悪魔のスタンプ
スタンプカード?
「はい、そうでございます」
目の前の悪魔さんが言う。自分は神だのなんだのは信じていないが、人の言うことは基本的に信じることにしている。
本人が悪魔だと言うのなら悪魔なのだろう。
手元を見れば、硬質の紙のような質感のカードに描かれたマス目の一つに赤色の歪な花丸のようなスタンプが押してある。
「一つ目は初回サービスでございます」
悪魔さんは蜥蜴ような顔に皺を寄せて流暢な日本語で言う。
笑顔なのだろうか。くりくりした瞳が少しチャーミングだ。
しかし、どうやったらスタンプを貰えるのだろう?
「ええ、それは簡単です。我々は人間が苦しむのが大好きなのです。だから不幸になってください。そうすればポイントが溜まっていきます」
なんて酷い、性格が悪い。
「悪魔ですので」
なるほど、悪魔では仕方ない。
しかし不幸になって苦しめば良いというのならば確かに簡単だ。自分にとって最も得意な分野といっても過言ではない。
ところで、スタンプカードというからには、貯まったらいいことがあるのだろうか。
「ええ、ええ、それはもう。その時の貴方の一番の願いを叶えましょう」
なんでも?
「はい、あなたが心から願っていれば、金銭も、力も、永遠の命でも、何であっても手に入ります」
それは凄い。そんなチャンスを自分などが貰っても良いのだろうか。
「我々と話せるほど魂が下層にある人間などそうそういませんので、ええ」
言葉の意味はよく分からないが、まあいいか。
ちなみに、自分は今死のうとしていたのだがそれでスタンプを貰えたりはしないのだろうか。
「自殺は魂の冒涜という観点からして決して悪くはないのですがね? スタンプ三つ分くらいしかならないですし、死んだら何も叶えられないですよ?」
それもそうか。
ううむ、どうしよう。
折角のチャンスだし、悪魔さんの好意を無碍にするのも申し訳ない。
ならば仕方ない、もう少しだけ生きてみることにしよう。
「それがよいかと、是非不幸になってくださいませ」
うん。頑張ってみる。
「おや、もう不幸になりましたか。素晴らしいですね」
まず手始めにずっと行っていなかった学校に行ってきた。周りから奇異の視線でジロジロと見られ、酷く気分が悪くなった。
授業中に吐き気を我慢できず戻してしまった時など、惨めで消え入りたくなったほどだ。
「よく頑張りました。では、スタンプを押しますね。はい、どうぞ」
ぽすんと悪魔さんが指でカードにタッチすると、一つ目と同じ歪な花丸が赤く咲く。
これ悪魔さんの指紋だったのか。
「さて、この調子でどんどん不幸になってくださいね」
よし、頑張ろう。
「また不幸になりましたか。本当に貴方は素敵な資質の持ち主です」
以前久々に学校に行って吐いてしまったときに、心配して助けてくれたクラス委員の子と仲良くなった。
しかしその子が自分のことを陰で気持ち悪いと言っているのを聞いてしまった。誰も彼もが、自分のことを嘲笑っていたのだ。
「助けられたことは事実でしょう? 裏で何を思っていようとね。では押しますね」
三つ目のスタンプが押される。少し花丸が大きくなった気がする。
「サービスです」
ニコリと悪魔さんが笑う。つられて、思わず微笑んでしまった。
「うーむ、普通これほどの頻度でスタンプは貰えないのですが。またですか、驚かされますねえ」
学校に復帰して1年半、好きな人が出来た。困っていた所を助けてくれた先輩だった。
どうしても想いだけでも伝えたくて、ラブレターを下駄箱に入れた。
だが、それを自分のことを悪く思う人間に見られていたらしい。翌日、学校に登校すると何枚もコピーされてあちこちに目立つように掲示されていた。
「結果として、想い人には伝わったのでしょう。ならばドンと構えなさい、では今回の分」
ぽすんと咲いた花は青色。今までと違う色にキョトンと首を傾げる。
「青はお嫌いでしたか?」
いや、青色は好きだ。そういえば悪魔さんの目は綺麗な青色だなあ。
「ふむ、そろそろ慣れてきましたね。で、今回は?」
学校を卒業した私は就職する道を選んだ。楽ではないが、何とか見つけた仕事だ。
これでようやく一人で育ててくれた母に恩が返せるかと思えば、母が若年性の認知症になった。
私のことを段々と忘れ、被害妄想に襲われ、罵詈雑言を投げつけてくる日々だ。
「それでも生きているのでしょう。感謝を求めているなら残念なことですが、恩返しは出来ますね。はいどうぞ」
ぽすんと開く桃色の花。いつもより優しい色合いな気がした。
「今度は少し間が空きましたねえ。さて、どうぞお話しください」
縁のあった人と数年前に結婚することができた。
子宝にこそ恵まれなかったが人並みに幸せを味わうことができ、悪魔さんと会うのも久々だ。
しかし、その夫が他の女性と子供を作ったことが分かった。その人と一緒になりたいので、別れて欲しいと言う。
「巫山戯るな、そのような裏切りを赦すな。契りを違えし者には、相応の罰を与えよ。人間にも法はあるだろう」
悪魔さん?
「失礼。私達、一応契約主義者ですもので」
いえ、怒ってくれて、ありがとうございます。
「いえいえ、では今回の分です」
ぽすり。
「ふむ、貯まりましたね」
見ればスタンプカードのマス目は全て花で埋め尽くされていた。
色も形も様々でまるで花畑が広がっているようである。
まあ、どれも自分の不幸によって咲いたものなのだけれども。
「普通死ぬまでかかっても半分程度しか埋まらないのですけどねえ。本当に貴方は逸材です。さてさて、契約を果たしましょう。願いをどうぞ」
願い。
それはもう、ずっと昔から決めてある。
悪魔さん、私とお友達になってくれませんか?
「……それでいいのですか?」
はい。一番の願いです。
「てっきり私は、『声が出るようにして欲しい』というのが望みかと」
でも、悪魔さんとはこうして話せますし。これも自分ですから。
「なるほど。では、そのように」
はい、これからもよろしくお願いします。