未来の対価
生徒会長からのちょっとした話を聞き終えたら、いよいよ倶楽部活動の時間だ。
軽く見回りをしながら部室棟に行ってみれば、生徒たちの活気ある姿をそこら中で見ることができた。そんな生徒たちから送られる視線を、暴力講師らしく泰然と受け止めて歩く。
ジャージの上下から戦闘服姿に変わったのが珍しいのだろう。世間知らずのガキどもめ、いくらでもこの美しい姿を見るがいい。
ずかずかと歩いて到着したのは、随分と久しぶりに感じる部室だ。
集合時間よりも一時間以上遅れての到着だけど、顧問はこのくらいでいい。なんとなく湧き上がる期待で胸を膨らませながら扉を開けた。
「――あと一本!」
「はいっ」
耳に飛び込んできたのは、非常に気合の入った声だ。いつもは部長がやるはずの号令が、今日は別人が担当しているようだ。可愛らしい感じのこの声は、ついさっき聞いたような気がする。
瞬間的に抱いた疑問をあまり気にせず、広い部室全体に目を配る。
全体を監督するような位置に見慣れない女子が立ち、大声で号令をかけている。背中を向けるその姿は、誰だかいまいち分からない。その女子の号令に合わせ、多くの部員が魔道人形の基礎練習中らしい。
みんなが足並みそろえて人形を操り、基本動作を繰り返す。なるべくムラがないよう、しかし密度は高く、必要十分に魔力を込めた人形を操作する。
人形が号令に合わせて前進し、止まり、向きを変え、手に持った槍を突き出す。素早く槍を引っ込め、盾を構えて腰を落とす。
武道の型のように、基本的な動きのパターンを繰り返す練習だ。これは私が考案した練習じゃなく、伝統的に倶楽部に受け継がれたもので、なかなかに考えられた基礎練習と評価できる。以前の話とはいえ、強豪校だった時代の名残が感じられる。
基礎練習だけでも一定のレベルで人形を操作し、大勢の動きがそろっているなら、それなりの迫力と見ごたえが生まれる。
魔道人形の人間の動きに近いそれは、かなりの練習を経て初めて可能な技。一糸乱れぬとまではいかないけど、久しぶりに集まった状況を考えれば悪くないレベルだ。
魔力感知と魔力操作、魔道人形を高度に操るにはこれの上達が欠かせない。夏休みに入る前を思い浮かべてみても、大きな劣化が感じられないのは非常にいいことだ。
しかし、これは人数が増えたことを思えば、少々おかしい気がする。
基礎練習を繰り返す部員の数は、休み前から比べて明らかに多く、もう倍増に近い。おそらくは復帰した部員を加えての基礎練習で、これだけ動きがそろっていることが妙だ。
夏休み中に集まり、それなりの自主練をしていなければこうはならないはず。
熱のこもった基礎練習を多くの部員が進める一方、端のほうではもっと簡単な練習を進める連中もいる。
「初心者か」
間違いなく休み前にはいなかった生徒たちだ。一度は退部した部員とも違う。
そんな初心者の面倒を見ているのは妹ちゃんとハリエット。あの二人は学生レベルを超越した技量だから、新人の指導も安心して任せられる。
ハーマイラ部長の話を立ち聞きしたから分かっていたけど、復帰や新規の部員が増えたようだ。思ったよりかなり人数が多い。
ぱぱっと全体を数えてみれば、定員には数名足りないくらいの人数になっているじゃないか。増えたのが体験入部じゃないなら、頭数だけはだいぶそろったと言える。
部室に入った私に気づいた部員たちが、動きを止めて挨拶しようとするのは、手振りで遮って練習を続けさせる。
せっかくだ、きちんと様子をみよう。
ふむ、どれどれ。型を繰り返す部員たちの技量は、細かく見れば結構なばらつきがある。
前から比べて明らかに上達した部員もいれば、それほど変わってない部員もいる。復帰組の部員たちの技量も様々だ。ブランクを考えれば総じて悪くはないと評価できるかな。
そもそも上流階級の令嬢ともなれば、長期休み中こそ忙しいと聞き及ぶ。何がどう忙しいのか興味ないけど、その忙しさの隙間を無駄にせず、自主練に励んだお陰で実力をある程度まで維持できている。
逆に実力を上げた部員が暇だったとは言わない。
あの熱心さからして、きっと無理にでも時間を都合して練習に当てたに違いない。
集まれる部員は集まって合宿のようなことまでやっていたようだし、なかには休み中はずっと練習していた部員もいるようだ。それは上達した魔道人形の操作レベルを見れば一発で分かる。
上達は歓迎できる一方、技量のばらつきは気になるところだ。
魔道人形戦は部隊として動くことを考えれば、初心者まで含めて一定のレベルに到達させないと作戦が立てにくい。
戦いにおける細かい技術は別としても、魔道人形の操作レベルの違いは単純な移動速度にも大きな差を生じさせる。
初心者だけを集めた部隊をおとりに使う運用もなくはないけど、そればかりじゃ幾度もの戦いは乗り切れない。初心者や実力が停滞している部員のレベルアップは必須となる。
問題は多い。ただ、期待は持てる。
部員たちがやる気を出したなら、あとは指導者がそれに応えなければ。
ざっと状況を掴んだところで、基礎練習がひと段落したらしい。
「全員、整列!」
今度は部長の号令によって、全員が駆け足で私の前に並んだ。
新入部員まで含めて、きちんと並んだ綺麗な整列。いつの間にかこうした指導まで済ませていたらしい。新人どもは緊張の面持ちで私をじっと見ている。
「イーブルバンシー先生。改めまして、本日からよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたしますっ」
部長に続いて、全員がそろって声を出した。元気のある気合の入った挨拶には、こっちの気まで引き締まる。
挨拶に対しては鷹揚にうなずき、腕を組んだまま「よろしく」とだけ言った。
本格的な練習の前に、今日は休み明けの初日。生徒のプロフィールを理解する私への自己紹介は不要だけど、一緒にやっていく仲間としてコミュニケーションは必要だ。フレンドリーにやる気はなくても、無駄に怖がられてはやりにくい。
よし、まずはコミュニケーションから。それから今後に向けての話をしよう。
「新顔が増えたみたいね、ハーマイラ」
「はい、先生。夏休み前から声をかけ続けた結果、これだけ集まってもらうことができました」
「なるほど。新人まで含めて、それなりの自主練はやってきたみたいね。どれ、一人ずつ顔をよく見せなさい」
薄いグレーのサングラス越しに、まずはしっかりと全員の顔を見る。
脳内のデータベースと突き合わせ、新たな部員どもの名前を思い浮かべた。
こうして見るとやっぱり出戻りが多い。二十人以上は増えた部員のほとんどが出戻りで、完全な新入部員は五人だけだ。
さっきの基礎練習を見る限り、夏休み中にただ勧誘しただけじゃなく、多くの新人や復帰した部員がすでに集まって自主練までやっていたことは間違いない。
今後の練習方針も基本的には部員たちに任せていいかもしれない。その程度の信頼はある。顧問の私は監督しながら練習内容を随時にアップグレードさせ、部員たちの様子に気を配るスタイルでもよさそうだ。
それに自ら思考錯誤し、実践することには大きな意義がある。顧問の指示に従うだけより、そのほうが倶楽部として強くなれる。
顧問に必要な要素は、指導するに足る実力があること。そして何より重要なのが、尊敬されることだ。ナメられるような顧問の元で、ガキどもがまとまって真剣に取り組むことなどあり得ない。本気で取り組める環境さえ用意してやれば、ガキどもはどんどん力を伸ばしていく。
この倶楽部には、すでに強くなるための環境がある。あとは如何にして、それを継続するかだ。
一人ひとりに視線を送り、全員を確認した。生徒会役員や巻き毛のような問題児はたぶんいない。
真剣な面持ちの一同に満足してうなずくと、ここで一人が列を乱し前に出た。長い髪を二つ結びにしたこの女子のことは、私はもちろん誰か分かってる。
緊張しているのか、顔がこわばり手をぎゅっと握っている様子はなんとも可愛げがある。
前に出たその女子に対しては部長が若干驚いた顔をし、その他の生徒たちは黙って見守っている。
何か言いたいことでもあるんだろう。黙って見ていると、意を決したのか口を開いた。
「イーブルバンシー先生、その、以前は生意気なことを言って失礼いたしました!」
何かと思えばそんなことか。
「謝罪は不要よ、ミルドリー・ハッド元副部長。魔道人形俱楽部は誰だろうと、やる気のある人間を歓迎する。励みなさい」
「あ、ありがとうございます。それと……副部長として復帰することも認めていただけますか?」
恐る恐るといった顔色と声で問われた。
副部長の席はずっと空席だった。部長やほかの部員たちは、こいつが復帰をするのを待っていたってことなんだろう。
というか、こいつはさっきまでの練習で号令をかけていた女子だ。その時点で部員たちにはすでに認められていることは理解できるし、廊下でハーマイラが説得していたのもこいつだ。
たしか、今日から復帰するとかなんとか言っていたはずだけど、それでいきなり号令をかける立場とはね。たぶん私が顧問になる前は、そうやっていたってことなんだろう。事前に部員たちの間で、そうする段取りがつけられていたんだとも想像できる。
「ハーマイラたちが認めてるなら、私に文句ないわ。お前を副部長として認める。ほかにも復帰した部員が多いみたいね」
なんてことないように言ってやれば、ミルドリーはホッとした顔で私の言葉に応える。
「これまで熱心に誘ってもらっていたことと、この倶楽部の活躍は聞いていましたので。あとは家族の勧めもありました。みんなもそうです」
「そう。なんにしても、やる気があるなら結構よ。この際だから、改めて言っておく」
ミルドリー副部長を下がらせ、部員どもを見まわしてから告げる。
「私はこの倶楽部を強くするためにここにいる。やる気のある奴の練習にはいくらだって付き合うし、どんな質問にだって答える。必要なものがあれば、何だって手に入れてやる。ただし、サボる奴は邪魔だから放り出す。努力するのはお前たち自身であり、私じゃない。最高の援助を生かすも殺すも、お前たち次第だってのを忘れるな」
「はい!」
威勢のいい返事に満足し、さらに続ける。
「お前たちは極めて恵まれた環境にいることを自覚し感謝しなさい。行き届いた施設を制限なく使え、活動費用にも一切の心配がない。それはお前たち自身の努力とは関係なく、親から与えられたもの。ほかの学校の連中とは明らかに異なる格差よ。だから腑抜けた態度で倶楽部に在籍することは許されない。ただし、私は無理強いするつもりは一切ない。お前たちは自主的に努力し、顧問の私はそれに手を貸す。それだけよ。良家の娘として、自覚をもって励めばいい。それだけのこと。いいわね?」
「はい!」
今後を見据えれば、部員自身で色々とやらせなければ捲土重来の目的が果たせない。私は冬にはここを去るんだ。後任の話は学長としているけど、誰が新たな顧問になろうが問題ないくらいの土壌を作ることが重要だ。それには生徒たち自身の高い規律と自主性が求められる。
「先生、いいですか?」
高まる部内のテンションに水を差すような、低い声で言ったのは元問題児で不良の巻き毛、イーディス・リボンストラットだ。
こいつは意外なほど練習は真面目にやっているけど、どうしてか常に淀んだ雰囲気のある不思議な少女だ。何を言い出すのやらと思いつつ、発言を許可した。
「先生は手を貸すだけとおっしゃいましたが、それだけですか?」
相変わらず生意気なガキだ。皮肉のつもりだろうか。
まあいい、少しだけ付き合ってやる。
「手を貸すだけで十分だと言ってる。私は顧問として、お前たちに特別な体験をさせてやる。この聖エメラルダ女学院の魔道人形俱楽部でなければ、決して得られないもの。ここにいれば、それが体験できる。すでにその片鱗を感じつつあるはずよ。特にイーディス、お前はね」
「……まあ、そうですね。頼りにしてますよ、先生」
ろくでもないことしかしていなかった不良こそが、いまを最も楽しそうにしている部員だ。
特別な体験を与えてやること、それこそが顧問の役割とも言える。ただの競技のコーチなら、学校の倶楽部じゃなくたって別にいい。
限られた時間のなかで、共通の目的をもった仲間たちと共にこれまでの人生で一番の努力をし、成功を体験する。あるいは泣くほど悔しい思いを体験する。そんな機会は大人になってからではなかなか得られない。そうした経験は多くの部員にとって、これが最初で最後の機会になるだろう。
この時、この場所でなければ得られないもの。それはきっと特別なものになる。
こいつらの人生のなかで、ひと際の輝きを放つ思い出になる。必ずね。
私はやるからには本気でやるし、他の連中にもそれを求める女だ。中途半端はつまらない。
――そして。いずれこいつらも知ることになるだろう。この私が新進気鋭の悪の組織、キキョウ会の会長であることを。
もし何らかの形で、こいつらの実家や嫁ぎ先と利益の相反が起こっても、簡単に私のキキョウ会を排除する考えには賛同できなくなる。私の教えを受けたこいつらは、きっと従順な女には育たない。実家や旦那に物言う強い女になるだろう。
ふふ、この私からタダで施しを受けられると思うなよ。
心の奥底に、決して抜けない楔を打ち込んでやる。
代わりに、最高の思い出をくれてやる。




