死神は乙女の守護者
移動中に襲撃されるかも、なんてアホな心配は杞憂に終わり、聖エメラルダ女学院一行は無事目的地に到着した。
夕暮れ時のソロントンの街並みを背景に、ホテルの威容が浮かび上がっている。高級感あるガラス張りの外観が夕陽を反射し、まるで建物全体が明るい光を放っているかのような光景だ。
身分の高い生徒たちが上げる関心したような声が聞こえるなか、私たちはゆっくりとその豪華な入り口へと向かった。
「ま、キキョウ会が誇る超高級ホテル、エピック・ジューンベル・ホテル&リゾーツに比べたら大したことないわね」
無駄に対抗心を刺激されて出た独り言は、誰の耳にも届くことはない。所詮はただの独り言だ。
それにしても疲れた。朝に出発して、幾度かの休憩をはさみ到着したのは夕方だ。先方が用意したこのホテルで今日はこのまま宿泊し、明日も泊まる予定になっている。
翌朝からソロントン王立学園で意見交換会や練習試合を行い、その翌日も王立学園を訪問する。夕方になったら移動を開始、その翌朝にベルトリーアへ戻る。二泊し、三日目の夕方までここにいる日程だ。
なかなか大変なスケジュールだけど、平日にねじ込んだせいもあり、学業との両立のためにはしょうがないらしい。
もう一泊してもいいじゃないかと思ってしまうけど、宿や護衛の都合もあるんだろう。
「各自、割り当てられた部屋に移動後、夕食までは自由時間です。くれぐれもホテルの敷地から外には出ないようにしてください」
「それから、夕食後には予定どおり夜錬をやります。東館の大ホールを借りているので、時間までに移動しておくように!」
広いロビーに整列した部員たちに、部長と副部長が指示を下している。そんな様子をボケっと眺めていると、耳元のイヤリングから通信が入った。
「こちらハイディです。護衛のアナスタシア・ユニオンから、怪しい動きがあると警告を受けました。どうやらここソロントンに伝手があるみたいで、そこからの情報らしいですが」
平穏に到着したと思いきや、やっぱりそういうことになったか。私の行く先々、こんなもんだ。巻き込まれる奴らには諦めてもらう。
しかし面白くなってきた。トラブルがなければないで、もう退屈に思ってしまう性分だ。にやける口元を隠しながら、小声で通信に応じる。
「怪しい動き、ね。具体的には?」
「まだ詳しいことは分かってません。アナスタシア・ユニオンの伝手のほうで引き続き探るみたいなんで、そっちの結果を待ちたいと思います」
「了解、そんじゃまた後で」
ちょうど部員たちぞろぞろと部屋のほうに移動を始めたタイミングだ。最後尾について監督中の部長に近づく。
「ハーマイラ、あとは任せていい?」
「それは構いませんが、先生はなにか用事ですか?」
「大した用じゃないけど、ちょっと外を見てこようと思ってね。もし何かあったら護衛の連中に声をかけるか、通信で私に呼びかけなさい。道具は持ってるわね」
「……何かあったんですか?」
また無駄な心配をして。不安に思う必要はない、軽いノリで払拭してやる。
「いや? 息抜きするだけよ。あんたたちお嬢だって、遊び方くらい覚えとくのは大事なことよ?」
「そ、そういうものですか。でも引率の先生が遊びに出かけるというのは……」
「固いことは言いっこなしよ。まあ何かあったら、遠慮なく通信機使えばいいから」
不良講師はこういう時に不自然に思われないからいい。
私の言い分を素直に信じたかどうかはわからないけど、ハーマイラは仕方ないと言いたげな表情を浮かべている。
「お戻りは遅くなりそうですか?」
「うーん、どうだろうね。さすがに羽目を外すつもりはないから、そんなに遅くはならないわ」
話しながら部員たちの最後尾について移動し、部屋に入るとところで別れた。
生徒は倶楽部活動に集中、そして私は裏仕事の時間だ。
部屋に入ってざっと室内と設備を確認したら、荷物をほどいて着替えを済ませた。
鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。清楚な服装は派手なガラシャツと膝丈のショートパンツへ、きっちりと結んだ髪は解いてラフに流す。サングラスはオーバルからティアドロップに取り替え、いくつかのアクセサリーを加える。
わずか数分で、別人と言っていいほどに印象が変わった自分の姿に、思わず満足げな笑みがこぼれた。
観光客然とした格好に着替えたら、詮索を避けるため生徒たちに見つからないよう外に出る。
仕事柄、周辺の状況を確認せずにはいられない。散歩するように、まずはホテルの周囲を歩いて通路や建物、その他気になる物や、人がたむろしていないかなど目視で確認する。
すっかり日が暮れるまで歩き回り、食事も屋台でパパっと済ませてしまう。
最後に背の高い建物の屋上に無断侵入し、魔力感知と合わせて広く街を観察した。この時間帯になると、歓楽街の光だけがやけに目立つ。どこの国のどこの街でも、ああした場所は変わらない。そのことが少しだけ異国にいて感じる疎外感を和らげてくれる。
まあ全体的に悪くない印象の街だ。のどかな雰囲気がありながら、それなりに発展している。距離が近いせいか、文化的にもベルリーザと変わりない。ベルリーザの地方都市と言われても違和感なく、特色のないつまらない街とも言える。せめて、何か食べ物の名物くらいは欲しいところだ。
「ユカリさん」
ハイディの声が、ほとんど前触れなく背後から聞こえた。隠密行動がしみついている情報局員らしく、魔力も気配もナチュラルに薄い。夜の闇に溶け込むように見事な身のこなしだけど、私は近づく彼女を随分前から把握していた。そのことに何だか満足感を覚える。
「どうだった?」
首だけで背後を見やりひと声だけかけ、また街の光を見下ろす。
「怪しい動きなんですが、結局は動かないみたいです」
「やる前に諦めた? アナスタシア・ユニオンの威光が効いたかな」
「おそらくは。実際に実力もないので、妥当な判断ではありますがね」
「一応聞いとくけど、そのアホはどこの誰?」
「愚連隊とも呼べない、ただの不良集団です。どこで聞きつけたのか、聖エメラルダ女学院の生徒にちょっかいかけようとして、地元の裏組織に釘を刺されたみたいです。余計な面倒を起こすな、といった感じですかね。背後関係も特にはなさそうです」
聖エメラルダ女学院の生徒は、金持ちや権力者の娘ばかりだ。遠征先の学校の生徒なら多くが知り得る状況だろうし、どこから情報が伝わってもおかしくない。
考えなしの馬鹿にしてみれば、鴨が葱を背負ってやってきたように思えたのかもしれない。世間知らずのお嬢に接近し、ちょっと脅すだけで小銭をせびれるかもしれないし、やり方によっては弱みを握れるかもしれない。
幸運が重なれば大金を手にすることだって、なんてアホ丸出しの考えをする奴だっているだろう。
あるいはあのお嬢たちは容姿に金をかけている娘が多いし、馬鹿が身分不相応にも一目惚れした、なんて可能性は……さすがにないか。
なんにせよ地元の組織がアナスタシア・ユニオンの報復を恐れ、不良どもをおとなしくさせたわけだ。
「ふーん、何事も起こらないってわけか」
「ちなみにですが、不良集団のヤサは掴んでます。どうします?」
退屈そうに返事をした私に、ハイディが素晴らしい追加情報を明らかにした。思わず口元がゆるむ。
「さすが、分かってるわね」
「もちろんですよ。未遂だからお咎めなしなんて、通じるわけないですから」
「そう。やるやらないの話じゃないわ。やろうとしたって事実だけで十分よ」
「では案内します。近場なんで、すぐですよ」
身軽に隣の屋根に飛び移った影を追いながら、高速で移動を開始した。
数分程度の時間を経て到着したのは、人けの少ない路地に面した民家だった。
古く汚れた印象の小さめの民家で、狭い前庭は荒れ放題。掃除やメンテをやっているようにはとても見えない。門の横は車庫になっていて、二台のボロい車両が停められている。
金がないからか、特に警報装置のような設備は感知できない。
「……七人か。まだ宵の口だってのに、家にいるなんて不良らしくないわね」
「ここは不良どもの溜り場だって話です。基本的にはここに女を連れ込んで、酒やドラッグをやって騒ぐみたいですね。で、暇になったらナンパ、金に乏しくなったら盗みやカツアゲに走る、そんな集まりだと聞きました」
「聞けば聞くほど、しょーもない連中ね」
そんなのを相手にするなんて、私の格まで下がる気がする。まあやるけど。
「さっきも言いましたけど一応、ケツモチというか面倒見てる組織はいるみたいです。不良なんて、いいとこ捨て駒扱いでしょうが」
「いざって時に首を差し出せる駒がいて損はないからね。所詮はそんな扱いよ。とにかく、こんなの相手に慎重になってもしょうがないわ」
「ですね。そっちの車庫から建屋のなかに入れそうです」
抜け目のないハイディが、車庫の奥に扉を見つけたようだ。移動した彼女は暗がりをものともせず、サクッと解錠してみせた。
「ハイディ。二度と会わない雑魚が相手でも、あんたは顔を見せないほうがいいんじゃない?」
「それなら大丈夫です」
彼女はそう言いつつ、スカルマスクを装着した。黒のマスクに描かれた死神みたいなドクロ模様は、暗い場所で見ればより恐ろしい。このドクロに襲われたら、きっと生涯忘れることのできないトラウマを植え付けられるだろう。
「ユカリさんの分もありますよ」
「準備良いわね。じゃあ、借りとくわ」
サングラスだけでも私はいいけど、あるなら使うとしよう。襲撃者は二人ともスカルマスクのほうが迫力あるだろうし。
ティアドロップのサングラスを外し、マスクを装着。いばらの魔眼がさらされた状態だけど、暗がりでの襲撃なら左右の目の違いに気づかれはしない。
周囲に人けはなし。
覆面姿での襲撃なら、もう少し派手にやって構わない。
こっそりと侵入してからの襲撃を取りやめ、ガツンと殴り込むスタイルにした。
車庫からの侵入はハイディに任せ、正面から突撃する。
施錠のされていない門を押し開いて通り、玄関扉を前にマスクのなかで笑みを浮かべる。
やっぱこれこれ、殴り込みだ。生きてるって感じがする。
「たまらないわね」
衝動のまま、力を込めた前蹴りを放つ。これはハイディへの合図でもある。
扉の蝶番が引き千切れ、大きく歪んだ扉が内部に向かって吹っ飛んだ。
ウキウキと弾む足取りで家に踏み込み、手始めに廊下の照明を破壊した。
考えることは同じだ。ほぼ同じタイミングでハイディが魔法を使い、複数個所の照明を含んだ魔道具をぶっ壊すのが感知できた。
こんなしょぼいヤサを襲撃するにはもったいない手際と魔法の技術だ。私みたいに雑にやらないところが、いかにも情報局のメンバーらしい。
酒ビンやゴミが散乱した汚らしい屋内に、思わず眉をひそめる。マスクのお陰で悪臭が軽減されるのはよかった。
それにしてもだ。己の状態を冷静に評価すると、あまり良くない気がする。力を持て余しているせいか、思ったより手加減ができないかもしれない。
倶楽部の遠征ついでに、殺人事件を起こすのはさすがに不味い。
うっかりしないよう、素手や魔法での攻撃は控え、酒瓶を武器にすることにした。左右の手で一本ずつ拾い上げる。
「なんだ、ど、どうした」
「ちっ、誰か見てこいよ」
「ふざけんな、お前が行ってくればいいだろ」
「は、早く灯り点けてよ」
「ガタガタ騒ぐな!」
よほど泥酔しているか、ひどくラリっていない限り、破壊行為が起こればそりゃ異変に気づく。玄関を蹴り開けたあげくに、照明をぶっ壊したんだ。
奴らの反応を特に気に留めず、廊下を進んで人の集まった部屋の扉の前。私が何かする前に、そこが開かれる。
汎用魔法の灯りすらない暗闇のなか、そいつは目の前に立つ私に気が付いた。
外からの光が窓から入る分、建屋のなかも完全な闇とは違う。目の前に立つドクロに気づいた男がひっと息を呑んで動きを止めた。
正体不明のドクロなんて、考えるまでもなく敵だ。
そんなのを前に硬直するなんて、戦士ならあり得ない失態だ。数を集めた上で弱い奴しか狙わない不良、それらしいしょぼい反応するじゃないか。
数を集めて弱いのを狙うってのは、自分たちがやられないための戦略としては正しい。でもそもそものやってることがしょぼいし、全体的に見てカッコ悪すぎる。悪党の私から見てもいいところが何もない。
不良を気取るのも悪を気取るのもいい。だけど、ちょっとくらいカッコつけろ。少しでいいから根性出せ。
あまりに見っともなくて、こっちまで恥ずかしくなる。こんな奴らがでかい顔をするから、私たちまでナメられるようになるんだ。
怒りに任せて酒ビンを振り下ろす。
脳天に強い一撃。殺してしまいかねない勢いがあったけど、ビンの強度が高くないせいで威力としては殺すほどにならない。思ったとおりだ。これなら下手な手加減をせずに済む。
感触を確認した直後には、もう一本の酒ビンを顔面に叩きつけていた。
情けない悲鳴を上げて倒れ込む雑魚のことはもう気にも留めない。廊下に転がる酒ビンをまた拾い上げ、扉の開いた部屋に入り込む。
倒れた奴を軽く蹴ってどかした時には、別口から侵入したハイディが不良どもの視線を釘付けにしていた。
ハイディは何の真似か、あえて光量を抑えた光魔法を背後に浮かべている。それは赤い光で、かなり不気味だ。
スカルマスク以外の服装は全身黒づくめで、両手には大振りのナイフを握っている。
こんなのがいきなり部屋に入ってきたら、そりゃ注目せずにはいられない。酔いなんて一瞬で覚めるだろう。
見れば見るほど、この状況を考えれば考えるほどに面白すぎて、吹き出しそうになるのを懸命にこらえる必要があった。
なんかもう暴力衝動なんて吹っ飛んでしまった。ここは邪魔せず、ハイディのやり方を見物するとしよう。
「――我は乙女の守護者なり」
低く、しゃがれた声が部屋に広がった。
間違いなくハイディが発した声のはずだけど、とても女の声には聞こえない。変声器のような魔道具を使ったようだ。
それにしてもだ。
何を言っているんだろう……乙女の守護者ってなんだ。
強い魔力の威圧で声も出せない不良どもが、金縛りになったように目の前に立つ死神に視線を注ぎ続ける。
一瞬でも目を離せば死ぬ、そんな恐怖を感じているに違いない。
注目を受ける死神は悠然と歩き出し、そして自然な動作でナイフを横にひらめかせた。不良はまったく反応できず、ただ傷を受ける。
深くはない。凶悪なナイフは不良の額を浅く切り裂いたにすぎない。死神は動けない不良どもに構わず、一人ひとり順に同じことを繰り返す。その淡々とした動作もまた不気味な恐ろしさを演出した。
少しだけ手伝おう。私も足元に転がって気を失った奴に、ガラスの破片を使って額を横一文字に切り裂いてやった。これでお揃いだ。
「――聖エメラルダ女学院。花園の乙女に触れるな、見るな、考えもするな」
しゃがれた低い声が威圧と共に警告を発する。
心当たりがないとは言わせない。まだ何もしていない、そんな言い訳を許さない一方的な宣言だ。
続けて死神は血の滴るナイフを掲げ、ゆっくりと首に走らせる動作を見せつけた。
今回は優しいことに警告で済ませてやる。ただし、もし次になにかあれば容赦はない。それが十分に伝わったはずだ。
一瞬だけハイディが寄越した目配せを理解し、部屋からこっそりと出ることにした。私が部屋を出た直後、ハイディが部屋に弱い毒をまいたのが分かる。
あの毒を吸い込めば、二日くらいは寝込むことになるだろう。すぐに回復薬で復活できるとしても、それまでは苦しみが続く。バカにはいい薬だ。
あー、面白かった。だいぶふざけた感じはするけど、悪ガキを脅す程度ならあれで十分だろう。
民家を出たところで合流し、まだ時間も早いことから一杯飲みに行くことにした。
うん。単に馬鹿な不良を殴るだけでも良かったんだけど、なかなかに愉快な時間になった。
寄り道回です。
倶楽部活動の遠征、それも引率の先生として訪れた身でありながら、生徒を放ってほっつき歩き、ついには嬉々として殴り込みの暴挙に出たユカリです。自由です。




