囚われの爆弾
激しい頭痛と吐き気に倦怠感。全身の強い痛み。
魔法を使うなんてこの状態じゃ無理だ。今にもまた意識を手放しそう。別に手放してもいいか。辛い。
朦朧とする意識の中、頬に衝撃を感じて僅かに覚醒する。
「とんでもない、じゃじゃ馬らしいからな。躾は最初が肝心だ。徹底的にやっておけ」
聞き覚えのない声に不穏なセリフ。
体のあちこちが疼痛や鈍痛を訴える。なんだか脇腹と足が特に激しく痛む。ちょっとヤバい。そして頬の痛みはもしかして今、殴られた?
「いい加減に起こせ。もう待ってられん」
水の出るような音が聞こえると、直後に息ができなくなる。
「っ!? が、がはっ、ごぼっ! ゴホッ、ゴホッ」
勢いのある水流が顔に当たってるんだ。さすがに目が覚めた。何てことしてくれんのよ。鼻から吸い込んじゃったじゃない。身じろぎするも、痛みの所為か体が上手く動かせないし、ちょっとの咳でも体中に響いて激痛が走る。
「目が覚めたか? じゃじゃ馬め」
確かに目は覚めた。でも体中が痛いし、物凄く体調が悪い。そんな悠長なこと言ってる場合じゃなさそうだけどね。
即座に状況確認。
霞む目とやけに狭い視界では目からの情報量が少ないけど、感覚からして両手を縛られて上から吊るされてるっぽいし、ご丁寧にブーツを脱がされた両足には重りのついた鎖が付けられてる。どうりで身動きが取れないわけだ。
外套や装備は取り上げられたみたいね。裸に剥かれなかっただけまだマシか。
反射的に身体強化魔法で拘束を解こうとする。
「くっ!?」
「ふん、無駄だ。魔法は使えんぞ。これから男の恐ろしさと、女の身のほどを死ぬほど教えて貰うんだな」
ようやく状況をもっと詳しく把握する。我ながら情けない。
私は完膚なきまでに捕まってしまったらしい。
物理的に完全に拘束された上に、魔法封じの腕輪まで持ち出す念の入りよう。しかも相当に痛めつけられたようで、体中が痛みと不調を訴えてる。
「ぐへへ、こいつは好きにしていいんですよね?」
締まりのない顔をしたマッチョな男。こいつが私をここまで痛めつけた? もしかして拷問吏?
「おい、少しくらいなら壊してもいいが殺すなよ。まだ使い道がある」
「分かってますよ。何でも言うこと聞くようにしときますから。ぐへへ」
格好からして貴族と思われる中年男は、拷問吏に何かを耳打ちすると、謎の小袋を渡して部屋を出て行った。
「俺が今からお前のご主人様になる男だ。これが何か分かるか?」
二人きりになったらしい部屋で、拷問吏は私の目の前に迫ると気持ちの悪いことを言い始めた。
言いながら小袋の口を開けて中を見せられる。霞む目をすがめて見れば、薄い桃色の粉が入ってるように見えるけど、何かは全く分からない。
「これはな、貴重な魔法薬なんだぞ。今からお前を気持ちよーくしてくれる、ありがたい薬なんだ。嬉しいか?」
全くふざけた奴。思わず睨み付けると、間髪入れずに顔に向かって拳が飛んできた。
「お前のご主人様が、嬉しいかって聞いてんだよっ!」
痛っつ~。思い切り殴りやがって。後で見てなさいよ!
私の痛そうな、悔しそうな顔を見て溜飲が下がったのか、今度は自分がいかに凄い男なのかと意味不明な自慢が始まった。どうでもいいから聞き流す。
つまらない戯言なんかまともに聞かず、吐き気と体中の痛みを堪えながらこれからの方針とあの貴族についてぼんやり考えてると、話を聞いてないのが分かったのか今度は大声で怒鳴りつけてきた。
「人の話も聞けない、じゃじゃ馬が! こいつで躾てやる!」
拷問吏は薬の小袋を棚に置くと定番中の定番、鞭を取り出してビシッ床に打ち付けて感触を確かめる。
最悪。訓練で痛みにはそこそこ慣れてるけど、鞭による攻撃は経験がない。既に全身が悲鳴を上げるように痛いってのに、これ以上はさすがにキツイ。まぁ、どうにもなりそうにないけどさ。それに頭痛は酷くなる一方で、なんだか気が遠くなる。鞭で打たれる前に気を失いそうだ。
本格的にヤバいわね。こんなんじゃ、状況を打開できる気がしない。うぅっ、また目の前が暗くなる……。
意識を失う寸前に鋭い風切り音が聞こえた気がすると、直後に激しく打ち付ける衝撃と鞭の音に悲鳴が漏れた。
「あぐっ!」
「寝てんじゃねぇぞ、じゃじゃ馬! おらっ! おらっ! ぐへへっ」
鞭で打たれた衝撃で落ちた意識がまた覚醒させられた。そして、さらなる鞭打ち。
下品な笑い声を上げながらの鞭の往復は、私の体に深刻なダメージを蓄積する。
そんな中にあっても、私が提供した素材で作られたトーリエッタさん特製のブラウスとスカートは頑丈過ぎる素材を使ってるお陰か、破れるどころか解れもしない。服を着てる部分の見た目には一切怪我を負ってないように見えるからか、鞭の往復が止まらない。服の下は皮膚が破れて血塗れなんだろう、だんだんと服が内側から赤く染まっていく。
痛いなんてもんじゃない。元からの負傷も併せて、満身創痍も良いところ。下手すりゃ、この負傷だけで死にかねない。
でもね。全身の激痛と激しい怒りで意識だけは完全に覚醒できた。感謝するわよ、この外道。
私の意思の宿った瞳が気に入らなかったのかどうか、拷問吏は鞭を捨てるとまた思い切り頬を殴りつける。
……こんの外道、あとでみてろよ。
「俺の良さを分からせてやる!」
何言ってんのこいつ。
憎悪と呆れの視線を向ける前に、今度は私の胸元に拷問吏の手が伸びた。
「ぐへへ、最初から薬を使ったら面白くないからな。それにしても、こんないい女にも興味がないなんて、あの方も勿体ないことをする。男色なんて俺には信じられん」
じっくりと楽しむつもりか、独り言を呟きながらゆっくりと私のブラウスのボタンを外していく。生理的な嫌悪に怖気が走る。
激しい殺意が吹き上がるものの、このままじゃ抵抗できない。早く何とかしないと。
やるしかない。ここでやれなくてどうするってのよ!
私は全ての雑念を押し殺し、静かに目を閉じた。
「観念したか? いいぞ、そのまま大人しくしてろよ。ぐへへ、たまらねぇな」
観念なんてするわけない。集中したいから目を閉じただけだ。
まずは魔法封じの腕輪をどうにかする。激しい体調不良と激痛の中でやるのは初めてだけど、やるしかないんだ。通常であれば即座にこんなもん無効化できるんだけど。
……あ~もうっ、頭が痛くて吐きそうで集中できない。
男の声と手の感触がまた気持ちの悪さを煽って集中が乱れる。
何度かの失敗の後、それでも何とかかんとか魔力感知による構造把握、魔力操作による精密な妨害魔力の打消しと魔石の破壊により、魔法封じの無効化に成功した。もう頭の血管が焼き切れそう。
ぱっと目を開けると、拷問吏の手がブラウスのボタンを外し切った私の胸に伸びるところだった。
瞬時に身体強化魔法を発動。
痛みを無視して腕を拘束してた鎖を強引に引き千切ると、妙に冷静な思考をしながらマッチョな拷問吏の顔面を殴りつけた。
「いぎっ!?」
一発じゃ済まない。鼻を砕き、歯を折り、頬骨を陥没させる。久々に怒りをエネルギーにした、ただの暴力を振るう。
まだ殺しはしない。聞きたいことがあるからね。あそこまで痛めつけられて理性を残してる自分を褒めてやりたいわよ。
最後に肝臓を破壊する勢いの腹パンを決めて汚い床に沈めると、自分の身繕いを始める。
倒れ込みそうになる身体を根性で持たせる。我ながら酷い有り様だ。血塗れでボロボロ、ボロ雑巾のような姿に思わず笑いがこみ上げる。血で汚れてはいるけど、服と下着は無事ね。その代わりに身体の怪我が目を覆いたくなるほど酷い。あちこにある裂傷に打撲に骨折。こりゃほっといたら死ぬわね。
まぁいいわ。油断をしてたつもりはないけど、甘かったってことか。自らの甘さのツケってことにしとく。
まずは超複合回復薬で傷と体調不良を一気に治す。怒りによる興奮で痛みが遠のいてる内に回復薬を瞬時に生成して身体に浸透させる。あれだけの激痛がスッとなくなると、魔法の偉大さを改めて思い知る。
次いで拘束具を全て取り払うと、浄化魔法を使って徹底的に身体や服を綺麗にする。これでようやく一息つけた。
ブラウスのボタンを留めながら外套と装備が置いてないかと見渡すけど、暗い部屋の中でもパッと見た感じ、この部屋には置いてないらしい。
取り上げられてどこぞに持っていかれたか。どれも手放すには惜しい物だし、私謹製の回復薬をどこぞの阿呆になんて使われたくない。
幸いにもブーツは傍に置いてあったから裸足で過ごさずには済む。
奪われた物は当然、譲るつもりはない。絶対に取り戻す。ひとつ残らずね。
取り敢えずだ。まず最初に気になることがある。
「それにしても、ここは一体どこなんだろ」
さすがに何日も気を失ってたとは思えないし、エクセンブラの外に出たわけでもないと思う。空腹の感じから何となくしか推し量れないけどね。
あの中年貴族が誰なのかも分からないし、あいつが黒幕とも限らない。その辺は拷問吏に聞いて、ある程度でも見当がつけばいいんだけど。
それから、どうやって私は捕まったのか。あの時、急に意識が遠のいたのは何でなのか。
多分だけど睡眠系のガスが原因だろう。魔法か魔法薬を使ったのかは分からないけど、まんまとしてやられた。
爆発魔法に紛れさせたのか、上手いことカムフラージュされてしまったわね。捕らえることが目的じゃなくて、抹殺だったなら私はもう終わってた。気を失うような薬じゃなくて、致死毒だったとしても同じことだ。
自分が使うことは想定してても、使われることを想定してなかったのは迂闊というほかない。大いに反省せねば。そして対策も考えないと。
まぁいいわ。今はこの薄気味悪い部屋の探索でもしてみようか。暗くてよく見えないど、狭いながらも何やらごちゃごちゃと物がたくさん置いてある。何か金目の物でもあればいいけど。
取り敢えず明かりでも点けよう。
光魔法の光球を複数作り出して、部屋の隅々まで照らし出す。
「……これは」
なんとも趣味が悪い。反吐が出るわね。
拷問吏が居たように、ここはそのまま拷問部屋らしい。それらしいが器具が、コレクションでもしてるのかってくらい置いてある。どうやって使うのかよく分からないのから、定番の物まで。あ、この世界にもアイアンメイデンってあったのね。
しかも、誰かを拷問にかけたのか、生々しい血の跡が残ってる器具や台もある。血だまりがそのままなことから、ついさっきまでそこに誰かがいたんだろう。出血の量からして生きてるとは思えないけど、死体が残ってるわけでもない。
部屋の隅には何か大穴が開いてるのも見える。嫌な予感がして、そこを覗きに行く気にはならない。
とにかく、この部屋を探索しても特に有用な物は無さそうね。
さて、そろそろあの拷問吏に知ってることを吐かせよう。
半殺しにしたこいつの様子を見るに、口を利けるような状態じゃなさそうね。意外にも辛うじて意識はあるっぽいけど、仕方ない。
中級の回復薬を生成して適当にぶっかけると、見る見るうちに負わせた傷が回復する。中級じゃ完治はしないほどの重傷を負わせたはずだけど、これで十分だろう。私はそれを確認すると、即座に右足首を踏み砕いた。口が利ければいいからね。歩く必要はない。
「ひっ、ひぃっ! もうやめろ、お、俺が誰だか分かってんのか!?」
「知らないわよ。で、どこの誰だっての?」
「さ、さっきの話を聞いてなかったのかよ! 俺はなぁ、ゲルドーダス侯爵家の男だぞ! 侯爵様に掛かればお前なんか」
「うるさいわね。聞かれたことだけ答えなさい。それで、そのゲルドーダスが私に何の用よ?」
「そこまで知らねぇよ! 俺はただ、お前を従順な女にしておけと言われただけだ!」
まぁ嘘はついてなさそうだし、そんなに頭が回るようにも見えない。侯爵って奴の名前が分かってだけでも上等か。聞いたことがない侯爵だけど、どこの侯爵なんだろうね。旧ブレナークかレトナークか。まぁいいわ。
「それで、ここはどこ? ゲルドーダスって奴の屋敷かなんか?」
「ああっ、足が痛ぇ! このじゃじゃ馬女がっ!」
私は黙って今度は左足首を踏み砕く。
「ぎゃああああああっ! おま、お前、」
「あんたさ、忘れたわけ? 聞かれたことだけ答えろって言ったわよね? それにさっきまで私に何をやってたか。次に舐めた口利いたら、あの奥にある穴に放り込むわよ」
「そ、それだけはやめろ! 悪かった、俺が悪かった!」
適当に言ってみた脅しだけど、あの部屋の隅の穴は何なんだろう。そこまで言われると気になってくるわね。
「ならさっさと答えなさい。ここはどこ?」
観念したというか私に怯えだした拷問吏は、砕かれた足首の痛みに喘ぎながら懸命に質問に答えてくれた。こんな外道でもやっぱり死にたくはないらしい。
結局、ここは侯爵の隠れ家なんだとか。
旧ブレナーク王国のゲルドーダス侯爵、さっきの中年貴族はその家の次男らしい。侯爵家の当主でもないし、どんなつもりで私を拉致したのか目的は分からない。侯爵家については、あとで調査してもらおう。
そんでもって、やっぱりこの屋敷はエクセンブラの中にあるらしい。しかも、マクダリアン一家のシマの中にある。これが偶然とは思えないよね。それは取り敢えずおいておくとして、現在地が分かれば帰るのは難しくない。
思いつくまま一通りのことを聞いてみたけど、やっぱり拷問吏風情が大したことを知ってるはずもない。ほかに有用な情報は出てこなかった。しかも、日がな一日この拷問部屋に籠ってる所為で、中年貴族以外には誰がこの屋敷にいるのかさえ良く知らないらしい。
それから私の外套と装備は中年貴族が持ち去ったらしくて、どこにあるのかまでは知らないらしい。それならそれで探すまでよ。持ち去った本人に聞いてもいいし。
そうと決まればこんな気持ちの悪い部屋に用はない。キキョウ会のみんなも心配してるだろうし、やることやってさっさと帰ろう。
そうは言っても真正面からの突破は危険ね。例の睡眠系の魔法やらガスやらに対抗する手段が思いつかない。同じ方法で捕まるなんて間抜けもいいところだし、どうしたもんかな。
そうね。魔力感知で屋敷程度の広さなら、どこに人がいるのかは感じ取れる。先手を取って全部潰せばいいか。よし、それで行こう。
あっと、そうだ。薄桃色をした謎の薬の小袋は回収する。具体的な効能をきちんと調べたいし、できれば対策も用意したい。ローザベルさんとコレットさんに解析を頼んでおこう。
スカートのポケットに薬の小袋をしまうと、魔力感知に集中する。
隠密行動は苦手だけど、派手に動けばすぐに例の魔法かガスを使われるだろう。精密に敵の居場所を把握して、静かに、そしてできれば個別に撃破しよう。今は夜中らしいし、近所迷惑にならないようにね。