左目のパラダイム・シフト
レイラと私の二人だけになった部屋で、寝台に身を横たえ両眼を閉じる。
タリスマンを左目につければ楽になるから、聖具のありがたみがよくわかる。代わりに外した時の体の不調がひどすぎて、改めて絶望的な気分になった。
「会長、そこまで状態が悪いとは思いませんでした」
「……ふう、まあね。でも死にはしないわ」
「あの祓魔司祭に任せて大丈夫なのですか? 解呪ではなく、封印や荒療治と言っていましたが……未知の手段でしょうし、良からぬ企みがあっても見抜けるか自信がありません」
それはムーアから話を聞いたときにも思ったことだけど、いまとなっては問題ないと判断できる。
「あいつらの反応見たわよね。もし私に害意があったとして、最善は何もしないことよ。処置しなけりゃ、私は勝手に追い込まれるからね。わざわざ恨みを買うような馬鹿な真似しないわよ」
呪いをこのまま放っておけば、状態は悪くなる一方だ。教会の看板背負ってる祓魔司祭なんて身分の奴が、手を汚す必要なんかない。どうにかできると大言を吐いたなら、必ずどうにかするはずだ。そういう意味で信用できる。
というか、このチャンスを不意にできないのは切羽詰まった私のほう。なんのかんのと屁理屈並べたところで、信用するしかないってのが実情であり本音だ。
「最悪、もし呪いが悪化しようもんなら、奴らの命を代償に憂さを晴らしてやるわ。ついでにこの件に絡んだ王宮と情報部にも報復してやる」
「その時にはお供します。荒らすだけ荒らして、エクセンブラに引き上げましょう。いまより呪いが悪化しても、会長でしたらベルトリーアの壊滅まで持って行けますか?」
「命の安売りする気はないけどね、そのくらいの根性出せばやれないことなんて何もないわ」
壊滅は冗談にしても、もしもの時には暴力組織としてのキキョウ会が黙ってない。狙うべきは少数の個人でいい。
相手が誰だろうが、どこまで逃げようが、地の果てまで追いかけて報復するのが裏社会の流儀だ。その程度の常識は教会の連中だって知らないわけはない。
第三者には冗談とも本気ともつきにくい話をレイラとしていると横手の扉が開いた。
「教会の中で物騒な話するんじゃないよ。盗み聞きされてることくらい、承知の上だろう」
「だから、あえて言ってんのよ。ま、別に疑ってないわ。あんたに私の身を任せる。頼むわよ」
婆さんは寝台の横に立ち、運び込んだ大きなカバンをサイドテーブルに乗せた。爺さんと中年男も部屋に戻り、寝台の近くで魔道具の準備を始めたようだ。どうやら三人がかりで処置する雰囲気だ。
「大人しく寝ていればすぐに終わる。付き添いは部屋を出ていきな」
「なぜですか」
「集中するためだよ。余人がいれば、そいつが発する微弱な魔力でも邪魔になる。これから行うのは繊細な魔法儀式。集中が乱れて痛い目を見るのはこやつだぞ」
そういや婆さんたち三人の魔力がほぼ感じられないレベルで小さい。これは魔力操作によるものじゃなく、魔道具の効果みたいだ。
「魔力が問題でしたら、わたしは自身が発する魔力は完全に近い形で消すことが可能です。これでどうですか?」
「消すだと……ほう? 魔道具を使わずに、そこまで消せるとは大したものだ」
「壁際に下がって見ています。声も魔力も漏らしません。問題ありませんね」
「お前もしつこいね。まあいい、言った言葉を守るなら許してやる。だが一度でも破ったら次はない、叩き出すから覚えときな」
「レイラ。どんな儀式か知らないけど、何があっても私の息の根が止まる寸前まではこらえなさい」
しっかりとうなずいたレイラが下がり、三人が引き続き準備を進める。
すると何かしらの魔道具が起動し、寝台を含む極狭い範囲に不可視の結界が展開された。結界内部の魔力がこれ以上ないくらいに安定したのがすぐに分かる。
自然や魔道具が発する周囲の微弱な魔力を遮断したんだろう。結界の出力からして、たぶん微弱な魔力以外は遮断できないから余人を遠ざけたんだと思われる。
「これを飲みな」
差し出された小瓶を受け取り、首を持ち上げて目視で観察しながら中身を感知した。
「……魔法薬。強い麻酔効果がありそうね」
「見ただけでよく分かるな。しばらく体の自由が利かなくなるが、嫌でも飲めよ」
呪いの源泉である左目をいじくり回すなら、我慢強い私でもさすがに痛みに耐えかねる。ごねてもしょうがないし、一気に飲み干した。
さらに浄化などの魔法が展開されるうちに、徐々に体の感覚がなくなってきた。
「まだ意識はあるな? 始める前に何をするか説明してやろう」
柄にもなく緊張してしまう。回復薬で怪我や病気をサクッと秒で治す私にとって、こういうのは慣れない。横たわったまま無言で言葉を待つ。
「結論から言えば、左目を魔道具に置き換える。お前の場合には呪いの源に女神様の守護石を固定化し封じ込め、ついでに左目としても機能させる。聖都の長年に渡る技術の粋を詰め込んだ魔道具だ。これの調整にはつい先ほどまで時間を取られていたが、万全だと保証しよう。さて、後天的な肉体の欠損や不具合は第二級回復魔法で完全に癒すことが可能だが、先天的な場合にはいかなる上級回復魔法を用いても、元より無いものを復活させることは不可能だ。だが魔道具を使って補うことは可能。いまからお前に施す処置は、その応用と考えておけばいい」
つまり私の左目をえぐり出して、代わりにタリスマンで作った義眼をハメ込むってことか。
「心配は無用だ、光を失うわけではない。それに呪いを封じるだけでなく、魔道具の眼は生身よりも優秀だ。素材もベルリーザ王宮から譲渡された一級品を使っている。これほどの物はなかなか用意できんぞ」
「……それって後から第二級の回復魔法使った時に、問題は出ないわけ?」
左目を失っても回復魔法を使えば元に戻ってしまう。
普通に考えれば単なる義眼は復活した左目の邪魔になり、異物として排除される。それじゃ意味がない。
「問題ないと断言できる。これからお前の肉体と魔道具を同化させるため、我ら三人で特別な魔法儀式を行う。聖都では眼球を含め、肉体をあえて魔道具に換える需要があってな、いくらでも前例はある。数は少ないが、呪いに類する魔法の後遺症を封じる意味での処置例もある」
たぶん聖都ならではの技術なんだろう。エクセンブラでは聞いたこともないから、特殊な魔法や技術、素材などが必要になるはずだ。気やすくサイボーグみたいな連中を量産できるとは思えない。
ふーむ、それにしても世界は広いわね。聖都についてポジティブな興味が湧いた。
「もう一つ質問。祓魔司祭ってのは基本的にアンデッドの専門家じゃなかったの? こんな特殊な処置までできるとは思わなかったわ」
「祓魔司祭を何だと思っている。祓魔司祭を名乗れるのは一握りしかおらん。お前が想像しているのは祓魔師のことだろう」
祓魔司祭ってのは少数のエリートだと言いたいらしい。だからこそ様々な知識や技術に通じ、それらを会得すれば祓魔師からランクアップできるって感じなんだろう。
「理解したか? この魔法儀式に失敗の恐れはないが、唯一の問題は術後、馴染むまでに時間がかかることだ。しばらくの間は激しい苦痛と違和感に襲われることは覚悟しろ。これまでに説明したことすべてを受け入れるなら、呪いを封じてやる」
「ん……いいからやって」
「ようやく麻酔が効いてきたな。なに、処置自体に大して時間はかからん。術後の安定と経過は見たいから、ここで朝まで寝ていろ。それと外にいる連中は帰せ。気が散る」
「……聞こえたわね、レイラ。あんたがいれば十分だから、みんなは帰しといて」
微かに聞こえる返事を薄れゆく意識の中で聞いた。それにしても婆さんの自信に満ちた態度が頼もしい。ドンと構えて任せようじゃないか。
うだうだ考えるのはやめて、素直に眠ることにした。
――意識の浮上と同時に右目を開く。
部屋に差し込む光と空気の感じからして、たぶん朝とは違う。昼過ぎくらいだろうか。私にしてはかなりの寝坊だ。
そんなことより……とても気分がいい。
体内の魔力の乱れが感じられず、それによる不調がない。こんな穏やかに迎える目覚めは久しぶりだ。
開けられない左目に光を感じないのは、包帯のようなものが巻かれているせいだろう。そうした感触がある。
左手を動かして顔を触ってみれば、思のほか硬い布らしきものだった。魔力を感じるから、何らかの魔道具みたいだ。
「お姉さま、具合はどうですか?」
「……ヴァレリア?」
「はい。朝方にレイラと交代しました。大丈夫ですか?」
心配そうな顔をした妹分が私の顔を覗き込む。
眠気もなく体調がいいなら寝ている理由はない。ゆっくりと身を起こし、感覚を確認するように体の各所を伸ばした。
うん、やっぱりいい感じだ。
「大丈夫、驚くくらいに体調がいいわ。悪いけど祓魔司祭を呼んできて」
「すぐに!」
私の言葉や雰囲気から、元気なことが分かったんだろう。ヴァレリアは嬉しそうな笑顔を浮かべて、部屋を出て行った。
寝台から出てブーツを履いたタイミングで、早々にヴァレリアと祓魔司祭の婆さんがやってきた。
「その様子なら特に問題ないな?」
「これは取っていいの?」
顔に巻かれた布が邪魔だ。
「昨日も言ったが、しばらくはかなりの痛みと違和感、異物感で起き上がるにも苦労するはずだ。それはそれらを抑えるための魔道具だ。試しに取ってみるのはいいが、少なくとも二、三日は巻いておけ。貸してやる」
「へえ、いい魔道具じゃない。でもとりあえず取ってみるか……自分じゃ取りづらいわね」
「わたしがやります」
ヴァレリアが丁寧な手つきで、巻かれた布を外していく。
そうして圧迫感のなくなった左目の部分が外気に触れた。まだ左目は開かないまま状態を確認する。
たしかに魔道具の布が取れた途端から、かなりの異物感がある。
でも……別に痛くはない。気のせいってわけじゃないだろう。目を開いてみれば、また違うんだろうか。
ゆっくりと慎重に、少しばかり緊張しながら左目を開くことにした。
まぶた越しに感じた光がダイレクトに入ってくる。
左目の代わりに右目を閉じてみても特に問題はなさそうだ。
これが魔道具の目か。異物感はともかく、普通に見えるから実感があまりない。凄い技術だ。
「よし、見える。別に痛くもないわ」
「痛みがない? 本当か?」
「異物感は凄いけどね。でもそれ以外は問題ないわ」
「ほう、素材にした鉱物との親和性が高いのか? 一晩で痛みが消えたなど……」
体に馴染むまでに時間がかかるとか言ってたっけ。親和性がどうのって話なら、私には鉱物魔法の適性があるからね。相性は悪くないはずだ。
「痛くないならいいことよね。それより何か注意することはある?」
「……まあいいだろう。左目の負傷には気を付けろ。怪我の程度によっては呪いの封印が破れる」
体調不良や痛みがないせいで忘れそうになったけど、そういやそうだった。呪いはなくなったわけじゃなく封じただけだ。
左目に意識を向けて深部まで魔力を感知してみれば、たしかに眼球の中央部に呪いらしき極めて強い力が感じられた。封印の中にあるこれは、他者にはたぶん感知できない。
ただ一度認識してしまえば、まるで爆弾を体の中に置いたような感じがして気持ちが悪い。
「ちっ、そういうことか。じゃあ、もし大怪我したらまたあんたたちに診てもらわないといけないわね」
「処置前にも言ったはずだ。その左目は魔道具ではあるが、すでにお前の体の一部だ。仮に左目を負傷したとして、回復魔法を使えば治せる。治すまでの間は、呪いに苦しむことになるがな」
そうか、だったら大した問題にならない。いや、変な力が左目に宿ってること自体が、気になるっちゃ気になる。私と同化するような感じになってるから、呪いが力を失って枯れることだってたぶんない。
まあ慣れるしかないか…………あれ。というか、これ。魔力操作で干渉できるっぽい。
闘身転化魔法を発動し、莫大な魔力を超高度に制御可能なレベルにある私だ、その感知能力と操作技術があればこそ可能な技ではあるけど――これ、どうにか利用できないだろうか。
「どうかしたか?」
「なんでもないわ。ほかには?」
「その左目はお前自身とは違う呪いの力を内包している。いまは良くても今後、何かしらの変化はあるかもしれん」
「……変化? 封印が破れるってことじゃなく?」
「破損しなければ封印が破れはせんが、瞳の色や形状が変化することは可能性として考えられる。それだけ覚えておけ。痛みが出なければ機能自体に問題はない」
なんだ、そのくらいなら全然構わない。あまり妙な感じになっても嫌だけど。
「分かった。とにかく助かったわ、一つ借りとくわね」
「こちらにはこちらの事情があってしたことだが、お前がそこまで言うのであれば貸しておく」
「義理は果たすのが私の稼業の鉄則よ。もし困ったことがあったら力になるわ」
いまの私はすこぶる機嫌がいい。
どうせ祓魔司祭なんて立場の奴が、私のような悪党に頼み事なんかしないだろう。老い先短い婆さんにリップサービスくらいしてやるし、本当に頼られたとしてもその時はその時だ。
さて、もう用は済んだ。
すっと力を込めて立ち上がる。やっぱり気分がいい。
「本来ならまだ寝ていろと言いたいところだが、その様子なら問題あるまい。もう行くか?」
「じっとしてられる性分じゃないのよ。それに体も鈍ってるからね、早いとこ全力を出す感覚を取り戻したいわ」
「お姉さま。レイラとハイディに言って、適当な殴れる相手を探しますか?」
「それ、いいわね!」
誰かれ構わず喧嘩売って、ぶん殴りたい気分だ。
そうすりゃ調子なんてすぐに戻る。
早く誰か、殴らせろ!
ユカリは呪いの魔眼を手に入れた!
まだベルリーザの動乱はすべてにカタが付いたわけではありませんが、キキョウ会の立場としてはこれにて一段落しました。
次話から小エピソードを少し挿み、その後に学院や魔道人形倶楽部の続きに戻ります。ベルリーザ編のエピローグ的な感じになれば良いと考えています。




