引き締め
本格的な冬が到来して、雪が降り積もる日々になった。
朝の身を切るような冷たい空気に触れると、感覚が鋭くなるような気がして割と好きだ。
冷えたあとに入る、熱いお風呂も気持ちいいしね。
そんな冬真っ盛りの日。
収容所時代からの伝統として、ブーイングの嵐が吹き荒れる訓練は外での体力作りをメインとするものだ。
「こらっ、遅れてるわよ! ペースを落とすな!」
膝まで積もった雪の中、とんでもなく重いリュックサックを背負って、ひたすら走る。原点に立ち返った基礎訓練だ。
かくいう私もアホみたいな重さのを背負ってるから、雪どころか地面まで凹むんじゃないかってほどで、密かに苦痛の声を漏らしてしまうレベルできつい。意地でも表には出さないけどね。
今日は事務班の一部と第二戦闘班とで訓練に精を出してるところだ。
最近の私は鬼の教導官として、キキョウ会メンバーへの徹底した訓練を面倒見てる。この雪中マラソンはその一環だ。
なんで今更こんなことをしてるかと言えば、もちろん理由がある。
それはある幹部会での出来事だ――。
「最近、やたらと喧嘩をふっかけられるな。六番通りだけじゃなく、そんなに人がいねえ稲妻通りでもよ」
「むしろキキョウ紋を標的に、されてるような気もするな。ぶちのめした後で理由を聞いても、目障りだからとかしか言わねえが」
「そう言えばそうですね。いつもより喧嘩の機会が増えた気がします」
賭博場の件も含めて色々やらかしてるからね。その影響かもしれない。
「退屈しなくていいがな。今のとこ、襲われてるのはメンバーだけでシマに被害はないんだろ?」
「ええ、報告ではそうですね」
巻き添えで無関係な店舗にまで被害を出すようなら、ただの喧嘩じゃなくなる。そういうのは私たちが最も嫌うことだからね。
喧嘩が増えるくらい別にいいけど、なんとなく不穏な気配だ。
「ジョセフィン、何か情報は?」
「情報班の調べたところ、不良冒険者やレトナークの騎士崩れなんかも、エクセンブラにどんどん流入してるみたいですよ」
「レトナークの騎士崩れや兵士崩れは今更だけど、不良冒険者?」
「悪名高い冒険者チームを筆頭に、ここ最近立て続けにそうしたのがエクセンブラに入ってますね。目的までは分かってませんけど」
レトナークの情勢が泥沼と化した影響で、エクセンブラは悪党の巣窟として順調にその勢力を増してきてる。
私たちキキョウ会はその勢力を増してるうちの筆頭なんだけどね。とにかく、ろくでもないのがどんどん増えてるのは事実らしい。
「不良冒険者ってか。なかなか面白そうな連中じゃねえか」
「こいつらはどれもパーティーを組んでいますから、喧嘩をするにしても要注意ですよ。どこに仲間がいるか、知れたものではないです」
冒険者は騎士とは違った意味で戦いに慣れてる。特に悪党なら、そのやり方はえげつないものがありそうにも思える。メンバーには注意喚起が必要だ。
「上等だぜ、なあみんな」
「はは、売られた喧嘩は買うのがキキョウ会ですからね。ですけど、くれぐれも気を付けてくださいよ。元騎士もそうですが、不良冒険者の中には、かなりの実力者がいるみたいです。こいつらに関しては、冒険者ギルドからも目を付けられる札付きですから」
身内の冒険者ギルドからも、厄介者扱いされてる奴らとはね。そんな奴らが面倒事を起こさないわけがない。
ウチと関わらなければいくらやってくれたって別に構わないんだけど、何しろウチは目立つからね。嫌でも関わることになると考えとこう。
「まあいいわ。喧嘩売ってくるなら叩きのめすだけよ。でも、そろそろウチも引き締めが必要かもね」
最近気になってたことを、ちょっとだけ零した。
「そうだな。一部には調子に乗り始めてるのもいるからな。実力を付けたのはいいんだが、最近は訓練に身が入っているとは言い難いな」
「訓練のノルマはこなしてるんだが、どうにもな。気合が感じられねえ。あたしも注意はしてんだが、危機感がないとどうにもな」
戦闘班の幹部連中は分かってたのか、賛意を示してくれた。
やっぱりね。もう十分強くなってるんだし、なんて油断してるのがいるんだ。甘い甘い。世の中、上には上がいる。それを忘れてはならない。
よし、ここは私の出番だ。
「冬の間は私が訓練を主導するわ。ちょうど雪の季節だしね。いいわね?」
収容所で冬の間にやってた雪中訓練について、ジークルーネたちは知らないから興味津々だ。少しだけ話して聞かせた。
「ほう、ユカリ殿はそんなことまでやっていたのか。面白そうだな」
「あたしらも気合を入れ直すには、いい機会いいかもな。ユカリ、頼んだぜ」
「えー、わたしたち事務班もですか?」
「お前らは相も変わらず血の気が多いのう」
フレデリカやエイプリルが零す不満は黙殺され、私が主導する訓練の実施は決定した。
ローザベルさんとコレットさんにはやらせないから、この二人は気楽なもんだけどね。
なんにしても私たちキキョウ会だけじゃなく、ほかの組織だって力を増してるはずなんだ。現状に満足するなんて許さない。
心身共に鍛え直してやる。もちろん、私自身もね。
キキョウ会メンバーには見習いも含めて、昨今の情勢から改めて危険を周知した。意識から変えていかないと。
その上で、私自身が一番きつい訓練をして見せることで、危機感を煽っていく。言葉だけじゃダメで、行動で示すことが重要だ。
最初から何度も言ってるように、キキョウ会は命懸けだっていうのを思い出させてやる。まさか忘れてしまった腑抜けはいないと思うけどね。
会長が先頭に立って背中を見せ、戦闘班の班長や副長たちが死に物狂いで必死に訓練する。
そんな引き締まった空気を醸し出す様子を見て、さすがに平のメンバーたちも、気合を入れ直したようだ。こうなれば、より良い訓練になるだろう。
ほかの大きな組織に比べたら、ウチはまだまだ小さな組織にすぎない。
それでも個々の実力では決して負けてないどころか、大きく上回ってるとすら思ってる。
このアドバンテージを失ってはならないし、むしろさらに大きくしなければならない。それこそがキキョウ会が今後も自由にやってくための唯一の術だろう。
「森に着いたら休憩取るけど、遅れたら追加訓練よっ! さあ、気張って行くわよ!」
さすがの私もあまりのリュックサックの重さに、息が少し乱れ気味だ。だけどペースは緩めない。
森に到着してからも訓練はまだまだ続くから頑張らねば。きつくなってからが訓練の本番と心得るべし。
気合と根性をバカにすることなかれだ。肉体と技の果て、生死を分ける最後のところは精神力になる。体力も技量も互角なら、より根性のある奴が勝つに決まってる。
森に到着するなり、私も含めて全員が雪の上にぶっ倒れた。ハード過ぎた。
体力回復薬や魔力回復薬は使わずに、自然回復に任せる。こうした訓練の時にはこれが一番。どうせちょっと休めば、みんな動けるようにはなるんだ。
今日の目的は訓練とは別に、素材回収と魔獣の討伐も予定してる。
素材は森の奥の湖にできる氷だ。これは天然の甘露とも言うべき、ほのかに甘い味がする珍味だ。冬場以外だと普通の水なんだけど、氷になると何故か甘くなる。よく分からないけど、おいしいならそれでいいじゃないってことで取りに行く。
そしてたまに様子を見にくる、商業ギルドのジャレンスからの依頼でもある。訓練で森に行く話をしたら、買い取ると言うからついでにね。
おまけの目的は魔獣の討伐。野生の動物とは違って、雪に包まれた森でも魔獣は冬眠せず活発だ。
しかもこんな雪の中を好き好んで森まで行く物好きは珍しい。ついでとばかりに、魔獣の間引きまで引き受けてしまった。
訓練になって金も稼げるなら、物のついでとしては上等だ。
まだみんなが息を整えるのもやっとの状況で、私だけはいち早く復活してどうするか考える。ここで休ませたほうが、効率は上がるかな。
「ユカリさん、もう少し休憩しましょう。まだ足が棒のようです」
訓練マニアのメアリーでも、だいぶ疲れてるみたいだ。副長のブリタニーに至っては軽口も叩けないみたいだし、ほかのメンバーも似たようなものだ。しょうがない、もうしばらく休憩だ。
リュックサックの重しはここで廃棄する。ここからは身軽になって魔獣を討伐しつつ、氷のある湖を目指す予定だ。
倒した魔獣の素材はもったいなくても、高値で売れる物以外はすべて捨てていく。氷が第一目標だし、そこらの魔獣素材より高値で売れるといった理由もある。
帰り道は全員が巨大な氷を背負いながら走って帰る予定だ。それでも行きの重しよりは軽い。
予定よりもかなり長い休憩を終えたら、さっそく湖を目指して出発だ。
魔獣を効率よく倒すため、みんな距離を開けて広がりながら、それぞれで湖まで移動することになる。
まだ戦闘に不安が残る見習いには私とメアリー、ブリタニーが一緒に行動する。正規メンバーたちは事務班も含めて、この森の魔獣程度なら単独でも問題なく倒せる。いざとなれば光魔法の合図もあるし、援護は十分に間に合うはずだ。
十分な時間をかけ、見習いをサポートしながら湖に到着してみれば、一面が氷付いた光景が出迎えた。
日の光がキラキラと反射して、眩しくてしょうがない。
「うわあ、すごーい!」
「綺麗です……」
「凄いな。こんな景色があったのか」
感嘆する見習いたちの気持ちはよく分かる。森の中に突然現れる氷の世界は、現実離れした美しさだ。
景色に見入る時間はない。先に到着済みのメンバーはもう働いてる。
湖面を砕いて適当な大きさの氷を作ったり、そこらに鎮座する巨大氷を運んでは、岸辺の雪の上にせっせと集めていく。その光景がなければ、もっと幻想的な景色に思えただろう。
甘い氷の切り出しや、運びやすい大きさへの成形作業は魔法を使って着々と進む。
この調子なら、私が手伝ことはなさそうだ。それにしてもこの湖の氷はどのくらいの厚さがあるのか。まさか全部の水が凍りついてるなんてことは無いだろうけど、相当な分厚さがある。深く砕かれた湖面の氷を見ても、まだ水の部分が現れない。
成形していい塩梅に作られた氷の中から、各人の体力に応じた大きさの物を運ばせる。
みんなが運びやすよう私が適当な背負子を魔法で作り、そこに巨大氷を乗せワイヤーで括り付ける。これなら、少しは運び易かろう。
氷の準備はもう大丈夫そうだから、帰りの準備を進めてると何やら騒がしい。
「逃げろー!」
「退避! 退避! 岸に上がれー!」
何が起こってるの不明だ。湖面で作業してたメンバーが必死の形相で逃げてくるのだけは分かる。
見守ってると静かだった湖から、ゴゴゴゴゴゴといった地鳴りが聞こえた。
「なによ、これ」
単に氷が割れるのとは違うだろう。逃げてきたメンバーと一緒に、地鳴りを上げる湖面を注視する。
何事が起ころうとしてるのか、急激に氷が盛り上がり始めた。唖然とする私たちを尻目に、氷の盛り上がりはどんどん高くなっていって、小さなビルくらいにまで成長する。
ずんぐりとした塊からは、いくつもの氷の破片がボロボロと剥がれ落ちて、その盛り上がりはある形になっていった。
姿を表したそれは、氷の巨人だった。
いわゆるアイスゴーレムって奴だ。こんなところに出るなんて聞いてないけど、まあ訓練にはちょうどいい。ここはみんなに頑張ってもらおうか。
アイスゴーレムも完全に私たちをターゲットと定めたようで、湖面の氷を砕きながらゆっくりと近づいてくる。
私も含めてだけど、全員が初見の魔物みたいだ。みんなはまだ呆然としてる。
「なにボーっとしてんのっ! 敵よ!」
はっとして戦闘準備に移行するメンバーたち。各自、そこらに置いてあった武器を手に取った。
「ユカリさん、あれはもしかしてアイスゴーレムですか!?」
教育の賜物だ。だいたいの魔獣や魔物は、キキョウ会メンバーなら知識として修めてる。もちろん、その特徴や対策も。
ゴーレム系は厄介な魔物だ。今回のケースだと、アイスゴーレムの身体を砕いても切り落としても、周りにある氷を使って即座に再生してしまうだろう。
倒す方法は周囲の氷も含めて全部を溶かしてしまうか、アイスゴーレムの核を破壊することだ。
その体はただの氷だから強度はさしてないけど、肝心の核は分厚い胴体に阻まれた心臓に当たる場所に存在する。氷の体を再生を許す暇もなく砕ききって、核を破壊するのはなかなか難しい。
火魔法の適正持ちでもいれば難易度は大幅に下がる。下級魔法程度だと焼け石に水だろうから、中級魔法の威力は欲しい所だ。
でも残念ながら、ここにいるメンバーの中にはいない。ほかの魔法や武器を使って核を破壊するしかない。
まあゴーレムの動きは鈍重だから、通常は勝てないなら逃げればいいだけなんだけどね。今回は訓練だから戦わせる。それに勝てると思う。
現にみんなは、私が何か言うまでもなく対処しようと動き出してる。
「見てのとおり、アイスゴーレムよ! 存分にやりなさい!」
最初は見慣れない魔物に萎縮してたメンバーも、正体が分かれば余裕も出てきたようだ。
「再生する前にバラバラにしてやるっ」
「こっちはまず足を破壊するぞ、動きを止める!」
「あたしらは邪魔な腕から切り落とす!」
それぞれが持つ武器は色々だ。使う得物で役割を即座に判断し、自分がやるべきことを定めて動き出す。
幹部のメアリーとブリタニーは、直接戦闘よりも一歩引いて、必要があれば手助けと指揮に専念するらしい。私だけは岸辺で高みの見物だ。
アイスゴーレムはその巨体から繰り出す攻撃で、威力だけなら凄まじいものがある。
大きな拳の叩きつけをまともに食らえば、いくらキキョウ会特製の外套を着てたところでタダじゃ済まない。だけど、その攻撃は単調で遅い。
知能の低い魔物は魔法も使ってこないし、遠距離に氷を飛ばしてくるなんてこともない。気を付けてさえいれば、ウチのメンバーならまずやられることはない相手だ。
メンバーみんなの戦いを実際に見ても、やられる心配はなさそうに思える。だけど決定打に欠ける。
腕を切り落とし、足を砕いても、氷の巨人は瞬く間に再生して前進を止めない。
隙をついて核がある胸の氷を叩いても、分厚い氷は核までの距離を果てしなく感じさせる。ちょっとしたダメージなら、すぐに再生してしまうんだ。今のペースじゃ、破壊と再生をループするだけだ。とても倒しきれそうにない。
決定打に欠けて倒せないなか、どんどん進むアイスゴーレム。
気のせいか、なんか私に向かってきてるような。
「手足を壊しても無駄です! 胸に集中して、一気に核を潰しなさい!」
メアリーの指示だ。今のメンバーだと、取れる手段はそれしかないかな。
指示を受けて核が収まる胸部に攻撃を集中させると、少しずつ再生を上回る速度で破壊が進んでいく。この調子なら勝てる。
だけど。
「このままだと倒す前に私のとこまでくるわね……」
私が移動すればいいだけなんだけどね。何となく、競争みたいになった展開を見守る。
メアリーとブリタニーは私の位置とアイスゴーレムの速度、胸部の破壊進度を見て、スピードを上げるように指示を出した。さて、どっちが早い。
突如発生した競争を面白く見守りながら時を待つ。
胸部の破壊はかなり進んで、核の破壊はもう間もなくだ。
うん、もう間もなく、なんだけどね。
「惜しい、ゲームオーバー」
もう少しだったのに、アイスゴーレムは私の目の前にいる。
そして振り下ろされる巨大な氷の腕。
「ユカリさん!」
まったくもって心配無用だ。そのくらい分かってるだろうに。
重い衝撃音が氷原に響いた。唸りを上げる氷の剛腕を受け止めたのは、私の細い左手一本。これが会長の実力ってやつだ。
受け止めた氷の腕を剛力で握りしめ、勢いでへし折ってしまう。そうして後ろにぽいっと放り投げたところで、アイスゴーレムが崩れ始めて氷の山と化した。
ちょうど核の破壊が終わったらしい。
「会長、なんで逃げないんですか!」
「危ないですよ!」
心配かけたつもりは特にないんだけどね、まあいいか。
今回の遭遇戦は、初物相手にしては良くやったと思う。
火魔法の適正持ちがいない状況で、あれだけの速度で被害もなく倒せるなら上出来だ。
メアリーを中心に戦闘評価を行ってから、少しだけ休憩を取らせる。まだ氷を背負って帰る訓練もあるからね。
その後、ひーひー言いながらエクセンブラまでたどり着けば、巨大氷を抱えた様子を街の人にガン見されながらも商業ギルドに直行。成功報酬をしっかり受け取った。
報酬の半分はキキョウ会への上納金に回して、あとは山分けだ。
珍味の氷の一部は、私たち自身で味わう分も確保した。食堂のおばちゃんにかき氷を作ってもらうんだ。甘い氷は疲れた体にちょうどいい。
冬だけどね。ここじゃあ、冬ならではの風物詩でもある。
こうしてさらなるレベルアップを図るキキョウ会は、売られた喧嘩を買っては徹底的に叩きのめし、悪名をさらに高めてしまう。
現在のところのキキョウ会の縄張りは、エクセンブラ東の狭い地域に限られる。
裏社会においては、その小さな縄張りとは相容れないほどの悪名が広がりつつあって、完全に悪目立ちした状況にある。
情報班からの客観的な報告に目を通しながら、ほんの少しの心配を覚えた。