勇者、出撃す(1)
訂正:防衛省→陸軍省
レーヴェンドルフとヒカリが結婚し、しばらくしてのことだ。
ヒカリは大きなおなかを抱えてロッキングチェアーに揺られていた。
「んー、名前どうしようか。ヒカリの住んでいた異世界の名前で、いい名前があったら提案してほしい」
「考えておくわ……、そんなことよりもレーヴェン、あなたの初恋の話を聞きたいわ」
「いやだよそんなの、照れくさいじゃないか」
「ずるいわあなた、私の初恋相手の話はディアッカから聞いてたくさん知ってるくせに……」
「ああ、そうくるのか。しかたないな、分かった、話すよ……」
レーヴェンドルフは、幼い頃に出会ったアンという女性の話をした。とても優しい女性で、騎士の家系に生まれた少年に、辛いことからは逃げてもいいと言ってくれた。アンにはずいぶん助けられたと。アンのおかげで、今の自分があることも。
「あなたの初恋は年上のお姉さんだったのね」
「ああそうだな。アンはいまどうしてるのかな、ルーメン教会の関係者なのは間違いないのだけど、だいぶ偉い人だったみたいで、教会に行くたび問い合わせてみるのだけどなかなかガードが堅くてね。相当なVIPだと思うよ」
「今でも会いたいの?」
「そうだね、私の娶った美しい妻を自慢したいかな」
「じゃあ、そうね。子どもが生まれたら、ルーメン教会へ報告に行きましょうか」
「ああ、そうだね」
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ヒカリの初産はとても安産とは言い難いもので、生まれてきた子どもは標準よりも幾分か小さな女の子だった。生まれたばかりの、こんなにも可愛らしく小さな女の子に、銀河という、気が遠くなるほど大きな名前を付けた。
銀河は両親の愛情を受けてスクスク育った。よく遊びにきてくれたディアッカは王族との婚約が決まってから花嫁修行に忙しいのか、あまり顔を見せなくなった。銀河も寂しいのだろう、ディアッカとよく遊んでいた勇者ごっこをしたいとせがまれたレーヴェンドルフは致し方なく悪者の魔王を演じることとなった。
しかし銀河はいつもディアッカと遊んでいたせいか加減ができず、遊び相手をしてくれた父の腕を叩き折ってしまう……。ディアッカは強いから木剣で打ち合って遊ぶのに手加減する必要はなかったのだ。
レーヴェンドルフも、もしやと思ってはいたが、まさかこれほどまで早く実力の片鱗を見せるとは思っていなかった。
情けないことにまだ3歳の娘に腕を叩き折られたレーヴェンドルフは、骨継ぎの医者にかかるついで、ディアッカの顔でも見に行ってやろうと本家に顔を出したら、なにやら兄の様子がおかしい。
「兄上、ご無沙汰しています。いやあ、ちょっと腕を怪我してしまいまして……っと、今日は折り入ってディアッカに頼みごとがあったのですが……ディアッカは花嫁修業でお忙しいですかな?」
「あ、ああ、ディアッカな。うむ、えっと、その、なんだ……」
さすがに鈍いレーヴェンドルフでもなにかおかしいと気付く。ディアッカに会いに行ったレーヴェンドルフと話す兄が、なにやら口の中に蝉でも挟まっているかのような、モゴモゴとした歯切れの悪い物言いでお茶を濁そうとするのだ。
「兄上、どうしたんですか? まったく兄上らしくない……」
「そ……、そうだな、いや、実は…………」
ソレイユ家の家督を継いでいまや筆頭貴族として王族と肩を並べるまでになった兄アンダーソンは、極秘事項であるから、絶対に口外無用であると断ったうえで、レーヴェンドルフに事情を話した。
「なんですと!? ひと月も前からディアッカの行方が知れない? それは本当ですか? なぜすぐ私に相談してくださらなかったのです! もしや誘拐にでも……」
「営利誘拐なら身代金の要求がありそうなものだが、なかった。ことが公になると王族の沽券に関わる大問題だ。王国の諜報部が総動員で極秘裏に動いて調べてくれておるのだが……」
好きこのんで家から出かけるなんてこと誰もしないような大雨の降り続く日に、ディアッカは誰にも何も告げず、忽然と姿を消した。家出するなら書置きぐらい残していきそうなものだが、何もなかったという。しかしなぜだろう、厳格で真っすぐな性格の兄の、その歯切れの悪い物言いが気になる。
ディアッカがひと月も前に行方知れずになっているというのに、なぜうちに来ているとは考えない? 『ディアッカは来ていないのか?』という問い合わせひとつなかった。
あれほどうちによく遊びに来ていたディアッカが居なくなったというのに、話すら聞かされていないのは納得できなかった。
「……なるほど! 分かりました。私もディアッカを匿っているかもしれない者の一人として疑われていたと、そういう事なんですね」
「ぐっ、いや、レーヴェ……ああ。その通りだ」
「分かりました……どうぞいくらでもうちの屋敷を探索……、いや、そういえば20日ほど前うちの使用人の二人が急に暇をくれと言って辞めていったのを、まるで入れ替わるように新しい使用人が二人……、ようやく理解できました、そういうことですか」
「そうだ。だがそれは私の与り知らぬところで王国諜報部が始めたことだ」
兄に疑われていたことで頭に血が上るのを感じたレーヴェンドルフは、いつも物静かで穏やかというキャラを崩し、苛立ちを隠そうともせず兄に詰め寄った。
「なるほど! なるほど! 兄上の考えは分かりました。もし最初から私に相談してくださったなら兄上と一緒になってディアッカを探す手伝いをしたでしょう。だけど私はもうこの件には関わらないことにします。ディアッカもきっとそう願っているでしょうから」
レーヴェンドルフは幼い頃から憧れていた兄に、生まれて初めて大声を張り上げて喧嘩腰になった。
自分が誇りに思っていた兄の姿とはずいぶんと違ってしまった印象で、残念だという気持ちが先に立ったのだ。イメージの勝手な押し付けだということは分かっている。だがしかし、兄に疑われていたとなると話は別だ。
レーヴェンドルフはウソを見抜くディアッカをしてソレイユ家でいちばんの正直者だと太鼓判を押すほどの誠実さで、これまで人に接してきた。力を持たぬ弱い男であるがゆえに、他人の信頼を勝ち取るには誠実である必要がある。だからこそウソは絶対言わないし、約束は必ず守るという信条でこれまで生きてきた。
ソレイユ家を背負って立つようなことはできない。だが、ソレイユ家に生まれた男として、恥じるようなことはただの一度もしたことがない。それが騎士の家に生まれついて力を持たぬ者の矜持だ。
そのことを知らないわけがない兄に疑われていたのだ。
そのせいでディアッカが行方不明になって、ひと月ものあいだ蚊帳の外に置かれてきた。レーヴェンドルフの怒りは至極当然のものだった。
レーヴェンドルフは一通りガミガミと兄に向けて怒りをぶつけ、頭を冷やすことなく肩をいからせて馬車に飛び乗り、自分の屋敷に帰ると、20日前から使用人として働いているメイドの2名、掃除を中断させて自らの書斎に呼びつけた。
「ラニーナ、ドルフィア……おまえたちは誰に仕えている? 主人は誰だ?」
「レーヴェンドルフ・ソレイユ様にございます」
「嘘偽りはないか?」
「はい、嘘など……」
「諜報部に仕えていながら、私のことを主人だというお前たちに命じる。ディアッカの捜索はどこまで進んでいるか答えよ」
「ええっ、御館様、そのような……」
「お前たちがハーメルン諜報部の手の者であることは分かっている。洗濯物のたたみかたから、ベッドシーツの張り方もシワひとつない。掃除の行き届く範囲も、7人いる使用人たちの中でも、お前たち2人の仕事は完璧だ。メイド長はただひたすらに褒めていたよ。しかしなあ、完璧すぎる仕事の出来栄えを考えると、なるほど、そういう事かと思ったよ、では今一度問う、お前たちは誰に仕えている? 私のことを主人だと言ってくれるなら、ディアッカのことを話してくれ」
レーヴェンドルフがここまで話すと、2人の使用人は一度チラッと顔を見合わせただけで、視線を落とし、何も言わずただ主人の次の言葉を待った。
「なあラニーナ、ドルフィア。私もディアッカを心配している身内の一人だ。どうか蚊帳の外に置かないでほしい。なあ、ヒトってのはちょっと目を離すと目の届かないところに行ってしまう。ゲイルウィーバーから南に3~4日も歩けば国境を越えて国を出ることも可能だ。それがひと月も見つかっていないというなら、それこそハーメルン王国と、近隣諸国すべてが捜索範囲になる。まず私を疑って、味方に付けなかったことが諜報部の失策なんだ」
「あ、あの……御館様、わたくし共にはその問いに答える権限がありません。故郷には家族もおります。なにとぞ、いまの問いはなかったことにしてくださいまし……」
「そうか。ならばお前たちをこの屋敷に送り込んできた上司に伝えよ。"無能な諜報部の失策により、ディアッカ・ソレイユの捜索範囲は国外にまで広がった。この責任、どう取るのかレーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユが問うている。すぐさま説明しに来なければ大事にするぞ" とな」
「かしこまりました」
使用人に扮していた二人の諜報員は、そういってぺこりとお辞儀して書斎を出て行った。
半刻ほどすると馬車が呼ばれ、ラニーナが出かけて行ったのを確認すると、レーヴェンドルフは釣りあげていた眦をダルダルに下げまくり、銀河の遊び相手をすることにした。
そしてその日の夜には戻り馬車が屋敷に到着した。自らの責任を問われた時は対応が早いと見える。
馬車の扉が開くと、これまで使用人として完璧な仕事をしてくれていた二人の諜報員を伴って、ひとりの男が降りた。
王立諜報部でディアッカの行方を捜している捜査本部のトップ、ブレナン指南役だ。
ブレナンは諜報部というあまり表立って動かない職の責任者としてこの屋敷に招かれ、レーヴェンドルフの叱責を受けた。レーヴェンドルフにしてみれば自身が疑われたことで蚊帳の外に置かれ、そのことが原因でディアッカの捜索は困難を究めたと言った。早ければ見つけることが出来たとでも言わんばかりにだ。
ソレイユ家の応接室、深みのある革張りのソファーに浅く、前屈み気味に腰かけたブレナンから僅かばかりの情報が引き出せた。
ひとつ、ディアッカは大首都サンドラのあるハーメルン王国西部が水浸しになってしまったんじゃないかという大雨の3日目、サンドラ近郊のマゼラン河にかかるトラペジウム大橋の上で目撃されて以来、確たる目撃証言はない。目撃者はこの春に定年退職したばかりだが、それまでサンドラの街を守ってきた元衛兵の男で、降りしきる雨の中、雨具も身に着けることなく、橋の上で佇んでいる二人の女性を見て不審に思っていたと言う。
捜査本部ではそのうち片方の、女性こそ弟王の許嫁、ディアッカ・ライラ・ソレイユと確信しているらしいのだが、しかしもう片方の女性というのがハッキリしないらしい。
長い人生を衛兵として生き、サンドラを守ってきたような男が、二人の人物を見て、不審に思えば、必ずや体格や容姿、可能であれば顔立ちまで必ず記憶する。これは街を守る衛兵の務めの一つだ。
だがしかし、ディアッカと思しき女性、片方の容姿しか覚えていないとのこと。もうひとりに至っては「女性だったと思われます」としたうえで、髪の色や太っているか痩せているか、身長はどれぐらいなのかという大まかな容姿すら分からないという。
捜査本部ではこれが問題視された。人知の及ばない幻術のようなものを使う何者かがディアッカを誘拐したのではないかというのだ。そして幻術という魔法、技術は、現在では失われて久しい。即ち古代の書物を解読することが出来る考古学者、レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユが何らかの形でディアッカ失踪に関わっているのではないかと疑われたというわけだ。
なるほど、そういうことだったのかと一つ納得はしたものの、やはり兄に疑われていたことを思い出しただけで頭に血が上る。
そしてブレナン指南役の話は、情報提供と言うよりも弁明に近いものだった。
レーヴェンドルフ最大の収穫は、王立諜報部がこれほどまでに役に立たないということが分かったということだ。ハーメルン王国が建国してから1000年の平和をむさぼってるのだから致し方なしといったところか。
その夜のうちにスパイとして屋敷に入っていた二人の諜報員は荷物を引き揚げ、うちラニーナは連絡役としての役目をいただいた。今後は王立諜報部員の立場でレーヴェンドルフとの窓口となり、お互いに得た新情報などがあれば、相互に連絡するという伝言役のようなものだ。面倒な仕事がひとつ増えはしたが、ラニーナは引き続きディアッカ捜索の任に就くこととなった。
レーヴェンドルフは事あるごとにディアッカを捜索するため、自分の所属する考古学会など、使えるコネはすべて使い、南の隣国 "ツの国" にも協力を仰ぎ、ハーメルンから繋がる街道沿いにある町や村での調査にも同行したが、その行方はようとして知れなかった。
ディアッカが姿を消し、レーヴェンドルフも捜索に加わってから2年の月日が流れた。
2年前、勇者ごっこで大好きなお父さんの腕を折ってしまった銀河は木剣にはもう触らなくなり、お転婆もなりをひそめ、レーヴェンドルフの腕からギプスがとれても、剣をもって打ち合うなんて遊びはもうしなくなった。レーヴェンドルフにしてみると、5歳の娘のチャンバラごっこの相手もできないのだから父親としていかがなものだろうと思い始めたところだ。
何か思い出したように少しランニングなどして体力づくりを始めたが、当の銀河はというと、ここ最近は特に本を読んでとせがむようになった。とんだ肩透かしをくらったが、レーヴェンドルフは子どもたちに一番人気のある歴史書『王国記』を読んで聞かせてやることにした。ハーメルン王国がまだ小さな土地領主だった頃、獣人たちに攻められて今にも倒されそうなところ、空から天馬に乗った月の聖女が舞い降り、圧倒的な個人技で敵を薙ぎ払った勇者がハーメルン国王を助けたという伝説だ。
物語では1000年前の月の聖女さまと勇者が結ばれ、ソレイユ家が始まったという。
これはソレイユ家に生まれた子どもには必ず読み聞かせてやる必要がある家系の伝記だったが、その内容はというと、よくある英雄譚であり、ベッドで子どもを寝かしつけるときに読み聞かせる童話のようなものだ。
天馬に乗って戦場に降り立つ真っ白なドレスの聖女などというあたり子ども向けのおとぎばなしだが、その登場の仕方から、取り囲む敵を一撃で薙ぎ払ってしまった雷と炎の魔法で戦闘の流れを制する展開と、そして世界でも有数の力を持つ敵将軍を一騎打ちで勝利するまでの、手に汗握る戦闘シーン。
子どもの頃、せがんでせがんで、何度も母に読んでもらったレーヴェンドルフの一番好きなくだりだ。
だけど、当の銀河は勇者と月の聖女さまの話をあまり好きじゃないようだった。子どもには最も食いつきのいい話のはずだったのだが。
当の銀河はというと、勇者ごっこをしたせいで、大好きなお父さんをケガさせてしまったことを未だ悔いていた。剣を人に向けたり、剣で人を叩いたりなどということは、考えただけでイヤになっていた。木剣ですら人に大けがをさせてしまう、人とは叩けば壊れるものだということを、幼き日の経験で知ったのだ、剣などというものは人を幸せにしないことも。
しかし勇者を祖先にもつ騎士の家系、ソレイユ家に生まれて剣を持たないという選択肢などない。
現在は学者として名声を得たレーヴェンドルフも、家出してしまったディアッカがそうだったように、ソレイユ家の者は剣の鍛錬を義務付けられる。
銀河はアビリティが発現する前、9歳のころにはもうソレイユ家の男たちを含め、王国騎士たちの誰と立ち会っても負けなくなり、10歳で勇者アビリティが発現すると飛躍的に戦闘技術を上達させ、戦闘訓練で銀河の相手をできる者は、もう同じ勇者のアビリティをもつヒカリしかいなくなってしまった。
強すぎるがゆえに、銀河の学園生活も薄暗い灰色のモノトーンに包まれる。
女子生徒たちの憧れる、カッコいい男子というも銀河にとっては取るに足らないものだった。何しろ剣の腕前がすごいと噂される先輩ですら、銀河にとってあくびの出る退屈なものなのだ。強さなど憧れとは程遠い存在だった。
ある日、同じ学校に女勇者がいると噂になり、立ち合いを求められた銀河は剣を構えるでなく、木剣を激しく振り回す男子生徒に対し、素手で難なく対応してみせた。男子生徒など簡単な相手で、銀河にとってそれは相手に怪我をさせたくないがための優しさだった。しかし剣を持って素手の女子生徒にあっさり負けた男子生徒にしてみればそれは屈辱でしかなかった。銀河は男のプライドというものを分かっていなかったのだ。
全力を出して戦う事が相手に対する敬意だということも理解できない。何しろ全力を出してしまうと、容易く命を奪ってしまうのだから。
その結果、銀河のことを『ソレイユ家のお高く留まった勇者サマ』と揶揄する声がコソコソ囁かれ、銀河の周りに人が集まっては来たが、目に見えない立ち入り禁止テープが張られたように絶妙の距離感があった。以来、銀河は肌寒い孤独感に苛まれることとなった。
戦争の長く続いた乱世の時代ならともかく、国の北東部で獣人たちが小競り合いしているだけという1000年の平和を享受し続けるハーメルン王国に勇者なんて必要なかったのだ。
そもそもからして、勇者現れるときは国が乱れるという、言い伝えもあるのだから、銀河が生まれてきたこと自体が大変な迷惑だと考える者もまた少なくはなかった。勇者というアビリティは、その強大すぎる力と引き換えに、銀河の安らぎを奪って行ってしまった。銀河にはもう、勇者として生きるしか道は残されていないのだ。
銀河はちょっと強いことを除けば普通の女の子なのだから、勇者なんて肩書きが大嫌いになるのも、出来ることなら勇者なんて今すぐにでもやめてしまいたいと思うのも、当然だった。
だがしかし銀河は勇者をやめることはできなかった。
ある日、自宅までルーメン教会の関係者と陸軍省から来たと言う役人が屋敷に来て、何を言うかと思えば二人目の弟を出産してから体調を崩して、まだよくならない勇者ヒカリ・カスガ・ソレイユに辞令が下ったのだ。実にこの辞令はもう3度目だ。それまでは妊娠中だということで断ってきたらしいが、今回は難しいだろう。
なぜならその辞令とは、ハーメルン王国の勇者という立場で、現在国土を不法に占拠している獣人たちを蹴散らしてこいという命令書だった。ハーメルン王国に勇者ありという、その実力を見せつけることで、ハーメルン王国、次の1000年の安寧を築こうと言うのだ。
なんと浅はかなのだろう。
そしてその書面には国王の金印が押されていた。国王自ら金印を押した直々の命令書だ、その効力はこの世界にある文章の中でも最高の優先度を誇る。たとえ勇者ヒカリ・カスガ・ソレイユだろうと断ることができない。
その決定を聞いて、レーヴェンドルフは憤慨した。
なにしろレーヴェンドルフは生まれたばかりの銀河を抱いて、勇者であるヒカリを伴い、幾度となくルーメン教会を訪れて、アンという女性の行方を尋ねたが、シスター・アンの情報については教会関係者みなが口を固く閉ざし、誰も語らなかった。その教会の事務方上層部がきて何を言うかと思ったら、妻であるヒカリを戦場に差し出せと言うのだ。
こちらの要望はひとつも聞いてくれないくせにだ、そんなルーメン教会が妻を奪っていくのに、紙切れ一枚。たった紙切れ一枚もってくるだけなのだ。
いくら大声を張り上げようと、いくら懇願しようと、決定は覆らなかった。
ここにきているものに決定を覆す権限などない。これは王の命令なのだ。
レーヴェンドルフはいつかヒカリが獣人たちと戦う戦場に出なければならないことは分かっていた。
だがしかしタイミングが最悪なのだ。ヒカリの体調はどんどん悪くなっていて、改善の兆しが見えないのだから。
妻の身を心配するレーヴェンドルフの傍ら、銀河は麗しい唇を一直線に結び、決意のこもった強い瞳で拳を握ったまま一歩前に出た。
勇者がいかねばならないというなら、病床の母に代わり、別の勇者が行けばいい。
銀河は辞令を言い渡した役人を睨みつける。
「母は体調を崩していて長期の作戦を戦えません。なれば私が! 銀河・フィクサ・ソレイユが出ます、文句はないですね」
陸軍省の役人は驚いていたが、ルーメン教会から来たと言う男は、まるで銀河が声を上げることを予め分かっていたかのように、それを快諾する返事をすると、跪いて、勇者・銀河・フィクサ・ソレイユの決意を称賛してみせた。
銀河は16歳、もう大人なのだから発言にも責任を求められる歳だ。
あたふたするレーヴェンドルフを尻目に、銀河は踵を返し、ツカツカと大きな足音を立てて応接間を出て行った。




