勇者、出撃す(4)禁書
「ほう、これはいい茶ですな。とても贅沢な趣味をお持ちですね、ところでコンスタンティン・ソレイユどののミドルネームは? ミドルが分かれば家系図が辿れます。親戚であることは確実なようですが」
レーヴェンドルフは出された茶の香りを楽しみながら話の続きを促した。
もちろんただの雑談でこのような話を切り出したのではない。コンスタンティン・ソレイユはこの席から立たないよう情報を餌にした。ならばもっと多くの餌を要求してやろうという腹積もりだった。
ここは欲張るべきだ。
コンスタンティンはティーカップを揺らしながら、なんの臆面もなく平然とした態度で答えた。
「ああ、私にはミドルネームがないのですよ。ミドルネームというものが制定されてから、この国ではまだ400年程度です。それまでは家系を示すものではありませんでしたし。なので、正式に家系を示すミドルネームを持つソレイユは30世代ほどでしょう。私の祖先はそれ以前、もっと以前にソレイユ家から別れた者です。初代ソレイユからの別れですから……」
コンスタンティンは初代ソレイユからの別れといった。つまり初代ソレイユから分家された家系であるということだ。
レーヴェンドルフの知る最初のソレイユは、5名。
「ほう、初代ソレイユは8人いたと言い伝えられているが、名前が分かっているのは、二代ハーメルン王妃となったスカアハ・ソレイユ・ハーメルン、その弟で大魔導師と謳われたプロキオン・ソレイユ。騎士の礎を築いたアケルナル・ソレイユ。その弟、マゼラン・ソレイユは西の大国アッテンボローから王族の末娘を妃に迎え、アッテンボローとの和平を確実なものにした。そして末娘のミラ・ソレイユはハーメルンが土地領主だった頃から仕えていた最初の騎士、デストル・ヤグルシュの長男、ハル・ヤグルシュと結ばれた……。では、コンスタンティンどのの祖はどちらのソレイユでしょう?」
「すごいですね、そこまでスッと出てくるとはさすがソレイユの考古学者と言うべきでしょうか。敬服します。ですがひとつだけ間違いを指摘させていただくと、マゼランはソレイユの名を襲名しておらず、父であり勇者であるベッケンバウアーの姓を襲名しました。つまりマゼラン・ベッケンバウアーという名です。分かりやすく説明するとですね、正室であった月の聖女の産んだ5人の子がソレイユを名乗り、側室となった女性が産んだ3人の子はベッケンバウアーの姓を襲名したのです」
それはどの文献にも書かれていない情報だった。レーヴェンドルフは訝り、お茶を嗜む手を止めカップをソーサーに置くと、首を傾げるまま考え込んでしまった。
ハーメルン王家に伝わる勇者伝説と、ハーメルン王国建国の伝記では、天馬に乗って空から舞い降りてきた月の聖女と、聖女が召喚した勇者、加えて幸運を運んでくる妖精のベルは勇者の友達だったというが、これも都合のいいおとぎ話だ。
だがもし、コンスタンティンの話した内容が事実だったとするならば、伝説の勇者の名が分かっていたと言う事だ。
ベッケンバウアー。知人には居ないが、たしか西のアッテンボローにそんな名前の遺跡があったはずだ。
アッテンボロー王家と婚姻し親戚関係を築いたマゼランがソレイユ姓を襲名せず、ベッケンバウアーを名乗っていたとなると話がややこしくなってくる。
アッテンボローにあるベッケンバウアーという遺跡が、もしかするとソレイユ家にゆかりのあるものかもしれないからだ。
コンスタンティンがそんなことまで知ってるということは、恐らくルーメン教会の図書館に公開していない文書が残っているのかも知れないということだ。
「なるほどコンスタンティン・ソレイユさん、私も教会の蔵書に、とても興味が出てきました。ここでそんな話をして頂けたということは、ルーメン教会秘蔵の書物を私に公開していただける? と考えてよろしいのですか?」
「はい。古文書になりますから、めったに見られるようなものではない、とても貴重な資料です。ただし、今はまだその時ではありません」
「もったいぶらないでいただきたいところですな、こう見えてわたし、教会の図書館で現在より850年以上も前に書かれたという古文書を見たことがあるのです」
「ええ、もちろん存じ上げておりますよ、あなたがまだ9歳のころですね。当時の私は12歳でアビリティも発現したというのに、遊び惚けてばかりおりました。私の家系では15歳になると修道にはいるのが決まりなのですが、そのとき私はあなたと会っているのですよ。話したことなどはありませんが、当時の様子を知る者から聞き及んでおります。それはそれは聡明な子どもだったと」
家系の決まりごとで修道に入る? といったのか。ソレイユ家とルーメン教会はそんなに繋がりの深いものなのか? レーヴェンドルフはソレイユ家に生まれておきながら、その事実までは知らなかった。
「ほう、ソレイユ家とルーメン教会が深い関係にあるということですね。なれば話は早いです。その"当時の様子を知る者"に会いたいのですよ私は。そして今日はその女性に会いに来たと言えば、こちらの用件も知れようというもの」
「ああー、アンディー・ベック。つまりシスター・アンに会いたいと。そうおっしゃるのですね?」
レーヴェンドルフは言質をとったことで、唇をニヤリと歪ませた。
思った通りだ、シスター・アンがアンディー・ベックだった。
そして国王へ直接助言する力を持っている。
「はい。アンディー・ベックと会わせていただき、私の願いを聞き届けていただけるならば、私はあなたのいう協力するのにやぶさかではありません。誠心誠意、全力を持ってこの微力を奮わせていただきますから」
「ありがとうございます。本当にお察しします。ですがアンディー・ベックはいまもう現場向かっておりまして、ここにはいらっしゃらないのですよ」
「いない? 現場? とは?」
レーヴェンドルフが疑問に思ったことを聞くと、コンスタンティンは眉をハの字の困り顔を作って、ひとつ大きな、まるで地の底から湧き上がってくるかのような溜息をついた。
「はあ――っ。そうなんですよ。あの人は本当に思い付きで行動してしまう悪い癖がありまして、私たちがどんなに進言してもまるで聞き入れてはくれません。今回もそうでした。勇者パーティのメンバーを指示すると我先にと一人で行ってしまいました」
いま知りたいのは、アンディー・ベックが今いないなら、どこにいて、いつ帰ってくるのかだ。
レーヴェンドルフが考えていた回答を得られず、少し難しい顔になったのを見てコンスタンティンは言葉を重ねるように自らの立場を説明した。
「……ちなみに私はこう見えて、ルーメン教会総本部統括特務実践調査部長兼教育長付秘書課書記長という役職を持っておりまして……」
「長い肩書ですな……」
「えっと、分かりづらい……ですよね? なるほど、そうですよね。早い話がアンディー・ベック教育長のしでかした騒ぎの後始末をして何事もなかったかのように揉み消す係のトップという、とても面倒な……いやもとい、名誉な役目も任されておりまして、ここ20年ほどは酷くあちこちを走り回るせいで、頭が禿げるほどのストレスを受けながらも頑張っておる次第です。よろしければ、その願いというものをお聞かせ願えれば、もしかすると力になれるやもしれません」
「アンディー・ベックの尻拭いというわけですか?」
「はい。その通りです。尻拭い専門のような仕事をしています。ホントもうあの人の下で働くのは疲れるんですよ。気が早いと言うか何と言うか、王国の北の果て、ランド領にあるセイカという村があって、その昔、アンディー・ベックもそこの小さな教会に居たことがあるのですが、まったく何を考えておられるのか、獣人たちに占領されてしまったセイカ村のあった地域に前のりして入っておくとか言って、ひとりですっ飛んで行かれました。念のため申し上げますが、私たちにあの人の行動を止めることなんかできませんからね、お察しください」
その話を聞いたレーヴェンドルフも、これ以上なく困り顔になった。
シスター・アンはレーヴェンドルフが9歳のころ、15か16ぐらいの少女だった。ということはいまもう60代を半ば過ぎている。そんなトシになってもまだそんなお転婆をしていて、周囲の者の心配する声に耳を傾けないとなると、教会の最高指導者として資質を問われ兼ねない。
レーヴェンドルフは不覚にも目の前でほとほと困り果てている男に同情してしまった。
コンスタンティンは情けない困り顔のまま話を続けた。
「勇者である銀河・フィクサに同行するパーティに王国の最高戦力を指名したのもアンディー・ベックですし、あなたの奥方さま、勇者ヒカリ・カスガの体調が悪いから娘勇者の銀河・フィクサを指名したのもそうですし、そして出征された勇者パーティはひとりも欠けることなく、無事に任務を達成して戻ってきます。アンディー・ベックは預言者であり、私の知る限りで彼女の予言は外れたことがありません」
預言者と聞いて途端に怪しげな空気になった。未来を予言するなど、占い師か祈祷師、まじない師といったペテン師のたぐいだ。
「これから起こる未来の出来事を言い当てるというのですか? アンディー・ベックが? 勇者パーティは無事に任務を達成して戻ってくる? だから安心して娘を戦地に送り出せと? そうおっしゃるのか」
「まあまあ、落ち着いてくださいレーヴェンドルフどの。アンディー・ベックはもちろん、あなたがここに乗り込んでくることも知って、私に手紙を託しました。今日、ここであなたに渡すようくれぐれも念を押して、口が酸っぱくなるんじゃないかってほど繰り返し言われまして、もし渡すのを忘れたら一生トラウマになるようなお仕置きをされるところだったので……、ほんと助かりました。あなたの座っている席の、机の引き出しがあるでしょう? はいそこを開けてください」
レーヴェンドルフが訝し気に眉を顰め、言われるままにそっと机の引き出しを開けると封筒がひとつ、無造作に入っていた。宛名は書かれてなかったけれど、隅っこのほうに『アン』と控えめに書かれてあるのが目に入った。
それを手に取ったレーヴェンドルフは開封する前に、表と裏を何度も見返してからコンスタンティンに視線を戻し、確認の意味を含め、質問を返した。。
「これを? 私に」
コンスタンティンは無言で頷いたが、レーヴェンドルフがその封を切ろうとしたのを見て、それを止めた。
「ああ、それは帰られてからのお楽しみということにして、いまは私と話しませんか? レーヴェンドルフどの」
レーヴェンドルフは手に取った封書をそのままテーブルの上に置いて、無言のまま話の続きを待っているとコンスタンティンはおもむろに立ち上がると椅子の後ろに置いてあったビロードで装飾された箱から、かび臭いにおいを発する分厚い書物を何冊も出して、机の上に並べ始めた。
ぱっと見ただけの印象ではその本、相当古い革表紙で、パピルスではなく羊皮紙を使っている。
表紙、背表紙には何も書かれていないが相当古い製本だ。
古文書である可能性が高い……か。一冊を解読するのに数年でできれば最高評価を得られる類のものだ。
「あなたに協力をお願いしたいのは、えーっと、これと、これと……」
「多いですね。しかし7冊? 7冊もあると……解読するだけで30年は」
「いえ、解読はしなくていいのです。これは約900年前に書かれた魔導書でして、まあ、百聞は一見に如かずといいます。まずはこれを見てください」
「失礼する……」
レーヴェンドルフはポケットからだした白手袋をつけると、こちらに差し出された本を受け取り、表紙をめくった。
「これは? 近代文字で書かれている……、古文書ではないな……。なにっ? この文字は……まさか、異世界文字ではないか、読める。読めるぞ……。これは、何だ? 読めるには読めるが単語の意味するところが分からない。ヒカリだ! そうだヒカリに解読を……いや、魔法の理論構築式なのか? しかし何だこの魔法は」
レーヴェンドルフは目を疑った。
900年も前の魔導書でありながら、現代の文字で書かれている。
現代ハーメルン王国で統一されているこの文字は850年前、三代目のハーメルン国王、パッセル・レイ・ハーメルンが制定した。
パッセルはスカアハ・ソレイユ・ハーメルンの子、ソレイユ家の血を引く嫡子が王となったことで、ソレイユ家の中では初代国王よりも人気が高くその偉業は高く評価されている。
その時に古代の文字は姿を消し、現代の文字になった。
パッセルが制定した文字と言葉は世界標準とされ、今では世界の四分の三の国と地域で使われている。
なので900年前の書物であることがそもそも眉唾物なのだ。
「コンスタンティンどの。ハーメルン近代文字は850年前、パッセル・ハーメルンが制定した文字でしょう? この魔導書は850年よりも新しいものですね」
「素晴らしい。一目見ただけでこの魔導書から違和感を感じ取り、その意味するものを読み解きましたか。近代文字を使っているから850年前よりも新しいと判断されたのですね? ではもう一つの文字、異世界文字について、どう判断しますか?」
「革の傷み具合、インクの色褪せ具合を見ると古文書相当だと判断する。が、しかし、記載内容には不審な点だらけだ」
「不審な点といいますと?」
「ご存知の通り私の妻ヒカリは異世界人です。なので私は妻から異世界の文字を習いました。異世界の言葉で簡単な会話もできます。ですが、ヒカリがこの世界に来たその日、教会の聖域で、異世界の言葉で話しかけられたと聞いてます。ということは、ヒカリがこの世界に転移してきた25年前、ルーメン教会ではすでに異世界の言葉があったということなのでしょう? だから私はこの書物に異世界文字が使われていても、なんら不思議とは思いません。むしろ近代文字が使われていることが不審なのです」
言うとレーヴェンドルフはこの魔導書の著者が誰か?というのを探してみた。
たいてい表紙に近い前書きの前か、巻末のあたりに……。
はっ! とした。
レーヴェンドルフは目を疑った。いま読んだ文字が信じられず、目をこすってもう一度読み返した。
「プロキオン・ソレイユ!! 大魔導師プロキオン・ソレイユの魔導書っ!! なぜこんな貴重なものが教会に? 内容にもよるがこれは国宝に値するものではありませんか!」
目が零れ落ちんばかりに見開いて驚きを隠そうともしないレーヴェンドルフに、コンスタンティンは優しく微笑んだだけで、何も語ろうとしなかった。その理由は言わずもがな……。
レーヴェンドルフは手に取った魔導書のページを無造作にめくった。次のページ、その次のページ……。
ざっと読んだだけだが、すぐに違和感と一定の法則性に気が付いた。
本当に900年前書かれたものであるなら、この近代文字は誰にも読めなかっただろう。
そして何より、重要なポイントのみ異世界文字で書かれている。
詳しくは熟読してみないと分からないが、見たところ非常に大規模な魔法陣のことも書かれていて、相当強力な魔法であることがうかがい知れる。
つまりこの書物は、選ばれた人にしか読めないように書かれている。
逆に言うと、わざと誰にも読めないように書かれているのだ。
書物というものは先人の知恵を後世に伝えるものだ。
ひとはそれを英知と呼ぶ。
だが、人に読まれないよう、わざわざ読めないような文字を採用するというその事実こそがこの本の意図を物語っている。とある目的のため、読めるものを限定した本。そんなものは書物とは言わない、英知とは言わない。
これが世に出ると歴史そのものが覆される。
ルーメン教会はこの書を900年もの長きに渡ってひた隠しにしてきた。
「これは禁書だ……」




