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ソレイユ家の朝食

 ヒカリの食事と投薬を終えると、食器を下げるのは水差しを持ってきた使用人に任せて、パトリシアはみんなと一緒に朝食をとることになった。実はパトリシア、昨夜は疲れてしまって、ポトッと眠りに落ちてしまったのだが、親元を離れて、知らないよそ様のお宅に泊めてもらったことなんて生まれて初めての経験だった。


 もっともエルネッタが遭難し、救援に出たときは皆で焚火を囲んでのキャンプだったので楽しかったのだが、ひとりで貴族の屋敷に泊まってのシチュエーションは初めてだった。


 何が不安なのかというと、それはもう、食事マナーだ。

 貧乏人の家に生まれ育ったパトリシアは弟たちの学費を稼ぐため、学校にも行かずに探索者シーカーとなった。


 テーブルマナーをはじめ、行儀作法なんてこれっぽっちも知らないのだ。


 会食場の前に立ったパトリシアは、手を胸に当てて祈るような気持ちで「誰も居ませんように……」と、不安を超えに出してしまった。昨日の夜ご飯は時間がずれていたせいかパトリシアひとりの食事だったのだけど、ドア越しに声が聞こえたことで、観念するほかなくなった。


 音を鳴らさないように、そーっと扉をあけて片目だけ会食場を覗き込むと……。



「おおっ、おはよう! ささ、こっちへ」


 ひときわ目ざとく、レーヴェンドルフがパトリシアを迎えた。


 テーブルの上にはパンと、スープと……、小さな燭台のような器具に白いボール? いいえあれはゆで卵? ゆで卵そんな器具に載せてどうやって食べればいいのか分からない。


 頭がクラクラする……。


「パトリシアさん、もしかして人見知りでもされるのですか?、ささ、こちらの席へ」


 レーヴェンドルフがさっと立ち上がってパトリシアの椅子を引いて、ここに座れと促した。

 もう逃げることは出来ない。


 もじもじしながら入室に抵抗のあるパトリシアに歩み寄り、手を取ってエスコートしたのはシリウスだった。


「お姉ちゃん、一緒に食べよう。今日はキノコのスープ、美味しいよ」


「あ、はい、えっと、でも、でも――」



 シリウスが、あの! シリウスがだ。

 レーヴェンドルフには吸った息の吐き方を忘れるほど衝撃的な出来事だった。


 あの人見知りの激しいシリウスが、率先して女の人の手を引いて『お姉ちゃん、一緒に食べよう』なんてセリフを吐くなんて考えられないことだ。レーヴェンドルフ自身も人見知りの激しい子だったからシリウスの気持ちは分かっているはずだったのだが、今朝のこの豹変ぶりには驚くばかりだ。


 たまに遊びに来るアンドロメダにも、あんないい笑顔を見せたことはない。


 シリウスはパトリシアを席まで引っ張っていって座らせると、そそくさと自分の席に戻り、何事もなかったかのように中断していた食事を再開した。無言で、パトリシアに目配せすることもなかった。


 パトリシアの方はというと、席に着いたまでは良かったけれど、ここから先どうすればいいのか分からない。渋柿にかぶりついたような顔をしながら、運ばれてきた料理に手も足も出ない。


「どしたんだい? お気に召さなかったかな?」


「いえいえいえいえいえ、違うんです違うんです。えっと、あの、私その、こいう席で食事ができるようなマナーを知らないので……、皆さんに嫌な思いをさせると思ので、すみません、もしかすると時間をずらしていただいたほうが……」


「はははは、テーブルマナーというのは、貴族同士で見栄を張り合うようなものだからね、パトリシアさんはどうか気にず、家族だけで食事するようなときは自由なものです」


「は、はあ……」


 それでもすぐ更に手を出さないパトリシアを見かねたのか、斜め向かいの席に座ってもくもくと食事を続けていたシリウスが、いきなりカチャカチャと音を立て始めた。フォークとナイフの扱いが突然雑になったのだ。


 シリウスの隣でしゃんと背筋を伸ばして堂々と食事をとっていた弟のアルタイルはパトリシアのほうをじっと見て人差し指を立ててみせた。


「お姉ちゃん、見て」


 アルタイルは真剣な眼差しでゆで卵を睨みつけると、座ったままナイフを構えた。

 パトリシアには手がぶれたようにしか見えなかったが、シュパッと風鳴りが聞こえたので、ナイフを振ったのだろう。


 次の瞬間にはゆで卵の上半分がフワッと飛んで、パトリシアのパンの皿に乗り、アルタイルは『どうだっ!』とでも言わんばかりのドヤ顔を決めた。


「こら! アルタイル! それは行儀が悪いぞ、やりすぎだ」


 レーヴェンドルフに叱られたアルタイルはペロッと舌を出して、おどけて見せた。


 食事の時使うナイフでこんなことができるなんて、騎士の家系おそるべしだ。

 パトリシアは目を輝かせて感嘆の声を上げた。


「凄い! それは騎士の技なの?」


「騎士じゃないよ、僕は勇者なんだ」


「そうなんだ、アルタイルは勇者なんだ。んー、カッコイイね!」


 パトリシアはこの時、シリウスのアビリティについても聞くのが自然な流れなのに、敢えて何も聞かなかった。シリウスの様子が昨夜とは打って変わってずいぶんしおらしく見えたからだ。


 夜になるとディムと見間違えてしまうほどの空気を醸し出す、パトリシアはシリウスのアビリティについては話題に上げない方がいいと判断した。


 この二人の兄弟たちのおかげで最大の懸案だったソレイユ家の食卓での会食をかろうじて切り抜けることができそうだ。スープをスプーンで掬ってチビチビ飲むのはまどろっこしいなりにうまく誤魔化すことができた。自宅で弟たちと食べるときは、スープにパンをズボッと浸けて、ほたほたに染み込ませて食べるのが普通だ。だけどラールの街でいちばんガラ悪いと言われてるギルド酒場でもそんな食べ方してる人を見たことがない。相当お行儀が悪いことは何となくわかる。


 王都ではどうやらパンをナイフで細かく切って、ちょっとだけフォークで突き刺して食べるらしい。

 見よう見まねで試してみたが、パンが凹むばかりでうまくゆかない。またもやそれを見かねたシリウスがパンを手掴みでちぎって食べてくれたおかげで、いつものように、パンを手掴みで食べることができたのだ。


 本当に勇者ギンガ・フィクサとディムが結婚したのだとすると、この子たちは何を隠そう、ディムの義弟にあたるのだと考えると、パトリシアなりに、ちょっと愛おしく思えた。


 パトリシアにとってソレイユ家は、エルネッタを攫い、あの悪夢の夜を引き起こした原因の一つだと思っていて、あまり良い印象をもってなかった。


 だけどパトリシアは少しだけその認識を改めた。

 シリウスとアルタイルの兄弟が、温かく、優しい、思いやりの心を持っていることが、ただ嬉しかった。



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