誰にでもある過去のしがらみ
聖エメラルダ女学院の周辺一帯は、いつの間にかレイラたち情報局メンバーの庭のようになっている。
過去に起こったとある不幸な出来事から、繁華街を含む学院付近はどこの組織にも属さない区域だ。だから新参者の私たちでも縄張りを主張するような活動をしない限り、自由に動き回れる。
これがどこぞの普通の組織の場合には、縄張りを主張しなくたって、たぶん偉い人たちから文句が出て叩き出されるだろう。
現状で見逃されている理由としては、キキョウ会が女の組織であり、またベルリーザに貢献する働きをした影響だ。
表立って縄張りだと主張していないし、シノギだってやってないけど、事実上もはやこの近辺は私たちのシマのようになっている。
そしてシマであることを主張して仕切る組織がないからこそ、繁華街は決して治安の良い場所にはならない。
愚連隊のよう奴らが徒党を組んで街の裏側を牛耳り、ヤクをばら撒き好き勝手に振る舞う有様こそがここの現状だ。目立っていないだけで、そうした現状がたしかにある。
ただ、当然ながら私たちは実力者だから、そこらの不良や悪党気取りの馬鹿どもを気にせず自由気ままに動くことができる。
邪魔に思う奴らがいれば、誰にはばかることなく排除してやれる。エクセンブラに巣くう悪党どもに比べたら、それこそガキのお遊びみたいな連中しかいない。余裕だ。
「大方は予想通りの展開なのですが、予想よりもだいぶ厄介そうです」
「考えてみれば、あのお嬢は侯爵令嬢だからね。不良時代のしがらみだけじゃなく、令嬢としてのしがらみも混ざってくれば、それはちょっと厄介よ」
倶楽部活動が終わったあとの夜、レイラに呼び出されて繁華街にやってきた。
どうやら巻き毛のお嬢イーディスは、私も覚えのある地下のダンスホールにいるらしい。巻き毛の足取りを追ってみると誘拐されたわけじゃなく、学校をサボって自主的に訪ねたようだ。たぶん、誰ぞの呼び出しに応じて、過去のしがらみと対決でもしようとしたんだろう。
お嬢が一人で無謀な真似をするものだとは思うけど、それは倶楽部活動を通じて魔法の腕前を大幅に上げたことが原因なんじゃないかと思う。
元より巻き毛のお嬢は魔法の腕前に自信を持っていたし、戦闘能力的にも筋はよかった。罠だったとして、数人程度なら軽く返り討ちにできると考えたんだろう。ところが、実際にはそんな簡単な話とは違ったわけだ。
平常通りに営業中のダンスホールに潜入し隠れて様子をうかがうハイディによれば、いまのところ巻き毛の身に命の危険はない。かなり痛めつけられはしたようだけど、貞操の危機もないみたいだし、しばらく放っておいて問題ない。いまのところは狭い部屋に監禁されているだけのようだ。それにしても、敵に呼び出されてまんまと捕まるとはアホな奴だ。
「敵は愚連隊だった元ジエンコ・ニギの構成員が数名、それとリボンストラット家の潰された分家です。分家のほうが今回の首謀者ですね」
思い返せばこの繁華街は、以前はいくつかの愚連隊が調子に乗って悪事に手を染める場所だった。若者たちが自然発生的に徒党を組み、悪党を気取って遊んでいたわけだ。そのうちの一つだったジエンコ・ニギという組織は、この私がぶっ潰した過去もある。
そして巻き毛の奴は、ジエンコ・ニギの幹部と近い間柄にあった。
侯爵令嬢の立場と愚連隊のお友達の立場。巻き毛のお嬢も、なかなか面白い状況に身を置いていたものだ。
ジエンコ・ニギの主要なメンバーと大半の構成員は青コートに逮捕され、その後どうなったか不明だ。しばらくすればシャバに出てくるか、青コートにとって都合の悪い事実を知る不良はすでに消されているかもしれない。
それでも難を逃れた奴はいるだろう。そいつらが巻き毛を呼び出したと考えられる。でも今回の面倒を引き起こした黒幕は分家とやらの連中らしい。
巻き毛の名前はイーディス・リボンストラット、侯爵家のご令嬢だ。どうやら今回の騒動は、家のしがらみが主な原因のようだ。
「潰された分家ってのは? リボンストラット家が、自分のトコの分家を潰したってこと?」
「詳細まではわかっていないのですが、そのようです。あの家は数々の汚職に手を染めながらも、証拠を残さないやり手です。件の分家は一年ほど前に裏金に絡んだ殺しが原因で、リボンストラット家が積極的に潰しました。おそらくその分家筋の者が、イーディス嬢をエサに復讐を企んだのではないかと思います」
「復讐ってことなら、単純にその分家が下手打ったって感じじゃなさそうね」
「想像にすぎませんが、悪事の汚名を着せられた上で切られたのではないでしょうか。リボンストラット家の悪名を考えれば、その程度のことはやりそうです」
潰された分家の残党が、悪党として有名な現役の侯爵家に喧嘩を売る。あまりに無謀な挑戦だ。これは捨て身の覚悟がなければできないだろう。
たぶん敵は自分の命を惜しいとは思っていない。もしそういう連中なら決して甘く見てはいけない相手だ。何を仕出かすかわからない。
「イーディスは一応は未婚の娘なんだし、家のほうで動きがありそうなもんだけどね」
「リボンストラット家を見張らせていますが、いまのところは何も動きがありません。最低でも首謀者から、何かしらの要求はありそうなのですが」
「あるいは、すでに要求があった。でもリボンストラット家が無視してるってことかもね。あの家は巻き毛が不良時代も放っておいた放任主義よ、不良娘を人質にされたくらいじゃどうとも思わない可能性はあるわ」
蝶よ花よと育てられた、大切な一人娘とは全然違う。たくさんいる兄弟姉妹のうち、イーディスは不良だし目をかけられていないのだろう。
今日、巻き毛の奴は学校をさぼってダンスホールにやってきた。朝からの長時間、せっかくの人質をただ閉じ込めておくだけってことはない。この間に敵が何もしなかったとは思えないから、レイラが見張りを送る前に何らかの要求に動いたはずだ。
ところが夜になった現在でも何の動きもないとなれば、リボンストラット家はイーディスを見捨てたと思うしかない。
力のある侯爵家なら、自前の戦力でどうにかできそうなものだし、金を払って誰かに事件を解決させることだって造作ないだろう。
所詮はガキを人質にするしか能のない、滅んだ分家の残党だ。身動きがとれなくなるような敵とは思えない。
普通に青コートに通報したっていいだろうに、見捨てる選択肢を取る理由がよくわからない。どういうつもりなんだろう。その点をレイラに聞いてみた。
「あくまで可能性の話になってしまいますが……侯爵家であれば会長の身分は承知のはずです。ということは、会長に丸投げしているのかもしれませんね」
「放っておけば、私が勝手に解決するだろうって?」
いや、まさか。
「ふざけた話ではあるのですが、考えてみるとそもそも分家の動きを事前に察知できなかったのでしょうか? 悪辣な貴族として名高いリボンストラット家が、そのような動きを阻止できなかったとは思えません。それに加えて現在の動きのなさは、会長や我々キキョウ会の出方を見ているのではないか、といった気がしてしまいます」
「イーディスをエサに、私たちの様子を見てる……?」
常に複数ある監視の目。そのなかにリボンストラット家のものがないとは言えない。
それに優れた監視者の場合には、常識外れの遠距離監視をやる可能性があるし、私でも気づけない能力を持っている可能性だって想定できる。
「会長がイーディス嬢を助けに動くのかどうか、助けるとしてどのような過程を踏むのか、組織力や情報力を確認できますし、敵に対してどのように対処しどこまで追い込むのかといった様子を探ることもできます。敵への対処の仕方はその組織の性質を表しますし、付き合い方への参考になります。リボンストラット家として、この機会を利用して会長やキキョウ会を見極めようとしているのかもしれません。これは根拠のない想像にすぎませんが」
置かれたいまの状況を並べてみれば、レイラの想像は十分にあり得るのかもしれない。
穿った見方だと簡単に切り捨てられないくらい、貴族というのは簡単じゃない。ややこしいことを平然とやる連中だ。
そして私は聖エメラルダ女学院の講師として、魔道人形俱楽部の顧問として、イーディスに限らず基本的には生徒を見捨てることはできない。
例外はキキョウ会の利益と相反する場合だけど、助けることによって損害が発生する展開は少なくとも現時点では考えにくい。あるとすれば、よっぽど敵が強大で厄介な場合に限られるだろう。
どこぞの分家の残党? 元愚連隊?
そんな奴らにビビって動けないなんてことがあれば、それこそ恥そのものだ。
リボンストラット家がどうこうの前に、私は私の立場とメンツのために動かなければならないってことだ。
「いずれにしても、あいつを見捨てるわけにはいかないわね。誰の思惑とか関係なく、敵はぶちのめす。それだけよ」
ガキを人質にするような胸糞の悪いカスどもは、例え知らなかったとしてもこの私を敵に回したんだ。とことん追い込んで後悔させてやる。リボンストラット家が私のやり方を見たいなら、好きなだけ見ればいい。
シンプルな話、この私の機嫌を損ねるバカをやった奴らをぶちのめす。それだけの話だ。
リボンストラットの過去の悪事や思惑なんか関係なく、分家とやらが私を認識していようがいまいが、そんなことは関係ないしどうでもいい。
誰かの思惑なんて、知ったことじゃない。いつものように、ムカつく奴をぶん殴りに行く。それだけだ。
うん、ややこしい考えはやめだ。切り替えていこう。
「レイラ。イーディスは助けてやるとして、肝心なのは敵を完全に潰せるかどうかよ。その辺はどうなってんの?」
すぐに人質を助けるのは確定だ。でも今後も続けて事件を起こされては迷惑極まりない。やるからには、根こそぎぶっ潰す。
「いまの戦力と短時間では、敵の背後関係まで含め調べることは厳しいと判断しました。怪盗ギルドと商業ギルド、それとアナスタシア・ユニオンに情報提供を求めている段階です。明日には決定的な情報が入ると期待しています」
他の組織を巻き込むことには、当然ながらメリットとデメリットがある。新参者のキキョウ会は、なるべくならまだ単独で動かず、他の組織の協力を得たほうがいい。
金で済むなら安いものだし、この程度の事件の貸し借りなら高くつくとも思わない。
それに隠れ潜んでいる連中ならともかく、陰から飛び出して動き始めた連中だ。情報力に優れた地元の組織なら、容易にこっちの期待に応えるだろう。
もしかしたら魔道人形連盟が一枚かんでいる可能性もある。悪党の友達には、当然ながら悪党が多い。偶然にしろ意図的にしろ、そうした繋がりはあるかもしれない。まったく関係ない可能性のほうが高いとは思うけど、もしもの場合には使える交渉のカードが手に入る。根っこから敵を洗うってのは、そうした点も判明するからスッキリする。
「資金提供の面でも絡んでる奴らがいるかもね。まあ、その場合には経費の回収には使えるかな」
「分家はそれなりの戦力を使っています。資金の出所が自前のみとは思えませんので、必ず関係する者や組織がいるはずです。その辺りの情報もまとめて入る見込みです」
まだ見込みにすぎないとはいえ、上出来な展開が望めると期待しよう。
「じゃあ、今夜のところはそうね。目についた奴ら、片っ端からぶっ殺すわよ」
見物人がいるからには、中途半端なことはしない。
悪の巣窟エクセンブラで、三大ファミリーに居座るキキョウ会。私たちを敵に回すなら最悪を突き付ける。それを見ろ。絶対に、敵対したくないと思うようにやってやる。
どいつもこいつも、キキョウ会をなめるなよ。分家の残党を血祭りにあげ、そいつをはっきり示す。
誤解の余地なく、誰も彼もが理解できるようにね。
次話「丸ごと消せば全部すっきり」に続きます。




