心機一転、さわやかな休み明け
夏休みが開けた登校初日。
今日から聖エメラルダ女学院で、臨時講師としての日々が再開する。
昔は意識したことなかったけど、新たな学期の始まりというのは気分がいい。漠然と何か新しいことが起こりそうな、そんなわくわく感がある。
まさか講師の立場でそんな風に思うとは、我ながら予想外だ。足取りも軽く学院の敷地を歩く。
「んーっ、暑いけどいい天気ね」
ジリジリと照り付ける日差しが、少しずつ和らいでいるのを感じる。
いろいろあって長かった夏も、気が付けば晩夏だ。きっとあっという間に涼しくなる。
長期休みが明けて、垢ぬけたような生徒だってたぶんいる。日差しの強さだけじゃなく、いろんなものが変わったはずだ。
学院は関係ないけど、私たちキキョウ会の陣容も大幅に変わった。
昨日、グラデーナたちがベルリーザを去った。賑やかな彼女たちがいなくなると、ちょっとだけ寂しい気持ちになってしまう。
この街に残ったのは当初からいる学院組と、情報局四人にグラデーナ配下の武闘派が二人。そのほかのみんなはエクセンブラに帰還した。ただ彼女たちが戻り次第に諸々を検討し、今後に向けて多くのメンバーが代わりにやってくる。
ひとまず人数が減ったものの、多数の戦力が必要なトラブルは想定していないし、そんなことがホイホイあってたまるかという思いもある。今日からは学院が再開するんだから、こっちに集中したい。
水面下では戦時に等しいベルリーザとはいえ、表向きにはアンデッドのこと以外は平和なものだ。
有力貴族や金持ち商人が首都から逃げ出すなんてこともなく、学院も普通に始まり生徒たちは登校する見込みだ。
なかには粛清された貴族がいるみたいだけど、それは極めて少数に留まったらしい。派手にやってしまえば、暗闘の数々は表沙汰にせざるを得なくなる。すべてを闇のなかに葬るには、裏切り者の掃除だって慎重にやらなければならない。
死を与えるのは裏切り者のなかでも、最も重要な役目を担ったと考えられる数名のみ。それも自然死を装った形での粛清だ。事情に詳しい者でなければ、暗殺されたとは思わない。ほかは取引によって罪を贖わせ、表向きの平穏を維持する。大国らしいやり方だ。
そうしたことから、有力者の娘ばかりが通うこの学院への影響も最小限に留まったようだ。
この街を混乱に陥れたい敵性勢力の企みは、現時点で完全に打ち砕いたと言っていい。表面的に何事もなかったと言えるいまの状況は紛れもない勝利だ。
勝利を覆される要素も特にはなく、あとはアンデッド退治が順調に進めばベルリーザは平時に戻る。
「アンデッドか。気にはなるけど、臨時講師の私には関係ないわね」
そう、もう関係ないんだ。決して油断ができず、気色の悪いあの存在とは無縁の状況。そのことが気持ちを軽くさせた。
魔道人形倶楽部の捲土重来に集中できる。先々に得られるだろうシノギを思っても、気分は上がる一方だ。
聖エメラルダ女学院の教員一同は朝早くから学院に集まり、授業の準備などを始めている。
生徒とは違って教員は夏休みが開ける前から授業の準備を始めたみたいだけど、生活指導を担当する私は顔見せの挨拶や、今後に向けて学長との打ち合わせをした程度でほかには特にやることがない。倶楽部活動が今日から解禁とあって、それについての考え事をするくらいだ。
生徒たちが登校し、倶楽部活動が始まる放課後までは暇なもの。でも暇な時間もあと少し、数時間後には部員たちの元気な顔が見られるだろう。
授業の準備をする必要がない私は、本校舎の入り口脇に立つことにした。生活指導の講師らしく、長期休み明けで浮ついた気分のガキどもの気合を入れ直してやる。
寮生とはすでに顔を合わせているけど、通いの生徒もそれなりに多い。夏休みボケした連中の意識を改めるためにも必要なことだ。
名門女学校で、まさか服装の乱れやド派手なメイクで登場するバカはいないと思ってるけど、一定数の不良はいる。この私の美しい立ち姿を見ただけで、腑抜けた奴らの背筋も少しは伸びるというものだ。
無事に眼帯を外せるようになったことは嬉しくはあっても、左目の変化をいちいち質問されるのは鬱陶しい。そのことから、以前のようにサングラスは着用済みだ。
ただし、ラフすぎる格好は学長からの要望によって少しだけ変えることになった。
ジャージとTシャツにサンダルの姿から、頑丈で地味な上下一式に変えた。
墨色のコンバットジャケットにコンバットパンツ、コンバットブーツで統一感を出し、ちょっとしたアクセントとしてジャケットのなかは赤ベースに金のツタ模様が入ったガラシャツを着た。ジャケットのボタンは留めず全開にして、シャツの柄を見せつける。かっこいいからね。
目元のサングラスは濃い焦げ茶のティアドロップから、薄いグレーのオーバルに変更した。ワイルドな印象のティアドロップから、たまご型でやわらかい印象を与えるオーバルサングラスなら文句ないだろう。
伸びた髪はシンプルに頭の後ろで一本に縛る。暑いし、凝った髪型は面倒だからこれでいい。
腰のポーチやジャケット、ベルトに仕込んだ様々な道具があれば、万が一の事態にも対応できる装備一式だ。
表向きには平和だけど、この学院は賊に忍び込まれたことだってある。警備のアナスタシア・ユニオンだけに任せず、妹ちゃんの護衛としての準備は怠らない。
全体的に私の格好からラフな印象はなくなり、要望に完全に応えた形だ。今後は学院内の格好は基本的にこれで通し、学院の用事で外に出る時には清楚モードにする。
これで誰からも文句は出ないだろう。
「うん、いい感じ」
ずかずかと学院内を歩き、本校舎前に到着した。
遠目に見えるアナスタシア・ユニオンの門番たちに、さわやかな挨拶をくれてやる。御曹司が脅威でなくなった以上、もはやこいつらに警戒を向ける必要はない。
軽く手を上げてやれば向こうもそれに応えた。良好な関係だ。
晩夏の日差しはまだまだ強く、直射日光を浴びる続けるのは美容によろしくない。
日陰になっている軒先に陣取り、仁王立ちで生徒を出迎える。気の早い生徒なら、そろそろ登校してくる時間のはず。
山の上の朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、リラックスした気分で待つこと少し。高級車が坂の下から姿を現した。
ゆっくりと近づく車両に対し、警備の野郎どもが魔道具で登録済みの車両かチェックを行うのをぼんやりと見守る。
警備は窓から車内を覗き込み、不審者が乗っていないことを確認しているようだ。いまはいいけど、混雑する時間帯になったら大変そう。
チェックを抜けた車両が敷地内に入ってすぐにある、屋根付きの駐車場に停まった。
降りたのは馴染みのある生徒。清楚なグレーの制服に黒の手提げカバンを持ち、淑やかに歩く姿はそれだけで絵になる美人だ。
「おはようございます、イーブルバンシー先生。こんなところで何をなさっているのですか?」
「おはよう、ルース・クレアドス生徒会長。早いわね、生徒会の用事?」
何をしているかなんて愚問には答えない。
「はい。生徒会は始業式の準備がありますので。それと先生方へのご挨拶をと」
「さすが生徒会長、しっかりしてるわね」
「……ところで先生。その見慣れない格好はなんですか?」
「あ? なんか文句あんの?」
怪訝な顔をした生徒会長を、目を細めて薄い色のサングラス越しに睨みつける。
他人様の趣味にケチをつけるつもりだろうか。生意気なガキだ。
「いえ、その……生徒たちはイーブルバンシー先生に慣れているのですが、生徒の家族や使用人にはいささか刺激が強いのではないかと。うちの運転手が先生のことを気にしていましたので」
「私の格好が気に入らないって?」
「慣れていない、ということです」
せっかくジャージから変えたってのに、まだ文句があるのか。
世のなかには頭の固いボンクラは意外なほど多い。いちいち文句を付けられても面倒だし、いい気分が台無しになってはつまらない。有効な助言だと認めよう。
外に立つのがダメなら校舎内でと考え、それもやめる。さわやかな朝の空気と光を感じながら外にいるならともかく、薄暗い建物のなかでボケっと立っていても面白くもなんともない。
「なるほど、一理ありそうね。ああ、クレアドス生徒会長」
「はい?」
「また何かあったら相談しなさい。それじゃ、私は行くわ」
「……ご指導よろしくお願いいたします」
神妙な顔をした生徒会長は、歩き去っていく私のことを律儀に見守っていた。
さてと、また暇になってしまった。朝の散歩でも再開するとしよう。
講堂に集まった生徒たちを壁際に並んだ椅子に座って見守る。
不良講師の私にとって、始業式など退屈なだけだ。
いや、不良どころか真面目な生徒だって、こんな式などきっと退屈に思うだろう。
お決まりの挨拶や生徒へ向けての訓示が述べられるなか、半分意識を飛ばしながら参加だけする。
生徒たちの今日の予定は、始業式のあとホームルームがあるだけで解放となる。特定のクラスを受け持たない私のような教員は、集まって会議があるらしい。それさえ終われば、いよいよ俱楽部活動の再開だ。
ほぼ聞いていなかった式典が終わって生徒がいなくなれば、お次は無意味な会議の時間だ。
臨時とはいえ、一応の立場がある以上は参加しなくてはならない。勘弁してくれと思いながら、死ぬほど退屈な時間を黙ってやりすごす。
いつものように魔力感知や魔力操作をバレないように実施し、地獄のような時間だって無駄にはしない。
そうして時が過ぎ。何やら話が終わったらしく、解散になったようだ。待ってましたとばかりに倶楽部棟へ移動する。
ウキウキとした気分だ。
苦痛極まる呪いから解放され、引き受けた面倒な事件だって解決済み。御曹司のストーキング行為も気にしないでいいとなれば、晴れやかな気分でいられるというもの。
魔道人形俱楽部の生徒たちには、指導を通して情が移っているせいもあるだろう。寮住まいの生徒たちも、みんな昨日戻ったばかりであいさつ程度しか交わしていないから、久しぶりの交流が楽しみだ。
「あとは休み中の自主練が、どの程度実を結んだか。期待していいのかどうか」
聖エメラルダ女学院の生徒たちは、大金持ちや身分の高い家の者で構成される。
夏休み中は倶楽部の練習ばかりするわけにはいかず、学院の倶楽部棟も使用禁止だった。それなりの自主練をしていなければ、腕は相当鈍っていると考えられる。
それに対して他校は練習漬けだ。もし自主練が大した成果をあげていないようなら、捲土重来への道筋は非常に厳しいと言わざるを得ない。新たな気持ちで、気を引き締めてかからなければ。
校舎のなかを歩いていると、ふと話し声を地獄耳が捉えた。
聞き覚えのある声に誘われて、つい忍び足で近づき聞き耳を立てる。
「――倶楽部をやめたこと、後悔してないの?」
「してないよ、するわけない」
問いかける声はしっかりした印象があるものの、温かで優しい。それに対して答える声は、可愛らしい感じだけど非常に苦し気で硬いものだった。
「本当に?」
「……うん」
「そう? 普通なら騙されたふりをするのかもね。でも、わたしは違うよ。魔道人形倶楽部の部長だから。いまはとにかく人数がほしいし、やりたいと思っている人を逃すわけにはいかないの。だから、復帰して」
「だから、後悔はしてないって――」
「後悔とか関係ない。やりたくないの?」
「それは……」
「やりたい、やりたくない、どっち?」
随分と強引なことを言っているけど、その口調は優しいままだ。
どうやら部員の勧誘中らしい。相変わらずの熱心さに感心と安心を覚えた。
「……もしやりたいって言っても、あの先生が認めるわけないよ」
「どうして?」
「それは、あんな生意気なこと言ってやめた部員だよ? 結果が出せそうないまになって、戻りたいなんて……」
「イーブルバンシー先生なら、まったく気にしてないと思うよ。あえて言うなら、やめた部員のことなんて覚えてもいないと思う」
いや、覚えてる。覚えてるというか、私は生活指導の講師として生徒全員の顔と名前、それに加えて基本的なプロフィールまで全部覚えているんだから。ただまったく気にしてないってのはその通りだ。
意欲のある奴なら、誰だろうが歓迎してやる。それが復帰だろうが新規だろうが、どうでもいい。心の底から、本当にどうでもいい。
「もしそうだとしても、ほかのみんなだって面白く思わないよ」
「さっきも言ったけど、もう一度言うよ? 魔道人形俱楽部にそんな人はひとりもいない。だって、わたしたちは上を目指しているから。戦力が増えて喜ばない人なんていないよ」
ハーマイラ部長の涼やかで晴れやかな声には、迷いも遠慮もない。真っ直ぐに気持ちを伝えている。
実際、私たちは頭数がほしい。ルールが変わった魔道人形戦は、最大で五十名まで参戦できる。ところが部員はそのちょうど半分しかいない。少しでも上を目指すには、人数不利の解消は必須となる。定員まで集めることができなかったとしても、切実にひとりでも多くほしい状況だ。
当然、数が少ないからって負けるつもりはない。負けた時の言い訳にするつもりだってない。
それでも不利な状況をくつがえそうとする努力は必要だ。そもそもは私への反発で元は大勢いた部員の半分以上が倶楽部をやめてしまった経緯もある。
やる気のないボンクラを追い出したことに一切の後悔はないけど、戻りたい意思のある生徒の邪魔をする気はない。いつでも戻ればいい。
「……考えさせて」
「どうしても気になるなら、今日の結果を見てから決めて」
「今日の結果?」
「夏休みの間に声をかけられる娘たちには、声をかけて回っていたの。元部員や新入部員も集まる予定だから、それで反応が分かるでしょう?」
おお、なんと。さすが頼りになる部長だ。そんなをことをしていたなんて。
この熱が部長だけに限らずほかの部員にもあるなら、私の心配などまったくの無用だ。
「休み中にそんなことを?」
「あなたにも声をかけるつもりだったのだけど、国外に出ていたでしょう?」
「うん……でもそこまでの状況だったら、様子を見てから戻るなんて言ってられないね」
「ひとりだけ戻るタイミングが遅れるほうが気まずいでしょう? 皆も待ってるから。じゃあ今日からね」
「急すぎない? 何も準備してないよ」
「こういうのは勢いが大事だから!」
「ハーマイラ、なんか変わったね」
「そうかな?」
「ふふ、絶対そうだよ」
笑い合う少女たちの姿は見えないけど、きっと良い表情をしていることだろう。
それにしてもあの部長が随分と熱心に勧誘する生徒とは誰だろう。さすがに声だけじゃ誰か分からない。
こっそり覗き見ようかと思ったところで、廊下の向こうから生徒会長がやってくるのが見えた。どうやら私に用があるらしい。
向こうから声を掛けられる前に、この場を離れることにした。
さわやかな青春を感じられる倶楽部活動と併せて、イーブルバンシー先生のイリーガルな活動も描けていければと考えています。
次話「未来の対価」に続きます。




