勇者、出撃す(13)トモダチ
模擬戦は双方のタイミングで開始される。なので戦闘場所になる鍛錬場から見物人たちが引いたらもう、いつ戦闘を開始してもいい。これから模擬戦が始まるという時、魔法使いは静かに瞑目し雑念を払い精神を統一するのが普通だ。だがしかしメイリーン・ジャンはつま先をグルグル回しながら足首を温め、肩を伸ばしたり身体を左右に振って柔軟体操にいとまがない。
もちろん帯剣していない。裾の締った細身のパンツにノースリーブのシャツ。
火傷の痕が生々しくケロイドになっている細腕に目がいくけれど、見るべきはそこじゃない。
スルスルと無防備に歩き、構えもせずにセネガルシスの木剣の間合いに入ったことだ。
小走りになるでもなく、ダッシュで一気に間合いを詰めたわけでもない。ただスルスルと歩いただけで、剣の間合いを潰し、懐に入ったのだ。
ショウズ・セネガルシスは慌てて剣を構えようとしたところで、肘に電流が流れたような衝撃を感じ、剣を落としてしまった。
メイリーンが拳をコツンとぶつけただけだ。ただそれだけのことで、セネガルシスは剣を持っていた手を放してしまった。肘の尺骨神経をコツンとやっただけ、子どもでも知ってる、机のカドなどに肘をぶつけてしまうとビイイインンン!と小指まで電流が流れたように痺れ、手に持っているものを落としてしまうと言うアレだ。
そしてメイリーンは手のひらでセネガルシスの左胸をポンと叩き、
「一本です」と言った。
いったい何があってあのショウズ・セネガルシスがこうも容易く懐に入られたのか。如何様な理由あって剣を手放したのか。なぜ満足に身動きすることも出来ず一本取らせてしまったのか。たったいまメイリーンが勝利宣言したことで敗北が確定したセネガルシス本人ですら目を白黒させている始末で、いったい何が起きたのか、何をされたのか理解できていない。
ただ一つ言えることは、これが実戦だったら殺されているということだ。
いったい何が起こったのか、なぜ陸軍最強の剣士、ショウズ・セネガルシスがこうもアッサリ負けてしまったのか立ち合いを囲んで見守っていた見物人たちにも分からなかった。ただ二人の勇者を除いて。
勇者のスキル『見通す目』によってスキルの起動が見えるヒカリとギンガには分かった。
いまメイリーンが使ったのは『気配消し』のスキルだった。まるでネコ科の猛獣が頸動脈に噛みつこうと狙っているかのような殺気を中和しながら、ただ優雅に歩いて間合いを潰したのだ。速く動くと自然と目が奪われ注目される。だからメイリーンは周囲を囲む人混みが動くのと同じスピードで動いた。
同時に『気配消し』を使ったことでセネガルシスは、ほんの数瞬、遠巻きに自分たちを囲む見物人と、メイリーンの区別がつかなくなったのだ。その無理やりこじ開けたスキを見逃すはずもなく、間合いの測り合いという攻防なしにスッと懐に入り込み、慌てて剣を振り上げた肘をコツンと叩いた。
言葉で説明すると、ただこれだけのことだった。
これは戦闘のセンスがあるとか、天才的だとか、そういう話ではない。
メイリーンの『気配消し』スキルはヒカリが見た限りではそれほど強いものではなかった。戦闘経験どころか、木剣で打ちあう模擬戦の訓練も満足にしてこなかったギンガですらメイリーンの『気配消し』には引っかからない。背後から襲う暗殺に使うならまだしも正面を向き合った立ち合いともなると役に立たないような代物だった。だけどメイリーンは周囲にいる人をも利用し、擬態といって差し支えないようなことまでしてスキを作り出した。これにはヒカリも驚きを隠せない。
セネガルシスから簡単に一本とったことで一番喜んだのは他でもないギンガだった。
「メイリーン! すごいよ! カッコよかったよ!」
いつの間にそんなに仲良くなったのかとヒカリはこっちでも驚かされた。
王の御前で出征の勅命をもらったときと、あと何度かここで会ったのだろう、そういえば銀河は最初からメイリーンのことを気にかけていた。
よくよく考えてみればそうだ。銀河には友達という友達がいない。学院の中等部でもその強すぎる勇者アビリティとハーメルン王国建国時からあったソレイユ家の名を持っていることから疎まれ、異世界人を母に持つことで、周囲から疎外されてきた。ヒカリは銀河がまるで女学生のように飛びあがって喜ぶ姿を初めて見たのだ。
ヒカリの視界に銀河とメイリーンの二人が映し出されると、ヒカリのメイリーンを見る目が変わっていた。もしかするとメイリーンは銀河の初めての友達になる子かもしれない。
銀河はもう16歳だ。ヒカリの生まれ育った日本ではまだ子供だが、ここではもう大人。
友達もいない、バカ話をして笑い転げるようなこともない。恋もしたことがない、娘を不憫に思ってたところに戦場へ出よとのお達しだった。
ヒカリは銀河が不幸だと思った。だがしかし、いま銀河は零れんばかりの笑顔を見せている。
勇者と言うアビリティを受け、戦うことを宿命付けられた銀河は、こうやって掛け替えのない仲間を得たのだと、ヒカリは理解した。
「まてっ! いまのはやられたっ。だがもう一本、もう一本お願いするっ!」
ショウズ・セネガルシスがメイリーンの力を認めた。
そしてギンガも。
「セネガルシスさん負けたじゃん。次は私に相手をさせて! すごいよ、気配を操るの?」
「は、はい。でも、一度見ただけで分かったの? あちゃあ、手強いなあ……」
などと言いながら銀河と立ち会ったメイリーンは勇者アビリティのもつチートっぷりを否応なく見せつけられる形となり、大健闘したが結局一本取られてしまった。
しかし、一本にならない有効打を数回受けた銀河のほうも、瞬きすら許されない緊張感の中での立ち合いだった。
「うおおおおお、凄いな勇者! さすがにアビリティは伊達じゃないか。次は俺だ! いま見せた剣技を見せてくれ!」
「手加減しませんからね!」
「おう、望むところだ! いつでもかかってこい!」
―― ガガッ!!
「一本! それまで!」
「まだまだっ! もう一本お願いする!」
「はいっ」
―― ドカッ!
「一本! それまで!」
「ぐっ、痛っ……骨が、折れたか……」
「大丈夫じゃ! ほれ、回復魔法をかけてやるぞい」
「おおおっ、復活したぞ、もう一本だ!」
「はいっ!」
―― ガツン!
「一本!!」
ショウズ・セネガルシスは銀河の相手にならず、いともたやすく5連続の一本負けを喫し、負け疲れて地べたに座ったところで神官の聖ジャニス・ネヴィルが肩に手を置いて諭した。
「おぬしでは勇者の練習相手にもならんようじゃの?」
「はあっ、はあっ! めんぼくない!!」
セネガルシスはデタラメに強いと噂の【勇者】と立ち会ってみたかった。そしてその願いは叶い、自分の目指す者は遥か遠くで微笑んでいる女神さまのように、未だ手を伸ばしたところで届かないことを理解した。
だが勇者でもないただの魔法使いである19歳のメイリーン・ジャンが勇者から一本取れないまでも、立ち会うたびに銀河を追い込んで見せたことから、アビリティに限界はないことを知った。
ショウズ・セネガルシスも、王国ナンバーワンと言われて、どうやら天狗になっていたようだ。
自分の未熟さを知り、鍛えなおすと言う意味ではこの合宿、都合のいいものだった。
とはいえ、銀河の模擬戦の相手はだいたいメイリーンが務めることとなり、セネガルシスは騎士のターミナル・グラナーダとコンビを組むこととなる。
遠隔攻撃と早期警戒、偵察を担当するダービー・ダービーはメイリーンから気配を消すコツというものを熱心に教わっていたが、メイリーンの『人にものを教える能力の低さ』に辟易するだけの結果となった。
パーティ戦闘の訓練、パーティの役割、一人が倒れた時、二人が倒れた時の定石などを頭と体に叩き込み、6人パーティではあるが、騎士団と国軍あわせて二個中隊(350人)で取り囲み、半日にわたって攻め続けても、誰一人として一本取られることなく守り切ることに成功した。
これぞ名実共にこの国の最高戦力であり、どこの戦場に出しても生きて帰ってくるだろう最強の戦闘単位だ。
ありとあらゆる攻撃と、獣人に対するコンビネーションに合格点を出した陸軍省。
集団戦に於いて1ミリも下がらず仲間と自分を死守するという防衛力に合格点を出した王立騎士団。
傷ついた仲間を死守するため拠点防衛技術に合格点を出した王立近衛騎士団。
メイリーンの魔法力をパーティ全体で有効に使えるよう指導し、合格点を出した王都魔導大学院。
そして、あらゆる情報から最善の作戦を立案し、行使することができると合格点を出した首都サンドラ冒険者ギルド総本部。ルーメン教会以外すべての関係機関が一点の曇りもない合格点を出したことで、銀河たち、勇者パーティが出征する日取りが、2日後に決まった。
訓練期間は70日だった。その間、乾いた砂が水を吸収するがごとく、ありとあらゆる戦闘知識を得て経験を積んだ、勇者、銀河・フィクサ・ソレイユ率いる勇者パーティにスキはない。




