[レーヴェンドルフ] 勇者に恋した男(1)
お久しぶりです。たまーに更新します。
次話はまた来週あたりにでも。
「久しぶりだね、アン……まさかキミが昔のままの姿で私の前に現れるなんて、思ってもみなかった」
「そうですね、お久しぶりです、レーヴェン。会いたかったわよ」
「私もさ。いや、しかし。まさかキミが……」
「はい、やっと手紙が渡せました。そんな事よりも、魔法の件なんですが、お願いしていいですか?」
「そうだな、私には魔法の適性がないから無理なんだ、ヒカリに頼んでみるとするよ。ああ、しかし何といって説得すればいいんだ。まずはアン、キミと私のことから話さないといけない。それで? ギンガはどうなるんだ?」
「手紙には何て書いてあったか知りませんけど、きっと書いてある通りです」
「そ……、そうか。私はもうパズルの全てのピースがはまったように感じているよ。涙が出そうだ」
レーヴェンドルフはアンドロメダの知り合いだった。アン、レーヴェンと、愛称で呼び合う仲だった。
まだ幼い子供たちを使用人に任せ、妻を書斎に呼ぶと、まずはアサシンを倒すため協力してほしいと説明をしたが、妻ヒカリは了承しなかった。
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レーヴェンドルフとアンドロメダの出会いは、50年以上も前の事だった。
幼子の内から厳しく己を律し、精神を肉体を鍛え上げるソレイユ家の剣の修行に、身体の弱いレーヴェンドルフが着いて行けず、いつも鍛練場から逃げ出したところで泣いていたのだ。
まだ10歳に満たず、どんなアビリティの加護が降り注ぐかも知れないのに、騎士の家系に生まれた男子である以上は騎士になるという使命だけは受け継いでいた。
レーヴェンドルフの6つ年上の兄であり、ソレイユ家の長男アンダーソンはまだ15だと言うのに大人たちに混ざっての訓練に音を上げた事もない。レーヴェンドルフには世界で一番強い自慢の兄だった。
「レーヴェン。お前は身体が小さく、力も強くない。だけどな、騎士とは生き方だ、強い弱いは関係ない。お前の胸に一本鉄の杭を打て。どのような力を加えても曲がらぬほど、太い杭をな。それがいつか騎士の誉となり、お前を助ける」
兄はそんな無責任なことを平気で言うような男だった。
身体が大きく大人と戦っても負けない、ケンカをしても負けたなどという話を聞いたことがない。槍の腕前も相当なもので、成人して家督を継いだら必ずやソレイユ家はいまより更に力をつけるだろう。
そんな夜空に輝く星と称えられる兄と比べられ、地を這う虫のように弱いと思われているレーヴェンドルフは、兄の言葉を素直に受け取ることができなかった。
この世界に生れ落ちて15年、物心ついたころから弱かったことがない覇道を進む兄に、弱き者の気持ちなど分かるわけがないのだ。なまじ知ったような口をきくのが鼻につく。
レーヴェンドルフは9歳にして自分の限界を知った。
騎士になんてなりたくなかった。騎士の鍛錬などしたくはなかった。実際に身体を動かして痛いことをするよりも、過去にあったという英雄の物語を読むのが好きだった。
ハーメルン王国を勝利に導いた勇者の伝記を読むのがなにより好きだったのだ。
今日も騎士たちが激しくぶつかり合う鍛練場で痛い目にあった。涙が溢れ出るのを我慢しながら鍛練場を抜け出して、こっそりと丘の上に寝転がり、どこまでも高く青い空を見上げていた。あの空の彼方には何があるのだろうと、まだ見ぬ世界の果てに思いを馳せていた。
「んー? どうしたのかな? 泣いているの?」
草むらに寝転んで空を見ているレーヴェンドルフ覗き込む女が居た。
レーヴェンドルフにしてみると、寝転んで空を見ていたのに、いきなり視界を遮って現れた女が馴れ馴れしく声をかけてきたのだ。しかも男子に向かって"泣いているの?"など、失敬だ。
レーヴェンドルフは慌てて起き上がり、涙声に上ずる声を必死でこらえながら意地を張ってみせた。
「泣いてないよ。騎士は泣かないんだ。そんな事よりお前は誰だ? ここは王立騎士団の鍛練場だぞ、お前のような女が入っていい場所じゃない」
「私? 私はアンっていうの。ルーメン教会の関係者だから勝手に入っても怒られないのよ。はい、私は名乗りました。あなたはどなたですか。なんで空を見上げて泣いてたのかな? お姉さんに話してみなさい」
「う、うるさい。泣いてないって言ってるだろ。僕はレーヴェンドルフ・ソレイユ。ソレイユ家の男だ」
「はい、初めまして。レーヴェン」
「うるさい。僕は鍛錬に戻る。お前なんかもうここに来るな」
そう言ってレーヴェンドルフは鍛練場に走って戻った。
泣いてる顔を女に見られた。
男はいくら弱くても、いくら力がなくても、涙を流したとしても、それを女に見られたくはないものだ。
レーヴェンドルフの流した涙は悔し涙だった。力でも技でも及ばない、子供向けの鍛錬にもついて行けない。ソレイユ家の男子として劣等だと思い知らされた。身体の大きな兄には到底ついてゆけず、両親の期待に応えることができない。絶望を知ったからこそ、9歳にして悔し涙の苦さを知った。
なぜ自分の身体は小さいのだろう、なぜ自分は力が弱いのだろう、なぜ、なぜ、なぜと己に問いかけて、兄のような恵まれた肉体も、センスも、才能も自分には備わっていない自分を呪った。
10歳でアビリティが降りるのを待つまでもなく、自分には騎士の才能がないことは分かっていた。なにしろ必死になって鍛練しても、才能のある年下の子どもに着いて行くことすらできないのだから。
次の日も、木剣で打たれ腫れ上がった右手をさすりながら鍛練場を抜け出し、丘のてっぺんで空を見上げていた。今日は泣いてない。痛くて涙がちょちょぎれる思いだが、男子たるもの、痛みを受けたぐらいで泣いてはいけない。痛みなど歯を食いしばれば気迫で押し返すことができるというのが教官の教えだ。
だけどレーヴェンドルフは目に涙を浮かべながら、いつものように草むらで寝転んで、青くどこまでも高い空を見あげながら、またぞろあの女が覗き込むんじゃないかとちょっとだけ期待したけれど、昨日の女が覗き込むことはなかった。レーヴェンドルフはもう、騎士とか、自分の弱さだとか、騎士の家系の中で劣った存在だとか、そういったネガティブな感情を忘れてしまって、どうでもよくなるまで空を見上げていた。
騎士になったところで、地べたを這いずり回って暮らすことに違いはない。
騎士になったところで、空を往く雁の群れにすら手が届くことはない。過去から未来にかけて所詮ひとはひとでしかないのだ。
「空かぁ……空の上に行ってみたいなあ……」
届かぬ空に向けて手を伸ばしながら、不意に口をついて出た言葉。溜息ついでの独り言だった。
だがそんな独り言に応える声があった。
「んー、飛行船の試作機が完成したから、もうすぐテスト飛行があるわよ?」
驚いて声のしたほうを見たレーヴェンドルフ。手を伸ばせば届くところに、昨日の女が座っていた。
アンだ。
気配までは感じないにせよ、草むらを歩く足音は嫌でも聞こえるはず。それなのにこの女ときたら、足音もさせずにこんな近くにまで、いつの間にか接近していて、あろうことか寄り添うような位置に居ながら座り込んでいるのだ。レーヴェンドルフは飛び起きて座った状態で後ずさりしてしまった。
何とも気味の悪い女だった。
しかし飛行船と聞いて黙ってはいられない。後ずさりするほどドン引きだった身体を前のめりに引き起こして食いついた。それもそのはず、飛行船はハーメルン王国でレーヴェンドルフの生まれる前からルーメン教会に残っていた古文書をもとに学者たちを総動員させて30年がかりで実用化するという国家プロジェクトとなっていて、いつか完成した飛行船に乗って空を駆けることは子どもたちの夢でもあったのだ。
そういえばこの女、教会の関係者だと言ってた。レーヴェンドルフはもしかすると飛行船に手が届くかもしれないと思った。
「飛行船!! 本当に飛ぶの? 人を乗せて空を飛ぶの?」
「ええそうよ、試作段階だけどようやくここまでこぎつけた。キミが大人になる頃にはきっと実用化されてるわ。空の上にも行けるかもしれないね」
「本当に! 僕も飛行船を考えてるんだ!」
「へえ、すごいわねレーヴェン……、じゃあこんどお姉さんと飛行船みにいこうか?」
「いくっ! いくいく。いまからでも行く!」
「あらあら、騎士の鍛錬はどうするのかな?」
「鍛錬やるよ。抜けた時間の分は宿題にして家に帰ってからやる。でもいまは飛行船を見たい!」
青アザができて腫れ上がった腕をさすりながらレーヴェンドルフ少年はその大きな瞳をらんらんと輝かせた。
アンと名乗る教会の女はにっこりと微笑んだあと、レーヴェンドルフの手を引いて鍛練場を出た。その時レーヴェンドルフは門番の歩哨の兵士がまるで上官にするのと同様にビシッと不動の型で敬礼していたのを少し不審に思ったがアンに手を引かれているうちに打たれて青アザになった傷が治癒していることにまでは気が付かなかった。飛行船を見られる、それほどまで逸る気持ちを抑えられなかったのだ。
王都ゲイルウィーバーから馬車で半刻ほど郊外に向かうと、高い壁で中が窺い知れないようになった広い施設が見えてきた。近付くにつれてその規模に威圧される。壁の端っこが見えないほどだ。刑務所のようだと言ってしまえばそれまでだが、弓櫓の上に弓兵、物見櫓にも望遠鏡を持った監視兵がいて、一切の侵入者も許さないほど物々しい警備態勢が敷かれていた。
厳重な警備の割にはアンという女、顔パスで門を通った。馬車の中をあらためられることもなく、すんなりと施設の中に入れた。レーヴェンドルフが学んだ騎士になるための座学に、安全性を確保するための警備法というものがある。施設警備において騎士はいかにして警備すれば侵入しようとする者を防げるかと言う警備マニュアルの様なものだ。たかがマニュアルを読み上げただけの知識をもってしても、レーヴェンドルフには、ここの警備は人が多いだけでザルのように感じた。そう、子ども目線であってもいまの門番は馬車をすんなりと通しすぎだ。もし極秘施設に顔パスだなんてことがあるとするならば、馬車の中をあらためることが失礼に当たる王族、または上級貴族であるか、もしくは相当なVIPということになる。
そう言えば騎士団の鍛練場では、手を引かれて馬車に乗せられることに対して説明を求められた覚えがない。自分の事を過大評価するわけじゃないが、レーヴェンドルフは大貴族の男子でもある。警備する側としては子どもとは言え、どこぞに連れ去られるようなことがあっては一大事のはずだ。
レーヴェンドルフは自らを過小評価することもなかった。そう言えばこの女、出会いからして最初から怪しさ満載だった。
「ねえアン。お姉ちゃんっていったい何者なの?」
「んー? どうしたの? お姉ちゃんはさっきもいったとおり、教会の関係者だからね、そして飛行船プロジェクトにも携わってる。すごいでしょ?」
たったこれだけの事で誤魔化されてしまうあたり、レーヴェンドルフもまだ9歳の年端もゆかぬ子どもなのだ。齢950歳を数えるまで他人に怪しまれることなくアンディー・ベックとして教会で教育長と言う高い地位を歴任してきた女の手腕、手管を疑うことなど少年には叶わなかった。
そして格納庫の扉を開いて中に入ると追い打ちを掛けるように巨大な飛行船が姿を見せた。
流線形で洗練されたデザインではあるが、上部にある巨大な風船の割に乗務員の乗る居住空間は非常に狭く、人ひとり乗り込むので精一杯といったイメージだった。レーヴェンドルフの空想していたものよりも、はるかに見すぼらしい、いわば弱そうな……。まるで籐細工のような繊細さでそこにあった。
しかしそれでもレーヴェンドルフは歓喜して目に映る飛行船に興奮冷めやらぬ様子だった。
「すごいすごい! 絵本で見たのとはずいぶん違うけど、これが現実に飛ぶんだよね」
「ええ、そうね。いまのところはこれで精いっぱいなのよ」
すぐに飛行準備がはじめられた。飛行士は線の細い小柄な男で、軍人には見えなかったが、世界初の空軍創設がなった暁には世界初の空軍パイロットになる男だ。
飛行船に乗り込もうとするパイロットと目が合ったレーヴェンドルフは騎士らしく敬礼で応えた。
しかし9歳のレーヴェンドルフにも分かったことがある。つまりこんなにも小さく、やせぎすの男じゃないとあの狭いコックピットに収まることができず、その体重を空に浮かべることができないという事なのだろう。王家が肝いりで発表した飛行船開発計画の進捗具合に軽い絶望を覚えながらも、飛行船上部の風船が膨らまされ、竹籠のようなコックピットにうつぶせ寝する形で収まるパイロットを見守った。
地面に繋ぎ止めている係留ロープが張り詰め、まるで質量を失っていくようにふわりと浮かび上がる機体に息をのんだ。
係員が駆け寄って係留ロープが外されると一気にフワリと上空へ向かうと思いきや、補助する人間が5人ほど飛行船にぶら下がって格納庫から引っ張り出す必要があった。その動作は巨大さゆえにゆったりとしたものだったが、補助する人の表情を見るに重さを感じないように見える。
そう、飛行船が浮き上がるという事は、重さを感じなくなるということだとレーヴェンドルフ少年は理解したのだ。いま上部の風船部分を膨らませることで、機体が、パイロットが浮かび上がった。それは重さを操作する未知の魔法のように見えた。ほぼ無風状態の中、かるく風船のようにテイクオフし、遊覧飛行のスピードで試験場の上空を飛行する飛行船を眺めながらレーヴェンドルフは疑問に思ったことを素直に口にした。
「ねえアン。飛行船の研究はもっと進んでると思った。世界で初めて飛行船で空を飛んだアリヤマンド少佐の本では20年も前に5人乗りの飛行船が完成したって書いてた。あれは嘘だったの?」
「レーヴェンは賢いな。えっと、具体的には話せないけど、風船のところに可燃性のガスを使っていた頃はいまよりもずっと簡単に大きなものが作れたの。だけど大事故を起こしちゃってね。アリヤマンド少佐は二階級特進して大佐になったわ。それ以来、空気よりも軽くて燃えない、安全なガスを見つけるために20年もかかって、やっと一人を浮べることに成功したの。技術は後退しているように見えるけど、これはこれで大進歩なんだよっ」




