持て余す絶好調
ベルトリーア中央教会での術後、二日程度で左目の異物感はなくなった。
目の機能としても違和感ないし、眼帯の煩わしさがなくなったことも喜ばしい。
なにより体調に一切の不安がなく、魔法については絶好調、もう最高だ。闘身転化魔法や高度に難しい魔法を展開しても、なんら問題がない。
むしろ厳しい制限下で魔法を使い続けた経験のせいか、以前よりもあらゆる意味で能力が上がった気までする。というか間違いなく上がった。
魔法を使うことの楽しさ、そして自由を実感する。
拳を握って魔力の通りを確認するだけでも愉快な気分だ。いまなら誰と喧嘩しても負ける気がしない。
「聞いてんのか? おい、ユカリ」
「ん、悪い」
ちょっと力を持て余して気がそぞろになっている。そうした態度が誤解を生んだのか、グラデーナはまだ呪いへの処置に不安があるようだ。
今日は昼から、エクセンブラに帰還するまでの間どうするかの相談中だった。
「本当に大丈夫なんだろうな。その左目よ、なんか仕込まれてんじゃねえのか?」
「私を誰だと思ってんのよ? 自分の体の状況は、どんな些細な異変だって見逃さないって」
頼みにできる祓魔司祭が近くにいるうちに、やれる実験は秘かにやった。封印が破れる怪我の程度は把握したし、回復薬で普通に治せることも分かってる。
完全に目の機能や能力を理解したとはまだ言える段階じゃない。それでも悪意を持った仕込みがないとは断言していい。
すでに私の体の一部と化した魔道具に不都合な要素はなく、問題どころが本当に絶好調だ。
「そりゃそうかもしれねえが、やっぱ気になるだろ。みんなもそう思わねえか? なあ、レイラ」
「ええ、たしかに気にはなります。会長には申し訳ないですが、つい見てしまいますね」
「だろ? 怪しいと思わねえほうが、どうかしてるぜ」
「え、むしろめちゃくちゃカッコ良くないですか?」
「わたしは綺麗だと思います」
「いや、そりゃそうかもしれねえけどよ……」
たしかに、心配は理解できなくもない。
私の左目は時間が経つにつれ、瞳の色が変わってきた。右目と同じ黒目だったのが、呪いの魔力のせいか少し赤みがかり、どす黒い血の色のようだ。
しかもじっくりとよく見れば、色の変化だけじゃなく、うっすらとした模様が浮かび上がっている。その絡み合ういばらのような模様は、この私に相応しいとは思うけど非常に奇妙な瞳になってしまった。処置してもらった直後には、そんなものはなかったはずなのに。
ただ何かしらの変化の可能性については、あらかじめ祓魔司祭から聞いていたことでもある。想定内なんだから、別に騒ぎ立てることじゃない。
それに色の変化は劇的じゃなく、模様だってじっくりと見なければ分からないくらいに薄い。通りすがりくらいじゃ、たぶん左右の瞳の違いには気づかないだろう。
「ホントに問題ないわ。この左目は元が魔道具なんだから、こんなもんよ。エクセンブラに戻ったら、みんなにも言っといて。いちいち騒がれたくないわ」
「まあ言うには言うが、みんな普通に心配するんじゃねえか?」
この先、私はたぶんずっと呪いを抱えて生きていく。エリートの専門家にこれ以上ない処置をしてもらったんなら、心配する段階はもう通りすぎた。
「なに言ってんの。結果的に呪いのお陰で、私は一段上の魔法技能を手に入れたのよ? 心配どころか、喜ぶべきことよ」
自信と力に満ち溢れた姿に疑いを持つ余地なんかない。
つい先日までの不調だった様子とは明らかに違うはずだし、これ以上の問答は無用だ。
なんなら力の証明のため、ここにいる全員を叩き伏せてやったっていい。
「とにかく、みんなお疲れ。あれ以来、情報部からは特に連絡もないし、予想通り一旦落ち着いたわね」
「びっくりするくらい落ち着きましたよね。キーブシブル島に湧いたアンデッド対策で世間はまだ騒いでいますが、それ以外は表向きには何もないです。情報部は上手く封じ込めましたよ、これ」
「ええ。王宮のあるここベルトリーアでのアンデッド出現は、完璧に近い形で隠ぺいできているようです。帝国関連の組織潰しに動いたアナスタシア・ユニオンのほうも落ち着ているようですね。これについても一連の動きは表に出ていません」
私たちがやったグルガンディ戦含め、庶民を不安にさせるような事件はすべて闇のなかだ。
ハイディとレイラが言ったように、帝国との戦いさえ水面下の攻防でしかなく、ベルリーザで主な話題に上がるのは離島に大量出現したアンデッドについてのみ。これだっていまのところ離島への封じ込めに成功し、騎士団が連日戦果をあげる報道ばかりだ。
なべて世は事もなし。
世間の混乱など百害あって一利なしだ。何事もなかったように、社会が回るならそれに越したことはない。
他国ではそこそこ悲惨な状況になっていることもあるみたいだけど、大国ベルリーザは安泰だ。
「これならあたしらが帰っても問題ねえな。レイラ、船のほうはどうなってんだ?」
状況が落ち着いたことから、グラデーナ含め追加で応援にきてくれたメンバーの大半はエクセンブラに帰還する。帰路には戦利品の船を使う手筈だ。
「人員の確保と物資の手配は済んでいますが、出航まではまだ数日かかります。急がせていますが、余裕をみてまだ五日は要しますね」
「まだ結構かかるな。近場で遊ぶのも飽きちまったし、どうすっかな」
人間、暇だとろくなことをしない。何か仕事を与えよう。
「グラデーナ、暇ならなんか売れそうなもん調達しといて。船にウチの車両や戦利品だけ積んで移動したんじゃ、空きスペースだらけよね。もったいないわ」
たしかあの船の車両搭載数は三百台以上可能だった。ウチの荷物だけなら、なんやかんや積み込んでも一割もスペースを使わない気がする。
あの船は貨物船じゃないけど、あまりに余裕がありすぎてもったいない。どうせなら有効利用したいところだ。
「構わねえが、何を調達すんだ? 無駄なスペースを埋められて、向こうでも売れるモンてなるとな……盗難車でも買い叩くか?」
「待ってください。実はですね――」
レイラからストップがかかり、彼女の話を聞いた。
「……じゃあ大量に積み込む余裕はねえってことか」
「はい。急な船員の確保の見返りとして、空きそうな積み荷部分は商業ギルドに渡しました。内密の依頼として、詮索無用の荷物を大量に載せることになっています」
「詮索無用だと? 中身が分かんねえたぁ、随分と怪しいじゃねえか」
「細かくは聞けていませんが、見当は付いています。おそらく一部貴族や商業ギルドなどが溜め込んだ資産の一部でしょう」
そうきたか。有力ギルドの上層部は、このベルトリーアで何が起こったか裏の部分の概要くらいは情報を手にしたはずだ。決して平穏無事だったわけじゃなく、一歩間違えば首都が荒れた可能性を知っている。
単純に金目の物を分散して保管する目的、そしていざって時に再起できるような物資もまとめてブレナーク王国にも保管しようって魂胆だろう。そうした対策は金持ちにとっては、やって当然のことでもある。これが初めてってわけじゃなく、便乗するにはちょうどいい機会だから利用したに違いない。たぶん急ピッチで、ブレナーク側での保管倉庫の準備なども進んでいると想像できる。
なんせこれは正規の輸送じゃなく密輸だ。
私たちの船は情報部の秘密の依頼で獲得した戦利品だし、今回ばかりはそれの移動については一切の文句を言われなければ、手入れだって入らない約束になっている。
多くの戦利品や報酬として手に入れた武装や魔道具、財宝等々あれこれ積む予定だから、もし事情を知らない警備隊などに積み荷を検められてしまえば非常に厄介なことになるだろう。
完全フリーの通行は仕事を果たした報酬として受けて当然の計らいであり、秘密を守りたいベルリーザ上層部や情報部の利益にも適う措置だ。
そこに便乗する形での密輸なら、誰にバレる心配もないわけだ。受け入れ先はリガハイム港で、キキョウ会の仕切りだからこれもお咎めなしにクリアできる。
ついでにウチのメンバーを乗せる船なら、別途に護衛の手配をする手間も金もかからず、秘密を知る人間も最小限に留まる。隙がない。
まだベルトリーアの商業ギルドとは付き合いも浅いのに、思い切った判断を下すものだと感心する。いや、抜け目のない商業ギルドのことだ。むしろ情報部やそれに関係する貴族には最低限の渡りはつけたか、巻き込んだ上でのことかもしれない。
「積み荷はいいがよ、そうすると商業ギルドの連中も船に乗るんだろ?」
「確定していないのですが、多ければ数十人規模で乗るようですね。拡大したブレナーク王国を視察する目的もあるのだと思います。ただ、まだ諸々の調整中ですから、こちらの要望との擦り合わせは可能です。いかがしましょう?」
「レイラ、好きにさせて構わないわ。商業ギルドなんて、いくら恩を売っても損のない相手よ。もしエクセンブラに行くつもりがあるなら、ウチのホテルを用意してやるのもいいわね」
「ああ。そもそもの手配はユカリがお前に任せたんだ、あたしにだって文句はねえ。そういやあの船の定員は五百人以上だったか? だったら数十人程度の客が増えようがどうってことねえしな。しっかしよ、物資の調達もできねえとなりゃ、また暇になっちまったな」
暇ほど毒なものはない。力を持て余した私だって、学院が始まるまでのあと数日間はこれと言ってやることがない。
学院組のみんなは妹ちゃんの要望で魔道人形の練習会を毎日やってるけど、暴力的な衝動を抱えた私はそっちに参加するつもりはない。少なくともこの衝動を解消するまでは。
うん、他人事じゃなく暇を持て余すのはよくない。どうしよう。
「姐さん、いっそのこと街を出て魔獣狩りでもしに行きます? どこか適当な場所があれば、ですが」
「悪くねえな。レイラ、どっかいい場所知らねえか?」
「そうですね……現在はアンデッドへの警戒が強くなっていますので、人里離れた場所でも騎士団や傭兵が見回りを強化しています。特にこのベルトリーア近郊では、三席の暇つぶしになるような魔獣はいないと思います。ハイディのほうで何か情報はない?」
「そこそこの魔獣を狩るなら、よっぽどの奥地かもう他国にまで行くしかないでしょうね。近場でとなると、やっぱり人間相手になりますが……喧嘩売って潰しても怒られない相手ってことなら、心当たりがなくはないですね」
ほうほう、興味深い話が聞けそうじゃないか。
急にやる気になった武闘派一同がハイディの話に食いつく。
「で、どこの誰なんだ?」
「場所はベルトリーアから車で三時間ほど南下した街で、衛星都市の一つです。マトは隣国の犯罪組織でして、主に物資の闇取引をやってます」
「闇取引? 首都ベルトリーアの外とはいえ、治安のいい国内でよくやれるわね。そこそこ実力のある組織ってことか」
「この国はアンデッドのこと以外は表向き平和ですが、実質的に戦時ですからね。地方も含めて多少の混乱状態にあります。それに豊かなベルリーザでも、物資が大量にこの街に集められた結果、地方では色々と不足気味なんですよ。そこに付け込んでって感じです」
物資が不足する場所なら、通常よりも高値で売りさばけるのは当然だ。ただし、他国の犯罪組織が闇市場でどれだけ儲けようが、ベルリーザにとっては富が流出するだけと言える。
物資が欲しい側としては闇だろうが高かろうが、必要なんだからしょうがないと思いきや、どうやらそれが詐欺まがいの商売らしい。
「質の悪い武器や魔道具を高値でさばくのはまだしも、特にひどいのは魔法薬関連ですね。何倍にも薄めた回復薬や、中にはアンデッド騒動で儲けられると思ったのか、ただの水を聖水と偽って結構な量が出回ってるみたいなんですよ」
治癒師ギルドと教会に喧嘩売るのは、裏組織にしたって得策じゃないと思うけどね。バカの考えたシノギにしても短絡的にすぎる。
「他人のシマを荒らすだけ荒らして、どうせすぐトンズラするつもりだろうぜ。あたしらが手ぇ貸してやる理由はねえが、たしかにやっちまっても文句は言われそうにねえ相手だな」
地元の組織を助けてやる気なんて毛頭ない。もし手助けしようと申し出たって、仕切ってる奴らのメンツにかけて不要と言うに決まってる。
ただ、私たち自身が粗悪品や偽物の一つも掴まされてやれば、因縁吹っ掛けるには十分な理由になる。喧嘩売ったのは奴らのほう、私たちは買っただけと言える状況の出来上がりだ。
私たちはただ単に、退屈しのぎの喧嘩がしたいだけ。誰かをぶん殴りたいだけだ。この際、ついでに恩を売ろうとも思わない。
最悪、地元の組織にまで喧嘩売られる可能性は否定できないけど、その時はその時だ。買ってやる。売られた喧嘩を買うことに対して、誰にも文句は言わせない。
「一応の問題としては、現地の状況があまり詳しいところまでは分かってません。もしかしたら地元の組織や青コートまで、詐欺に加担してる可能性はありますよ」
「細かいことはいいわ。私たちをカモろうってんなら、喧嘩売られたも同然だからね。誰が相手だろうが、殴って何が悪いって話よ。とにかく、決まりね」
「おっしゃ、いまから行くか」
即断からの即行動は私たちの長所だ。
こっちの動向を見張る連中だって、こんな短絡的な行動を予測することは不可能だろう。気を使ってやることはないけど、見張り役は大変だ。
よっしゃよっしゃ、とにかく喧嘩だ。喧嘩がやれるぞ。
はっはーっ! 腕が鳴るわね。
次話では、ちょっとだけ新たに得た力を使う予定です。