立つ鳥よ、跡など好きに濁せ!
穏やかに感じる日々は、きっとかけがえのないものだ。
しかし、それが続けばやがて退屈な日々へと変わってしまう。人間とはなんて、わがままな生き物なんだろうね。
特に私のような刺激を求めてしまう性分の持ち主にとって、退屈は毒でしかない。
このままここに居続けたら、自らが爆弾となって何かを仕掛けることは確実だ。
それこそ戦争だって辞さない。誰彼構わず喧嘩売って、世間の迷惑も顧みずに暴れまわることをよしとする。
まさに毒をバラまく悪党の所業だ。
そんな名残惜しくも、毒を溜め込む日々がやっと終わる。
私たちは明日の早朝に、エクセンブラに帰る。ついにこの日がきた。
今日は学院の冬休みを前にした、夜会の日。
参加自由の夜会では、学院の女子生徒たちが各々の婚約者などパートナーを招待し、盛大に行われるらしい。
私はまったく参加する気はなかったのに、第三王子に招待されてしまったのものだから、しょうがなく出席することになった。これが最後と思えば、面倒でもまあ我慢できなくはない。
諸々の煩わしい準備を済ませて臨み、夜会が開催されて少し時間が経った頃合い。
貴族の子供が集まる夜会らしく、非常に華やかな雰囲気だ。上品さよりも、楽しさ優先といった感じも微笑ましい。
なにより、知っている生徒たちが楽しそうにしているのがいい。私は死ぬほどつまらないけどね。
「ユカリ……おっと失礼。イーブルバンシー先生、このワインはいかがですか?」
ベルリーザ第三王子のマクシミリアン、わざとらしい話し方をする奴ね。
しかし、この場に箔をつけるためとはいえ、王族が直々にこんな夜会に足を運ぶとは驚きだ。それに付き合わされる私にとっては、面倒以外の何物でもないけど。
「結構よ」
こんな野郎相手には、冷たいくらいでちょうどいい。素っ気なく返事をすると、王子は人懐っこい笑顔を浮かべる。
薄い記憶を引っ張り出して、昔を思い出す。忘れっぽい私でも大国の王子ともなれば、いつか何かに利用できると思って覚えていた。
前に一度だけ会った時と同じ、あまりに胡散臭い爽やかさだ。時が経っても、こいつは軽薄な王子様のままらしい。
「随分と冷たいんだね。昔のように親しく話せないのかい?」
「親しく? 私にはそんな記憶、これっぽっちもないですが。勝手な思い出を作り出さないでください」
「おかしいな。美しい記憶として残っているのだがね。あの時の君の魅力的な……」
ふざけた調子で、どうでもいい美辞麗句を並べ立て始めた。
なんだ、こいつ。これで私を口説けると本気で思っているのだろうか。だとしたら、ホントにふざけた野郎だ。
割と本気で殴りたいなと思っていると、パーティー会場の雰囲気を変える騒がしい声が重なり始めた。
「な、なんですって!?」
「こんな場所で、婚約を……」
「まさか、イーディス様が……」
イーディス? 地獄耳が名前を捉えた。
とっさにその姿を探すと、巻き毛の少女が貴族の若者らしき男と対峙している。
よく見れば巻き毛の顔は引きつり、不満と怒りの感情にあふれている。楽しい夜会には、どう見ても相応しくない雰囲気だ。いったい何事?
いや、巻き毛の顔はむしろちょっと泣きそうな感じ?
待てよ、すると男に振られて泣きそうになっているってこと?
あの気の強いイーディスが振られて?
それこそ驚きなんだけど、あいつも不良を気取っていても若い女子だ。ショックやら悲しみやらがあふれてしまったということなのかな。でもこれはどういう状況よ。
「もう一度言う。君との婚約は、本日をもって解消させていただく!」
中途半端な雰囲気イケメンが高圧的な態度で宣言した。
周囲の困惑をなぜか心地よさげに受け止めて、まるで用意していたかのような声の大きさで、芝居がかった仕草で。
イーディスを見せしめにして、この場の主役を気取っているつもりらしい。
うん、たぶんそういうことだろう。こんな大勢の奴らの前で、わざわざ婚約の破棄を宣言しているわけだからね。
ふざけた野郎だ。どういうつもりなんだか。
「理由はいくつもあるが、あえてひとつ言うならば! それは、君の素行の悪さだ。人形遊びなんぞにうつつを抜かし、淑女らしからぬ振る舞いをする君とは、とてもではないが――」
つまらん理由だ。聞くに堪えない。
私は王子が差し出していたグラスを奪い取ると、中身を一気に飲み干した。私はブランデー派だけど、このワインは悪くない。これから起こることを考えると、実にもったいない。
「ふう。殿下、いまからちょっとした見世物があるんですけど、最前列でご覧になる?」
「見世物? 何が始まるのだろうね」
王子は問い返しつつも飄々とした表情だ。食えない野郎だと思うけど、そういうところだけは嫌いじゃない。問いには笑みを浮かべて返してやろう。
「私はこれでもあの女子生徒を守る立場にあります。倶楽部の顧問として、学院の講師として、教え子が殴られるのを黙って見過ごすわけにはいかないんですよ」
手にした空のグラスをもてあそびながら歩き出した。
イーディスへの屈辱のお代はどれほどのもんだろうね。とりあえず奴が作ったあの場を、派手にぶっ壊してやる。
「おっと、お待ちください! イーブルバンシー先生、そこまでです」
婚約破棄を宣言した雰囲気イケメンが、まるで私の動きを待ち構えていたように、派手なポーズ付きで制止の声を上げた。どうやら私のことについて、ある程度は知っているらしい。
さっきまでのイーディスへの高圧的な態度とは少しだけ違い、取ってつけたような紳士的な物腰だ。全然、サマになっていないけど。
「我々上級貴族の事情に、一介の学院講師が口を挟むことはできません。しかも、イーディスの素行の悪さについては、イーブルバンシー先生、あなたにも責任の一端があるのでは? そもそもが――」
何を言い出すかと思えば、くだらん奴だ。お坊ちゃまの戯言に付き合っていられるか。
苛立ちに任せて、手にしたグラスを床に軽く叩きつける。綺麗な石の床で派手な音を立てて砕け、思ったとおり野郎の言葉を遮った。
急速に膨らむ不穏な雰囲気に呑まれ、会場の喧騒が一瞬で止まる。
ここからは私のターンだ。
「お前、随分と気持ちよさそうに能書き垂れるわね」
割れたグラスの破片を踏みながら、ゆっくりと歩み寄る。
私の迫力や雰囲気に気圧されたのか、野郎がおたおたと後ろに下がる。まったく、しょうもない奴。
「ま、待て。だから、これは我々上級貴族の事情で……」
知ったことか。私が気に入らない、理由などそれだけで十分だ。
しかもまだくだらない言い訳を口にするなんて。脅しが足りないようね。
テーブルに置かれていた高価なワインボトルを手に取る。
ふん、あんま好きな銘柄じゃないわね、と呟きながら、それをこれ見よがしに振り上げる。
「なっ……」
野郎の言葉が喉の奥で止まる。会場の多くの奴らが息を呑むのがわかった。
グラス落として割っただけなら、どうとでも言い訳は立つ。でもボトルを振り上げて割ったとなれば、言い訳などできるはずもない。一介の講師が、王族もいるこんな場所で、とでも多くの奴らは思っているのだろう。
関係ない。遠慮なく振り下ろしたワインボトルが、雰囲気イケメンの傍らのテーブルで粉々に砕け散る。
深紅の液体が床に広がっていくのが、血を連想させ少し気分が高まる。
「さっきの続きを聞かせなさいよ。私に責任があるって、どういう意味で言った?」
私の黒いドレスの裾が、床に広がったワインを吸い込んでいく。ちっ、これは不愉快だ。
雰囲気イケメンは震える声で言い訳を始めようとしたけど、私は構わず歩み寄る。
別のテーブルからワインボトルをまた手に取り、軽くテーブルを叩く仕草をみせれば奴の顔が青ざめた。殴られるとでも?
「き、貴様が何をしようと、ここには王族がいらっしゃるのだ! 下劣な暴力など許されるわけが」
「へえ?」
近い距離で正面からお坊ちゃまを見据え、あえて笑顔を浮かべる。すると奴は一歩後ずさり、情けなくよろめいた。
また私が一歩迫ると、今度は王子のほうに顔と足を向けようとした。そこまで情けないとは、さすがに予想外だ。
「お前まさか、殿下に助けを乞うつもり? 随分と立派な貴族じゃないの」
ゆっくりとボトルを傾け、高価なワインをドボドボと床にこぼす。
これだけ高いワインを無駄にするのは本当にもったいないけど、雰囲気作りには有効だ。無礼は悪党の専売特許なんだと知れ。ガキが遊びでやるもんじゃない。
「イーディスがどんな振る舞いをしようが、こいつは私の教え子よ。こいつに屈辱を与えた挙句に、私に責任があるとまで言い切った。随分と勘違いしてるみたいだけど、それをどう正してやろうか?」
空になったボトルを床に投げ捨てる。割れずに転がっただけだけど、転がる音がなんだかマヌケで場違いに思えた。
「お前さ、私が何もできないって、勘違いしてない?」
声のトーンを落として尋ねる。やろうと思えば、なんだって可能だ。私は力のある悪党なんだからね。
短絡的にも殺されると思ったのか、奴は両手を前に出して必死に後退りを続ける。へっぴり腰のまたみじめなこと。
「ひ、非常識な! こ、このような場で、まさか本気で」
「情けない奴」
一歩、また一歩。私が前に出るたび、奴は後ずさる。
その度に、床に広がった深紅のワインが黒いドレスに吸い込まれていく。不快でしょうがない。
「殿下、こ、この女は常軌を逸していま――」
奴は必死に助けを求めようとしたけど、その声が途切れる。
喉元まで伸びた私の手を見て、言葉を失ったようだ。さすがに殺すつもりはないけど、このまま少しだけ絞めてやろうかしらね。
「イーブルバンシー先生」
ふと、王子の声が聞こえた。
「邪魔するつもり?」
「まさか、お好きにどうぞ。いや、これ以上掃除が大変になるようことは遠慮してもらえば、とだけ言っておこうか」
王子は相変わらずの軽薄な笑みを浮かべながら、グラスを傾けていた。
面白いことを言う奴だ。好きにはなれないけど、その度胸は認める。
「私をなんだと思ってんの?」
王子に向かって言いつつ、次に雰囲気イケメンの襟首を掴んで引き寄せ耳元で囁く。
「帰れ。二度とイーディスに関わるな。もし私の言うことが聞けないなら、お前の家を潰す。どんな手を使ってでも追い込む。私と、イーディスのリボンストラット家を敵に回すのは無謀だって、ガキでも知っておけ。逆らうのはお前の自由だけど、これからの人生、ゆっくり眠れる暇があると思うなよ」
本気を理解できたのか、顔から血の気が引いていく。
見せしめとしてはこんなもんだろう。これだけの場で、上流階級のお坊ちゃまがこんな惨めな姿を晒したのだからね。
どいつもこいつも私の教え子を馬鹿にしたら、こっちにツケが回ってくる。そう覚えておけ。
「イーブルバンシー先生! 大至急お知らせしたいことが」
今日は会場にいなかったはずのルース・クレアドス生徒会長が、小走りに近寄ってきた。
表向きには完璧な令嬢が、こんな場所でいきなりなんだろう。どうやら只事ではない様子だけど。
ルースはこっちに近づく王子の存在を気にしつつも、お知らせとやらと口にする。
「先生はアスラリリス様をご存じですか?」
「そりゃあ知ってるけど、どうしたの?」
「アスラリリス様がこちらへ向けて動き出した、と。先生に大至急お知らせしなさいと言われまして」
第四王女アスラリリス・レア・ベルリーザ。彼女は近しい者には愛され、一般の国民には面白がられ、悪党には恐れられている。
周囲の迷惑を顧みずに、趣味の悪者退治を日課にしているお姫様は、親しみやら何やらを込め、悪姫のあだ名と呼ばれていた。私は彼女のファンとして、秘かにずっと気にしている。
というか、なんで生徒会長のルースが? 親のクレアドス伯爵からの情報みたいだけどね。
王子のほうに顔を向けてみれば、彼はなぜか得意そうな顔をした。いったい、なんなの?
「アスラリリスは君に関心があるみたいだよ。明日に帰ると教えてあげたら、じゃあ今夜中に捕まえようと張り切っていたね」
「なにそれ?」
私を何らかの罪状で拘束するつもり?
ベルリーザの貴族はもちろん、情報部を筆頭にあちこちとは話がついているはずなんだけど……すると、これは悪姫ちゃんの独断だろうか。
さすがに王族を撃退するのはマズい。ベルリーザでのシノギに支障が出る。
こうなれば以前にもそうしたことがあったけど、逃げの一択だ。
明日の早朝には出発の予定だったから、すでに荷物は車両に運び終えている。
お姫様がどこまで私の移動方法やルートを把握しているか知らないけど、たぶんタイミングからしてそこまで詳しくないと思う。逃げるくらいはなんとかなる。
「殿下、お騒がせしました。私はここで失礼します」
「おや、もう帰るのかい?」
王子は困ったように首を傾げた。どこまでも、すっとぼけた野郎だ。
「悪党退治が得意の悪姫、実は私はそんな彼女のファンなんですよ。獲物になって少し光栄に思うけど、捕まる気はないので」
にやりと笑ってみせると、王子も楽しそうに笑った。なによ、さっきまでの胡散臭い笑顔よりよっぽどいい。
さてと。
唐突だけど、これでベルリーザでの時間はしまいだ。最後に一言。
「イーディス!」
巻き毛の少女が顔を上げる。涙はとっくに引っ込んでいるらしいけど、落ち込んだ顔なんてこいつには似合わない。もう全然、まったく似合わない。
「あんなバカのことなんか気にするな。お前には私の教え子として、もっと気位高くいてもらわないと困るわよ」
「……わかってるわ」
情けない顔から一転し、イーディスが不敵な笑顔を見せた。それでいい。
「じゃあね、ほかのみんなにもよろしく」
すでに魔道人形俱楽部を中心とした、なじみのある生徒たちとの別れは済ませている。この場にいる生徒にもさっと視線を走らせるだけで、挨拶としては十分だ。
これ以上の別れの言葉など必要ない。
言うと同時に走り出す。建物の外に出れば、街がいつもより騒がしい気がする。悪姫の動きの影響?
「ちっ、参ったわね。もしかして、もう追手がかかった?」
いずれにしても、追手がまず向かう先はあの夜会の会場だろう。なら問題ない。
「こちら紫乃上、緊急でキキョウ会総員に告げる。繰り返す、紫乃上から緊急で総員に告げる……少し予定が早まったけど、いまからベルリーザを脱出する。いまから脱出するわよ、急ぎ車両のあるホテルに集合、急いで集合しなさい!」
エクセンブラに帰るメンバーが全員、それと残るメンバーも全員が集まって、この最後の夜に宴会をすると聞いている。
私も本来なら、夜会が終わり次第に合流するはずだった。
妹ちゃんも一緒だと聞いているから、集合するのに苦労はないと考えられる。
いや、最悪はホテルのほうまで追手を回されている可能性はあるか。
でもまあ、私たちに突破できない障害はない。多少は荒っぽくなるけど、そのくらいはしょうがないと割り切ろう。
悪姫ちゃん、対決はまたいつかってことで許してね。
「こちらヴァレリアです。お姉さま、わたしたちはホテルの近くなので、準備に時間はかかりません」
「わかった! じゃあ私が戻り次第に出発よ!」
慌ただしいけど、これも私たちらしいのかな。
思い出に浸る時間なんて、もう十分以上にあった。
次だ。エクセンブラに戻り次第、どうせ次の喧嘩が私を待っているに違いない。
新しいシノギだって考えよう。メンバーをもっと増やして、もっともっと組織としても強くする。
そうやって、私たちのキキョウ会を大きくしていくんだ。三大ファミリーの筆頭になれるくらいにね。
また忙しくなる。未練なんてこれっぽちもないし、考える暇もない。
それに必要があれば、いつだって舞い戻る。
何と言っても私たちは力ある悪党なんだから、誰よりも自由がある。
だから気軽に言える。
「さらば、またいつか!」
完結! 唐突な完結ですが、詳しくは活動報告にて。
ここまで読んでくださった皆様、誠にありがとうございます。こんな長い話を読んでくださったんですから、それはもう凄いことです。ぜひ自慢してください!
そして、ポジティブなコメントを寄せていただけたら嬉しいです。最後に一言でも、感想を残していってくださいね。




