明るい日常に差す、影の気配
いらない黒幕をさっさと退場させたお陰で、練習試合のボイコットはすぐに収まった。
裏事情を知らない部員たちは、何が起こったのかわかっていないようだったけど、それはガキどもが知る必要のないことだ。余計なことは考えず、能天気に倶楽部活動に励めばいい。
平和な日常を取り戻しても、本番の大会が近づくにつれ緊張感は日々増していく。
晩夏は通り過ぎ、ベルリーザの季節はすでに秋だ。
明らかに柔らかくなった日差しからも大会本番が近いことを実感させた。
この頃になると、もうベルリーザの動乱には片が付いた。
キーシブル島に発生したアンデッドは完全に滅ぼされ、別大陸からの侵略者だったグルガンディの残党掃除も終わったと聞いている。
メデク・レギサーモ帝国からの工作については終わりなどなく、これからだって続くから私たちには関係ない。
つまり、ベルリーザは平常に戻ったわけだ。
そして私たちは未来に向けて、物事をバンバン動かす。
遠路はるばるエクセンブラから、我がキキョウ会メンバーが多数応援に駆けつけた。
主に事務局のメンバーが、食い込んだ利権のため必要なフロント企業やダミー会社を立ち上げ、あるいは乗っ取り、事務手続きと実力行使の両輪で推し進めていく。当面、彼女たちはクレアドス伯爵所有のホテルを仮の拠点として活動する。
最初の紹介などが済めば、各所との折衝や交渉は事務局に任せられる。いろいろと雑事を任せきりだったレイラたちも、これで少しは楽ができるだろう。
粛々と進めてしまえば、余計な口を挿もうとするバカの妨害も最小限に抑えられる。
学院講師の真似事や妹ちゃんの護衛についても、このまま行けば問題なく完了できるだろう。
残った課題といえば、魔道人形倶楽部の捲土重来くらいだ。これも順当に行けば、すでに強豪校が相手でも高確率で勝てる実力は得られたと思う。
でも、こればかりは本番を迎え、結果を出さなければ捲土重来を果たしたことにならず意味はない。必要なのは結果だ。
ただし結果というのは、必ず出せるとは限らない。
いつも思うけど、勝負は時の運だ。どれだけの準備を済ませたところで、最悪に運が悪かったら負ける。
私自身の戦いならその最悪の運だって、ねじ伏せてやると息巻くところだけど、戦うのはあくまで生徒たちであって、私は決して手出しできない。そこに歯がゆさを感じるのは、やっぱり生徒たちに情が移っているからだろう。
これまで多くの努力を重ねてきた。笑顔で終わるようにしてやりたい。
あとの懸念は、魔道人形連盟の無駄なあがきだ。
微妙に引っかかる嫌な感じは、聖エメラルダ女学院の復権を阻止したいと願う一部勢力の執念みたいなものを感じるからだろう。きっと気のせいじゃない。
ただし、後ろ盾を懐柔したからには、権力を使うことはもうできないはず。連盟上層部だけじゃなく多くの一般職員の弱みだって握っているし、ネタをちらつかせれば逆にこっちの思うとおりにすらできる。
それでも私は秋の終わりにここを去るから、あまり悪辣なことをやって禍根を残したくない。
「弱みは握った、だから下手なことをしてくれるなよ」こうした圧力を与えるだけでいい。普通の神経をしていたら、キリの良いタイミングで自分から連盟職員の立場を辞するだろうと期待できるし、そもそも弱みを作るようなアホはさっさと去れとも思う。
実力のない奴が悪事に手を染めれば、より大きな悪党のエサになるだけ。最悪の展開を迎える前に、いい教訓になったと、逆にありがたく思ってもらいたいくらいだ。
とにかく、やれることはやった。
あとは無事に本番を迎えるだけでいい。
「えーっ! あれ買えたの? いつ? どこで?」
「噂の化粧品ですよね。よく手に入りましたね」
「母と付き合いの長い商会が持ち込んだのよ。その辺の店では買えないみたいね」
「さすが侯爵家、お抱え商人もやり手なわけか」
たいていの場合、移動中のバスの中は騒がしい。
今日は演習場を使った屋外練習で疲れているはずなのに、元気がまだあり余っているようだ。
それにしても仲のいい連中だ。
問題児のイーディスなんか、すぐに喧嘩しそうな性格や雰囲気だったのに、意外と上手く馴染んでいる。
そもそもが大所帯なんだから、個人間でのいがみ合いなど普通にありそうなものだ。
私たちキキョウ会には、喧嘩くらい普通にあった。ただ個人のいがみ合いが、組織としての問題に発展しないよう、厳格なルールと幹部メンバーが睨みを利かせることで抑えていた面はある。
聖エメラルダ女学院の生徒たちがいい所のお嬢であっても、気の強い女子はそれなりにいる。だから必ずいがみ合いはあるはずだ。でも喧嘩どころか、これまでに小さな争いの気配も感じられないのはどういうことだろう。不思議に思う。
「先生、先生! 先生が使ってる化粧品とか教えてください!」
「あ、それずっと気になってました。あとそのワンピースも素敵ですよね、どこの店のものですか?」
うるさい奴らだ。
「私のはお前らガキが使うようなもんじゃないわよ。いつかオトナのいい女になったら、その時に教えてやるわ」
「ひどい!」
「いいじゃないですかー、教えるくらい」
「絶対、良い物使ってますよね? ずるいですよ」
「あたしも先生と同じの欲しいです」
「わたしもー!」
移動中のバスの車内にもかかわらず、一番前の席に座る私に詰め寄る形で集まってきた。ここぞとばかりに、寄ってたかって絡み始める。なんか妙にテンションが高い。
これが高価な魔法仕掛けの車両であることや、平坦な道のりだからまだいいけど、そうじゃなかったら運転手の爺さんもさすがに怒るだろう。
しかし、さっきも思ったけど仲のいい連中だ。
「そういや、あんたたち。喧嘩とかしないの? 私に気づかれないように陰でやってるとか?」
「なんですか急に。先生は生活指導でもあるんですから、そんなつまらなそうな顔して言わないでくださいよ」
「もしかして仲悪そうに見えます? そんなはずないと思うんですけど」
「先生。わたしたちは上手くやれているので、そのようなご心配をなさる必要はありません」
「ふーん、ハーマイラがそう言うなら信じるけどね。不満があるなら、ちゃんと言い合いなさいよ」
ここでミルドリーが気やすく私の肩に手を置き、訳知り顔で口を開いた。
「そもそも先生が顧問の倶楽部で、余計な問題を起こせる人なんていませんよ。自覚してください、イーブルバンシー先生は……怖いです」
いや、怖いと思う顧問の肩に気やすく手を置けるだろうか。言動不一致も甚だしい。
しかもミルドリーの言葉を聞いた部員たちだって笑っているじゃないか。これを受けてハーマイラが続ける。
「ミルドリーは冗談のように言っていますが、先生の存在感は先生ご自身が想像しているよりずっと大きいと思いますよ。普段から接しているわたしたちは、こうして楽しくおしゃべりできるようになりましたが。ただこう言ってはなんですが、個人の問題を倶楽部に持ち込む気にはとてもなれません。先生はその区別はハッキリなさっているのではありませんか?」
「そうそう。下らない争いは外でやれ、喧嘩が終わるまで倶楽部に顔を出すなとか言って、放り出されそうですし」
ふーむ、たしかに。喧嘩するのは別にいいけど、倶楽部活動に支障が出るようならそれは認められない。厳しいことも言うだろうね。
本当に下らない争いだったら、もう全員の前で殴り合わせて白黒つけさせるかもしれない。ぐだぐだした感じになったら、両方とも私が血反吐をはくまでぶん殴って、喧嘩両成敗にしてしまいそうだ。
「あとは部長と副部長がよく周囲に気をかけていることも、悩みが少ない要因になっていると思います。イーディスさんも魔法に関してはマメに教えてくれますね」
「シグルドノート、余計なこと言わなくていいから。あんたのほうが教えるの上手でしょ」
へえ、妹ちゃんはともかくこの巻き毛のお嬢がね。
仲がいいのは部長をはじめとした倶楽部内の実力者が、いい感じに気を利かせているお陰のようだ。
「それと人数が少ないのも大きいと思いますよ。誰かが外れる心配なく、全員が試合に出られますからね。上を目指す一体感があります」
笑顔で言うミルドリーの言葉には説得力がある。人数が少ないことのメリットはそこかもしれない。
本当は大勢で切磋琢磨して、そのなかからレギュラーを決めるほうが倶楽部としては強くなれると思うけど。
「私は全員を試合に出すとは言ってないわよ? 明らかに実力が足りないと思ったり、練習を怠けたりする奴は出すつもりないから」
「またまた、そんな部員はいないですよ。みんな頑張ってますから!」
それはたしかにそう思う。ただ、顧問として気のゆるみは適宜に締めていかなければならない。
目標は高く、練習は厳しい。それでも楽しく活動できている現在はとてもいい感じだ。
改めて気を引き締めさせつつも、和やかな練習から帰った翌日。
巻き毛のお嬢が学校を無断欠席した。
あいつが魔道人形倶楽部に入ってから、そんなことは一度もなかったのに。
倶楽部活動の時間がかなり過ぎても一向に姿を現さないイーディスを、みんなが心配している。
この学院の生徒はほとんどが金持ちだから、最近解禁されたばかりの通信機だって当然のように持ち始めている。私は生徒と友達のように接するつもりはないから、気軽に通信はするなと言っているけど、必要な連絡はしろとも言っている。
イーディスの奴だって、普通に通信機は持っていた。休むなら誰かに連絡くらいするはずだし、こっちから呼びかけても通信に応じない。これは不審に思って当然だ。
常識的にはたかが一日、何らかの理由で休むことくらいあるだろう。
実際に家の用事で突発的に休む生徒はそれなりにいる。以前は不良だったイーディスは、サボりの常習犯でもあった。心配するだけ無駄かもしれない。
問題が起こった、あるいはその気配がある時に、様子見をするのは一般的な反応だ。
とりあえず様子を見よう、そんな感じで油断する。軽く考えてしまうか、面倒事に関わりたくないと思う心の奥の本音によって、あらゆる行動が遅くなりがちだ。
普段と違うことが起こった時、シビアな世界で生きる私は決して甘い考え方をしない。必要なのは素早い行動だ。
当然、私は動く。まあ指示を出すだけだけど。
「こちら紫乃上。レイラ、話せる?」
キキョウ会としてのいろいろな仕事を片づけたレイラは、留学生としての生活を最近になってようやく満喫できている。
そんな彼女は平和極まる読書倶楽部とやらに入部し、日々の読書とその感想を言い合う活動に精を出しているらしい。
今日は久々に仕事してもらうとしよう。
「……少し待ってください」
囁くような声が聞こえ、数十秒ほどの時間をおいてから通信が入った。
「こちらレイラです。会長、お待たせしました」
「読書倶楽部の活動中? 邪魔して悪いわね」
「いえ、問題ありません。どうかされましたか?」
「実は巻き毛のお嬢が無断欠席しててさ。気の回し過ぎかもしれないけど、事情を知りたいわ」
「イーディス・リボンストラットですか。無断での欠席ということは、家の用事ではなさそうですね」
「たぶんね。でも騒ぎになってる様子がないから、誘拐みたいな事件とは違うと思うわ。もし何かあれば、私たちの誰かの耳には入るだろうし」
「そうですね。では何をしているのか、たしかに気になります。彼女の場合には、キキョウ会での経験を踏まえればある程度の想像はつきますが」
それだ。イーディスは元不良。その過去は決して消すことができない。そうしたしがらみは、更生した人間を放っておいてはくれないものだ。むしろ積極的に足を引っ張ってやろうとするバカだっている。
悪党が多く集まる我がキキョウ会では、しょっちゅうあるトラブルの一つで珍しくもなんともない。
レイラと私の予想は、たぶん当たっているだろう。
「あいつの行動範囲はレイラなら把握してるわよね? 頼むわ」
「了解しました。念のため、ハイディたちを動員してすぐに捜しだします」
レイラ以外の情報局メンバーは、いまは主に事務局メンバーのサポート役をやっていてそれほど忙しくない。すぐに動かせるはずだ。
厄介事に巻き込まれているなら速攻で片付けないと。
あれはもう立派な倶楽部の一員だからね、無断で練習をサボられると迷惑する。
一難去ってまた一難ですが、このちょっとした小エピソードをはさんでから、後顧の憂いなく魔道人形倶楽部の大会へと突入する予定です。
次話「つきまとう過去のしがらみ」に続きます。




