御前様の力と権威
魔力を高め、防御を意識。全員で攻撃的な姿勢を見せておきながら、実は防御に意識の大部分を割いてる。
状況としては大勢で私たちを囲んだアナスタシア・ユニオンが絶対的に有利だ。窮鼠猫を嚙むとは言ったもんだけど、奴らは私たちの姿勢を最後の悪あがき程度に思っただろう。
なんせ奴らは数百人で待ち構えた挙句に、幹部クラスと思われる強者二十人以上も出張って私たちを囲んだんだ。どんなに足掻いたところで、それが通じるなんて奴らは思わない。
何が起ころうが、きっと幹部たちがねじ伏せる――有象無象の下っ端どもはそんな展開を想像したはずだ。
御曹司以上の実力者ともなれば、闘身転化魔法を会得する資質が十分にある。それが二十人以上。全員が身体強化魔法の上を行く奥義を使えるんだと考えるべき。
先日の経験不足がもろに出た若手とは、一線を画す強者だってこの中にはいるだろう。万全じゃない私がタイマンでやったとして、あの若手のように勝つことは厳しい。しかも複数人に囲まれたら、まともに切り抜けるのはどうやっても無理だ。
「はっ、何をするのかと思ったら!」
「この状況で防御を固めたって意味ねえだろうが。かと言って逃がしゃしねえがな」
「つまらん。所詮、噂は噂ということか。総帥の評価とは違うらしい」
最初にやったのは攻撃じゃなく防御障壁を張ることだった。さぞかし拍子抜けしたことだろう。
腰抜け女が情けなくも防御を固めて引きこもった――幹部クラスが偉そうに言ったように、多くの連中がそう勘違いしたに違いない。
当然、実際には違う。
防御と同時に一種類だけなら毒にならない無色、無臭のガスを敷地内の空間に広げつつある。
今のところ目論見通りに浄化されてないし、敷地に広がったガスを一気に浄化することはよっぽどの設備が整ってないと無理だ。
もう一種類のガスを合わせれば猛毒に、さらにもう一種類も合わせれば超高熱を発し、そのまま大爆発を引き起こす。危険極まりない凶悪な魔法を準備してる。
発動したら最後、毒対策をしてなければ猛毒で、毒を無効化したら次は高熱と爆発で無差別に殺し尽くす。
広範囲のガスを瞬時にすべて浄化できなければ、必ず大きな被害を及ぼせる。いったい何人が生き残れるだろうね。
呪いのせいで一瞬でできるはずの魔法に時間がかかる。
そのラグのお陰で、お前たちはまだ生きてるんだ。でも残された時間は少ない。神に祈る時間だって与えないし、最期の言葉だって聞いてやらない。
訳も分からず、気づかぬうちに死ぬ。それがお前たちの終わり方だ。
「…………なんだ?」
「どうした、腹でも下したか? 顔色が良くねえぞ」
「いや、大丈夫だ。気のせいだろう」
予感、直感、根拠を言葉にできないちょっとした違和感。どんなに有利な立場だって、戦士なら大事に思え。
それが気のせい? 一流の戦士なら、根拠のない勘だって決して無視しない。
もっともっと気をつけろ。こっちはちっとも諦めてない。
やろうと思えばもう致命的な魔法は発動できるけど、奴らが仕掛けてこないならまだ行ける。ガスの濃度をもっと高める。どうせやるなら歴史的な事件にしてやろうじゃないか。
「貴様ら、集中しろ! 総帥がデタラメを言うはずがない。油断するな」
誰にも悟らせないほど薄い魔力を用いての攻撃なんて、奴らは想像もできない。ただ勘の鋭い奴なら防御障壁を張っただけでも、亀のように籠るだけとは思わないだろう。私たちキキョウ会のこれまでを知ってればね。
どんな時だって消極的な戦いはしてこなかった。
今、目の前にいる私たちを見て、お前たちは観念したと思えるのか?
秘かな魔法に気づけないのはしょうがない。でも、何も怪しいとは思わないのか?
強者どもが雁首揃えて、命の危機に気づかない?
本当に?
戦士なら本能で感じるだろう? 己の命が握られてるって。
何かがおかしい、そんな違和感を気のせいと切り捨てるのか?
「どうしたってんだ、汗が止まらねえ……」
「な、なんだこの空気は」
そうだ、強がりはよせ。お前たちは恐怖を感じてる。得体のしれない恐怖を。
死は、すぐそこにまで迫ってる。
「――やるぞ。何を仕出かすか分からん。いや、何もやらせるな!」
上等だ。もしこの魔法を返すなら、私より格上だって認めてやる。この首をくれてやろうじゃないか。
張り詰めた空気の中、壮年の男が凄まじい魔力を放った。本気の魔力、これは身体強化魔法の上を行く奥義で間違いない。
しかも魔力の制御レベルがそこそこ高い。やっぱり未熟な御曹司やその子分とは違う、アナスタシア・ユニオン幹部にふさわしい実力者だ。
まともにこいつらを相手するのは無理だ。こいつ一人を見ただけでそう判断できる。
「エマリー、穴は掘れたか?」
「あとは地面を崩すだけです。いつでも行けます」
「でかした。ユカリ、三秒後に飛び込むぞ」
うなずきながらカウントの開始。
広がりきった無害なガスに、次のガスを混ぜ込むべく魔法の準備だ。薄い魔力をひたすら広げ、準備が出来たら一気に変化させる。
「妹ちゃんには悪いけど、どうしょうもないわ」
地面が崩れ、深さ二メートルほどの穴に落とされた。
頭上を魔法障壁で固めつつ、第二のガスを発動――――――。
『――餓鬼ども。庭先で騒ぐんじゃないよ』
威圧を伴った凄まじい大声には、魔法を阻害する効果があった。狙ったのか偶然か、絶妙なタイミングでの横やりだ。
発動寸前だった第二のガスが阻止され、アナスタシア・ユニオンの奴らの身体強化魔法なども乱れ解除された。
継続する阻害じゃないから、やろうと思えば魔法の即時発動は可能だけど……。
「ちっ、この声……あのババアか」
「ババアって、前総裁の奥方だっけ?」
「そうだ。ようやく出てきやがったか」
対峙したアナスタシア・ユニオン幹部たちがやってきた所とは別の建屋にいたのか、奴らとは違う方向から複数の大きな気配が向かってくる。
十人ほどの集団は、さっきまでの奴らよりもさらに魔力の密度が高い。こいつらは高級幹部か虎の子の実行部隊って感じだろうか。集団の中央で守られるように歩くのが前総帥の奥方だろうね。
奥方って奴の魔力の大きさは並みいる高級幹部に比べたら大したことないけど、さっきの魔法は見事だった。
呪いに蝕まれた身とはいえ、さっきのは命がかかった場面での魔法だ。呪いで乱れる魔力を考慮したうえで、可能な限り丁寧に準備した。
それを阻害し得る魔法の技量は、この私に比肩するとさえ評価できる。さすがは年の功だ。ローザベルさんクラスの腕があるんじゃないだろうか。
『やめろと言ってんだよ、一回で分かりな』
また魔法の阻害だ。これによって、この場にいたすべての人間の身体強化魔法が再び強制解除された。
「どうやら話の分かるババアらしいわね」
「へっ、どうだかな。まだ分かんねえぞ?」
「まあね、でも一応は争いを止めたわけだし様子見すべきね」
当然ながら油断はしない。すでに広がった第一のガスはそのままだから、いざとなれば第二のガスを放つ準備だけはやっとく。
そうはいっても、まったく望まない争いを回避できるならそれに越したことはない。
ひとまずは表面上の戦意は放棄したように見せるため、穴からは出ることにした。
両者が緊張を保ったまま、横やりを入れた人物の到着を待つ。
武闘派の集団を大人しくさせるこの影響力は、現在のアナスタシア・ユニオンにおいて総帥以上かもしれない。
なんせ二つの派閥の割れた奴らだ。どっちに対しても言うことを聞かせるなんて、総帥でも簡単にはいかないだろう。
あれこれ考えてると、庭の生け垣の角から集団が姿を現した。
前総帥の奥方とその護衛ってことでいいんだろうか。年配の男女がベテランらしい鋭い視線と強い魔力で、数百人にも及ぶ組織の奴らを威圧してる。
なかなかの迫力だ。あいつらまで加わった戦力じゃ、まともにやりあったら逃げることも難しい。
強者に囲まれた年配女性が集団の前に進み出て立ち止まる。
敷地内にいるからか、作務衣のようなシンプルな服装。長い白髪を一本に束ね右肩から前に垂らしたスタイルは、なんか陶芸家のような印象だ。
グラデーナの話に聞いた想像より小柄な、しかし眼光鋭く覇気を感じる女だ。枯れた感じはまったくしない。
「御前! ここは危険です」
「お前らも御前を守れ!」
「すぐに片づけますから、それまでお下がりください!」
年配女性、こいつが前総帥の奥方で間違いない。どうやら御前と呼ばれてるらしい。
御前の横にいたベテラン戦士が何か言おうとするのを制し、騒がしい幹部たちを順に視線で射貫くのが分かった。
「このあたしに向かって生意気なことをほざきよるわ。偉くなったもんだね、オスカー、クルト、シノン。それで、誰の許しを得て勝手なことをした? あたしが許可したか? アディールが許可したか? それともグランゾ総帥が許可したか?」
さっき魔法の阻害を実施したこの声は、完全に構成員たちを非難するものだ。鋭い視線と威圧を伴った魔力が浴びせられる。魔力の強さはそれほどじゃないのに、やけに迫力がある。これが貫禄ってものなんだろう。
「いつ、誰が、客人に無礼を働いていいと言った? ええ? お前たちはアナスタシア・ユニオンの看板に泥を塗る気か? このあたしに下がれだって? 出しゃばるんじゃないよ」
「しかし――」
「アディール、教育がなってないよ。お前に任せたあたしと総帥が悪かったのか? こいつらに幹部の椅子を預けるのは早まったかね」
「申し訳ありません、御前」
言われた御前の横にいるベテランっぽい男は、幹部の中でもより座布団の高い奴なんだろう。
そいつは謝るとすぐに歩き出し、騒ぐ幹部どもに近づく。そしていきなり殴りつけた。
頬を強く殴られた男はひっくり返るように勢いよく倒れ、さらに横腹を蹴られて吹っ飛ばされた。それを順に三人に対して繰り返す。
単なるパフォーマンスじゃない。あれは本気に近い威力があったはずだ。現に吹っ飛ばされた奴らは重大なダメージを負い起き上がる様子がない。
無抵抗で受けたとはいえ、アナスタシア・ユニオンの幹部がたった二発でのされるとは……私のように特別な格闘術を身に着けてるわけじゃないだろうに、単純にパワーが規格外だ。
「おお? お前はこの間の小娘じゃないか。グラデーナと言ったか?」
「へっ、覚えてやがったか。まだ耄碌しちゃいねえみたいだな」
「相変わらず生意気な餓鬼だね。それで、そっちは?」
「ウチの会長、ユカリノーウェ・ニジョーオーファシィだ。覚えとけよ、ババア」
よせばいいのに、グラデーナは気安くババア呼ばわりだ。これにはアナスタシア・ユニオンの奴らが気色ばむ。でも言われた本人は気にしてないのか、暴言を無視して私に目を向けた。
「お前がユカリノーウェか。総帥から話は聞いてるよ、色々とね。ちぃとばかり、なりは変わったみたいだが」
やっぱり眼帯が気になるか。しかし射貫くような視線はババアのナチュラルスタイルなんだろうか。向けられて気持ちのいいもんじゃない。
そしていくら年の差があるからって、格下を見るような態度は許容できない。私は悪の巣窟エクセンブラにおいて、アナスタシア・ユニオン総帥と五寸の関係にあるキキョウ会会長だ。前総帥の奥方と言えど、下に見られる筋合いじゃない。
「そう。色々聞いてるなら、私がどういう女か分かってるはずよ。手厚い歓迎には相応の礼をするところだったんだけど……邪魔してくれたわね」
「強がりはやめな、と言いたいところだが……何をした? いや、何をしている?」
「こっちは売られた喧嘩よ? 当然、皆殺しにする準備に決まってるわ」
単なる強がりと思った奴が大多数だろう。でもまさかといった驚きと警戒を少数から向けられた。
ただ具体的に私が何をしてるか分かってる奴はいない。どう警戒していいか不明じゃ、やられる前にやるしか選択肢がないだろうね。
「……冗談には聞こえないね。しかしお前たちだって無事では済むまいよ。相討ちは面白くないだろう? あたしに免じて収めてくれないか」
無駄でしかない争いを回避できるのは大歓迎だ。でもね。
「御前、あんたに恨みはないわ。けどこっちは総帥に頼まれて妹ちゃん、シグルドノートを体張って守ってんのよ? しかも今日は話を聞きに訪ねただけ。その私たちに対して、問答無用に仕掛けてきたのはそっち。あんたの顔を立てたい気はあっても、ウチのメンツはどうなんのよ。何百人も集めて囲んでぶっ殺そうとしといて、なかったことにしろって?」
それこそふざけた話だ。喧嘩売っといて、都合悪くなったら取りやめだ?
後からしゃしゃり出て、随分とお気楽なことをぬかすじゃないか。やっぱ耄碌してやがるわね、このババア。
すでにハートに火がついてるんだ。そいつは簡単に消せない。怒気と戦意を込めた右目で睨む。
ぬるい奴が会長の組織じゃ、エクセンブラで三大ファミリーには居座れない。平和なベルリーザでぬくぬくしてる奴らとは違うってことを教えてやる。私はナメられるのが大嫌いだ。分かってない奴ら全員が理解するまでやってやる。
まさか、この私が争いを回避できてホッとしてるとでも? ふざけるな。
「それなら…………あたしの首をくれてやる。それで満足しな、つまらん喧嘩してる場合じゃないんだよ」
あっさりとした言い方、しかし重い内容は理解するには少しばかりの時間を要する。私でもこれは驚いた。
「御前、それは!」
「な、何を言ってるんですか、御前」
「御前っ」
このババアは本気だ。本気でこの場を収めるために首を差し出してもいいと思ってる。
はあ、参った。口先だけの戯言だと思ったら、即座に胴体から首を切り離してやったのに。
争いを収めるためにと本気で首を差し出す年寄りを殺したんじゃ、逆にウチが恥をさらす。しかも私たちはまだ傷一つ付いてないんだから、今の状況での殺しはやりすぎだ。
ちっ、さすがは年の功といったところか。上手いこと話を持ってくわね。




