悪意への返礼
演習場の広さは、一辺が約五百メートルちょっとくらいだろう。
遠見の魔道具を使うまでもなく、魔法で視力を少し強化するだけで、各陣営の櫓の様子は丸見えだ。
もしこれが健全な競技じゃなかったら、盗聴によって敵の作戦を暴くくらい普通にやるだろう。逆に偽の作戦を掴ませようとする工夫も考えなければ負ける。
さすがに健全な学生競技のなかで、そんな騙し合いの動きはなく、いまのところは特に警戒をうながす必要はなさそうだ。もしそんな動きがあったとしたら、それはそれで面白いし、割とすぐに実行する学校が出るとも予測できる。その時にはルールの変更や追加が検討されるのかもしれない。
個人的にはそれくらいやるのも戦いの範囲内だと思うけど、あくまでこれは健全な学生の倶楽部活動だ。裏工作や場外戦に力を注ぐべきじゃないことくらいわかっている。
それに連盟から目をつけられている聖エメラルダ女学院は、自らルール違反や、ルールになくても常識的にやったら不味いと思われる行為をすべきじゃない。ここぞとばかりに失格処分にさせられそうでリスクが高い。
現時点の我が校の立場では、慎重に物を考えて試合に臨んだほうがいいに決まっている。権力者の娘ばかりのウチの部員たちは、そういった点での理解が早くていい。
各学校の様子を観察してから視線を外し、次は演習場の隅々にまで目を向ける。
ここは地面に立った状態で見た時には、視線を遮る石壁の多い演習場だ。でも魔道人形の姿を完全に隠しながら移動できるもんじゃない。
石壁の切れ目から、人形の姿は随時に確認できる。進行する方向が分かってしまえば、目的だって自ずと察知できるだろう。
「単純な作戦……こちらを囲む動きにしか見えません。三校で招待しておきながら、いきなりあのような方法に頼るなんて。恥ずかしいとは思わないのでしょうか」
ハーマイラが零した辛辣な感想に、ミルドリーが慰めるように肩を叩いた。
「向こうは練習試合がしたいんじゃなくて、屈辱を与えたいってこと! グラームス学園からの意趣返しってことじゃない? あたしはその時いなかったけど、随分とやり込めたらしいよね」
「先に挑発的な態度をとったのはあちらです。イーブルバンシー先生はただ、素晴らしい演武を披露しただけ。それを恨むなどと……」
「ほら何してんの、急がないと。愚痴ってる場合じゃないでしょ」
「部長、手はずどおりで構いませんか?」
部長と副部長の雑談に、イーディスとシグルドノートが割って入った。
聖エメラルダ女学院の最高指揮官はハーマイラ部長で、ミルドリー副部長がその副官。部隊編成としては基本三つの部隊で考え、ハーマイラとミルドリーからの指示を三隊の部隊長が伝達し、指揮を執る形になっている。
巻き毛と妹ちゃんの二人は部隊指揮官で、残りの一つを小柄な女子チェルシーが任せられている。チェルシーは大人しい性格の少女だけど、最初から倶楽部にいる実力者だ。
撃破されたらそこで終わりの大将機は、部長のハーマイラが担当する。
「初戦は奇をてらわず受けて立ちましょう。三校で囲んだところで、簡単にやれるとは思わないことです。それを知らしめて差し上げます」
「じゃあ手はずのとおり、方円の陣で迎え撃つよ。ハーマイラは中央に!」
まずは腕試しだ。包囲攻撃されて、どこまで粘れるか。これまで頑張って鍛えた地力が試される。
というか、敵の三校のほうは大将機と思わしき魔道人形が自陣の櫓付近に隠れて動いておらず、万が一にもやられない方針を取っているようだ。せこい奴ら。下手な魔力操作だけど、一応は魔力を隠しているから、あれを遠くから発見することは生徒たちじゃたぶんできない。
しかし魔道人形戦はバトルロイヤルで、一位を決める必要があるというのに、あれじゃ最下位を確定させることしか考えていないように思える。随分とあからさまにやってくるものだ。まあウチの練習になるなら、細かいことはどうでもいい。
「準備完了しました、あとは気合の勝負です」
「防御の固さには、ちょっと自信あるけどね」
妹ちゃんと巻き毛が不敵に笑いながら言う。不利な戦いこそ望むところの精神だ。こういう厳しいシチュエーションこそが練習になる。
石壁に囲まれた場所で円形に並び、盾を構えて防御の姿勢を取る魔道人形。
いい感じだ。初心者まで含めて無駄な魔力の使用はなく、冷静ながらも気合だけは入っている。
狭い場所は攻めるほうにとっては、数の有利を生かしづらく、向こうの櫓の上からの視認性も悪いはず。数で押し潰すにしても、やりにくいだろう。
逆にこっちは目視しやすい自陣に近く、単純に魔道人形の操作が簡単だ。その点は有利と言える。
タイミングを合わせて、この東の櫓に向かって距離を詰める三校の魔道人形は、強豪校の生徒が操作するだけあって動きが早く隊列もまとまっている。
拠点となる櫓から離れれば離れるほど、操作する魔道人形は見えにくくなる。その時にどうなるかで、本当の練度が表れる。
ハッキリ見えている魔道人形を、必要十分に操作できるなんて当然のこと。問題は広い演習場という環境で、いかに思ったとおりに部隊として動かせるかだ。
ここでふと、魔力感知の網に引っかかるものがあった。
「……鳥?」
演習場の上を飛ぶ存在に気づいた。
「いや、魔道具か」
空飛ぶ魔道具なんて珍しい。それは櫓よりも遥か高い位置を、ゆっくりと旋回するように移動している。
魔道人形戦の選手は演習場の人形を注視し、魔力感知も地上にアンテナを向けるから、上に対して警戒など普通しない。もし空飛ぶ存在に気づいても普通に鳥だと思うのが大半だろう。
審判員には気づいてほしいところだけど、あえて見逃しているのか、本当に気づいていないのかは微妙なところだ。
とにかく、あれはたぶん上空から地上を監視するための魔道具だ。あの鳥のような魔道具を通して、地上の様子を間接的に見ることができるんだと考えられる。もし遠見の魔道具に連動させられるなら、魔道人形の操作に大きなアドバンテージを得られるだろう。
魔道人形戦には、各チームが一点のみ魔道具を持ち込める。あの鳥はそれなんだと思いたいところだけど、あれは高性能な魔道具だ。しかも私が知らない道具であることから、かなり新しい物か特注品のはず。
上空からの監視が可能な魔道具なんて、少し前ならとても世間一般の人間が手に入れられるモノじゃない。これは明らかに魔道具規制緩和による影響だ。
飛行性能と持続時間にもよるけど、監視カメラのような機能まであるなら結構な高性能であり、必要な魔力量も相応に跳ね上がる。ルールブックに記載のあった規格の魔石じゃ、あれはまず動かせない。
つまり、プレイヤーとして参加している生徒が不正に使用しているか、場外から誰かが使っている。
こんな倶楽部の練習試合を、余所の第三者が珍しい魔道具を使って監視するとは思えないことから、ここにいるグラームス学園らが不正に使っているんだと考えるのが妥当だ。第三者だとしたらお粗末な道具の使い方だし、いずれにしてもプロの仕事じゃないことはたしかだ。
普通に考えて誰かを監視したいなら、それには魔法を伴った目視でいい。空飛ぶ魔道具なんて、私のような存在からすれば逆に目立つ。しかも破壊されれば終わりだ。あの魔道具自体、安くはないだろうし割に合わない。
そうした点から考えても目的は誰かの監視じゃなく、魔道人形戦に関して有利を得るためだろう。第三者の線はない。
無理もないけど、ハーマイラたちは鳥型魔道具に気づいてない。
さて、どうしよう。
撃ち落とすことは造作もないけど、このままのほうが面白いかな。
それより誰が使っているかを突き止めるほうが先か。もし試合に参加している生徒が使っているんじゃなければ、おそらく使用者は試合に出ていない生徒か顧問だろう。だったら場外乱闘を仕掛けられたに等しい。
ようは喧嘩売ってるってことだ。
もしそうなら、その喧嘩は私が買ってやる。場外乱闘は得意中の得意だからね。よし、見逃すのはなしだ。
「あちらは堂々と三方から接近中。間もなく接敵しますが、これは思ったより早いですね」
「ええ、魔道人形の操作レベルが高いです。少し甘く考えていたかもしれません」
「でもあれが本気だとしたら?」
「……もしあれが全力だとしたら、基本操作はこっちが上!」
ハーマイラたちの会話をうっすら聞きながらも、私の意識は演習場の外に向いている。
試合場として設定された範囲内に対しては、最初から魔力感知の網を広げていて、この場は秘かに私の支配領域だ。そこでは何が起ころうが魔法的にすべてを把握できるし、不審な点はいまもない。
だから外に向かって感知の網を広げていき、するとさっそく不審者を捉えた。
そいつは南の櫓に近い、たぶん休憩所のような建物だろう場所に一人でいる。この東の櫓からは、木々の陰になっていて目視はできない。
魔力感知だけでそいつが具体的に何をしているかまで察知するのは難しいけど、座って何か魔道具を操作をしていることは何となくわかる。体調不良で休んでいるわけじゃないことは間違いない。
どれ、ちょっと行ってみるか。
試合に夢中になっている部員の邪魔をしないよう、そっと櫓から降り、普通に歩いて休憩所らしき場所に向かった。
今日は外面を良くするために清楚モードの服装なんだ。聖エメラルダ女学院の講師らしく、歩く姿も優雅でなければ。
ここに集まった四校の関係者は、試合に出ていない部員たちも含めて、基本的には全員が試合を注視している。
ほっつき歩く私に意識を向ける奴は、遥か遠方からのベルリーザ情報部などと思われる監視役だけだ。四校の奴らは気づいてない。
ただ散歩するだけの私には後ろめたいことなど何もない。誰に見られたって構わない。
むしろ気づかれたい。
うろちょろする私を警戒させたい。
おちょくってやりたい。
喧嘩を売りたい!
ムクムクと鎌首をもたげる戦闘意欲を努めて冷静に抑えなければ、すべてを台無しにしてしまう。
いっそ、そうしてしまいたい破滅願望にも似た衝動を、手のひらの中だけで行う強烈で高度な魔法行使によって発散し、どうにかやり過ごした。
たまにだけど、無性に暴れたくなる。
悪の巣窟エクセンブラにこの身があったなら、たぶんどこぞへ殴り込みに走っただろう。
誰にも気づかせない恐ろしい魔法を手慰みに行使しながらも、背筋を伸ばした綺麗な歩行を心掛ける。
ただ、そこら中にある石壁とまばらな木々のせいで、身を隠すつもりがなくても気づかれない。このままなら、南の櫓のよっぽど近くにまで迫らなければ気づかれないだろう。
内に抱えた暴力衝動は別にして、まさか顧問が本当に喧嘩を売りに行くわけにも行かず、姿をさらしてやる必要もない。見つかりにくい状況はきっとラッキーだ。
石壁の陰を移動しながら、目的の休憩所を目視で捉える場所までやってきた。
「あいつ、生徒には見えないわね」
平屋の小さな建屋は、やはり簡易休憩所のようなものだろう。
その建屋の窓枠越しに女の姿が見える。そいつは開け放った窓の近くに座りながら、通信機を使って話し、同時に何かの魔道具を操作しているようだ。
気配を断って窓際に近寄ってみれば、地獄耳じゃなくても会話が丸聞こえだ。これだから素人は。
「はい……はい……分かりました。それはそうと魔力消費が厳しいです。いまはまだいいですが、あと五試合は無理ですよ。え? 旋回する速度が速い? これ以上、遅くしたら墜落しますって」
間違いない。鳥型の魔道具を使っているのはこいつだ。
やっぱり場外から試合に関与している。これは魔道人形戦のルールをどうひねくれた解釈をしようが、言い逃れのできない不正だ。でも練習試合ではどうとでも言い訳は立つだろう。文句を言っても無駄だし、そんな気もない。
それにあの程度のサポートが敵にあったところで、厳しい練習試合を望むこっちにとっては別に問題ない。ただ、むかつくから邪魔をしたい。私の気分の問題だ。
さて、どうしてくれようか。
魔道具を奪うのも破壊するのもいい。でも何者かに襲われたとなれば、やっぱり面倒事になってしまう。ここは事故に見せかけるくらいが、ちょうどいいだろうね。サクッと片付けよう。
窓際付近から毒を使うことに決めた。
無色透明、無臭の弱い霧状の毒を窓から部屋に流し込み、女の体を衰弱させる。
効果として期待できるのは、腹痛と嘔吐感くらいだろう。持続時間は半日程度で、特に薬や回復魔法を使わなくたって夜には治る。
十分な毒を流し込んだら建屋からいったん離れ、ギリギリ目視可能な距離から女の姿を捉える。
いばらの魔眼を使いたい欲求は我慢する。これは威力を絞っても強すぎる力だ。毒だけで十分。
間もなく毒は効果を表し、顔色を悪くした女が奥の部屋に引っ込んだ。
よっぽどの根性を出さないと、たぶん少なくとも今日は魔法や魔道具を使うのは無理だろう。
私が与える毒によって引き起こされた体調不良は、手加減を間違えずにいい塩梅で効果を現したはずだ。
そしてあの女が体調を崩したことは、通信中だったことから仲間にはすぐにわかる。もし代わりが送り込まれるようなら、そいつも同じ目に遭わせてやろう。
ひとまず急ぎ足でこの場から離れ、しれっと東の櫓に戻った。
空を探しても鳥型魔道具の姿はない。制御を失ってどこかに墜落したんだろう。
試合に夢中のハーマイラたちは、私が少しの間いなくなった十数分程度のことは気にもしていない。
そしてもう一つ。
この高い櫓の上からは、遥か遠くまで見渡せる。あちこちに複数いる監視者どもは、さぞかしいまの私を監視しやすいと思っているだろう。
でもそれは、こっちからも見えやすいということ。遠くから私を見る奴らに、たまには挨拶をくれてやろうじゃないか。
ついでにやっちまえ。発散しきれない暴力衝動の受け皿になるがいい。
見ているということは、見られる覚悟だってあるはず。
まさか、こっそりと覗き見している分際で、悪気がないなんて抜かせるはずもない。
たぶん監視者本人は国や組織に命じられて仕事をしているにすぎないのだろう。それでも私をこっそりと監視している時点で、それは喧嘩を売っているのと同じことだ。
監視に慣れているから普段は見逃してやっているだけで、少なくともいまの私は不快感を覚えている。
どうせやるならバレないようにやれ、それが礼儀というものだ。
監視者に実力が足りないことはわかってる。でもバレるような雑魚を差し向けるということは、私をナメているに等しい。
覗き見がバレた時点で、喧嘩を売られたと判断して何が悪い。誰にも文句は言わせない。
だからその喧嘩は買ってやる。
不快な視線を送る持ち主に対して、こっちからも見てやろうじゃないか。
いばらの魔眼で。
メガネを外し、左手を輪っかにして左目にくっつける。これだけで視界は大幅に制限され、余人に魔眼の効果を及ぼす可能性をぐっと減らせる。
まずは一人。急に自分のほうに私が顔を向けて、少しは不審に思ったらしい。のんきに建屋の屋上に突っ立っていた野郎が、姿勢を正したのがわかった。
お前は完全に私を甘く見ている。
姿勢を正したからどうした、それに何の意味がある?
やるべきは、即座に離脱することだった。その程度の時間は十分に与えてやったのに無駄にした。
魔眼は高性能だ。道具を使わなくても、遥か遠くの対象にだって簡単に焦点が合わせられる。
左目を意識し極限の魔力操作で、封印された呪いの魔力をほんの少しだけ引きずり出す。すると視界が一瞬で変化した。
世界が赤に染まり、同時に歪んでいく。遠くの対象物が急激に近づいたかのような感覚を飲み込み、異質な視界のなかで標的を捉える。この状態の私に視線を向けられれば、それだけで呪いが届く。
一人のマヌケが体内の魔力を激しく乱され崩れ落ちた。
あっけない奴。呪いの力は、対象に力を及ぼすと同時に、この身にも容赦なく同じ呪いが降りかかる。それがいばらの魔眼を使う代償だ。
同じ呪いの力にさらされたというのに、私は眉ひとつ動かしていない。根性なしめ、二度と不快な視線を向けるな。
しかし身をもって私の能力の一端が知れたんだ、雇い主や上司に良い報告ができるだろう。
なに、礼はいらないし、これまでの見物料だってまけてやる。
「ありがたくとっとけ」
そうして二人目、三人目と続けるうちに、マヌケを除いた実力ある監視者たちは異変に気づいたらしい。身を隠すか、逃げ出すのを魔力の動きだけで察知した。
残ったマヌケどもを続けざまに魔眼の餌食にしたら、そこで遊びは終いだ。
代償として呪いを受けるストレスよりも、高みの見物を決め込む奴らにひと泡吹かせてやった喜びが勝る。差し引きで少しはストレス発散できた気がする。
「……ふう、どれどれ」
魔道人形戦はどうなったかな。
まだ決着はついてないみたいだけど。
今話は些細な場外戦となってしまいましたが、次話とその次くらいでは一生懸命に生徒たちが戦います。
次話「いつか常勝の王者と呼ばれる学院の戦い」に続きます。




