勇者、出撃す(9)復讐者 前編
コーネリア・ダスキンは準備を整えるため、ひとまず少し離れたところに陣取る50人の弟子たちのもとへ戻った。羽織っているマントを脱いで受け取りに手を出した弟子に預けると『失敗したぜ……』とでも言わんばかりの呆れ顔でこぼした。
「ふう……、まさか女子生徒と決闘することになるとは思わなんだな」
「師よ、あのような下賤の輩、わたくしたちに任せていただければ黙らせてやりますのに……」
「そうです、あんな女、髪を燃やしてやれば泣いて謝るに決まっています」
自分たちの師がこうまで侮辱されたのでは我慢ができないと昂り歯噛みする弟子たちをコーネリア・ダスキン自らが抑えた。
「いやこれは政治なのだ。私たち魔法使いの地位は騎士どもと比べると、言わずもがな低い。それはお前たちも常々思っておる事だろう? 魔法庁の発言力も権力も予算も低いのはなぜだ? 国王が魔法使いを重用しないからだ。それもこれも、戦争がなく1000年の平和が続いたせいで魔法使いの力がどれほど平和に貢献しているのかを示す手立てがなかったからだ。そして6年前、運よくと言ってはランド領の者に気の毒だが、北の蛮族どもが我が国の北側から侵攻し、あろうことか現在に至るも支配権を奪われたままになっておる。それもこれも陸軍省の怠慢だ。王立騎士団など名ばかりで、本当は蛮族と戦って追い出す力など持ってはおらんのだ」
「その通りです師よ、1000年の平和をチャンバラごっこで過ごしてきた能天気な陸軍省の腰抜けどもに、日進月歩の魔法を見せてやってください」
「「「「「 そうだそうだ!! 」」」」」
「まあまあ、そう言うな。どうせ勇者パーティの魔導師に抜擢された私が邪魔なのだろう、あれはソレイユ家の男だ……、騎士道のなんとやらが邪魔しに来たと、そういう訳なのだ。私も当初はあの女生徒を挑発して立ち会い、ちょっと痛い目を見てもらってお引き取り願おうと思っておったのだが……、レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユ……、あれも相当なタヌキだな。まさか決闘になってしまうとは。しかも回復魔法を使える神官もいない今この場で決闘するなど正気の沙汰ではない……さてどうしたものか。出来るだけあの女生徒を傷つけたくないのだ」
そういって野望の片隅に優しさを垣間見せたコーネリア・ダスキンに、弟子のひとりが言った。
さっきのファイア・トルネードを実演していたとき、後ろの方で風を起こす役を担っていた学生だ。
「ダスキン先生、あの女メイリーン・ジャンと言いましたね。雰囲気が変わったので気付くのが遅れたけど、あの女が"あの"ジャンなら、どうかそのような甘い考えは捨ててください。俺はサンドラ魔導学院の出身だったから知ってるんだ」
「おお、そうだった。オノヤはサンドラ魔導学院だったな。ほかにもサンドラ出身の者がおったよな、あの女生徒のことを聞かせて欲しい。どうやれば引いてもらえるのか?」
今ここに集まっているダスキンの弟子たちの中でサンドラ魔導学院出身の者は4人。今しがた声を上げたオノヤのほかに3人もいて、どうやらその全員があまり乗り気じゃなさそうな表情を浮かべている。
コーネリア・ダスキンは訝った。
「どうした? 知らないのか?」
ひとりの学生が信じられないといった表情で訴えかけた。
「いえ、顔と名前だけなら知っています。しかしあの綺麗な女性が『あの』メイリーン・ジャン? 信じられない。私が見たときはこの世の終わりみたいな目をしていたのに……」
オノヤという学生も自分の知っていることを話し始めた。
「いえ……、あの、えっと、今年その……大学院を卒業し宮廷魔導師になったガレウス・ハサウェイ先輩を覚えてますでしょうか?」
「私が宮廷魔導師に推薦し、そして採用したのだ、覚えてないわけがないだろう?」
「はい、4年前ガレウス先輩がボコられて負けました。サンドラ魔導学院の生徒会で筆頭魔導師だったガレウス先輩が、新入生の女子に負けたんです。当時からガレウス先輩の魔法力と詠唱精度は学生レベルから突出していて、俺は最強だと思ってました。あのガレウス先輩に魔法を唱えさせることなく一方的にボコるなんて信じられませんでした。ダスキン先生、あいつは狂ってます。モンスターランク5のダイヤウルフぐらいの狂犬を思い浮かべてください、それが15歳のメイリーン・ジャンです」
「あはははは、モンスターランク5? 王国陸軍の二個分隊レベルの戦闘力があるとでもいうのか?」
コーネリア・ダスキンは笑い飛ばした。いかに魔法使いのアビリティを授かっていようと、15歳の少女が二個分隊相当の戦闘力だなどと、いくら何でも話が大きすぎる。
ハーメルン王国では一個分隊で兵士10名、二個分隊で20名、四個分隊40名で一個小隊というのが陸軍の定例だ。オノヤという学生の報告は常軌を逸している。あのメイリーン・ジャンという娘が15歳の時すでに訓練を受けた完全武装の兵士20名と対等に戦う力を持っていたという。いくら何でもおいそれと信じられない。
ダスキンはたったこれだけの情報で分かったことがある。
ガレウス・ハサウェイは秀才だった。力を持っていることも分かっている。きっとあのメイリーン・ジャンという小娘に負けたことが悔しかったのだろう、努力の虫と呼ばれ揶揄されるほど修行に明け暮れていたのだ。現在の実力は相当なものにまで仕上がっている。
メイリーン・ジャンはそんなガレウス・ハサウェイに魔法を使わせることなく、一方的に殴り倒したという。ダスキンは今しがた聞いた、ガレウス・ハサウェイが負けたなどという、およそ信じがたい話に、ようやく留飲を下げた。何があったのか飲み込めたのだ。ガレウス・ハサウェイともあろう男が15歳の小娘に負けるということは、魔法使いの弱点を突かれたとしか考えられなかったのだ。
まず魔法使いは遠隔攻撃に分類されることが多い。なぜなら魔法を行使するための詠唱そのものがスキとなり、そのスキを生む時間は、間合いを広くとって解消するしかないからだ。逆に言えば、十分な間合いさえとっていれば魔法使いは剣士などに負けることはないし、剣士にしてみればそのスキを突かなければ勝ち目がない。
魔導学院に在籍しているメイリーン・ジャンも魔法使いなのだから、そんな弱点など嫌と言うほど知っていて、ガレウス・ハサウェイのほうも、弱点と知りながら、痛いところを突かれ、結果、負けたということなのだろう。メイリーン・ジャンはガレウス・ハサウェイが魔法を詠唱し終わる前に攻撃を当てる技術を持っていたと、そういうことだ。相手がどんな手を使ってくるか分かっているなら対策するのは容易い。
コーネリア・ダスキンは腕組みをしながら考えた。
メイリーン・ジャンはダスキンが大きな魔法を使うことを見越して素早く小さな魔法を繰り出してくるだろう。大砲の撃ちあいのような戦闘をすると、若い女であるがゆえにメイリーン・ジャンには勝ち目がない。だから素早い攻撃を先に当てに来ることは分かっている、ダスキンは相手よりも、もっと早い魔法を繰り出して先に詠唱を完了すればいい、ただそれだけだ……。そう、ただそれだけなのだが、しかしここはプレゼンの場だということを忘れてはならない。
余裕の表情を崩さず、圧倒的な力を見せつけて勝利する必要があるのだ。
「まあ、よかろう……」
つぶやくと、ダスキンは大学院教授の帽子をしっかり目深にかぶり、ローブも歪みがちな肩のラインを整えた上に耐火繊維を織ったマントを羽織ると振り返るのと同時に翻し、少し離れた場所で体をほぐしているメイリーン・ジャンを睨みつけた。
模擬戦ではこれまで324戦負けなし。だがしかし実戦経験がないコーネリア・ダスキン生まれて初めての実戦だと考えることにした。
自然と覚悟がその瞳に宿る。
肩に力が入る。
一歩、一歩と前に出る足がガクガクと震えているのが分かった。
初めての経験だった、これが武者震いというものかと思うと、少し口元が緩んだ。
口が乾く。
歯が浮くような錯覚に陥り、それをごまかすため自然と奥歯をギリッと噛み締める。
何しろ回復魔法を構えていてくれる神官が居ない状況での果し合いなど初めてなのだ。
自分の力を全て開放することができないのは口惜しいが、このメイリーン・ジャンを軽くのしてやれば勇者パーティに迎え入れられることに何の障害もなくなる。
この決闘はメイリーン・ジャンを倒すことが目的じゃない。あそこで見ている優男、レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユを倒すためのプレゼンだ。気の毒だが女には犠牲になってもらう。
ダスキンは上ずりそうな声を抑え、落ち着いた口調で話しかけた。
これから戦うような雰囲気ではなく、あくまでも冷静さを装う。
「さて、立ち会う前には名乗りを上げるべきかな。まあ、ご存知の通り、私はコーネリア・ダスキン、こっちは準備完了だ。いつまで柔軟体操をしているつもりだね?」
魔導学院の制服ジャケットを脱いだメイリーンはブラウスの袖を折って肘までを露出させていて、腕にはひどい火傷の痕があった。皮膚がめくれあがり、水泡が破れた傷がやがて塞がって、その上から更に焼かれたような見るに堪えない醜いケロイドの痕だった。
ダスキンはその火傷の痕を見て、ぞっとした。
名乗りを上げたコーネリア・ダスキンに、まるで会釈して挨拶するようにメイリーンは応えた。
「うふふっ、いつでもいいわ」
そういうと屈伸運動をやめ、振り返ったあと首をコキコキ鳴らしながら、メイリーンは口元をイヤらしく歪めた。学生は『この世の終わりみたいな目』と言った。だがそうは感じなかった。
メイリーンの目に宿っているのは狂気だ。
魔性とはこういった女のことを指すのかもしれない。
ダスキンは酷く不気味な思いに背筋に怖気がさすのを感じた。
魔法使い同士の立ち合いは、開始線に立って、はじめ! の号令に合わせて魔法を詠唱し始めるなんてことはしない。お互いに向き合った瞬間に詠唱を始めることもあるし、基本的にタイミングは自由だ。
もうすでに戦いは始まっていて、いつ詠唱を始めても構わない。だからこそ立会人を引き受けた二人は固く口を閉ざして、ただ離れたところで見ているだけなのだ。もう始まっている。それでいながらダスキンも、メイリーンも、そのどちらも魔法を詠唱しようとはしなかった。
コーネリア・ダスキンは余裕をもってこの戦いに勝利しなければならない。
圧倒的に有利な先手を取らせてやって、かつ余裕をもって勝利するのが目的なのだ。
だから先にメイリーンのほうから魔法を詠唱するのを待っている。
「どうしたのかね? メイリーン嬢。まさか魔法の呪文を忘れたのかな?」
早く魔法を唱えなさい。そう言ったつもりだった。あくまで自分の方が格上、メイリーンのほうが格下という前提での立場条件を崩そうとしないダスキンのセリフにメイリーンは驚いた。
「ええっ? そっちから先に魔法を唱えなさいよ。私は余裕で勝つところを見せつけてやらなきゃいけないでしょ? そしてトレヴァス学長からも推薦を取り付けて、勇者パーティに入るのよ」
ダスキンは、まさかそこまで甘く見られているとは思わなかった。
「それは困ったね、私も余裕を見せてキミを圧倒する予定なんだけどな」
「じゃあこうしましょう」
メイリーンはスカートのプリーツに隠してあるポケットから1枚のコインを出してみせた。
10ゼノ青銅貨だ。
「これが地面に落ちたら」
「ああ、それがいい。……ところでなあメイリーン・ジャン」
「なんですか?」
「顔に酷い火傷を負うかもしれないが、恨むなよ?」
ダスキンは先制攻撃をどうぞなどと甘く見られたことに多少の苛立ちを感じてきた。
その感情は苛立ちを通り越して屈辱に変わったったと言い換えてもいい。だがしかし、絶対負けられない戦闘において目の前に居る敵に対し、カッカしたり、冷静さを失ったりするのは自ら死神を呼び寄せるようなものだ。コーネリア・ダスキンはメイリーンの執拗な挑発に乗せられてしまったのだ。
「うふふっ、心配してくれるのね。ありがとう。でも私は手加減するつもりなんてありませんので」
「その意気やよし……フッ、ではコインを」
間合いは遠め、一瞬ではこの間合いを解消できない距離だ。どんなに速く踏み込んでも魔法詠唱の方が一瞬早く終わる距離感だ。これが魔法使いの間合いであることは間違いない。
だがメイリーンは無言でコインを親指トスし、打ち上げた。
チーンと短く残響しながら高く上がったコインは重力に引かれ、すぐさま落下する。
しかし訓練場に立つ二人にはこの数瞬が何分にも感じただろう。
その間メイリーンは魔法詠唱の準備をするでなく、ただコーネリア・ダスキンの呼吸を読んでいた。
魔導大学院の名誉あるローブを着込んでいても衣類の上から肩や胸の動きを見ると呼吸が分かる。
吸って、吐いて、吸って、吐いて……。
吸って、吐いて、吸って、吐いて……。
コーネリア・ダスキンの呼吸が荒い、落ち着いてはいなのだろう。
心拍数も早いし、瞳孔も開き気味だ。この男、どうやら緊張しているようだ。
絶対負けられないと意気込んでしまって、体中がカチコチになるほど力が入っている。メイリーンがこれまで仕込んだ安い挑発がこれほどまでに大きな影響を及ぼしていた。
普段の力を発揮することなどできないであろう。
戦いは戦いを受けさせる前から始まっていた。状況はどんどんメイリーンの有利に傾いている。
力があっても経験がない。
戦いは始まっていると言うのに、この男はこんなにも饒舌に自らの状態を表現していた。
緊張している。入れ込みすぎている。筋肉は硬直し、素早い動きに対応できない。
呼吸も荒く、容易に読まれてしまう事にもまったく無頓着という素人だ。
打ち上げられたコインが落ちるまでの短い間に、もう勝負はついていたのだ。
獣人たちの圧倒的な数と力に敗北し、生まれ故郷の村と、幼馴染のディミトリを失ったメイリーンは、覚めない悪夢の中、より効率的に殺すことだけを追求し、6年間もの間、技を磨き鍛錬し続けた。まるで何かに取りつかれたような鬼気迫る鍛練により独自の殺陣となる。
復讐の鬼と化した魔法使いの相手をするのに、宮廷魔導師などという、見栄えのいい大きな魔法ばかりを追求する宮廷魔導師などが戦おうなどと、考えるべきではなかったのだ。




