなんだ。朝食のとき、シリウスがパトリシアさんの手を引いてな、こう、テーブルまでエスコートしたんだぞ」
「シリウスも凄いわよ。何がすごいって、シリウスにも女の子を見る目があるってことね。そしてお母さんとお父さんは、シリウスに謝らないといけなくなった……、でしょ?」
「そうだね!」
「えっ? 何のことかな?」
レーヴェンドルフは話の流れがどちらに向いているのか、まだ理解できてはいないようだ。
いくら学問で頭の回転が速くとも、こういう空気を読むのが苦手なのは昔から変わってない。
そんな父親ともう13年の一緒に暮らしてるのだから、シリウスのほうも扱いは心得ている。
誤解のないようにハッキリ言ってやることだ。
「ぼくにウソついたことだよ」
この一言でレーヴェンドルフはもう何も言えなくなってしまった。
ウソをつかないことを信条としていたレーヴェンドルフが子どもに対して嘘をついたこと、心当たりはひとつだけだ。もちろんディミトリ・ベッケンバウアーのことはまるっきり口から出まかせを言ったつもりじゃなくても、王都を襲い、千を超える犠牲を出した襲撃者アサシンが、ギンガと一緒に逃げただなんて、口が裂けても言えなかった。いまシリウスはそのときのことを責めている。
レーヴェンドルフは観念し、あとはヒカリの『ごめんなさい』に合わせて、自分も謝るタイミングを計ることにした。
しかし話は謝るだけじゃなく、遠回りするように回りくどくなった。
「嘘をついたことは謝るわ、ごめんねシリウス」
「……それだけ? 本当のことは教えてくれないの?」
「うーん、シリウスは命を懸けてでも守りたい人、まだ居ないでしょう? この人のためならこの国のすべてを敵に回しても、たとえ世界を敵に回しても構わない! と思えるような恋に落ちたことないでしょう?」
「そんなのわかんないよ!」
「じゃあシリウス、あなたにもギンガの気持ちが分かるようになるまでね、お母さんはウソつきのままでいます」
「なあっ! なんでだよ、そんなのないよ! ウソをついちゃダメって言ってたじゃんよ、あれもウソだったの? ひどいよ……」
「お母さんの故郷の言葉で『10年早い』ってことなのよシリウス、もうちょっと大人になれば教えられなくたって、イヤでも分かるわ。でもねシリウス、あなたがギンガのことを心配してることは分かってるからね」
「お姉ちゃんはいきなり何も言わずに居なくなったんだよ? 心配しないとでも思ってたの? おかしいよ」
「ごめんね、じゃあ心配しているシリウスにひとつ本当のことを教えます。ギンガはとっても幸せに暮らしているからあなたは心配しないでいいわ、でもシリウスのお友達の家族が亡くなったのね、アサシンと戦って亡くなった人、ほんとうに気の毒だと思います」
「ギンガお姉ちゃんが幸せに暮らしてるってことは、お母さんがディミトリ・ベッケンバウアーを倒したってこともウソなんだよね?」
ヒカリはパトリシアに『シリウスは頭のいい子だから、下手なことを言うと見透かされる』と言われたばかりだというのに、失敗したなと思った。子どもが反抗期になるのには、だいたいからして親の方に少なからぬ原因がある。
子には正しくまっすぐ育てと願い、自分たちができもしない清廉さを押し付けようとするから子どもは親の矛盾を見て、言ってることとやってることの違いを見て反発するのだ。ヒカリはいまシリウスにウソを重ねようとしていることを責められている。
難しい年代に足を踏み入れているシリウスの追及をウソで切り抜けようとするのは得策ではない。
ヒカリは半ば観念した。
「本当のことが知りたいの?」
「当たり前じゃん」
「ふうん……、じゃあお母さんもあなたが隠してることを教えてほしいな」
……。
ハッとして口をつぐむシリウス。
シリウスは13歳になっても、まだアビリティが降りてないことになっている。
10歳になったとき、同い年の子どもはみんなアビリティの加護を受けたのに、シリウスだけはまだアビリティが発現しなかった。2つ年下の弟は10歳で勇者アビリティが発現したのにも関わらずだ。
ヒカリは子どものアビリティをみる鑑定人よりも遥かに優れた鑑定スキルを持っているのだけれど、実はその、勇者の『見通す目』アビリティをもってしてもシリウスのアビリティを見破ることが出来ずにいた。学校に行かなくなったのも、もしかするとシリウスだけがアビリティの加護を受けてないからクラスで疎外されているかもしれない? ……ぐらいに考えていたのだが……。
どうにもここ最近は、夜になるとバルコニーから抜け出して、屋敷の屋根に上ったりしているのをヒカリは気配で知っていた。危ないから気を付けるよう言って聞かせてはいるのだが、当のシリウスは『大丈夫』と言ってヒカリの忠告を聞かず、星のよく見える夜には決まってバルコニーから屋根に上がって星空を見上げている。レーヴェンドルフのような学者系のアビリティを持っていて、天文学に興味があるのだろう、ぐらいに考えていたのだが……。
勇者のスキル『見通す目』は隠しスキルじゃない限り、スキルの発現も見逃さない。
改めてシリウスを鑑定してみるが、それでもヒカリの目には何も映らない。ヒカリは最近になって、シリウスのアビリティこそが隠しアビリティのようなものだと考えるようになっていた。
困ったような表情で言葉に窮するシリウスをみて確信したヒカリは、流れに任せて、ここ最近、気になっていたことを聞いた。
「あなたもう13歳なんだから、まだアビリティが降りてないだなんておかしいわ。夜目が効くスキルを持っているのは分かってますからね、あなたも『見通す目』を持ってるのかな?」
「それが……、ぼくのアビリティをお母さんにも見えるようにする方法が分かんないんだ。お母さんの目に見えないんだから、鑑定の先生に見えないのも仕方ないよね」
「いつアビリティがおりてきたの?」
「お姉ちゃんが帰ってこなかった日の朝、10歳の時だよ」
「まあ、驚いたわ。シリウスは3年もお母さんたちに秘密にしていたのね?」
「お母さんたちもお姉ちゃんのことを3年も秘密にしてたじゃん」
「ごめんなさい、でも……、私に見えないアビリティがシリウスには見えてる……、ってことなの? ねえシリウス、あなたは鑑定スキルをももっているのね? お母さんを見て? どう?」
シリウスは少し微笑んで見せた。
「なにニヤついてるの?」
「だってお母さん、昨日よりずっと良くなってる」
「そんなことレーヴェンにだってわかるわよ。だってこんなに話しててもまだ疲れてないんだもの。さ、シリウス、あなたに降りたアビリティを明かして、お母さんを安心させて。心配してたのよ?」
「……だってぼく、勇者でも騎士でもないんだ。戦士でも学者でもないよ……」
「シリウスが剣も槍も、おまけに盾も使えないことはお母さん知ってますから」
「お母さんもお父さんも、きっとガッカリするよ。だから聞かないでほしいんだ」
「がっかりするわけがないわ」
「ガッカリなどするものか、お父さんを信じてほしいな」
「本当に? 学校の友達も聞いたことないっていったよ?」
「お母さんはシリウスがどんなアビリティでも驚かないわ」
シリウスは少し俯き加減で、ヒカリの顔色を窺いながら答えた。
「……ぼくは【夜型生活】と【羊飼い】と、あと【人見知り】……なんだけど……」
複数のアビリティを聞いたヒカリは一瞬どれがアビリティなのか、よく分からなかった。
いや、すこし混乱したといったほうが正しいだろう。
「えっ? どれがアビリティなの? 人見知りは知ってたけど、それはアビリティじゃないのよ?」
「うーん、ぼくにはよくわからないや。でも嘘じゃないよ」
レーヴェンドルフは不安そう告白したシリウスの肩をぐっと力強く掴み正面から向き合い、目線を合わせるよう膝をかがめた。
「シリウス、それはきっとお父さんも知らないユニークアビリティというものだ。ユニークアビリティは成長すると、とんでもなく化けるというよ、どう成長するのかお父さんも楽しみだよ」
我が子にアビリティが降りてくるのを3年間じっと待っていたレーヴェンドルフは、そのアビリティがき聞いたこともないユニークアビリティだったとしても心から安堵し、ホッとした。
人見知りで誰にも心を開かないと思っていたシリウスに友達ができたことも嬉しかったし、何よりヒカリの体調が急激に良くなっていることに舞い上がる気持ちを抑えきれない。
レーヴェンドルフはヒカリのベッドに身を乗り出してシリウスの頭をくしゃくしゃに撫でながら喜びを口にした。
「あははは、確かにシリウスは人見知りだな。だけど今日のあの、パトリシアさんをエスコートしたのはよかった。お父さん、驚いたぞ」
レーヴェンドルフは何も知らずに、ただ幸せを噛み締めている。
しかしヒカリは複数アビリティを持つ者を一人だけ知っていた。
ディミトリ・ベッケンバウアー。ヒカリの異世界での幼馴染であり、元カレでもあり、王国を大混乱に陥れたアサシンの加護を持ち、5つのアビリティを持つ最強最悪の襲撃者だった。
シリウスに複数のアビリティが発現していることを勇者の『見通す目』をもってしても見抜けなかったという事実にヒカリは一抹の不安を隠せなかったが、それでもアビリティが発現するというのは、この世界では喜ばしいことだし、【夜型生活】も【羊飼い】も、当然だが【人見知り】も、聞いた限りでは戦闘系アビリティのように思えなかったことも、不安をかき消す材料になった。
ヒカリは病床で身を起こし、レーヴェンドルフとともにシリウスにアビリティが発現していたことを喜んだ。
レーヴェンドルフは思い立ったようにそわそわし始めた。
「こうしちゃ居られんな、今夜はシリウスのお祝いをしなくちゃいけない。ヒカリの体調はどうだ?」
「パトリシアさんの許可があれば私も出られるかな、今の状態が続けばたぶん大丈夫だと思うわ」
「分かったっ! 私はすぐに厨房に行って料理をオーダーしてくる。なんだかパトリシアさんが来てからいい事続きだ、もしかすると女神アスタロッテが遣わした天使かもしれないな、はははっ」
レーヴェンドルフはシリウスの告白に何の疑問も持たず、ただ喜び、使用人を集めに部屋を出ていった。
ちなみにこの国の伝承では女神アスタロッテが降臨したのはネルネッタことディアッカ・ソレイユだったし、そもそもパトリシアに薬の作り方を教え、フィクサ・ソレイユ家に遣わしたのは他でもない、アサシン、ディミトリ・ベッケンバウアーだということは、レーヴェンドルフも知ってるはずなのだが……。
ヒカリは少し呆れたが、レーヴェンドルフと一緒に、いまは幸せを喜んだ。
もちろん約束通り、シリウスの問いに答えることにした。
「こんどはお母さんが秘密を打ち明ける番ね」
「うん」
「お母さんはあの夜、ディミトリ・ベッケンバウアーとは戦わなかった。倒したなんてウソ。でもねシリウス、アサシンは倒されたってことにしておかないと、安心できないひとが大勢いるの」
「やっぱそっか。じゃあギンガお姉ちゃんは?」
「ディミトリ・ベッケンバウアーと駆け落ち同然でついて行っちゃいました。あの人のことが好きになっちゃったのね、急なことだったから誰にもお別れを言えなかったのよ、ほんとごめんなさい」
「やっとわかったよ。じゃあお母さんはどう思ってるの? アサシン、ディミトリ・ベッケンバウアーのこと。パトリシアはとってもいい人だと言ってたよ。ぼくもそう信じるって約束したんだ。お母さんはどう?」
「ええっ? どうしたの? シリウスあなた、パトリシアさんと本当に仲良くなったのね?」
「うん、絶対にお母さんを助けるって言ってくれたんだ。パトリシアはウソを言わないよ。だからディミトリ・ベッケンバウアーはいい人なんでしょ?」
「ええ、そうね。あいつは知り合って15年ぐらい幼馴染を続けないといい人だなんて分からないほど分かりづらい奴だったんだけど、なんでこんなとこに理解者がいるのかなあ……、うふふっ、そうね、ディミトリ・ベッケンバウアーはいい人よ。とってもね。でもこの話はここだけの話にしておいてね、王族たちの耳に入ったら大変なことになるわ」
「うん! ごめんねお母さん、ぼくさ、ギンガお姉ちゃんのこと心配だったんだ」
「知ってるわシリウス。あなたはとっても優しい子ね、ギンガにもその気持ちは必ず届きますからね」




