異世界人であるが故に(1)
ディムたちが過去に旅立ってから3年後、現代を生きる者たちの物語が始まりました。
ヒカリ・カスガ、パトリシア・セイン
銀河の二人の弟たち、そしてメイリーン、アンドロメダのその後を。
ここは首都サンドラ郊外にある飛行場。
抜けるような青空に遥か高空に引かれたスジ雲のもと、少し頬に冷たくなった秋風を受けながら、ひとりの女性がタラップに姿を現した。
革製のトランクを両手にかかえ、パンパンに膨らんだリュックサックを背負った成人女性だった。小柄ではあるが大荷物をものともせず、タラップの階段を一段一段、踏みしめるように降りた。この女性こそ無味無臭の殺鼠剤を開発し、ネズミがもたらす数多の伝染病から王国民を守ったパトリシア・セイン。シルバーメダルの探索者d。
飛行船を降りると4頭立ての馬車が待ち構えていて、ひとりの痩せた男が出迎えた。
御者ではなく、どこぞの名家の執事でもない。身なりはパリッとしていて、純白の騎士服を纏っている。パトリシアの生まれ育った田舎町には居ない高貴な佇まいを見せていた。
「パトリシア・セインさんですね、初めまして……レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユです」
「こんにちは、フィクサ・ソレイユ卿、実はお顔だけ拝見したことがありました。覚えてらっしゃらないでしょうけど……」
「すみません、失念しておりました。こんなところで立ち話もなんです、ささ、どうぞ馬車へ」
「いいえ。まずは条件を。構いませんか?」
「条件? はい、お聞かせください」
「このカバンの中にはディムさんから教わった抗生物質のレシピをもとに私が開発した試作品が入っています。感染症に対する人類の最終兵器だとディムさんは言ってましたし、この試作品はいわばディムさんが作ったも同然なのです、ここまではお分かりですよね?」
「はい、重々承知しています」
「では、現在行方不明とされているディムさん、エルネッタさんたちがどこで何をしているのか、教えてください。それが条件です」
パトリシアは抗生物質の製法をディムから教わり、完成したらソレイユ家に持ち込んで、ヒカリを助けてやってくれと頼まれた。その約束を果たすため3年の年月を研究に投じ、試作品の歓声にまでこぎつけ、試してみたい旨をフィクサ・ソレイユ家に手紙で知らせたのだ。
しかしラールの街で偶発的に起きた国軍との戦闘で多数の死者が出たこと、国軍が乗ってきた飛行船が奪われたこと。そしてラールなどという辺境の街に流れてきた噂では、アサシンが王都を襲い、災害級の被害が出たという。騒ぎは沈静化したが、王都を襲ったアサシンがどうなったのかまでは分からないし、弟王ルシアンが逃げた婚約者を連れ戻し、無事に婚礼に至ったという話も一向に流れてこない。
ディムとエルネッタの情報は王国諜報部によってシャットアウトされている。まるでラール方面に駐留する軍人たちも、まるで緘口令が敷かれているかのように知らないと言う。
あれからまだ3年だというのに、もう人々はその事実そのものを忘れたかのように暮らしているのだ。
「分かりました。私の知っていることでよければ包み隠さずお話しすると約束しましょう。ただし、私が話した内容はあなたの胸にとどめていただきたいのですが、それで構いませんか?」
パトリシアは返事をせず、無言のまま荷物をドアのなかに放り込み、馬車に乗り込んだ。
本来ならトランクやリュックは馬車の後部荷台に置くものだが、この中には大切なものが入っている。
レーヴェンドルフも察していて、荷物の置き場については口を挟むことをせず、パトリシアに向かって一礼してから馬車に乗り込み、ドアを閉めた。
キャビンの中、空気がこわばっている。
緊張感をほぐそうと思ったのか、後から馬車に乗り込んだレーヴェンドルフは、何はともあれ、まずは謝罪をせねばならないと考えた。
「あの夜は、本当にすまないことをしたと思っている」
「私は被害を受けませんでしたから謝罪は不要です。ですが、あなた方の傲慢な行いのせいで、多くの人が命を落としました。私はそのことを忘れてはいません」
明らかに不機嫌なオーラを醸し出すパトリシアと、下手に取り繕うと墓穴を掘ってしまうと悟ったレーヴェンドルフ。双方とも終始無言のまま、息が詰まるほど空気の悪い車内で、会話もなく、馬車は王都の中心部、フィクサ・ソレイユ家に到着した。
荷物は御者が持つはずだったが、パトリシアはそれを拒否。まずは馬車を降りてからパトリシアの代名詞にもなっているパンパンに膨らんだリュックを引っ張り出して背負い、革でできたトランクは片手では重いらしく、両手で抱きかかえるように持ち上げた。
「パトリシアさん、大切なものが入っているのは理解するけれど、それでは御者の仕事を奪ってしまうことにもなりかねん。せめてトランクだけでも御者に預けてはいかがかな」
「いいえ結構です。自分の荷物は自分で持ちますから」
荷物を預かろうとした御者がそれを聞いて、すんなりと引き下がった。
レーヴェンドルフは本宅の重厚な扉を自らの手で開き、長い廊下の一番奥の部屋にパトリシアを案内する。
廊下の突き当り、角部屋になるのだろう。ノックをすると中から子どもの声がして、内側からガチャリとドアが開かれた。レーヴェンドルフはパトリシアに入るよう促した。
パトリシアが部屋に入ると、室内は薄暗い。窓に遮光のカーテンが引かれていて、意図的に暗くしてあることは明らかだった。
部屋に天幕のついた豪華なベッドが設置されていて、そこに寝かされているのが、かの勇者ヒカリ・カスガ・ソレイユなのだろうことは想像するに難くなかったが、パトリシアは病人に付き添っていた黒髪の少年のほうに目を引かれた。
少年はどこかよそよそし気でありながら、寂しそうな目をしていて、パトリシアは一瞬、その少年の醸し出す雰囲気から、ディムの面影を見て取った。
ハッとして二度見した。ただ黒髪であったことと、どこか醸し出す雰囲気のようなものがディムに似ていただけだ。単なる見間違いかと言われるとその通りなのだろう。だけどこの部屋に、たった今までディムが居たような、そんな空気感を覚えた。
「ヒカリ、キミにお客さまだ。パトリシアさんといって……」
「はい、手紙、読ませてもらったわ。遠いところ、どうもありがとう。セイヤのお友達なんですよね……可愛いコ……」
そう言って身を起こそうとするヒカリをレーヴェンドルフは止めた。
勇者ヒカリ・カスガ・ソレイユは異世界人であるがゆえ、この世界の細菌や感染症に対する抵抗力を持っていなかった。そのせいで体内に細菌が繁殖し、さまざまな症状を引き起こしている。
体力が失われてくると肺にカビが繁殖し始め、腹膜内にも菌糸を伸ばし始めた。
もともとこの世界で生まれた者であれば、赤ん坊であっても母乳から抵抗力を得たり、軽い感染症にかかりながらそれを克服し、どんどん抵抗力をつけてゆくものだが、ヒカリは感染症に対する抵抗力を持たずに3人の子を産むという危険を冒してしまった。じわじわと身体を蝕む感染症と、体調の変化を、オートで発動する勇者の状態異常緩和スキルのせいで見落としてしまったのだ。
細菌の感染が脳にまで拡大するともう命は助からない。
パトリシアはまず、布団をそっとまくり上げ痩せこけた勇者ヒカリの身体を診察し始めた。
医師の資格を持っているという事実はない。だが、これまで独自に学んだ薬剤の知識から症状に合わせた投薬をすることができる。
パトリシアは少し焦りを覚えた。3年前、ギルド酒場で会った、あの勇者ヒカリだとは思えないほど衰弱していて、あれほど強い女性に見えていた、その片鱗も感じさせない。
今まさに、勇者ヒカリは死の淵にいる。
「食事はとれていますか? お通じの方は普通に?」
その問いにはレーヴェンドルフが答えた。
「流動食しか喉を通らなくなって50日ぐらいだ、下血も見られる」
「医者の見立てではどう言われましたか?」
「医者が何をしても効果がなかった。回復魔法は体力の回復と苦痛の緩和ぐらいにしか効果がないんだ。医者も治癒師も同じことを言ったよ。異世界人特有の病気では手も足も出ないと。あとはもう緩やかに死を迎えるだろうから、家族みんなで看取ってやるべきだと……」
「状況は把握しました。流動食が喉を通るなら経口摂取から試しましょう。血管に直接入れるのは拒絶反応が心配です。ではまず部屋を明るく! カーテンを開けてください、太陽の光は殺菌作用があります。レーヴェンドルフさん、約束、忘れないでくださいね」
「わかったっ! 約束は約束だ。ヒカリを頼む。私たちにはもうあなたしかいないのだ」
シャッ! シャッ! と素早く暗幕を開き、開ききった瞳孔に眩しい光が突き刺さる。
息子なのだろう、黒髪の少年は勇者ヒカリの手をしっかりと握りしめ、この場から離れたくないと全身を使って表現してみせたたが、レーヴェンドルフが後ろから抱きかかえた。
「シリウス、治療の邪魔になるから……」
ヒカリは引き離されたシリウスに目配せをして「大丈夫よ、だってお母さん、勇者だもん。病気なんかに負けないわ、ね」と優しく諭した。
その後で「パトリシアさん、よろしくお願いします。ところで約束? 主人とどんな約束をしたのですか?」と聞いた。レーヴェンドルフがパトリシアと交わした約束のほうが気になったのだ。
ヒカリはもう命は長くないと考えていた。自分が死んだあと、レーヴェンドルフがどうなるのか、子どもたちがどうなるのか、そんなネガティブなことばかり考えている。約束のことも気にならないわけがない。
「ディムさんの行方についてです。私はあなたを助けて見せます。必ずです。その対価にディムさんがどこへ行ったのか教えてくださいと言うのは卑怯でしょうか?」
「そんなことを約束したの?」
ヒカリは首をわずかに傾けてレーヴェンドルフを見ながら約束について問うた。
「ああ、私の責任ですべてを話すつもりだ」
「レーヴェン、シリウスと一緒にこの場を外してもらえませんか? そんな条件で助けてもらうなんて私の方がイヤだわ。約束なんてなしにして、私は今からパトリシアさんに真実を話します。それでいいかしら?」
「はい、私はディムさんがいまどこで何をしているのか、それさえ知れれば構いません。それと、もうひとつ質問が増えたのですが、構わないですか? 勇者ヒカリ・カスガ」
「分かりました。答えられることなら答えましょう。はい、あなたたちは外に出て。私はパトリシアさんとガールズトークするんですからね、男子禁制。盗み聞きなんかすると後でどうなるか……」
「わかった! 出ていくってば。盗み聞きもしないから、ほらシリウス、行こう。お母さんは大切なお話があるそうだ……。パトリシアさん、どうか、どうかよろしくお願いします。もうあなただけが……」
シリウスの背中に手をまわし、部屋を出て行こうとしながらも後ろ髪を引かれる様子のレーヴェンドルフはパトリシアに対して、重ね重ね、くどいほどお願いを続けた。




