勇者、出撃す(6)アンの手紙
目鼻立ちのくっきりとした長身の、モデルか女優かダンサーのように見栄えのいいスリムな肢体でありながらこの国では1000年間もの長きにわたって経験したことのない戦場へ赴く勇者パーティに同行するのに志願したこの女性。レーヴェンドルフが呆気に取られているところ自らをセイカ村の出身だと言った。この娘は自分をパーティの案内ができるガイドに最適であると売り込んでいるのだ。
だがしかしレーヴェンドルフは人事権を持たない。もしパーティメンバーに口を出す権限があるならば名簿から銀河の名を抹消し、職業軍人たち、とりわけ普段から偉そうな王国騎士団が行くべきだと考えているからこそ、こんな美しく可憐な、戦いとは程遠い人生を送ってきたであろう女の子が戦場に行くなど、たとえガイドといえども危険なことには変わりないのだから、根本的なところで反対している。
しかしレーヴェンドルフはこの少女の手を見てしまった。たった今、アンからの推薦状を受け取ったその時、この美しい女性の手の甲から腕にかけて酷いやけどの痕があるのが見えたのだ。
魔導学院の制服と酷いやけどの痕は直結する。もっとも簡単な推理が正しいとすれば、この女性は炎術師だ。
レーヴェンドルフはふうっと小さく鼻を鳴らし、受け取ったアンからの推薦状を裏から表からいろんな角度から見て間違いないと思った。しかし訳が分からない。
人事権を持っているのはアンディー・ベックであり、シスター・アンだ。
アンならば推薦状なんて要らないはず。メンバーのところにこの女性の名前をそっと書き記せばいいだけの話だ。それなのになぜアンが、この女性本人に推薦状を持たせ、馬車の中に二人っきりという、まるで面接しろとでも言いたげなシチュエーションを作り上げてまで、しかも人事権のないレーヴェンドルフに会わせたのかということだ。
「えっと、ジャンさん?でよかったかな。これは私宛ということで間違いないのですか? えっと、……」
ジャンと名乗った美女は「はい、そうです」と頷き、バッグの中から小さな片刃のナイフを取り出し、それを柄から刃に持ち替えてレーヴェンドルフに手渡した。
これは『いま封筒を開けてその手紙を読め』という意味だ。
行先の分からない馬車に乗せられて、用意されたイベントをただこなしているだけではないのかという錯覚に陥りそうになりながらレーヴェンドルフは手渡されたナイフを使って封を開けた。
封筒の中に入っていた便箋は1枚だけ。
べらっと音を立てて開き、目を通した。
---------- Letter open ----
~ 親愛なるレーヴェンドルフ・ソレイユ
前の手紙に書き忘れてしまったのだけど、あなたを勇者パーティの組織委員会に推挙しておいたのでよろしくお願いしますね。現状では頭の堅い魔導大学院を黙らせる手段がありません。でも大丈夫です、最初の一手としてレーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユの名前でメイリーン・ジャンを推薦しておきましたからね、いまあなたと一緒に馬車に乗ってる女の子ですよ。
可愛いコですよね、とても清楚で可憐で。でも手を出そうとしたら殺されますから注意してくださいね。その子、けっこうやります。綺麗な花にはトゲがあるんですよ。もちろん私にも。
というわけでメンバー交代の交渉はレーヴェンにお願いします。あなたの力でどうかこの子をメンバーにしてあげてください。この子のもたらす地の利は必ずやギンガさんを助ける力となります。 私は準備があるので前乗りで先に現地に入ってますので。
あ、そうそう。聖域でコンスタンティンに渡すよう託けておいた手紙を受け取ってないとか、まだ読んでないとか、そんなことありませんよね? もし万が一、私の悪口を聞いていたらどんな些細なことでも構いませんからあとで教えてくださいね。
それではまた、ギンガ・フィクサが凱旋する日に会いましょう。
アンより ~
---- Letter close ----------
手を出すかっ! 確かに美人だなあ……とは思ったが、手を出そうだなんて、そんなこと考えたことは……ない。一度もないことはないが、今回に限って、ない。
確かに悪口は聞いたが、そんなこといちいち密告できるわけがない。しかしメンバー交代? 追加ではなく交代させる必要がある? ということか。
どうやら手紙を読む順番を間違えてしまったようだ。
レーヴェンドルフは内ポケットに仕舞ってある、先に受け取ったアンの手紙も出してナイフを入れた。
---------- Letter open ----
~ 親愛なるレーヴェンドルフ・ソレイユ
この手紙があなたの手にあり、いまあなたは聖域から屋敷に戻る馬車の中であると期待して手紙を認めます。
こんにちは、レーヴェン。あなたにとって私はもう、忘れてしまったような人なのかもしれません。でも私にしてみれば、ギンガ・フィクサが生まれた日にも会っていますし、命名式の日にもお会いしました。ギンガさんが幼少部に入園されたときも、初等部に通っているときも、中等部の保護者会でも、何度も会っているので特に懐かしく思うようなことはないのですけれど、レーヴェン、あなたは覚えていないのかも知れませんね。
時が来ました。
今を遡ること25年前、勇者が召喚されました。そう、あなたの妻となった勇者ヒカリ・カスガはこの世界に召喚される運命の成すがまま召喚されるべくして召喚され、あなたと結ばれるべくして結ばれました。そしてハーメルン王国を取り巻く世界情勢は悪化の一途を辿っていて、ハーメルン1000年の平和も6年前の獣人侵攻により破られました。
このままだとハーメルン王国は滅びます。
今こそ勇者の力が必要なのです。
ギンガさんが戦場に出ると聞いて、あなたの心は落ち着かないことでしょう。
ですが安心してください。いまハーメルン王国に必要な勇者とは、ヒカリ・カスガでもなければ、ギンガ・フィクサでもありません。
真の勇者となる人がいて、いまはそんな重大な運命に気付かず、小さな町で暮らしています。
ギンガ・フィクサのパーティは北の戦場で、真の勇者となる男性と、あなたもよく知っている、ディアッカ・ライラのパーティと合流します。
そして勇者ギンガ・フィクサは無事に勝利の凱旋をするでしょう。その時、私もいっしょにあなたのもとを訪れます。私たちルーメン教会と、プロキオン・ソレイユが成しえなかった極大魔法の完成を助けてほしいのです。北の蛮族が王国北部へと侵攻したことなど、ものの数ではありません。ルーメン教会がこれまで放置していた理由は、脅威ではなかったからなのです。
ギンガ・フィクサが北の地を開放し、勝利の凱旋を報告したあと、真の恐怖が訪れます。それは王国そのものを震撼させます。勇者を殺す者として恐れられたあの伝説のアサシンが王都に襲来し、王国を崩そうとするのです。
何度でも言いましょう、時が来たのです。
レーヴェン、あなたにお願いがあります。
ハーメルン王国を救ってください。プロキオン・ソレイユの古文書を解読し、極秘のうちに極大魔法を完成させるのです。そうすることで恐ろしいアサシンからあなたの愛する家族は守られます。
もはや一刻の猶予もありません。この1000年続いた平和な王国を守るのは伝説に語られる勇者ではなく、あなた、レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユなのですから。
アンより ~
---- Letter cloce ----------
「うむ――っ……」
レーヴェンドルフは無意識に唸り声を上げた。
ディアッカが銀河と合流する? 真の勇者にアサシンだと?
アサシンと言えば勇者を殺す者であり、王国を崩す者として王都では災厄と恐れられている。
とりわけ愛する家族の中に二人の勇者がいるレーヴェンドルフにとって『アサシン』という言葉だけは聞きたくなかったものだ。そんな概念のような災厄が王国を襲うという。なればヒカリも銀河も無事では済むまい。
レーヴェンドルフにとって自らの誇りである王国よりも、1000年続いたソレイユ家の家名よりも、家族を守りたいという気持ちが強くある。
これまで人と争ったり、暴力から愛する人を守るための力を持っていない自分を恥じたこともある。だがしかし、王国と家族を襲う未曽有の危機に際し、愛するものを守るため、槍も盾も持たない、弱い男にできることがあると言うのなら、極大魔法がどういったものか知らないが、望むところである。
馬車に揺られながらもぐっと気合を入れたレーヴェンドルフの手に残された便箋に2枚目があるのに気が付いた。
ふと目をやる。
---- Letter 2 open ----------
…… 追伸。
なお、この手紙は自動的に消滅します。
---------- letter 2 close ----
レーヴェンドルフは何のことか分からなかった。
しかし次の瞬間、
―― ボワヒュッ!!
「うおっ!」
フラッシュするように便箋の紙が瞬間的に激しく燃焼して……。
ぽろりと、灰になって落ちた。
明るい光を直視してしまい、目の前が一瞬真っ暗になってしまって目を白黒させているさまを見て、前にいる美人は。どうやらレーヴェンドルフの驚いた顔がよほど面白かったのだろうか、それとも大のオトナがこんなくっだらない手品のような悪戯に引っかかったのが可笑しかったのか、鼻をおさえてくすくすと笑って見せた。
レーヴェンドルフは決まりの悪い表情を浮かべながら恥ずかしい思いをごまかした。
アンがその場に居たことも覚えていないが、銀河が誕生した報告をしに行ったときも、名前を付けた命名式のときも、幼少部、初等部、中等部と、銀河のことを見守ってくれていたのだ。
もちろんレーヴェンドルフがアンと会ったのは幼い日、飛行船を見せてもらいに行った日だけだと思っていたが、どうやらそれも違うらしい。何度も何度も会っていて、それを覚えていないだけなのだろう。
アンはまた会いに来ると言った。銀河が役目を全うし、勝利の凱旋をして戻ってくるときに。
その時はディアッカともまた会えそうだ。アンと会えるのも楽しみだが、家出して行方知れずとなったディアッカとも13年ぶりとなる。やはりディアッカはアンがどこかへ逃がしていたのだ。国家を上げての捜索に手掛かりの糸すら見つけさせないなど、いったいどんな手品を使ったのだろうか。そのことも含めてたった今、手の中にあった手紙が焼失したマジックの種明かしもしてもらわないといけない。
手紙にはあの伝説のアサシンが現れると書いてあった。勇者を殺し、王国が崩されるとも。これは一大事だ。レーヴェンドルフは力が漲ってくるのを感じていた。
そこでだ、全7巻の国宝級古文書と共に馬車はどこへ向かっているのかと気になり、レーヴェンドルフは馬車の小窓を開けて御者を呼んだ。
「御者に問う! 馬車はどこへ向かっているのか!」
「はいフィクサ・ソレイユどの。現在は魔導大学院へと向かっており、あと数分で到着します」
「なるほど。準備万端という訳か。では私は魔導大学院で、この美人を推薦すればいいのかね?」
「いえ、わたくしは決められたルートで馬車を走らせるため御者席におります。あなたさまが何をすべきかは存じません」
そう言われ膝を突き合わせて座っている目の前の美女に視線を流すと、その視線に気づいたのかメイリーン・ジャンは少し口角を上げ笑って見せた。
「なにか面白いのかね? メイリーン・ジャン女史」
「いえ、失笑でした。面と向かって私に美女だ美人だなどと言う人は、ここ最近はいないもので。少し喜んでいたところです」
「そうかね? それはおかしい。あなたほどの美貌で男たちが言い寄らないわけがない」
「うふふ、そうだったら良いのですが」
レーヴェンドルフとメイリーンは少しだけ緊張感も解け、和やかな会話が始まろうとしたところで馬車が停止し、大声で話す声が聞こえた。御者が門番に開門を迫っているようだ。
小窓から外を見ると間違いない、ここは魔導大学院の正門だった。
どうやらあらかじめアポイントを取っていたようですんなりと門が開き、馬車はカポカポと蹄鉄を鳴らしながら奥へと進んでいった。




