[享年] 朝霞星弥の人生
「ねえ星弥、今年のクリスマス、どうする? 何か食べに行こうか?」
「んー、それがちょっと仕事が入りそうなんだ……」
「ええっ? なんで? クリスマスは空けといてって言ったじゃん……」
朝霞星弥は、恋人と些細なケンカをしてしまった。クリスマスイブに頼まれた仕事を断れなくて約束を守れなくなったのだ。
恋人の名前は春日ひかり。
涼しげな切れ長の目とビシッと通った鼻に薄い唇、美人であることに間違いなかったが、目立つ要素がなかったせいで、女を見分ける男たちのセンサーから除外されていたという残念女子なのだけど、ひかりは星弥が幼い頃からずっと好きだった幼馴染だ。まだ小さい子どものころからずっと一緒に育った。
星弥はひかりのことを保育園、小学校、中学校、そして高校まですーっと後を追うようについていった。
ずっと一緒に育った。物心ついたころにはもう一緒だった。
ひかりがお姉ちゃんで、星弥は弟という上下関係もそのまま、大人になった。
そしてお互いに29歳という、立派なアラサーになってもまだいっしょに居るのに、ただクリスマスイブという恋人たちの大切な日に、いっしょに居られないという……それだけの事でケンカになる。
ふたりがこの世に生を受けてから29年、物心ついてからどれぐらいだろう、25年か27年か。 成長して、二人が恋人になってから、はや12年目がたった。
若くして倦怠期も経験し、5年前に結婚の約束をして、ひかりの指には婚約指輪が光っているけれど、面倒ごとを放置して先送りし続けたせいで現在も結婚には至ってない。お金もなかったし。星弥はきっと婚約したことで満足してしまい、その先に進もうとすることに、少しだけ積極性が足りなかったのかもしれない。
その事もきっと、ひかりの不満が爆発した理由のひとつなのだろう。なにしろ星弥は面倒なことを先送りにする癖がある。結婚もその面倒なことのひとつかと思うと、ひかりの心も穏やかじゃあいられなくなった。
些細なことでケンカになるのも、きっといろんなことが積み重なってのことなのだ。
二人は馴れ初めからして、人生が交わることが運命づけられていたように思う。
そもそもこの世に生を受けた生い立ちからになるが、星弥とひかりは団地住まいの家に生まれた。5階建ての府営住宅だった。
階段を共有する部屋で、星弥の家は一階、彼女の家はその上の二階だったという事から、星弥が物心ついた頃にはもう彼女と一緒にいて、初めて会った時の事なんかまるで覚えていないし、特にどんなエピソードがあって恋に落ちたのかも覚えていない。
星弥は知らず知らずのうち、いつのまにか、そう気付いたときにはもう彼女のことが好きになっていた。
思春期になると周りにカップルができはじめる。
星弥は具体的につきあってどうしたいとか何のプランもなく、ただ告白して彼女をつくるのは早い者勝ちだと思っていたし、自分が後れを取ることでひかりを誰かにとられたくなかったという、焦りから出た動機だった。
星弥は緊張しながらもひかりに何度か告白し、その回数だけフラれたのだが、高校二年の春にやっとOKしてもらえた。
最初こそ高揚感に舞い上がる思いだったが、二人は付き合ったまま12年の時間が経過した。別に結婚は急がなくても、いつでもできると高を括っていた。これまで通り、彼女はずっとそばに居てくれるものだと信じて少しも疑わなかったのだ。
大切なものは何なのか? 大切な人は誰なのか? ということを朝霞星弥は見失っていたようだ。心から大切な人のことを、大切に思うばかりではなく、ちゃんと大切にしていれば、こんなことは起こらなかったのかもしれない。
クリスマスから2週間前の12月10日、星弥は、土曜の夜だというのに彼女と連絡が付かないことを不審に思っていた。翌日になって携帯電話にコールしてみても "おかけになった電話は電源が入っていないか電波の届かない場所にあるためかかりません……" の自動音声が流れるばかり……。
実家から少し離れたマンションに住んでいた星弥だが、彼女がこれほど連絡つかなかったことなどなかった上に、クリスマスのことで少しケンカした後だったので不安になり、イライラしながら彼女の実家へ向かった。
星弥の実家の上階が ひかりの実家というのは今も変わってない。星弥が自分の実家をスルーして階段を二階まで登ると春日の実家がある。
露骨に配線がすすけた呼び鈴ブザーを押すと、春日のオバチャン、ひかりのお母さんが「はいはいはいはい……」と何度も返事をしながらかけてくる音が聞こえた。
鉄でできた扉の向こうからカチンとカギを開ける音が思いのほか大きく響くと、重いはずの鉄の扉が軽く開き、いつものオバチャンが顔を出した。
オバチャン、結婚したら義母さんになるのだが、春日のオバチャンも、星弥の顔を見るとほっとしたように表情をやわらかくした。
「こんちわー、ひかりどうしてます? 電話しても繋がらないんですよー」
「ええっ、星弥くんと一緒じゃなかったのかい? ひかりは昨日帰ってないよ?」
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20xx年 12月10日、朝霞星弥の婚約者、春日ひかりは "星弥なんかキライだ" とSNSでメッセージを送ったのを最後に失踪した。
ただの家出、ただの失踪。人が行方不明になることなんて日本じゃ珍しいことじゃない。
それが女子小学生だったりすると小児性愛者にいたずら目的で誘拐されたんじゃないかという疑いもあって警察は本気になって行方を捜し、テレビなどで報道されるのは皆の知るところだが、失踪した女性は29歳、いい大人の女性が突然失踪したところで誰も気にも留めることはない。
警察に家出人捜索願いを出したところで、誰も探しちゃあくれない。職務質問や交通事故その他、何か事故にでもあって警察のお世話になったとき照会データに家出人として記録してあれば、届け出をした者に連絡が入る。それだけだ。
日本では年間8万人も出ると言われる行方不明者を、真面目に靴底をすり減らして探してくれるような、酔狂な警察官などいないのだ。
失踪当初は事件性がないと判断した警察だったが、写真の入ったチラシを配って捜索する失踪者の友人たちの一部が警察に "怪しい男がいるから調べて欲しい" と相談したことで、星弥の状況が一変した。
失踪した女性の婚約者だった朝霞星弥は、失踪時、婚約してから年月が経っていて、様々な原因で女性、つまり春日ひかりが友人に対し日常的に愚痴をこぼしていたこと、失踪前に婚約者とケンカしたと複数の友達にが証言したこと、最後の携帯メッセージが『星弥なんかキライだ』だったこと、つまり二人の仲はあまりうまく行っておらず、別れ話のもつれで何か尋常ならざる事態になり、彼女だけが行け不明になったのではないかというのが、その友人の言い分だった。
当の朝霞星弥に当日のアリバイがないこと。行方不明になった春日ひかりが持っているはずの携帯電話の電波が世界中のどこでも拾われていないという、たったそれだけの理由だった。
薄い状況証拠が複数あって、女性が行方不明になったのは、失踪したわけではなく事件かもしれない、つまり彼氏であり、婚約者でもある朝霞星弥が女性の失踪になにか関与したのではないかと疑われたのだ。警察の任意同行を拒む理由などなかったが、疑われたことで星弥のほうも刑事に対して暴言を吐いてしまった。
警察が参考人として婚約者、朝霞星弥の身柄を確保しただけで逮捕されたとか、書類を検察に送られたとかそういった事実はなかったのだが、警察の厳しい事情聴取からようやく解放されてきたというのに、まわりの友人、知人たちの朝霞星弥を見る目そのものが変わってしまうには十分だった。
『疑わしきは罰せず』という言葉の、その真の意味はとても残酷だった。警察が罰することができない疑わしさは、社会が様々な制裁を加えることを許してしまう。
疑われ、孤立した星弥は仕事をやめ、彼女の友人たちとは協力することなく、たったひとりで彼女を探すという異常な事態となったが、彼女が失踪して1年たっても、2年たっても、失踪に関する有力な手掛かりすら得られず、もちろん春日ひかりが星弥のもとへ帰ることはなかった。
翌年も、そのまた翌年も、クリスマスが近づいてくるにつれ、星弥は彼女の事を強く思い出した。
二人分のシャンパングラスを用意して、テーブルに置いたまま。まるで故人へのお供えのように見えてしまっても、星弥は失笑しながら彼女の帰りを待ち侘びた。
いや、彼女がどこかの街で元気に暮らしていたとして、たとえこの街に帰ってきたとしても、家族のもとへ戻ったとしても、再び星弥の腕の中に戻ってくるなどと、甘い考えはもうとっくに失せた。いつか必ず帰ってくると信じ込むことで自分を保っていたのかもしれない。
星弥は毎日毎日数えきれないほど後悔を重ねた。彼女と約束していたクリスマスの夜、仕事を断ってさえいれば人生は変わったものになっていたかもしれないのだ。仕事を言い渡されて断ることができなかった自分の弱さを悔いた。
最初こそ失踪してしまった彼女に恨み言のひとつも聞かせてやろうと思っていたけれど、3年、4年と幾星霜重ねるうち、自分のもとを去って行った彼女がいま幸せであってほしいと、ただ一つ強く願った。
それから生きているのか死んでいるのか自分でもわからない状態になり、太陽が嫌いになった。
人と会うのも苦手になった。ウォッカやバーボン、焼酎など強めの蒸留酒を好んで煽るようになると、ワンルームマンションに引きこもり、本名も顔も知らない戦友たちから廃人と呼ばれるほどネトゲに入り浸った。
そして春日ひかり失踪から6年と2ヵ月たった20xx年1月31日、あれほど一生懸命になって捜索していた自称友人たちですら、もう彼女の事を思い出さなくなった冬の寒い夜、朝霞星弥はアスファルトに倒れていた。
氷のように冷たいアスファルトに寝そべって、痺れる身体から熱い血液が流れ出すのを感じていた。
人生を語るのに、僅か100行にも満たない朝霞星弥は、35年の人生に幕を下ろそうとしている。人はこの男の人生を聞いたら悲惨な人生だったと考えるだろう。ああはなりたくないなと思うだろう。だがしかし、当の本人はそう悪い人生だとは思ってはいない。アスファルトに流れる大量の血液に身体を浸しながら、星弥は見上げる月に手を伸ばした。
皆既月食の夜、欠け行く緋色の月に向かって、死に逝く男は何を思ったのだろうか。
翌2月1日、吐息も凍るような冷たい朝、新聞の地方版、片隅の小さな記事に朝霞星弥の名前があった。
『国道26号線●●交差点で死亡事故』
・1月31日午後8時ごろ大阪府内を走る国道にて大型トラックが横断歩道を渡る男性を跳ね中央分離帯に乗り上げて停止。大阪府警はトラックを運転していた奈良県◇市に住む運送業、下垣外六郎(46歳)を道路交通法違反(酒酔い運転)容疑で現行犯逮捕しました。この事故で近くに住む朝霞星弥さん(35歳)が跳ねられ搬送先の病院で死亡が確認されました』
朝霞星弥の人生は終わった。もう未練も何もなく終わりを告げた。