オペレーション・エスケープ
キキョウ会の目下の目標は、自前でやる賭博場の開設だ。
箱だけなら準備は簡単だ。現に場所だけはとっくの昔に確保してる。キキョウ会支部の地下がそれだ。設備や内装だって金さえ出せばすぐに準備は進められる。
問題なのは人。特に重要なところで、まずディーラーだ。
ディーラーはゲームテーブル毎に一人付いて、カードを配ったりダイスを振ったり、配当に応じたチップを配ったりする役目だ。
当然、ディーラーはゲームの知識に優れ、カード捌きなんかの技術にも優れる必要がある。さらには客と一番密接に関わるポジションだから、接客の技術も求められる。
初心者からベテラン、老若男女と様々な客を楽しませ、ゲームを盛り上げるホスト役だって兼ねる。そうした高度な技能を求められる職業だ。一から育てようったって、簡単にはいかない。
私たちキキョウ会が求めるのは女のディーラー。これはそもそもの絶対数が少ない。まったくいないわけじゃないし、エクセンブラ全体で見れば、そこそこの人数はいる。
ところが各方面に募集を掛けても、一向に連絡がない。ほかのところよりも圧倒的な好条件にも関わらず応募はゼロだ。
間違いなく圧力がかけられてる。キキョウ会に対する嫌がらせの一種か、これ以上勢力を伸ばすことへの牽制か。とにかく欲しい人材の獲得ができない。こうした事情から、頭を悩ませてたんだ。
無論、そんなもんに屈する私たちじゃない。実際にどんな女ディーラーがどこの賭博場で働いてるかといった調査を実施した。直でヘッドハンティングしようと考えたわけだ。別に応募なんか待たなくたっていいんだ。
そうした中で判明していったのが、一部の賭博場で奴隷のように働かされる女従業員やディーラーたちの存在だ。
もうその人たちをキキョウ会で確保したら、話が早いってなるのは当然の考えだ。
実のところ、賭場関係の女性団体からの相談がなくたって、奴隷状態の女たちについては私たちが勝手に助けてキキョウ会に組み込む計画だった。
今回、その関係者が私たちと接触してきたのは渡りに船としか言いようがなかった。彼女たちが話を通してくれれば、話が早いからね。
ディーラーはできるだけ多く確保したい腹積もりでも、それぞれに事情だってあるだろうから、ウチにくることを無理強いはできない。どのくらいの人数がウチに逃げ出したいのか、事前に把握できればそれに越したこともない。
そうやって準備ができれば実行あるのみ。今回の件でそれが早まったのは僥倖だ。計画を前倒しできる。
交渉官の女たちを前に、賭博場を脱出した後のキキョウ会への帰属を勧めてしまう。
ウチの待遇は現状からは天地の差があるといっていいレベルだし、文句はないだろう。
「あなた方のキキョウ会に賭博場はなかったはずでは?」
「良く知ってるわね。これから作るのよ」
「はあ、ずいぶんと簡単におっしゃいますね……」
たしかに、軽く言っても信じられないかもしれない。
納得するだけの材料を提供しないと、素直に協力しにくいのは理解できる。彼女たちにも責任ってもんがあるだろうからね。
「すでに箱は用意してるわ。内装や設備の準備はこれからだけど、資金もツテもある。あとは人を集めるだけで、やるかやらないかの問題なのよ」
「……先に確認させて頂くことはできますか?」
「箱のことだったら、今はまだ何もない場所があるだけよ? 見ても何もならないと思うけどね」
「それはそうですが。では、具体的にはどうするのですか? 例えば軟禁状態の彼女たちをどうやって解放するのか、とか」
軟禁状態にあることはジョセフィンたちの調査でとっくに分かってる。
女たちの労働時間は、だいたい夕方から未明まで。その労働時間と身だしなみを整えるため時間以外は、地下のタコ部屋に押し込められてるらしい。
タコ部屋に押し込まれてる間は、外から施錠されて逃げられないようになってる状況だ。
施錠した後の建物内には、何人かの世話係が住み込んでるくらいで、ほかに人はいないらしい。その世話係も女を見張ってるわけじゃなく、普通に就寝するから忍び込むのは容易い。
朝の寝入った頃に侵入して、こっそりと連れ出すだけの簡単な仕事だ。
「そのための算段くらいついてるわ。あんたたちにやって欲しいのは根回しよ。逃げ出す意思のある人に、その準備をしとくようにってね」
私物は極限まで少ないだろうし、大して準備することはないように思う。それでも心構えくらいはさせとかないといけない。
急に私たちが行ったって、混乱されるのが落ちだ。スムーズに救出なんかできるはずない。最悪は誘拐と勘違いされるかもしれない。無駄なやり取りを避けるためにも、事前の根回しは必要だ。
「構いませんが、どのようになさるのか聞いてもよろしいですか?」
私たちはすでに下調べを実行し、具体的な状況を把握済みだってことを教える。
その上で外から手助けすれば、逃げ出すのは難しくないと説明してやった。
「……あなたの話を聞いていると、何だか簡単な事のように思えてしまいますね」
「実際のところ、難しいことはないと思うわよ。さっきも言ったけど、やるかどうか実行力の問題ね。決行する日の調整はあんたたちに任せるわ」
「そちらはお任せください」
どうやら実現可能と判断してくれたのか、俄然やる気になる交渉官たちだ。できるだけ早いほうがいいなんて話し合ってる。
待ってたって時間は解決してくれず、ほかに頼る人もない。こっちの作戦に賭けるしかないってのが現実だろう。
「ああ、そうだ。あくまでも自主的に辞めて出て行ったって、体裁は取りたいわね。そうじゃないと最悪、私たちが誘拐したとか、無理やり連れ去ったなんて言われかねないわ」
逃がした後はウチで働かせるわけだし、閉じ込めたりなんかしないから即バレる。
「そうですね。どちらにせよ難癖は付けられるでしょうし、少しでも対策はしておきましょう。辞める意思を手紙にしたためて、部屋に置いておくようにしましょうか?」
「うーん、そうね。それでいいんじゃない? 誰かが代表して一通用意しとけば、それだけで事足りるわよ」
あくまでも形だけだ。握り潰されそうな気がするしね。
なんにせよ、自由意思に基づいてキキョウ会で働いてもらってる状況になってしまえば、少なくとも誘拐だのなんだのと難癖は付けられまい。監禁してた側が文句を言う筋合いでもないんだし。
「では日取りが決まりましたら連絡します」
賭博場関係者にビビッて青い顔してたのもどこへやら。
すっかり気を取り直して、次の作戦に邁進してくれるようだ。
結局、この数日後に実行日は決まった。
賭博場からの脱出作戦は早朝にやる。私はそれまで準備することもないから、当日もいつものように早起きするだけだ。
情報班にはイレギュラーがないとも限らないから、決行まではずっと偵察や監視をしてもらう。ご苦労様だ。
今回の作戦は戦闘じゃなく潜入を主とするから、目立たない行動を得意にした情報班の実行部隊に任せる。
私が引き受けたことだし自分でやっても良かったんだけど、私はどちらかといえばド派手にぶちかますタイプだから向いてない。それにほかのメンバーの活躍の機会を奪うべきでもないだろう。気楽に任せればいいんだ。
一応は念のため、バックアップとして付近には待機する。見届ける責任くらいはあるからね。
そして脱出作戦を実行する朝、まだ暗い時間だ。
寒いけど天気はいいし、何も支障はない。ジープで移動するから雪でも積もってたら面倒だったけど、その心配もなくなった。
夜の間のイレギュラーもなかったみたいで、あとは計画通りに実行するのみ。
「そんじゃグレイリース、今日は頼んだわよ」
ぽんと肩に手を置いて激励してやる。
「任せてくださいよ!」
むん、気合を入れる様子は微笑ましい。
今回の作戦に当たっては、情報班の新鋭であるグレイリースに主導させる。
グレイリースを班長として、ほかは二人だけサポートに付けて侵入する手筈だ。グレイリース単独でも問題ないとは思うけど、何があるか分からないし、部下を率いて行動するのも経験のうちだ。
ジョセフィンとオルトリンデはほかにも色々と仕事を抱えて忙しいし、作戦の難易度も大したことない。場数を踏ませる機会にはちょうどいいってことで、今回の人選になった。
私やヴァレリアが外で待機もするし、いざとなれば強引な手段に打って出ても何とかなる。
「グレイリース、そろそろ行くわよ。みんなもいつもどおりにね」
うなずくグレイリースは今日の班長らしく、気合の入った顔つきだ。
情報班の若衆とヴァレリアも引き連れて、ジープで速やかに移動開始。もう一台のジープも同行し、ジークルーネが運転する。
サクッと終わらせよう。
まだ人通りの少ない静かな時間帯。
住み込みの従業員が就寝中なのは分かってるから、堂々と賭博場の裏手にジープを停車した。勝手口のすぐ前だ。
「何かあったら、騒ぎなさい。ヴァレリアを突入させるから」
「はい、でも上手くやってみせます」
緊張してても自信ありげに言って、素早くグレイリースたちは車両から飛び出した。
私たちにとっては普通の扉の鍵なんて、あってないようなもの。なるべく音を立てないように、ドアその物を破壊して侵入するグレイリースたち。
表側の入り口は立派な物でも、勝手口なんてしょぼい造りだ。鍵こそしっかりしたものを付けてても、入り口そのものをぶち壊してしまえば関係ない。
私から見ても練度の高い動きで素早く、連携しながら内部に侵入していく三人を見送る。
「なかなかやりますね」
「ジョセフィンとオルトリンデの鍛え方がいいんだろうね。サマになってるじゃない」
一応、周囲を警戒しつつも、高みの見物気分だ。お手並み拝見といこう。
雑談などはせず、静かな街の雰囲気を感じてると、思ったよりも早く動きがあった。
短い時間で情報班の一人が戻ったんだ。侵入してから、まだ三分も経ってない。
さらにその後に続く、見覚えのない女たち。緊張した様子でおっかなびっくり外に出る。ぞろぞろと続き、最後はグレイリースだ。
あらかじめ聞いてた人数がいるし、バレた様子もない。上手くやったらしい。
情報班の若衆が身振りでジープに乗り込むように誘導して、残ったグレイリースともう一人が周囲と賭博場を警戒する。
油断のない仕事ぶりを徹底する姿は、キキョウ会の会長として満足感を覚えさせてくれた。
二台のジープに分乗させて、最後にグレイリースがジープに乗り込み撤収準備完了だ。
「ユカリさん、出してください!」
静かにジープを発進させて作戦終了。連れ出してしまえばこっちのもんだ。
情報班と今回のグレイリースたち実行部隊には、ボーナスを出してもいいくらい見事な手際だった。ヴァレリアまで満足そうに助手席で薄く微笑んでる。
助けた女たちを支部に送り届けた後、本部に帰るとジョセフィンが待ってた。気になってたんだろう。
グレイリースたちは直接助け出した人員として、ある程度の信用を得ただろうから、しばらくはそのまま護衛兼世話役として支部に詰めてもらう。
「お帰りなさい。グレイリースたちはどうでした?」
「どうもこうもないわ。完璧な仕事ぶりだったわよ。ね、ヴァレリア」
「あれならお姉さまの足を引っ張ることはないでしょう」
ヴァレリアは世辞を言うタイプじゃない。ジョセフィンも分かってるから、素直に嬉しそうだ。
「お二人に褒めてもらえるなら、グレイリースたちももう心配ないですね。これからガンガン働かせましょう」
「ふふ、ジョセフィンとオルトリンデの教育の賜物ね。これからも頼りにしてるわよ」
「いやー、お手柔らかにお願いしますよ」
互いに忙しさを思って苦笑した。
賭博場の内装のことではまたジョセフィンからの助言も欲しいし、今回助け出した彼女たちに協力してやって欲しいと考えてる。
うん、ジョセフィンはこれからも忙しい。その分、グレイリースたちにはもっと頑張ってもらわないと。
結局のところ助け出したのは、タコ部屋にいた十六人もの女たち。さすがに残ると主張する人はいなかったらしい。
誰もが借金のせいで働いてたわけじゃなく、騙されたり人身売買の行く末にそこにいた人たちだ。
元からエクセンブラの住人だった人もいれば、余所から連れてこられた人もいた。全員が天涯孤独ってわけじゃなくて、帰る場所がある人のほうが多かったけど、少なくともほとぼりが冷めるまではキキョウ会で働く話で纏まってる。
ただ、助けた人のなかにディーラーは四人だけしかいなかった。それに従業員として残りの人たちを合わせたところで、この人数だけじゃとても賭場を営業するには人手が足りない。これからの勧誘工作もまだまだ大事になる。
ひとまず連れ出した女たちは、数日の休養を与えることにした。
まだ大腕を振って外を歩かせるわけにはいかないけど、支部の中でのんびりとするだけでも、多少はリフレッシュできるだろう。
食事は支部の一階でできるし、外に出なくても生活はできる。
数日程度は我慢させ、その後に外出したい要望があったら、最初は護衛付きで可能とする検討はしてもいい。
ほとぼりが冷めたと、いつどう判断するのか微妙なところだし、いつまでも閉じ込めとくわけにはいかないんだ。
どこかのタイミングで徐々に外出は許可しないといけない。
もしトラブルがあったとしても、その時に考えればいい。喧嘩上等!
十分に休養が取れ、ほとぼりが冷めた後からは、もうさっそく働いてもらう。
まずは自分たちの職場となるる賭博場の整備だ。賭博場の内装に手を付けてなかったのは、実はこのためだったりする。
職場を自分たちの手で作り上げた場合、愛着の持ちようが全然違うだろう。これを狙ってるんだ。
待遇の問題だけじゃなくて、末永く一生懸命頑張って欲しいと思ってるからね。
半ば無理矢理にとはいえ、ずっと賭博場で働いてきた彼女たちだからこそ、できることがあるはずだ。
良いものになるなら、金はいくらだって出す。それ以上に稼げる見込みがある賭博場作りに貢献して欲しい。彼女たちに求める最初の仕事だ。
後日、我がキキョウ会がこれから運営する賭博場の噂を聞いて、秘密裏に接触してくる女ディーラーや従業員たちがいた。
狙い通りだ。もちろん、ウチとしては大歓迎だから、元にいた賭博場からの脱退や身の安全の保証は万全にするよう準備を進めた。
そうして少しずつでも、向こうから接触してくる人や、直接的なヘッドハンティングで人数を増やしていってる。
時間はかかっても、着々と営業に向けて人員と設備は整いつつある。
私も賭博場の開設が楽しみだ。これでまたガッポリと儲けられる。
懸念としては、ウチの引き抜きにあった組織を中心に、各方面から恨まれてるかもしれないってところかな。
従業員が逃げ出すのは自業自得なんだから、恨まれる筋合いなんかない。そのくらいのこと、自覚して欲しいもんよね。




