勇者、出撃す(10)復讐者 後編
―― キィィン
しんと静まり返り、学生たちが固唾をのんで見守る中、野外修練場の石畳にコインは落ちた。
甲高い金属音と共に戦闘開始の合図が響き渡ったにも関わらず、メイリーンはゆっくりと歩いて間合いを詰めるのみだ。魔導師として無敗を誇るコーネリア・ダスキンを舐めているかのように、ただ悠然と、その唇にはうっすらと微笑みが浮かぶ。
魔法詠唱はない。
我慢比べだ。
ダスキンは余裕の勝利を確信していたが少しずつ安全距離が失われてゆく不安が確信に勝った。
目の前をゆっくり歩いてくる女の目を見てしまったことで恐怖に飲まれたのだ。
メイリーンの瞳には狂気が宿っていた。戦闘狂、殺人狂、暴力狂……、ドレスを着てさえいればサンドラ中の男どもが色めき立つであろうこの美女は、魔法を単なる殺しの道具として選んだに違いない。
「き……キミは……、いったい何者だ」
口をついて出てしまった。今更こんなことが知りたい。
コーネリア・ダスキンが恐怖したのは、これまで体験したことのない濃度の殺意だった。焼けた鉄をケツに突っ込まれたかのような酷い感覚に陥る。
《 ……っ! 殺られる!》
ダスキンは咄嗟の判断で最も早く、最小の動作で詠唱を完了する『ファイアボール』の魔法を唱えると次の瞬間にはバレーボール大の小さな火の玉を3連射で放った。
メイリーンは『ファイアボール』の魔法を避けるでもなく、急きも慌ても、瞬きすらもせず左腕で少しガードする程度の防御のみで顔面に命中することを許した。
間髪入れず流れるように呪文を唱える。たった今命中させた[ファイアボール]3連撃から次の詠唱に入ろうとした刹那の出来事だった。
ダスキンが次に選んだのは、先ほどデモンストレーションで見せたあの巨大呪文だ。本来ならそんなに大きな魔法など使う必要はなかった。だがしかし、レーヴェンドルフ・ソレイユが見ている。だからこそ自分を首にしてすげ替えようとする騎士団の回し者に圧倒的勝利を見せつけてやる必要があった。
そのド派手な魔法を行使すべく、長大な呪文を唱え切るための布石として先にファイアボールを3連射で当てておいたのだ。
着弾し、炸裂する『ファイアボール』の炎。
光が交錯し着弾の炎と煙で視界が遮られるとダスキンは腹部にとてつもない衝撃を感じた。
「ぐはあっ!」
自らが撃ち出したファイアボールが炸裂したとき、一瞬だけメイリーンの姿を見失った。命中したのが近すぎて炎が飛び散ったことと、耐火障壁魔法を唱える時間を与えてもらえなかったのが不幸だった。
ダスキンは突然のことで、いったい何が起こって、自分の呼吸が止まったのか分からなかった。
息ができない、まるで身体が息の仕方を忘れてしまったかのようだった。
ダスキンの腹に突き刺さっていたのはメイリーンの左ボディフック気味に決まったボディブロー。
衝撃を受けた個所を起点に身体が『く』の字に折れ曲がる。
これまで受けたこともないような酷いダメージが身体を駆け巡った。崩れ落ち、跪こうとする身体を意志の力で支えるダスキンは、懐に潜り込んで追撃しようと右拳を握り込んだメイリーンと間近で目が合った。
まるで魅入られたように、メイリーンの瞳から目が離せなくなった。
その瞳に映った自分の顔が見えたからだ。
腹を殴られて苦悶する敗者の顔に見えた。いまにもゲロを吐きそうな、可愛そうな男が映っていた。
次の攻撃が来る。
避けなければやられてしまう。
反撃をしなければ勝つことは出来ない。
だがダスキンは息を全て吐き出させられたせいで次の詠唱ができなかった。
呼吸、それは魔法使いだけじゃなく、戦士や騎士にとっても読まれると大きなスキを突かれるというものだ。いや、読むのはそれほど難しくはない。コーネリアも魔法使いである以上、呼吸は大切なファクターだ。息を吐き切ってしまうと、次に魔法を唱えるまでに0.5秒は遅れる。一息、肺の中に空気を満たさないと呪文を唱えることができないからだ。
ダスキンは反射的に大きく息を吸い込む。
そこを狙われた。
メイリーンは呼吸しようとするダスキンの口をその手で塞ぐと、すでに詠唱を完了していた魔法を起動した。
『ファイアボール』という小さな魔法を連射するでなく、ただ一発だけ。
その一発の『ファイアボール』は、大きく息を吸い込もうとした口を塞ぐ手のひらから発動した。
口腔内を通り、喉を過ぎると『ファイアボール』は肺まで達してから着火し、炸裂する。
ダスキンの口を塞いでいた手を放すと、肺の中に新鮮な空気を取り込み、ファイアボールは爆発的な燃焼をみせた。
メイリーンは予告した通り、当たり前のように勝利し、コーネリア・ダスキンという男が実戦では役に立たないことを証明して見せた。
そして先ほど受けた問いに答えた。
「私は復讐者。あなたのように恵まれてないのよ」
コーネリア・ダスキンは何度か咳き込み、短く炎を吐いたが、気を失うより前に投げられ、頭から地面に激突。戦闘で受けたダメージも深刻で、死に往くように意識を深い深い闇の中に沈めていった。
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魔導大学院の構内は、それから救急救命措置で騒然となった。弟子たちの中に軽度の回復魔法を使えるものが居たおかげで、すぐさま魔法による生命維持が行われた。コーネリア・ダスキンは慣れない回復魔法を気を失うまで唱え続けてくれた優秀な弟子のおかげで、落とすはずだった命を拾った。
決闘に敗北したダスキンは意識が戻らないまま救急馬車で軍の治療施設に搬送されることとなった。
メイリーンはダスキンの『ファイアボール』など、片腕を盾にするだけという簡単な防御で加速して避けた。炎が熱を伝達する速度なんて空気中じゃたかが知れてる。熱い鉄を握ったわけじゃない。激しく燃える炎の中に突っ込んだところですぐに移動すれば火傷もしないのだ。ファイアボールなんか前に向かって加速するだけで致死性の灼熱は振り切れる。もちろん火傷ぐらいは免れないが。
対してコーネリア・ダスキンは同じくたった一発の[ファイアボール]を被弾したことで生死の狭間を彷徨うこととなった。同じ魔法を使っていながら正に生死を分ける差となった。
メイリーンはそんな小さな魔法で確実に敵を殺すためにはどうすればいいかを考え、ひとつの結論に達していた。逃がすことなく肺を焼けばいい。生きとし生けるものは肺を潰せばすぐに動けなくなる。これこそ簡単だ、ただの一発で片が付く。じゃあどうやって肺に『ファイアボール』を撃ち込むかというと、そのためにボディブローを叩き込み、肺の中の空気をいったんすべて吐き出させ、思う存分息を吸い込ませる必要があった。それだけだ。
新鮮な空気と一緒に、ファイアボールも吸い込んでもらえばいいだけ。
簡単な魔法を簡単に食らって、簡単に敗北したコーネリア・ダスキンはとても簡単とは言えないような大ケガをして勇者パーティから外されることとなった。蓋を空けてみたら完全に戦闘経験の差が出た形となった。功名心から派手で見映えのよい魔法しか使ってこなかった男と、復讐心から敵を殺すためだけに特化した魔法を磨き上げた女の差は考えていたよりもずっと大きかった。
メイリーン・ジャンは宣言通り、コーネリア・ダスキンなど戦場ではまるで役に立たないことを証明し余裕綽々圧倒して見せた。勇者パーティに魔法使いを出さないわけにはいかないダンス・トレヴァス学長はいくつか面接がわりの質問を投げかけた。
「メイリーン・ジャン。私があなたの推薦をするのにいくつか質問があります、偽りなく答えますか?」
「もちろんです」
「では質問です。あなたがソレイユ家の推薦であることに疑いを禁じ得ません。推薦に至った経緯を教えていただけますか?」
「こちら、レーヴェンドルフさんとは、実はさきほど初めてお会いしました。勇者ギンガ・フィクサの御父上どのであられるぐらいしか知らされていません」
「ほう、では他に黒幕がいると、そういうことなのですか?」
「黒幕だなんて、そんな大層なものじゃないですよ。私を推薦してくれたのは、シスター・アン。ルーメン教会のシスター・アンです。ご存じない?……ですか?」
「シスター・アン?……」
腕組みをした手で顎をさすりながら頭をひねるトレヴァス学長に、レーヴェンドルフが誰にも聞こえないように、手のひらで口元を隠し小さな声で耳打ちした。
「アンディー・ベックだ」
その名を聞いたダンス・トレヴァス学長は顔をひきつらせた。
まさかそんな大物が絡んでいるとは思わなかったのだ。
何となく飲み込めてきた。
「分かりました。では二つ目の質問です。ランド領で蛮族に奪われた村の出身だということは聞いています。あなたは再びそんな土地に戻って獣人たちを皆殺しにすると言いましたね? いったい何があなたをそうさせるのですか?」
「私は何もかも奪われました。あんなに平和だった村が焼かれました。お父さんも、お爺ちゃんも死にました。獣人たちを食い止め、村人たちを逃がすために戦って死んだのです。私を助けてくれた幼馴染が命と引き換えに残してくれたこ身体は復讐のために使います」
「復讐? いつまで復讐を続けるのですか?」
「んー、気が済んだらやめちゃうかもです」
メイリーンの覚悟と出自を確かめたトレヴァス学長は、はあっと大きなため息をひとつついて自らも覚悟を決めることとなった。
「分かりました、魔導大学院学長ダンス・トレヴァスの名において、メイリーン・ジャン。あなたを遠征パーティに推薦し、獣人討伐任務に就いてもらいます。これはあなたの行動の責任は私が負うという意味です。今後はもう今日のように迂闊な行動は慎むこと。もちろん、こちらフィクサ・ソレイユ殿も、シスター・アンも同様に責任を負ってもらいますからね。ではあなたには追って沙汰しますから自宅にて連絡を待つように」
と言ってトレヴァスは踵を返し、もうレーヴェンドルフの顔など見たくもないと言いたげに、二度と振り返ることはなかった。
「はいっ!」
屈託のない笑顔で返事をしたメイリーン・ジャン。そのハキハキとした気持ちのいい返事は背を向けて歩き去ろうとするトレヴァス学長の耳にしかと届いた。先ほどまで『への字』に結ばれていた口元を緩ませるぐらいに。
メイリーンは案内所エントランスの前に待たせてあった馬車に乗る前に、追ってきた大学院側の男から住所を聞いてなかったと言われ、住所など答えていた。
レーヴェンドルフはそのさまを見て、まるでナンパされてる女子学生のようだと感じた。
このメイリーン・ジャンも、6年前の侵攻さえなければ、復讐など考えたこともないような、普通の女子生徒で居られたのだろう。何の不安もなく、花咲く丘で友達と恋の話とかして青春を謳歌していたのだろう。
やはり国は強くあるべきだ。軍部の怠慢がスキを突かれる要因となり、獣人たちの侵攻を招いた。軍部の失策のせいで辺境に暮らす民の未来が奪われてしまったのだ。
騎士の家系であるソレイユ家に生まれたレーヴェンドルフは、メイリーンがこれほどまでに強くなったのは、ハーメルン王国そのものが弱くなったせいだと考えた。獣人たちの侵攻に対し、なんら有効な手段を打てずにいる王国の弱腰に対する、民衆の明確な解答がこれだった。
誰も助けてくれないのだから自分たちが強くなるしかないのだ。
それこそソレイユ家にとって忸怩たる思いだ。
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なお、これは後日談になる。
コーネリア・ダスキンは陸軍の管轄する病院で回復魔法の集中治療を受け、14日ものあいだ生死の狭間を彷徨ったが、やがて目を覚ましたという。肺を焼かれたことで呼吸機能の低下を招き、もう二度と走ったりなどという運動にまつわることはできなくなったそうだ。
通常の日常生活が送れなくなるのは不運だったが、あんな悪魔のような女と関わって命があっただけで幸運だったと考えるべきだ。
ダスキンは最後にメイリーンが何を言ったのか、覚えていなかった。
ただ冷たい地面に倒れたダスキンを冷たい目で見下ろす、その瞳がまるで、この世の終わりを見ているかのような、そんな目だったことだけ、トラウマのように深く心に刻み込まれた。




