伝説のアンデッド
濃い血の臭いが立ち込めた部屋で、研究員たちの恐怖と歓喜が混ざったような声が聞こえる。
状況の理解が及ばない私でも、視線を向けずにはいられない圧倒的な存在感、あんなものは色々な魔獣を見てきた経験があっても驚きだ。アンデッドの魔力は感じにくいけど、あれが大きな力を持っていることは分かる。
多少なりともアンデッドのことを分かった気になっていた己を恥じなければならないだろう。あんな存在は想定外だ。楽に倒せたスケルトンやらゾンビやらとは、驚異のレベルが全然違う。
真の冥界の森を踏破した私の経験でも計り知れない。ああいった存在こそが伝説の存在なんだと認識を改めなければ。
単なるアンデッドじゃなく、この世ならざる強力な悪魔が敵だ。問題はあれがどんな能力を持っているか、今後のためにもそれを少しでも多く暴きたい。幸いにも敵は一体だけだ。
ふう……未知を前にして恐れるべきでも、そうした気持ちは湧いてこない。
逆だ。気持ちの悪い化け物相手だって、脅威であればあるほど戦意は増す。ドクドクと鼓動が高まる。
派手に暴れるには十分な相手だろう。でも冷静に考えて、研究資料などがある雑多な部屋で派手な戦闘行為は避けたい。一瞬で無力化できるならともかく、おそらくそうはならない。奥の扉越しには気づけなかったけど、目の前にして感じ取れる魔力は強大だ。
「……試してみるか」
簡単にはいかないと思っても、とりあえず試してみる価値はある。所詮はアンデッドだ、高度な知能があるとは思えない。
もしかしたら拍子抜けするほど簡単に片付くかもしれない。ちょっとだけ試してダメなら、どうするか考えよう。
アンデッドは化け物らしく死体を蹂躙して遊んでる。見るも無残なことに、乱暴に四肢を引き千切り、血肉をそこらにばら撒く様子はあまりにひどい。
人の尊厳を踏みにじる行動にたぶん理由はない。血に興奮したのか、化け物の本能がああさせるのだろう。
「化け物め」
夢中で死体を壊すアンデッドに向かって、手にした鉄球を投げつける。小手調べだ。
特に防御姿勢を取る動作もなく、普通に横手から頭部にヒット。人間なら頭が吹っ飛ぶほどの威力で投げたってのに、首をガクンと傾けただけで倒れもしない。
しかしノーダメージだったわけじゃないらしい。こめかみの辺りが少しへこみ、気味の悪いことに黒い血が流れジュウジュウと音を立て煙を上げた。と思いきや、あっという間に傷が修復されてしまった。
化け物の頭部には黒い血の跡だけが残り、破れた皮膚や潰れた肉や骨も元通り。観察した限り魔法を使った様子はなかった。肉体に備わった凄まじい再生能力ってことだろう。
それにしてもあの煙はなんだったんだろう。再生に伴う現象? 少なくとも吸い込みたくはない煙だ。
「まあいいわ……どれだけ治せるか、試してやる」
いくらアンデッドだって、無限のエネルギーを持ってるわけはない。不死身に近い化け物だって、必ずどこかで力尽きるはずだ。
攻撃した私に構わず損壊した死体に大きな口を近づけようとする化け物に、またちょっかいをかける。鉄よりも倍以上重たいタングステンの球に切り替え、さっきよりも力を込めて投げつけた。
血肉にかぶりついた頭にまたクリーンヒットするものの、吹っ飛ぶほどの結果にはならない。大きく頭をへこませるもその場にとどまり、ふざけたことに食事を続けやがった。
傷から煙を噴き上げ、大口開けて血肉を飲み込む姿はまさしく化け物だ。そいつは食事を邪魔されたからか、ようやくこっちに鬼のような顔を向ける。
黒い目と目線が合ったような気はするけど恐怖はない。背筋を震わすような嫌悪感だけがある。
ああ、本能で感じるとも。あれは決して生者とは相容れない存在だ。鬼の面をした異形は、私に対する怒りのためか形容しがたい叫び声を発しながら大口を開けた。
私の動き出しは早い。魔力を伴った叫びをそのまま見過ごすことはなく、大口を開けた次の瞬間にはタングステンの球をそこに放り込んだ。
遠慮なしの一投は喉の奥に突き刺さり、頑丈すぎる体がゆえに延髄までは突き破れない。それでも大きなダメージは与えたのか、奴の動きを完全に止めた。しかし化け物は倒れない。煙を噴き上げながらも倒れるどころか数秒も経てば動き出し、前に歩みを進めた。
半開きの口や鼻から盛大に噴き上げる煙によって顔が見えないけど、たぶん怒りの表情は何も変わってはいないだろう。
追加の一投を鼻っ面に叩き込んでもその歩みは止まらない。顔面を破壊されても止まらず、ジュウジュウと音を立て煙を噴き出す姿は、如何にもアンデッドらしい不死身を思わせた。
「は、はははっ、ははははははっ、もう終わりだ!」
「に、にに、逃げないとっ」
「誰がやった! 研究の抹消と封印が最優先だったはずだぞ!?」
「何かの間違いだ、こんなはずでは……」
「クソッ、退避しようにも動けん! こ、こんなことになるとは……」
「ダメだ、ダメだ……アレを御せる聖具を誰か……誰か取ってこなければ」
「この状態で誰が取りに行ける!? ふざけるな!」
「甦った伝説のデーモン、ドロマリウス……御さねば殺し尽くすまで止まらんぞ」
倒れた研究員たちの声が口々に文句や悲観を垂れる。一応はあれを御せる道具があるみたいだけど、話を聞くにほとんどの研究員にとっては想定外の事態っぽい。
それにドロマリウス? 冷凍室で同タイプを見かけたことから、個体名じゃなく種族名的なものだろうか。
考えながらも化け物の歩みを止めるべく攻撃を続ける。単純な攻撃ではすぐには倒せ無さそうなことから、まずは本気の威力で床からトゲを突き出し両足を縫い留めた。
思った通り防御力が高い。普通にやったら骨で大きな抵抗を受けたけど、捻りを加えればなんとか貫けた。次いでタングステンの球を矢継ぎ早に投げる。
急速に再生しつつあった顔面をまた破壊し、体の至る所に球をぶち込む。
関節や急所含め二十球ほど投げ込んでみれば、噴き上がる煙で化け物の姿が見えなくなった。でも再生は止まらず、化け物が放つ魔力にはまだまだ減衰が感じられない。
あまりに凄まじい耐久力。普通の方法であれを滅ぼすことは相当難しいと実感した。
「せ、聖具もなしに、なんという……」
「無駄だ……聖具でなければ……聖具でなければ、ドロマリウスは決して滅すことはできない……」
感じ取れる気配からは、たしかにこのままじゃ倒せる手応えはない。追加のトゲで体中を串刺しにして、ついでに強力な毒まで使っても化け物が弱る感じは全然しないし。
戦いを楽しめる相手じゃないから、かなり容赦なくやったんだけどね。やっぱり聖具や対アンデッド用のアーティファクトじゃないと無理か。
これ以上の戦闘で探れることは、化け物の攻撃を許す以外にはないだろう。場所を変えることも普通に考えて難しいし、ここで始末する。
懐から一本の短剣を取り出した。以前、自害した貴族が持っていたアーティファクトの短剣だ。
得物に魔力を注ぎ込み、トゲで全身を貫かれ動けない化け物に向かって投じる。そして左胸に突き刺さったアーティファクトから、浄化の刻印魔法が解放された。
効果は期待以上に覿面だった。初めて見たけど大した道具だ。化け物の中にあった芯のような魔力の源が崩れ、制御を失った魔力が暴れ始める。
確実に化け物の息の根を止めたと思える。あれは肉体を再生する能力があったからってどうにもならない、アンデッドに滅びを与える攻撃だ。
「……ちっ、こんの化け物!」
倒した確信を得たはいいものの、しかし煙の向こうの巨体が目に見えて大きく脈動するのを見れば、激烈に嫌な予感が膨らむってものだ。
考えてる時間はない。貴重なアーティファクトを手首から伸ばした魔法の糸で回収。本能と予感にしたがって、壁の穴から隣の部屋に退避した。そして間髪置かずに対物対魔法障壁を全力展開、衝撃に備える。
最悪の予感は的中し、化け物はボンッと爆発しやがった。
「終わった?」
思ったよりも爆発の規模は小さく大したことなかった。大袈裟に退避する必要まではなかったようだ。
片付いてひと段落と思いきや、部屋に残した研究員たちの悲鳴が聞こえる。
化け物の爆発に巻き込まれて怪我でも負ったんだろう。しかし、やたらと大袈裟な悲鳴だ。根性なしどもめ、うるさい奴らだ。とっさのことで忘れていたけど、情報部に引き渡すから死なれちゃ困る。軽く治癒はしてやろう。
魔法障壁を消した途端、鼻を衝く悪臭に顔をしかめた。化け物が爆ぜた影響かひどい臭いだ。嫌な気持ちを抑えてさっきの部屋に戻ってみればだ、そこには予想だにしない光景があった。
研究員たちの体が燃えてるじゃないか!
「ぎゃあああああああああああああああああああああ」
「うわあああ、ああああああ、ああああああっ」
「助けっ、た、助けてくれ」
「血だ! 聖水で血を、は、早く洗い落とさないとっ」
「も、もうダメだ……さっきの爆発で聖水が……」
何が何やらだけど、どうやら化け物の飛び散った血を浴びたせいで体が燃えたらしい。燃える勢いはチロチロと弱いものだけど、普通の手段じゃ消えないようだ。
とりあえず、と近くにいた男に超複合回復薬のビンを投げつける。割れたビンから回復薬がぶちまけられ、通常ならこれで少しは火が収まり傷も治るはず。ところが燃える火は全然消えないし、怪我が治る様子もない。水魔法で全身を濡らしてやっても効果がなかった。
そういえばと思って部屋を見れば、部屋はどこも燃えてないのに人体だけが燃えてるらしい。まるで呪いに掛かったみたいじゃないか。
ジリジリと体に燃え広がる呪いの火は、やがてこいつらの命を絶ち焼き尽くすだろう。
このままじゃ全滅だ。特に火が全身に及んだ奴らはもう助けようがない……ああ、でも乱暴な手段に頼ればまだ助かる奴はいるだろう。物は試しだ。
手足のみが燃えた奴に近づき、ギャアギャア騒いで暴れる男の顔を蹴って黙らせた。そうして適当に生成した細い棒で燃えた四肢を叩き切ってみる。
「よし、行けそうね」
火が及んでいない肉体は無事だ。これで呪いの火が燃え広がることはない。改めて回復薬を使ってやれば、無事に傷口を塞ぐことができた。これなら他の奴らも同様に助けてやれる。
「――ふう、なんとか全滅は免れたわね」
部屋の中はひどいものだ。爆発の影響で多くの物がひっくり返り、特に化け物から飛び散った黒い血や肉片でそこら中が汚れてる。
呪いの血は生物だけを燃やすのか、人以外が燃える様子はなく火事にはなりそうにないことだけは良かった。今も呪いで全身を焼かれる奴らの悲鳴は地獄のようだけど、あれはどうしょうもない。
ふーむ、そういやあの黒い血に今から触れても燃えるんだろうか?
「うぅ……はっ!? そ、そこのお前、早く、早くあいつらを始末しろ! それから、お、俺を連れ出せ! 早く!」
私に呼び掛ける焦った声は、燃え続ける奴らを早くどうにかしろと言ってるらしい。助けるんじゃなく、始末しろと言ってるのが分からない。苦しむ同僚にトドメをくれてやれってことだろうか。
「き、貴様、裏切るのか!」
「うるさい、この狂信者め! 付き合いきれるかっ」
仲間割れとはしょうもない奴らだ。
「早くしろ! あ、あれは、ドロマリウスは、増殖するんだ!」
聞いた瞬間、ぞわっとした。言葉にじゃない。感じた魔力にだ。
呪いの火に焼かれた研究員たちの魔力が変質し、急激に力を増した。あれはもう人間じゃない。それが三体。
「ちっ、次から次へと」
同じ轍を踏むわけにはいかない。アンデッドを攻撃する前に、負傷して倒れる研究員たちを魔力の糸を複数伸ばして絡め取り、手早く隣の部屋まで放り投げた。無駄に魔力消費が激しくて苛立たしい。
注目すべき三体は、呪いの火で全身が焼けただれ体中から煙を激しく噴き出す。あれはたぶん再生中の煙だ。
どうせまともには戦えない相手だ、さっさと片付ける。動かないうちにアーティファクトの短剣に魔力を込め、投げ放つ。魔力の糸で短剣を回収し、素早くもう二回同じことを繰り返したら、私も隣の部屋に退避だ。
魔法障壁を張って少し待つと、予想通りに小さな爆発音が連続して届いた。また血肉をばら撒いてくたばったんだろう。最悪の化け物だ。
脅威が去ったことを確認し、お次は転がる研究員らに対して無言で腹を蹴って意識を奪う。これ以上、余計なことをされてたまるか。
「――会長、どこですか!?」
地獄耳が微かな声を捉えた。グラデーナたちも地上のアンデッドを片づけたのか、こっちにきたようだ。強い魔力を発して位置を報せてやる。
歩きにくい地下研究所が面倒になったのか、壁を壊すような音が複数回聞こえ、グラデーナたちが合流した。
「ユカリ、大丈夫か? なんかヤベェ魔力を感じたが」
「予想外のアンデッドが出たわ」
何があったのか簡単に説明してやった。
「爆発に加えて血を浴びた人がアンデッド化、ですか? やり合いたくないですね……」
「早くムーアの奴に教えてやったほうがいいんじゃねえか?」
「うん、そうするわ。こいつらの拘束しといて。一応言っとくけど、向こうの部屋には入らないほうがいいわよ」
言いつつ、ショートカットのため天井に穴を開けてしまう。
「それにしたって、ひでぇ臭いだ。あんな部屋、頼まれたって入りたかねえ。おうお前ら、さっさと済ませて上に行くぞ」
ひと足先に地下から脱出し、さっそくムーアに状況を伝える。
「――つーわけよ。ほかの拠点を押さえるつもりなら、十分に気を付けなさいよ」
「にわかには信じがたい話だな」
「現場検証と捕まえた研究員どもを尋問すりゃ、与太話じゃないって分かるはずよ。そもそも私に嘘をつく理由がないわ」
「それは分かっているが……とにかく俺も現場を見たい。急ぎそちらに向かうから、それまで待っていろ」
さっさと帰りたいけど、居なくなった隙を敵に狙われて証拠隠滅や口封じでもされたら最悪だ。
情報部の連中がやってくるまでは、この場を守るしかない。
後ろを振り返ってみれば、穴の下から放り投げられたらしい研究員を受け止めるグラデーナの姿があった。
地下の二階から、この地上までそうやって移動させるようだ。大して時間もかからず、人の移動が終わった。あとは待つのみ。
これでやっとひと段落だ。
「ふう……そういや地上に出てきたアンデッドはどうだったの?」
「普通に動く死体だったな。聞いてたとおり、結果的には大したことなかったぜ。初めてやるから様子見した分、少し時間かかっちまった」
「道具は試した? そっちの道具はどんな感じ?」
興味本位の時間つぶしに聞いてみる。
「使うまでもねえ雑魚だったが、一応試してみたぜ。あたしの剣は斬ったら白い火が出て、アンデッドを燃やしちまった。如何にもな聖具って感じで面白かったな」
「この槍だって凄かったですよ。ちょっと試しに腕に突き刺しただけなのに、その腕がもげましたからね」
「あたしの剣は五メートルくらい離れた場所からでも斬れましたよ! ただ、アンデッド以外には離れた場所からだと効果がないみたいでしたけど」
得物それぞれで違う能力があったみたいだ。どれもが魔法的な武器って感じでなかなかに興味深い。
情報部を待つ間、武器の使用感や初めてのアンデッド戦の感想でみんな盛り上がった。
「それで、今後はどうすんだ。情報部の奴らを手伝って、これからはアンデッド戦でひと稼ぎすんのか?」
「はっきり言って、いくら勝てる戦いでもアンデッド戦はやりたくないわ。すでに引き受けた襲撃場所はやるしかないけど、それ以外はよっぽど報酬積まれなきゃお断りよ」
「そいつを聞いて安心したぜ。動く死体程度ならまだいいが、ユカリがやった化け物とは遠慮してえ」
「いやー、さすがの我々でもちょっと嫌ですよね……」
さっき見た呪いの火はかなりヤバい。倒したアンデッドが爆発し、その血を浴びたらアンデッド化するなんてヤバすぎる。そのリスクに見合ったリターンを上の連中が正確に理解するには少し時間かかるだろうしね。
それに今回の戦闘で得た情報を伝えてやるだけでも、相当な価値があるはずだ。あとはベルリーザ騎士団が経験を積む上でも、私たちじゃなくこの国の連中でやったほういいとも思う。
改めてアンデッドの脅威をみんなで共有しながら、ベルリーザ情報部の到着を待った。
以前の冥界の森の時点では、レイスとアンデッドドラゴンを除いては雑魚しかいませんでしたが、そこそこ手強い感じのアンデッドもいます。そんな感じのアンデッド戦導入でした。
あけよろです。




