ベルトリーア・アンダーグラウンド
残りわずかとなったスロープを駆け下りる。足音を立てないように走り、底への到着は間もなくだ。
薄暗い光に照らされた壁面に、私たちの影が揺れる。緊張感のある敵地への潜入、しかも地下深い場所だ。小心者なら自分の影を見ただけで、心臓が止まったかと思うほど驚くのかもしれない。
無論、私は影を見間違えるなんてことはしない。そもそも緊張だってしない。
待ち受ける障害を楽々と排除し、当然のように先に進むだけだ。なんだろうが、かかってくればいい。
さてと。話によれば底には大空間が広がり、スロープの終着点に見張りがいるらしい。
「……お姉さま、誰もいないみたいです」
慎重に歩みを進めて、ついに地の底に到着。私より前を進むヴァレリアが、スロープの底を覗き込み不審そうな顔で言う。
相変わらず魔力感知が通りにくく、目視できない場所がどうなっているか全然わからないのが不便だ。
「人質も?」
「見当たらないです。建物に隠れたのか、移動したかもしれません」
気づかれた? いちいち面倒だ。人質で交渉したいなら、さっさとやればいいものを。
「まあいいわ。もし隠れてるなら、こっちの動きに気づいたってことよ。不意打ちに要注意ね。罠もあり得るから、ここは焦らず行くわよ」
「はい。少し周りの様子を見てきます」
すでに敵には多くの時間を稼がれてしまった。急ぎはするけど、今さら焦ってもしょうがない。奇襲に備えて防御を意識しながら大空間に踏み込んだ。
ヴァレリアから聞いてはいたけど、ここは思った以上に広い空間だった。これなら大部隊をも隠せる秘密のアジトとして十分使える。
それにただ空間が広がっているだけじゃなく、いくつもの建屋が並び、残された車両の数も二十台以上はある。建屋の大きさと数から、大雑把に収容できる人数として数百は余裕だろう。端のほうには大量の資材が積まれた状態でもあり、秘密基地はこれからも拡充する予定だったと考えられる。
広い空間だけどごちゃごちゃとして見通しはかなり悪い。魔力感知の通りにくい環境もあり、誰か隠れていることは普通にありそうだ。建屋の屋根にジャンプで上がって、ざっと景色だけ見回した。
グルガンディの戦力がいまいち判然としない。船でやってきた精鋭だけを倒せば終わると思っていたのに、この空間や初手の多数攻撃を考えると少人数とは考えられない。おまけに強力なアンデッドまでたくさん出る始末だ。それもあれだけで終わりじゃないだろう。
ただ、このアジトを暴かれ押さえられたことは、グルガンディにとって非常に大きな損失になったことは間違いない。そして当然、私たちはこの戦果で満足しない。
決して中途半端に終わらせず、必ず息の根を止める。それでこそウチの看板もより輝くってものだ。
地下の施設を細かく見学したい気持ちを振り切り、横手に伸びる大通路を見据える。その名の通りの大通路だ。
こんな地下深くにありながら、大型トラックが四台は並走できるくらいに道幅が広く、天井も高い。地下帝国でも作ろうとしていたのかと勘ぐるくらいの規模だ。
敵が移動したとすれば、この大通路の先で間違いないだろう。急いで移動したためか、ここから見える大通路にはいくつもの荷物が散乱している様も見て取れる。何が待ち構えるにせよ、とりあえずは行ってみよう。
「お姉さま。大通路のほかに、いくつか上に続くスロープを見つけました」
周辺確認に出たヴァレリアが合流、建屋の上から降りるなり報告を受けた。
「スロープがほかにも? なるほどね、じゃあ私たちが入ったのとは別の倉庫からも、この地下空間に入れるわけか」
「もしかしたらロベルタたちと合流できるかもしれません」
「そうね。でもそれを待ってる時間はないわ。目印だけ残して、先に行くわよ」
大通路の手前に鉄球をいくつか転がしておけば、それだけでみんな分かるはずだ。あるいは先に誰かがここにやってきたとすれば、何かしらのサインを残したはず。後で確認しよう。
ここからは放置された車両を使う。車爆弾など罠の可能性を潰せば普通に使える。
二人で適当な車両を検めていたタイミングだ。少し離れた場所から音が聞こえた。
「――動くな!」
物音の次には命令調の声。しかし唐突に動くなと言われて、素直に言うことを聞く奴はそういない。
私とヴァレリアは悠然と振り返りつつ、読めなかった気配の主に警戒を高める。
「動くなと言ってんだよ!」
声の主は近くの建屋に潜んでいたらしい。窓を開けて姿を見せた男は、魔道具を構え脅しのつもりか一発放った。
放たれた魔法は私たちの数歩手前に着弾し、砂の地面を小さく爆ぜさせる。砂如きが服に当たっても、私たちの装備には傷一つ付かない。これで脅しのつもりだろうか。むしろあの程度の魔法なら、不意に直撃しようが何ら問題なかった。
しかし妙だ。しょぼい威力の魔法に加えて、焦りを隠しきれない声での恫喝。
とてもグルガンディの精鋭とは思えない小物感がある。それどころか一般の兵士とも思えず、ハッキリ言ってこいつは街のチンピラ程度の雑魚だろう。こんな奴が私たちに気配を悟らせなかったとは考えられないから、どうせ魔道具の効果に違いない。
そのまま隠れ続けていれば、私たちに見つからずに済んだのに。
なんで出てきた? そもそもなんでこんなのがここにいる?
どうでもいいか。こんな雑魚に時間を使ってる場合じゃない。
「よーし、そうだ。そのままじっとしてろよ」
黙っていると、チンピラは有利な立場になれたと誤解したらしい。
「お前ら何者だ? いや、まずは武器を捨てろ。後ろを向いて手は頭の後ろだ、そんで跪け……早くしろ!」
アホの戯言に構わず、ヴァレリアと小声で話す。
「敵は最低でも二人以上、それと人質らしき連中がいるって話だったわね」
「はい、あれだけが残っているとは考えにくいです。移動したのかと思いましたが、まだどこかにいそうです」
「そうね。よし、炙り出す。もし出てこないなら、他には誰もいないと判断して先に進むわ」
「コソコソ話してんじゃねえ! てめえら――」
右手に持ったバットはそのままに、左手の中に鉄球を生成した。視界の端に捉えたままのチンピラに対し、視線も向けずに手首の動きだけで鉄球を投げ放つ。
ちっとも言う事を聞かない私たちに怒鳴り散らすチンピラは、突然の投擲にまったく対応できず、もろに食らって右の肩から先を失った。
悲鳴はいいエサになる。ほかに動きがないか、そっちに集中する。
「誰かいるならさっさと出てこい。さもなけりゃ、建物ごと全部潰す!」
だだっ広い地下空間に、チンピラの泣きわめく声に重ねて私の恫喝が響き渡る。
そして実際に手近な建物に対してバットを叩きつけ、大きな破壊音を立ててやった。こうして脅せば無反応じゃいられないだろう。
「……左の建物に人影が見えました。少しだけですが、間違いないです」
「あれか、行くわよ」
特に気配は感じられず、物音もしなかったはずだ。目の良いヴァレリアは、窓の向こうの動きを見逃さなかったんだろう。さすが頼れる妹分だ。
堂々と近づいていくと窓が少し開いた。観念した、なんてことはないか。
「それ以上、近づくな。人質がいる」
声の主は隠れたまま姿を見せない。無駄だ、声を出せば身を隠した場所なんてめくれたも同然。適当に狙いを定め、鉄のトゲを一本くれてやる。
魔法行使と同時に二人で駆け出し、くぐもった悲鳴が聞こえた時には壁に向かってバットを叩きつける。壁に穴が開くと同時にヴァレリアが突っ込み、立ち尽くす何者かに当身を食らわせた。
私も中に入り込み、即座に内部を確認だ。
破壊された壁の破片にまみれ、トゲで足を貫かれた不自然な体勢で倒れるのが敵だ。意識を失ってる。
そして広い部屋の奥には、五人の若い男が床に転がされている。口をふさがれ手を縛られた状態から、あれが人質で間違いないだろう。ただ罠の可能性はまだ捨てない。それに他にも敵がいないとは限らない。
「お姉さま、念のため他の建物も見てきますか?」
「いや、ここで時間を使いたくないわね」
少数だけ残された敵が人質と共に残った意味を考えれば、時間稼ぎ以外にないだろう。やるべきは逃げた敵を早く追いかけることだ。追いつきさえすれば嫌でも色々分かるんだ、どうせ大したことは知らないだろう雑魚を尋問する時間は惜しいし、捜索に時間を割きたくもない。
面倒だけどせっかくだから、人質の解放だけはやってやる。もしほかにいるとしても、今は時間がないから捨て置く。
一応の警戒をしながら、まずは手近な青年の拘束を解くことにした。魔法封じの腕輪まで使う念の入りようだ。強引に魔道具を破壊して拘束も断ち切れば、数秒程度で拘束を解き終わる。見たところ怪我はなさそうだ。
「あ、ありがたい。あなたは……」
「悪いけど時間がないわ。私たちはベルリーザ当局の意を受けてここにいる。あんたは?」
感謝の言葉や疑問の声が続きそうなところを遮り、この場で必要なことだけを話す。私のことは眼帯の女とだけ認識しておけばいい。
「俺はクレイン・クレアドス。ここにいるのは――」
「クレアドス? それって伯爵家の? いや、それよりあんた。魔力量はそこそこあるし、体つきもいいわね。もしかして騎士かなんか?」
要らんことを遮って話す。こいつの正体が誰だろうが、この場において礼儀など不要だ。
「あ、ああ。まだ見習いだが」
「見習いでも騎士なら戦えるわね? なら後のことはあんたに任せる。壁際にあるスロープを上って脱出しなさい。私たちは逃げた敵を追いかける。敵の人数は分かる? ほか、なんでもいいから情報は?」
「え? いや、役に立てそうな情報は特にない……すまない」
所詮は人質の身だ。別に期待してなかったし、知らないものはしょうがない。
「とにかく、外に出たらまずクレアドス伯爵に連絡して指示を仰ぎなさい。脱出できても勝手な行動はせず、ここにいる全員に余計な話をさせないこと。いいわね?」
こうしておくのが妥当だろう。それに情報部と繋がりのあるクレアドス伯爵なら、この地下空間の押さえに手下の部隊を送り込むとも期待できる。非常事態には早め早めの情報伝達と行動が必要だ。こいつにはメッセンジャーの役目を果たしてもらう。
「ど、どういう」
「疑問に答える時間はないわ。分かったか、分からないか、どっちかで答えろ。あんたは伯爵に連絡し、状況を説明して指示を乞う。それだけよ」
「……分かった。まず伯爵にお伺いを立てる」
「よし、行動開始!」
拘束から解放した青年にナイフだけ渡してやる。ほかに必要と思う道具は勝手にかき集めるだろう。
青年が残る人質の拘束を解こうとするのを見届けず、ヴァレリアと建物から外に出る。改めて適当な車両の外観と内部をざっと見まわし、使えることを確認。乗り込んで発進させた。
大きな空間を出て地下通路に進み出る。
薄暗い照明に照らされた大通路は、スロープの時と同じくまったく景色が変わらない。まあトンネルなんてそんなもんか。
ヴァレリアに運転を任せ、周辺確認に余念なく進む。時間を稼ぎたいなら、こんな一本道の通路に罠を張らない理由がない。必ず何かある。
「……魔力感知が通るわね。さすがにこんなでかい通路にまでは、妨害対策は無理だったみたいね」
「はい、魔道具の感知がしやすくなりました。ところでお姉さま、この道も少しずつ下っている気がします」
「まだ深くもぐるか……現在位置ももう分かんないわね」
地上で考えた時に、今の場所がどこの地下に当たるか全然分からない。縦の移動だけじゃなく、この通路をもう数分は進んでる。
真っ直ぐな道じゃないから直線距離でも当たりをつけにくい。少なくとももう港の倉庫群とは違う場所だろうけど、海の下かもなんて考えると猛烈に嫌な気分になる。
考え事をしながらまた少し進むと、魔力感知の網が明確な違和感を捉えた。
「ヴァレリア、速度落としなさい」
「敵ですか?」
「アンデッドがお迎えみたいよ。それも大勢でね」
「またですか……」
少数しかいないグルガンディの精鋭を倒すはずが、どれだけの敵を倒せばいいことやら。まったく、うんざりする。
速度を落とした車両を適当な場所で停め、敵との戦闘に備え徒歩で進む。こんな場所で移動の足を失うことは避けたい。
緩やかなカーブが続く道を進んでいくと、ようやく敵の姿が見えた。
「黒いスケルトンですね、お姉さま。全部が剣を持っていますが、鎧を着ているのは少ないです」
「あの鎧も安くはなさそうだからね」
コストの問題か準備の時間の問題か。衝撃を滑らせる厄介な鎧を一部しか装備していないのは、こっちとしては与しやすい。ただ、アンデッドの数が多い。
ざっと一〇〇体近い数はいるだろうスケルトンの集団は、薄暗い地下通路を埋め尽くすかのように見えて非常に不気味だ。あんなにたくさん、いったいどこから用意したんだろうね。まったく、ホントに面倒だ。
いっそのこと無視して突破する?
奴らの移動速度は大したことない。車両は使えないけど、このまま徒歩でならスルーは可能と思える。あとで背後から襲われる可能性を無視してでも先を急ぐか。
問題はこの地下通路がどこまで続くかだ。まだまだ距離があるなら、やっぱり車両を使いたい。スケルトンの始末に大きな力は使わないと思うけど、それなりの消耗は避けられない……どっちがいいか微妙なところだ。
いや、ダメだ。消耗云々なんて言い訳はすべきじゃない。
立ちはだかる敵は一切合切ぶちのめす。そうしてこれまでも、これからだって私は進むんだ。
気色の悪い虫型魔獣だけは勘弁だけどね……うーん、やっぱりアンデッドもそこに加えたい気はする。とはいえ、どっちみちこんなのを放置するわけにはいかないか。だったら押し通るのみ。
教会のお株を奪うほど、アンデッド退治で名を上げるのも悪くない。
ああ、そうだ。何匹でも送り込んでくるがいい。
どれだけ調子が悪かろうが私は勝つ。全部まとめて、返り討ちにしてくれるわ!
進む先々で邪魔が入りますが、少しずつ追い詰めてもいるはずです。
また、ユカリの不調もあり、地下での戦いは少しストレスの溜まる展開かもしれません。相応の見返りがなければ、やってられませんね!