勇者、出撃す(5)メイリーン、志願する
レーヴェンドルフがたどり着いた答えに満足したかのように、コンスタンティンは小さく頷いた。
「そうです。この全7巻の古文書は、全編を近代文字と異世界文字で書かれている禁書であります。プロキオン・ソレイユが世界最高の大魔導師と畏れられた理由をあなたはご存知ですか?」
「もちろん知っている。かの大魔導師プロキオン・ソレイユの魔導は人のレベルを超えていたと言う。炎を操っては火を吹く山のごとし、嵐を呼んで雷を自在に操ったという。彼の魔導を再現できた者は未だかつていないと言われるほどの大魔導師だ」
ちなみにサンドラにある魔導大学院の正門から入ると中央にプロキオン・ソレイユの銅像があって学生たちを出迎えてくれるが、それはソレイユ家の本家ロビーに飾られてある肖像画を元に作られている。ソレイユ家の者にとって、もっとも誇りにしている祖先は現代騎士道の礎を拓きソレイユ家の直系となったアケルナル・ソレイユであるが、もともと学者肌のレーヴェンドルフは、勉学に意欲旺盛な若いころからプロキオン・ソレイユが書き残したとされる書物を読み漁った。
ソレイユ家に生まれた男子でありながら武の道をゆかず、ひたすらに知識と魔導を探究した偉人がいるのだ。プロキオン・ソレイユはレーヴェンドルフにとって、最も尊敬できる歴史上の偉人なのだ。
レーヴェンドルフが大魔導師プロキオンを称賛したのを聞いて、コンスタンティンは少し不満気に唇を結んだ。
「それだけですか? プロキオン・ソレイユの魔導は現在のあなたにとって、これ以上なく重要なものではないのですか? レーヴェンドルフどの」
「いや、私は学者ではあるが魔導の心得はない。魔導師ではないのだ。古代の文字で書かれた難解な魔導書を解読するといった仕事をしてはいるが、その書物に書かれている魔法は使えない。確かに知識の探究者として尊敬する偉人だが……、プロキオンの魔導が現在の私にとってそれほど重要なのでしょうか?」
レーヴェンドルフの疑問に少し気分を良くしたのか、さっきまでの不満げな表情をといたコンスタンティンが優しく語りかけた。それはセールスマンの落としのテクニックにも通じる魅力的な言葉だった。
「魔法陣はたとえば地面などに陣を敷いて設置します。これを設置型魔法装置といって、設置するのに魔導の知識が必要だと言われてますが、設置されたものを動かすのに魔法使いのスキルは必要ありません。今より25年前、勇者ヒカリ・カスガを異世界から呼び寄せた召喚魔法をご存知ですよね? あれも魔法陣だということは、当然知っておられますよね」
レーヴェンドルフはハッとして、息をすることすら忘れてしまった。
今を遡る25年前、ソレイユ家の家督を継ぐことが決まった兄アンダーソン・ソレイユが、ご先祖様に当たると伝わる月の女神と勇者が眠る聖域を参拝したとき、末娘のディアッカが母親の手を離れて立ち入り禁止区域に入り起動したというあの召喚魔法。
あれの正体はこの世界と異世界をつなぐ道のようなもので、ヒカリは運悪く穴に落ちたようなものだと考えていた。ではその穴を掘ったのは誰だ? 当然の疑問だ。この世界と異世界をつなぐ召喚魔法陣を設置したのは?
レーヴェンドルフは突然理解した。
ルーメン教会の聖域に祀られているという魔法陣こそがプロキオン・ソレイユの遺物だったのだ。
座りの悪い椅子から乱暴に立ち上がり、ぐいっと身を乗り出したレーヴェンドルフは、見え見えの餌だと分かっていながら食いついた。食いつかざるを得なかったのだ。
「私は家督を継ぐことができない分家の身ですから聖域には入れません。ですが今の言葉で理解しました。25年前、私の妻がこの世界に連れてこられたというその魔法陣こそ、プロキオン・ソレイユが作ったものなのですね? では……」
「はい、あなたの考えている通りです。プロキオン・ソレイユはあなたが人生をかけて行っている研究、つまり異世界転移魔法の祖です」
レーヴェンドルフにはヒカリを異世界に帰してやるという、今も果たせない約束があった。
しかしヒカリを妻に娶って以来、満足してしまってその研究は疎かになっていた。もうあの約束はなかったことにしてほしいと、実は内心で、そう思っている。
だがしかし聖域にあるという召喚魔法陣がプロキオン・ソレイユの作であったというなら話は別だ。
ソレイユ家にはヒカリをこの世界に連れてきた責任がある。
確かにレーヴェンドルフはもうヒカリを異世界に返す研究から遠のいてしまった。
ヒカリに帰ってほしくないという理由で道半ば諦めた研究は、ヒカリの夫となったレーヴェンドルフの汚点となっていた。あの交わした約束を果たさなければならない。
もし異世界転移魔法が完成し、ヒカリがニホンという国に帰るのだとしたら、自分も共に転移魔法に乗ってついてゆくのだ。妻とともに世界を分かつ壁を乗り越えて異世界へと転移してみせればそれでいいのだ。
約束は果たさねばならない。
レーヴェンドルフは覚悟を決めた。そしてコンスタンティンに必要な情報を求めた。
「プロキオン・ソレイユは約900年前に、召喚魔法陣を設置し、近代文字と異世界文字を合わせてこの本を書いたと、そういうことですね」
「はい。その通りです」
「プロキオン・ソレイユ本人が、異世界に行って、帰ってきたということですか!」
「さあ、私にはわかりません。ですがあなたはその答えを知ることが出来る。あなたは偉大な大魔導師プロキオンの通った道を辿り、その先にあるものを見ることが出来るのです」
などといって肩をすぼめて見せるコンスタンティンを斜に見ながら、レーヴェンドルフはニヤリとした。この男、プロキオン・ソレイユの魔導書を持ってきて転移魔法陣の話をしているが、その話の内容はといえばレーヴェンドルフに対する明らかな挑発だった。
どこから聞きつけてきたのか『人生をかけて』研究していたことを途中で投げ出していることも知ったうえで、ヒカリを異世界に帰してやると言った約束を反故にした、その苦しい胸の内を引っ掻き回された気分だった。そして目の前にこうやってエサをぶら下げられた。
研究に失敗した悔しさを、ヒカリに帰ってほしくないという思いで誤魔化そうとしていた自分の弱い心をチクリと刺されたような気がした。
いろんな負の感情が混ざって混ざってグチャグチャになって、腹の底から湧き上がってくるこの思いを言葉で表現することができず、ただニヤリと唇をゆがめて「まったく、でっかい釣り針だ」と吐き捨てた。
「ええ、そうでしょうとも。この魔導書は読む者を選びます。そのために当時では誰も読めない近代文字を基調にして、時空魔法の秘密に触れる部分はすべて異世界文字で書かれています。これが読める人物とはいったい誰でしょうか? アンディー・ベックは言いました。この書物は伝説の大魔導師プロキオン・ソレイユが、レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユどの、あなたに読ませるために書かれたものなのです」
レーヴェンドルフはこの男の口車に乗せられてやることにした。
男として、父として、異世界から来た妻の夫として、してやれることがあると確信したのだ。
「……この話、私は屋敷に帰るまで覚えていられるのでしょうな? これほど重要な情報をたくさん聞けたのだから、覚えたままで帰りたいのだが」
「はい、私の言動の中で一部、不適切なものがあったので、そちらは消させていただきますが、大切な内容はそのままにするつもりです。ただし、2~3ほど条件があります。よろしいですか?」
「その条件とやら、まずは聞かせていただきたい」
「ひとつ、ここで聞いた情報は他言無用に願います。奥方さま、娘さまも含めて。お約束できないなら全てを消去した上で引き取り願います」
「もとより承知している」
「ふたつ、銀河・フィクサ・ソレイユさんのことは、アンディー・ベックに一任していただき、何事もなかったかのように戦地へ送り出していただきたい。安全は担保されます」
「私はそれが心配なのだ、もし銀河の身に何かあったらと思うと、それだけで私の胸が張り裂けそうなのだが……」
「その点については、アンディーベックを信頼してくださいとしか言えません。ですがみっつ目、銀河・フィクサ・ソレイユが任務を終えて帰ると、恐らくアンディー・ベックが直々にあなたを訪ねていくと思います。できれば、その時までにその魔導書、解読しておいていただきたい。もちろん、奥方さまに気付かれることなく、お願いします」
「ヒカリはああ見えて察しがいいのだが……、分かった。なるべくバレないよう頑張ってみる」
「はい、それではお願いします。禁書は門外不出なのですが、アンディー・ベックの許可が出ておりますので、ルーメン教会図書館より古文書解読依頼を受けたことにしてください。当方は依頼を出して貸し出したと。お帰りが馬では貴重な書物が不安です、馬車を用意しますので今しばらくお待ちを。馬はあとで送り届けますので」
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レーヴェンドルフは用意された馬車に全7巻の禁書を積んで聖域を出た。
ぼーっとしながら考え事をしている。
レーヴェンドルフはなんだか得心の行かない自分に戸惑っていた。
ルーメン教会の門を叩いた理由は、銀河を戦場に出したくないという一心からだ。しかし、どういう訳か納得させられたような気持になっている。そしてルーメン教会からは古文書7巻の解読を依頼され、それを請け負ってしまった。
レーヴェンドルフはバリバリと頭を掻きむしった。
いったい何があったのか、けっこう長い時間あの門の奥に居たはずだが、その会話内容が思い出せない。
馬車に揺られて屋敷に向かっていることは分かっているのだが。
尻の座りが悪い……尻のポケットに何か入ってる。
尻を浮かせてポケットを探ってみると、ペンが出てきた。間違いない、レーヴェンドルフの持ち物だ。
しかしペンを尻ポケットに入れるなんてことあるのだろうか。いつもはジャケットの胸ポケットにさしておくのが普通だ。なぜペンを尻ポケットに入れてたのか、それすら思い出せない。
覚えていることと言えば、屋敷に国王からの命令書をもってきた男、コンスタンティン・ワイアスとたった今まで聖域近くの古い小屋で話していたということだけだ。
話した内容は……。
銀河のことはアンディー・ベックに任せていればいい。必ず無傷で帰ってくる。最初から勇者の力を世界に示すためのシナリオなのだと。
そしてレーヴェンドルフは古文書の解読を依頼された。
銀河が無事に戻ってくるのと時を同じくして、必ずやアンディー・ベックもレーヴェンドルフのもとを訪れるので、その時までに古文書を解読しておくこと……と言われたか。
他に記憶にあることと言えば、コンスタンティン・ワイアスと名乗った男の顔? いや、唇の動きにばかり注目していたような気がする。なんだろう、よく覚えてないが……。あっ、そうだ、机の引き出しのなかにあった白い封筒……。
レーヴェンドルフは封筒のことを思い出して、ポケットを探った。ジャケットの両ポケット、胸ポケット……、胸ポケットを触ったときに違和感を感じた。内ポケットに入ってる。
手を入れるとスッと出てきた。折り目もしわもない、かちっとした様式の白い封筒で、端っこの方に小さく『アン』と書かれてあった。
アン? シスター・アンからの手紙か! と驚いたレーヴェンドルフは、急ぎ白手袋を外してポケットに戻し、ペーパーナイフの代わりになるものを探す傍ら、チラッと視界の端っこをかすめたものに気が付いた。
視線を自分の左手のひらに戻すと文字が書かれていた。
これは通常の液体インクではなくカーボンを細く削り出した黒鉛の固形インクだ。高価であるがゆえに王国でもあまり普及しているものではないが、寝そべって上を向きながらでもメモすることができるという特性があるので、ほかならぬレーヴェンドルフが愛用するペンだ。インク壺にペン先を付けるという作業もいらない。そのペンはいつもの胸ポケットに刺さっておらず、右の尻ポケットに入っていた。
・スキルで音声記憶が操作される。
・コンスタンティン・ソレイユを忘れるな。
・シスター・アンはアンディー・ベックだ。
と、そう書かれていた。走り書きなので筆跡までは分からなかったが、たぶんテーブルに隠して自分で書いたのだろう。音声記憶が操作されると書いてあるのを見て少し理解した。
記憶そのものを操作し、消されてしまうことを恐れたレーヴェンドルフは、防ぐことができないと知るや、こうやって原始的な対抗策を講じたと。そういうことだ。
音声記憶を操作するスキルを持つ男の目を盗んで手のひらにメモを残したからこそ、ペンを尻のポケットに入れざるを得なかったのだ。
レーヴェンドルフは今さっきまで会っていて、話していた男をコンスタンティン・ワイアスだと認識していた。だけど自分の手のひらにはコンスタンティン・ソレイユと書いてある。なるほど、どうやらこの情報は操作されたらしい。
そして、アンディー・ベックはシスター・アン。これも疑いは持っていたが、こうやって手のひらに書いたということは、コンスタンティン・ソレイユがそれを認めたけれど、あとで記憶を操作されたということなのだろう。では、今この手の中にある封筒に『アン』の署名があるということは、シスター・アンすなわち、アンディー・ベックの手紙とみていいのだろう。
レーヴェンドルフは丁寧に糊付けされた封筒であるからこそ、爪を立てて破るなんてことはしなかった。
実に50年以上も前に抱いた、ほのかな恋心が鼻をかすめる。草の匂い、土の匂い、そしてそよ風。
草原に寝そべって泣いていた少年の思い出だ。アンと初めて会ったときの風の匂いが鮮烈にフラッシュバックする。
レーヴェンドルフはアンの手紙を内ポケットに戻した。
あと、あの男が眉を八の字に下げて、何か困ったようなことを言ってるビジョンだけは脳裏に浮かぶのだけど、どんな話をしたのか思い出せない。だけど唇の動きはところどころ覚えている。
そうだ、コンスタンティン・ソレイユという男は、ソレイユの名を持ちながらアンディー・ベックのしでかしたことの後始末をする係だと。何も後先考えずに行動するアンの尻ぬぐいは本当に疲れるものだと、泣きごとを言って、その記憶を消したのだ。なるほど、なるほど、あいつは信用できるかできないかという以前に、愉快な男だということは分かった。
どうやらコンスタンティン・ソレイユという男のスキルは本当に音声記憶だけを消去することができるという限定されたもののようで、レーヴェンドルフの記憶には、お茶をいただいた映像が残っている。そしてジャケットについたほのかなローズヒップの香りと、口の中に残ったジャムの甘さが饒舌に語っている。
そうだ、コンスタンティン・ソレイユは自分と同じお茶を嗜むという趣味を持っている。
また会うことがあれば、次はこちらが秘蔵のローズヒップティーを振舞ってやろうと、そう思った。
レーヴェンドルフは銀河のことは心配いらないのかもしれないと思い始めていて、それをどうヒカリに伝えればいいのかと頭を悩ませていると、馬車が止まった。
不審に思って窓から外を見ると、見覚えはあるが方角が違うことに気が付いた。
さっきまでレーヴェンドルフが居たルーメン教会の聖域は王都ゲイルウィーバーの中心部に位置する。
フィクサ・ソレイユ家の屋敷は聖域から南東方向に位置するのだが、いま馬車が停まったのは首都サンドラの外れだ。レーヴェンドルフの屋敷方向とはまったく逆の方向にむかって馬車が走っていたことに、まったく気がつかなかったのだ。
もしや御者が裏切ったのかと思い、咄嗟に魔導書をかばい大声を出した。
「御者! ここはどこだ?」
―― コンコン。
狼狽するレーヴェンドルフをよそに、馬車扉をノックする控えめな音が響く。
無造作に扉が開かれると、若く、美しい女性が立っていた。
身長はレーヴェンドルフよりも高いであろう、スマートなモデル体型の女性で、髪色は一般の金髪よりもブルネットに近い深みのあるブロンド、目の覚めるような美女だった。こんなところで馬車が停車して扉が開かれると、目を見張るほどの美女が立っているなど不自然なことこの上ない。
これは新手の美人局かと一瞬どこかで疑って警戒するほどだったが、よく観察してみるとこの美女、魔導学院の制服を着ている。どうやら魔導師なのだろう、そして靴もローファーだから高身長は自前のものだ。
レーヴェンドルフはまったく聞かされてなかったようだが、これは予め仕組まれていたことのようだ。
その証拠に、御者はレーヴェンドルフの許可を求めず、この美しい女子生徒を馬車に乗るよう促した。
女子生徒はハキハキした口調で活舌よく「失礼します」と言ったあと、馬車に乗り込みレーヴェンドルフの対面に腰かけると、御者は何も言わずにドアを閉め、外から閂をかけた。
鞭の音がヒュンと聞こえると、馬車は大きくUターンして今度は王都ゲイルウィーバーの方向へと向かって走り出したようだ。
馬車の中は無言のまま流れるこわばった空気が流れる。ちょっと空気が悪いことを察したレーヴェンドルフは行儀よく小さくちょこんと腰かけたモデル体型の美女に向かって話しかけた。
「すまない、私は何も聞かされていないのだ。もしかしてこの馬車は乗り合い馬車だったのかな?」
その言葉を受けたブロンドの美女は、うつむいていた顔を上げ、レーヴェンドルフを正面にしっかりと直視して名を名乗った。
「メイリーン・ジャンといいます。今回の勇者パーティに志願するためお願いにあがりました」
そういって、ハンドバッグの中から一通の白い封筒を取り出し、レーヴェンドルフに差し出した。
その封筒は奇しくもいまレーヴェンドルフの内ポケットに仕舞われているものと同じフォーマットのものだった。宛名には『推薦状』と書かれていて、その封筒の端っこには『アン』と小さく綴られている。
受け取るために差し出した手が一瞬止まった。
アンの推薦状? まさか、そもそもこの国の最高戦力を揃えてメンバーを指定したのがアンだったはずだろう? なぜこんな回りくどいことをしなくちゃいけないのか? それが分からなかった。
レーヴェンドルフが改めて推薦状を受け取ると、書状を受け取ってもらえたことにホッとしたのか、一つ小さなため息をついたあと、メイリーンは言葉を重ねた。
「わたしはセイカの出身です。獣人たちと戦った経験があります。周辺の森も、街道も、街道から外れた山や丘も、わたしの庭のようなものです。小さなころから森で育ちました。同行させていただければ必ず役に立ちます」
それは戦場へ向かう勇者パーティに志願した自分を売り込む言葉としてこれ以上ないものだった。




