[19歳] アンドロメダの速さ
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ギンガが飛び出していったのを横目で見送ったディムと、正面に対峙する勇者ヒカリ。
「怒った顔を見るのも久しぶりだな、いつだったかぼくがカレーをこぼしたとき以来かな? ヒカリのパソコンに」
基本的にパソコンのキーボードにこぼすのはコーヒーと相場は決まってる。
朝霞星弥は事も有ろうにカレーをぶちまけたのだ。こってりと。
その時のヒカリの怒った顔はまるで般若のようだったが、今もそんな顔だ。
「黙りなさい、その口を永久に閉ざしてやる。あなたの存在が邪魔なの!」
会食の席についている面々にも、招かれざる客の挑発に乗せられたことは分かったが、この場の誰もヒカリが激高するところなど見たことがなかった。
故に現状この場を丸く収めることがそれほどまでに困難であるという事を窺い知る。
「ディムもヒカリも、戦えば一生後悔するんだぞ? 頼むからやめてくれ……」
「ディアッカは黙ってなさい、これは私とセイヤの個人的な問題です。ソレイユ家もハーメルン王家も関係ありません」
「いやだ! わたしは割り込むぞ。これだけ言ってもまだやるというのなら、わたしが相手になる! ディムは絶対ヒカリと戦わせない」
「はあ? ちょっと待って、何言ってんのこの人、ケンカ止めに入ってそれ言うの? そんな人たまにいるけどさ!」
ディムはいま自分の頭に血がのぼっていたことに気が付いた。
まったく、エルネッタさんは頭に血がのぼると自分が何を言ってるのかすら分からなくなるのだ、そんなことで勇者と戦おうなんていうエルネッタさんの姿を見て、ディムは冷静さを取り戻すことができた。
この場には大人ばかりでなく、まだ幼い少女が二人いて、大人たちが大声を出すたびにビクビクしながら母親に抱き付いて不安そうにしている事すら目に入らないほど冷静さを欠いていたということだ。
ディムはいましがたこの場で王族の男を殺さなくてよかったと、今になって胸をなでおろしている。その程度には頭を冷やしたという事だ。
「小さな女の子が見てるのに、そんな乱暴な言葉遣いはいけないと思うぞ」
こうなってしまったら真面目に相手をする時間が惜しい。エルネッタのことは置いといて、ディムの視線はヒカリの隣に座す初老の男性に向けられた。
まったく、ヒカリが怒っているというのに、まるで我関せずとばかりに落ち着いて席についておられる人が居る。レーヴェンドルフ・フィクサ・ソレイユ。つまり、ヒカリ・カスガの夫でありギンガの父親だ。
「えっと、あなたがヒカリの旦那さんですよね?」
「あ……ああ、そうだ。セイヤさん? でいいのかな?」
「朝霞星弥です。ラールでお会いしたときには挨拶できませんでしたがよろしく。……まあ、そんなことはどうだっていい、あなたはそこに座って奥さんが死ぬところをただ見ているのですか?」
「いや、あ……私には戦う力は……」
「何を言ってるんだ? あなたはヒカリが戦えると? 本当にそう思ってるのか? あの女は病を押してこの場に立ってる。たぶんもうそれほど長くないだろう。あなたはそれでもヒカリに剣を取らせるのか? ヒカリにだって戦う力はないんだよ?」
ここにいる全員がヒカリを見たあと、エルネッタの表情を覗った。
いつものように『嘘だ!』とでも言って欲しいのか。
そして、もう一人、剣を取りに行ったギンガも……たったいま部屋に足を踏み入れて会話が耳に入った。ショックだったのだろう、持ってきた剣を握りしめたまま立ち尽くす。
エルネッタの表情も陰りを見せた。ディムの鑑定でヒカリはもう長くないのだ。
「母さん、本当? 今の本当なの? 母さん大丈夫だって……嘘だったの?」
「……ヒカリ、いまのは本当か? なあヒカリ……」
「あなたは黙ってて、その男は卑怯なの! 惑わされないで。この非常時にそんなこと関係ありません。私がここで命を落とす事になったとしても、病で死ぬか、セイヤに殺されるかの違いでしかない。……ギンガ! 剣を」
ギンガは押し黙ったまま、剣の鞘を握りしめた。国宝とされる聖剣バルムンクには劣るが、この国で最も権威あるソードスミスが勇者のために打った剛剣だ。
しかし母にこの剣は渡せない。今の母に剣を持たせることはできないと思った。
そしてギンガの背後から、ぺこりと深くお辞儀をしてからこの会食場に入ってきたのがレディ・ピンクこと本名、アンドロメダ・ベッケンバウアー。
この女がヒカリの援軍。アサシンであるセイヤを抑え込めるただ一つの戦力だった。
「アンドロメダさん、この男を抑えるにはあなたの力が必要です」
「はいっ、任されましたっ!」
軽く二つ返事で大役を引き受けたこの女を見てディムの眉が懐疑心に歪む。
アンドロメダ・ベッケンバウアーだ。この女がどういう訳かソレイユ家の本家にいて、ヒカリと手を組んでいる。
「お前なんでここにいんの? どっちかって言うとぼくの身内だと思ってたんだけど?」
「いやあ、それがですね……あの日わたしギンガさんに捕まっちゃって、そのあとこちらソレイユ家のお世話になることになっちゃいまして……客人としてすっごく美味しいご飯を食べさせてもらってます。えっと、あなたと敵対するのはイヤですから、すみません、そちら盾にとっておられる人を開放していただけると嬉しいのですが……」
「このオッサンを開放しろって? いくらなんでも虫が良すぎやしないか?」
「それだけの力があるんですから人質なんてとらなくても大丈夫でしょう? カッコ悪いですよ。そのひと要人ですから無事に返していただければあなたの要求も通るかもしれませんし」
「なんか力が抜けるやつだな、まあいい、おまえが質問に答えるなら考えてやるけど?」
「答えられる事なら答えますよ。いくらでも」
「まずは本名を自分の口で言ってみろ」
「えー? 『知覚』スキルで見えてるでしょう? アンドロメダ・ベッケンバウアーです。偶然ですね、同姓の方と会うことは滅多にないので嬉しいです」
「じゃあアンドロメダという言葉が何を意味しているか知っているか?」
「……」
この女、プイッとよそ見をし始めたかと思ったら、堅く口を閉ざした。
黙ってる……ということは、知ってるけど、回答を拒否するということだ。嘘を言えばエルネッタさんに看破されてしまうから嘘を言うことも出来ない。
「じゃあ、えーっと、ヒカリ以外で"アンドロメダ"という言葉の意味を知ってる者は? この中にいるか?」
アンドロメダは回答拒否、ヒカリも不機嫌そうな表情を崩していない。
そしてアンドロメダという言葉の意味を知る者もいるわけがない。
「……いないのか? じゃあ質問その2だ。誰がその名を付けた? 名付け親は誰だ?」
「はいっ。父と母です。別に変わったことなんてないですよね?」
「分かった。お前の両親、もしくはどちらか片方、ぼくやヒカリと同じ異世界人なんだな。アンドロメダは異世界の神話に出てくる王女の名だ、それに、大きくもうひとつの意味がある」
「やめて! もうそれ以上やめて。お願いだから!」
大声を出して話を遮ったのは……ヒカリだった。
もうそれ以上聞くなという。表情に余裕がない。何か知ってる顔だ。
まさかベッケンバウアー姓を名乗っていながらヒカリの関係者か?
アンドロメダはギンガと似たようなものと言っていい巨大銀河だ。そんな名を付けること自体、異世界人としか思えない。
知りたいことはまだあるが、ディムは約束通り、弟王ルシアンを前に蹴飛ばす形で解放した。
もんどりうって倒れ込んだルシアンを庇って、前に立ちふさがり後ろに下げる騎士たちは丸腰のままディムと対峙した。これほどの狼藉を働いたのだ、ただで帰してもらえるわけもなく会食場の出入り口は騎士たちに押さえられている。
思った通りにこの場だけはケガ人なく事が運んだヒカリはホッと胸をなでおろした。
「良かった。本当に良かった……。ルシアンさま、私はこの男の甘さに賭けました。お許しください」
「……くっ、今回ばかりは死ぬかと思ったが、さすが勇者だな、駆け引きで余を救うとは……」
ヒカリは甘さに賭けたと言った。なぜいまそんな言葉が出てくるのかとディムは警戒心を露わにした。
またヒカリが何かたくらんでいる。
何があるのかとキョロキョロ落ち着かないディムの視界の外、エルネッタさんの背後から声が聞こえた。
「種明かしをするとですねー、こっちですよ。こっち」
……っ!
エルネッタさんとアンドロメダの立ち位置は離れていて、間にテーブルを挟んでいたはずなのに、アンドロメダがいつの間にか瞬間移動していて、事も有ろうにエルネッタさんの首に短剣を突き付けてる。
いや、瞬間移動なんてできる訳がない。何かのトリックだ。
トリックだとして一番簡単なのは視覚の操作だが、アンドロメダにそんなスキルあっただろうか?
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□ アンドロメダ・ベッケンバウアー 984歳 女性
〇ステータスアップ効果
〇知覚遮断効果(鑑定スキル無効)
〇足跡消し効果
ヒト族 レベル144
体力:2549970/2549970
経戦:★★★
魔力:★x4
腕力:★x2
敏捷:★x4
【ヴァンパイア】★/不死者SS/自己再生★/知覚S/知覚遮断C/短剣★★★/二刀流A/盾術A/片手剣★/短槍SS/耐火障壁B/耐光障壁S/足跡消しS/気配消しS/気配探知★★/変身魔法(蝙蝠)A
『マッサージ』A/『合気柔術』S/『追跡』A/『擬態』S
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怪しいスキルと言えば『知覚遮断』と『擬態』、その他はよくわからない……。
何に擬態していたのかも気付かないまま視界の外に移動してエルネッタさんを奪われた……失態だ。
ヒカリやギンガなら危害までは加えないという確信があるけれど、アンドロメダについては未知数。いまは様子を見た方がいい……ことは確かなのに、エルネッタさんは首に短剣を突きつけられてる状態で、挑発行動に出た。ちなみにアンドロメダの短剣スキルは★★★だ。SSから3段も上になる。
「ほう、わたしを傷つけられるものなら傷つけてみろ。わたしはお前の正体を知ってるからな」
「なら大人しく人質になっててください。この場を誰も傷つけずに切り抜けたいなら尚更です」




