針の穴の手掛かり
考え事をしながら少しだけ眠ったところでグラデーナに起こされた。
短い睡眠でも体調はだいぶマシになった気がする。睡眠は偉大だ。
「もうすぐ学校に着くぞ。送ったあと、あたしらはどうする?」
「……そうね。学院を襲った奴らがまだいるわけじゃないし、ぞろぞろ行ってもしょうがないわ。あんたたちはホテルで待機、休んでなさい」
普通にしてても物々しい雰囲気のグラデーナたちは、アナスタシア・ユニオンの連中を刺激することにもなりかねない。ただでさえ、あいつらは襲撃されたばっかりだ。
それに調べ事には向いてないメンバーたちでもある。ここは次の戦いに備えて休ませよう。
「休んでる暇がありゃいいけどな。ハイディたちが戻りゃあ、またすぐ動くことになりそうじゃねえか」
「かもね、その時には頼むわよ。ああ、この辺で停めて。あとは歩いて帰るわ」
眠気覚ましに少し歩きたい。それに早く呪いのある状態に体を慣れさせたい。どうせ休んだって呪いは解けないんだ、だったらこれが普通の状態にまで持って行ってやる。
「会長、本当に一人で大丈夫ですか? ついさっき、アナスタシア・ユニオンとはやり合ったばかりですが」
「そうですよ。連中だって、通信の魔道具でやりとりしてるんじゃないですかね。会長が一人で戻ったら、ここぞとばかりに襲ってくるんじゃないですか?」
学院の門番やってる奴らが、御曹司と総帥のどっちの派閥かなんて知らない。御曹司派閥の奴らだったとしたら、その展開はあるかもね。
でもそこは麻薬取引の現場じゃなく聖エメラルダ女学院の門前だ。物々しい集団じゃなく、一人で現れた講師相手にいきなり襲い掛かるほどアホじゃないと思いたい。
「もしもの時には返り討ちよ。それにヴァレリアやロベルタたちもいるから、一人ってわけじゃないわ」
「それもそうですね……」
学院に残した戦力はグラデーナたちに全然劣らないんだ。
会長付警護長のヴァレリア、戦闘団伍長のロベルタとヴィオランテ、幹部補佐のハリエット。装備も道具も色々あるし、よっぽどの敵が相手でも負けはしない。
「なんかあったら、あたしらも駆け付ける。ユカリもほどほどで休めよ」
「大丈夫よ、私は不良講師だからね。昼寝する時間には事欠かないわ」
学院のある小山の下で車両を停止させた。
去って行くグラデーナたちを意識から外し、魔力感知で状況を探る。
とりあえず、聖エメラルダ女学院に続く山道には誰もいない。怪しい奴が潜んでたり、アナスタシア・ユニオンの奴らがうろついてることもなさそうだ。
さて、学院はどうかと思えば意外と騒動にはなってないらしい。
襲撃と聞いたから、派手な戦闘になったのかと思った。そうなれば、学院には寮暮らしの生徒や職員がいるんだ。彼女たちが騒ぎに気付けばもっと騒がしくなるに違いないってのに、そうはなってない。
思うに襲撃と戦闘は寮から離れた場所で行われたからだろう。広い敷地を誇る学院には複数の門があり、門の近辺に警備の詰め所がある。むさい男どもが詰める場所に、女の花園である寮が近い場所にないのは当然だ。
離れた場所に加えて、思いのほか静かな戦闘行為によって、今の静寂があるんだろう。もし生徒や職員に気付かれれば、今頃は青コートの連中が出張ってきて騒がしくなってるはずだ。
いや、待てよ。今夜の戦闘行為は学院だけじゃない。
聖エメラルダ女学院、アナスタシア・ユニオン本部、そして私たちが暴れた港の倉庫だってある。
山の上の学院や港での騒動に誰も関心を寄せなかったとしても、普通に街の中にあるアナスタシア・ユニオン本部に関しては別だろう。
今ごろは青コートの出動で街中が騒がしくなっててもおかしくないはずなのに、さっき広域魔力感知した時にはそんな印象は受けなかった。
「ちょっと訊いてみるか」
青コートの動きが気になるなら、質問してみればいい。あれこれ想像するだけ無駄だ。
預かったままの通信機をポーチから取り出し呼び掛けた。
「――こちらムクドリ、ムクドリだ。こんな時間に何の用だ」
青コートの中隊長をやってるトンプソンだ。奴が使うコードネームみたいな名前には、毎度笑いそうになってしまう。
「今夜のことはどこまで把握してんの?」
「いきなりだな……アナスタシア・ユニオン本部のことか?」
さすがに街の中の異変については把握してんのか。だったらその背景はどうだろう。
「そう。誰がやったか分かる?」
「知らん。アナスタシア・ユニオンに関して、俺たち青コートは不干渉だ。騒動が起きたと報告は入っているが、住民や街に被害がなければ知ったことではない」
なるほど。今さらだけどそういう関係か。
まあ、もし私たちキキョウ会が守る場所を襲撃されたとしたって、どこぞへ通報なんかせず自分たちで始末を付ける。メンツがあるからね、アナスタシア・ユニオンだって同じだ。
「一応言っとくけど、聖エメラルダ女学院に詰めてるアナスタシア・ユニオンも攻め込まれたらしいわよ。今日のあいつらは厄日に違いないわ。さっきウチとも港の倉庫街で一戦やったところだしね」
「……本当か? いずれにしても特に情報は入っていないが、何をやっているんだ」
二か所については単純に知らなかったようだ。
「こっちは誰かにハメられたせいで、しょうがなくやっただけよ。とにかく、そっちに出動が掛かってないなら、気にする必要ないわ。私としても青コートが動かないことが分かれば十分よ。そんじゃ」
「待て。何をやらかすつもりだ?」
「心外ね、ウチは巻き込まれただけで別に何をするつもりもないわ」
「それならいいが……何かあったらまた教えてくれ」
「いいけど、そっちもなんか情報入ったら教えなさいよ」
通信を切り、山道を歩く。
魔力感知で人が集まってるところを見るに、襲われたのは正門のある詰め所だけっぽい。被害状況の確認でもしてるのか、正門以外からもアナスタシア・ユニオン連中が集まってるようだ。
「ちょうどいいわね」
どういった被害があったのか直接たしかめよう。
この際だ、奴らも気が立ってるだろうけど情報共有はしときたい。
少なくとも御曹司は裏で絵を描いた奴とは違うだろう。裏切り者がいるのは前提としても、全体を必要以上に警戒しなくていい。
「こちらヴァレリアです、お姉さま」
「ん、そろそろ学院に着くわ。アナスタシア・ユニオンの奴らと少し話すから、寮に戻るのはもう少ししてからになるわね。これ以上の襲撃は無さそうだから、先に休んでてもいいわよ」
「その襲撃で、一つ気になることがありました。ヴィオランテとロベルタで、そっちのほうを調べています」
「へえ? 分かったわ、じゃあまた後で」
何事かを調べるらしい二人の動きを気にしながら歩いてると、正門が見えるところまでやってきた。
当然、警戒を向けられ光魔法で照らされた。眩しい。
「ここは聖エメラルダ女学院だ、こんな時間に何用だ?」
「返答次第によっては取り押さえるぞ」
おーおー、複数人からの威圧的な魔力を含んだ誰何だ。気が立ってるなんてもんじゃない。
まあ常識的にこんな夜中に学院を訪ねる奴はいない。学院関係者だったとしても普通は車両を使うからね。たった一人で歩いて近づいてくる時点で、かなり怪しいだろうね。
思わずおちょくってやりたくなる衝動を抑え、手で光を遮りながら歩いて近づく。こっちにやましいところはないんだ。
「そこで立ち止まり、名を名乗れ!」
しょうがない、付き合ってやる。情報交換のためだ。
「私はユカリード・イーブルバンシー、学院の講師よ」
要望の通り、立ち止まって応えてやった。顔の前にかざした手をどければ、目立つ眼帯だって着けてるんだ。分かりやすいだろう。
「……イーブルバンシーって例のキキョウ会か。俺は初めて見たが」
「ああ、総帥がお嬢を託された女だ」
「抑えてやがるが、底知れない力を感じる。この感じには覚えがあるな、偽物ってことはないだろ」
ざわざわしてる間に、互いの顔が分かるくらいの位置までゆっくりと近づいた。
「学院の講師がこんな時間に何をしている」
「こんな時間? ガキじゃあるまいし、いちいち文句言われる筋合いないわね」
「なんだと!?」
おっと、いけない。つい喧嘩腰になってしまった。
「争うつもりはないわ。夜の散歩してたら、戦いの気配を感じ取って戻っただけよ。それで、そっちの被害はどうなってんの? シグルドノートの護衛として、あんたたちの状況が気になるわ」
適当に吹かす。こんな場所で諸々の細かい経緯を話す気はない。
「お嬢の……まさか」
「イーブルバンシー、お嬢は無事か!?」
「無事というか、誰にも襲われてないわよ。ついさっき通信で確認したわ。それより、あんたたちを襲った奴らの目的が知りたいわね」
話した感触としては、どうやらここにいる奴らは総帥派閥っぽい。
「そうか、お嬢は無事か……分かった。お前のほうで何か掴んだことはないか? それにできればお嬢の無事もこの目で確認したい」
自分たちが誰に何の理由で襲われたのか分かってなさそうな感じだ。それが知りたかったのに使えない奴らだ。
まあいいか。些細なことでも情報交換は望むところだし。
「いいわよ。情報交換といこうじゃない――こちら紫乃上、ヴァレリアとハリエットは妹ちゃんを連れて正門まできなさい。急がなくていいわよ」
ヴァレリアたちの返事を聞きながらイヤリングでの通信を終えた。
そうして警備の詰め所に誘われて入ることに。
「ふーん」
中に入ってみれば、警備の詰め所って割にはかなり上等な内装だ。
襲撃のせいでか少しばかり荒れてはいるけど、見える範囲じゃそれほどの被害は無さそうだ。
内装の良さはさすが名門女学校って感じかな。場合によっちゃ要人が立ち寄るかもしれないと思えば、こうした内装は必要なんだろう。
少し歩いて入った応接室も上等だ。
「そこに座れ、イーブルバンシー。怪我人がいて少し騒がしいが気にするな」
「死人は出てないのよね?」
「見くびるなよ。不意の夜襲で怪我人こそ出したが、被害はそれだけだ。朝には完全に立て直せる」
備蓄の回復薬だけじゃ足りず、治癒師の力が必要になるくらいにはやられたって感じかな。
それにしても視線が鬱陶しい。まだ私のことを完全に信用しきってない野郎どもが、不審な動作は見逃さないとでも言いたげな熱い視線を送ってくる。そんなことをされると余計におちょくってやりたくなるんだけど……。
ふざけてる場合じゃないと自制し、変なことはせずソファーに腰を下ろした。
「それで、やった奴に心当たりは?」
野郎どもに囲まれてもリラックスし、足を組んでこっちから質問だ。
まるで部屋の主かのように堂々とした振る舞いには奴らが鼻白んだ様子があったけど、何も言わずに話を進めるようだ。
「……具体的には分かっていない。手掛かりになるものを残していないか、探しているところだ」
「なるほど。ちなみに、どんな奴らだった?」
「黒づくめの手練れが三人だったが、体格が小柄だったせいで男か女かすら分からん。それに恐ろしく気配を隠すのが上手かった」
「あれ程の手練れなら、一度やったら覚えがないはずないんですがね」
「雇われの連中か、大陸外からの刺客かもしれんな」
敵の腕や気配を隠しての襲撃は別にいい。襲うなら奇襲が効果的なんだし、天下のアナスタシア・ユニオンを襲うならそりゃ手練れに決まってる。でも上手くやったにしては、襲撃側の視点からは大した結果が伴ってないように思える。
こいつらに死人は出てないと聞いたばかりだ。数人に怪我を負わせただけで撤退したんじゃ、いったい何がしたかったんだって話だ。
軽くちょっかいだけ掛けて撤退? 目的が不明だ。
「お話し中すいません」
開けっ放しの扉から、下っ端っぽい奴が遠慮がちに入ってきた。
「何か見つけたか?」
「敵の服の切れ端らしき物を見つけましたが、ほかには何も」
「見せてみろ」
下っ端から受け取って確認する様子を横から見やる。
切れ端は親指ほどしかない小さな欠片だ。黒づくめの服の一部を剣先で引っ掛けたんだろうけど、あれでも何か特殊な素材を使ってるとか、文字でも書いてあれば重要な手掛かりになるかもしれない。
「……これは模様か? 大部分が欠けていて分からんな。一応、調べには出しておけ」
「私にも見せなさい」
ひょいと奪い取り、文句を無視して検める。
どれどれ……ミスリル糸で作られた高価な布だ。高級でも特殊な素材ってわけじゃないし、分かり易く文字が書かれてるなんてことも無い。
模様らしき一部ってのは千切れた布のおそらく裏地の部分か。手で触れてみれば、ほんの微かに魔力が残ってるのも分かる。もしかして刻印魔法?
ちょっとだけしかないけど、ギザギザの葉っぱを模した形のようにも思える。ただ刻印魔法としては見覚えがなく、少なくともウチの装備には使ってない刻印だ。
「あれ、この模様……」
ふーむ……ほんの一部とはいえ、どこかで見たような気がする。気がしなくもない……気のせいかもしれない。
「シグルドノートお嬢がいらっしゃいました!」
「お嬢っ、ご無事で」
思考を中断したのは、野郎どもの黄色い声とも言える歓声だ。妹ちゃんはやっぱり人気があるらしい。
ヴァレリアとハリエットに挟まれながら入室し、さっそく妹ちゃんは私の隣に腰かけた。ハリエットは妹ちゃんの後ろに控え、ヴァレリアは私の後ろだ。
「襲撃と聞きましたが、大きな問題はなさそうですね」
部屋着にアウターを羽織っただけの妹ちゃんは、野郎どもと顔見知りらしく無事な様子には安心したらしい。
「なーに、大したことない奴らでしたよ。お嬢は安心してください」
「ああ、任せてくだせえ!」
そういや情報交換がどうのって話だったのに、まだ何も話せてない。妹ちゃんがいれば、アナスタシア・ユニオンの野郎どもは口が軽くなりそうだ。ちょうどいい。
雑談にひと段落ついたら、御曹司の奴らや本部の様子についても訊いてみよう。
「お姉さま、大丈夫ですか?」
呪いによる不調については、特に妹分に心配をかけてしまってる。
「タリスマンがかなり効いてるからね、でもいざって時には頼りにしてるわよ。それより、ロベルタとヴィオランテはまだ?」
「はい、まだ探しています」
二人はこの学院でのアナスタシア・ユニオン襲撃時に、気になる事があると言ってたらしい。彼女たちの魔力反応を見るに、現在地はたぶんあそこだ。その場所を重点的に探してるらしい。
「あっ、さっきの模様……」
黒い布にあった模様の一部についてピンときた。
まだ確実とは言えないけど、あのギザギザっぽい形の模様は教会で見たような気がする。
ロベルタとヴィオランテがいるのはたぶん礼拝堂。アナスタシア・ユニオンへの襲撃は陽動で、まさか敵の本命はそっちだった?
襲撃者と礼拝堂に行った奴らを別口と考える必要はないと思う。さすがにタイミングが良すぎる。
教会に関わる模様を刻んだ服を着た刺客が、秘密裏に学院の礼拝堂を訪れた理由はなにか。
まったく全然これっぽっちも想像がつかない。
いや、まだ推測にも至らない直感の段階だ。情報を集め整理して考えるべき。
とりあえずはアナスタシア・ユニオンと情報交換しながら、ロベルタとヴィオランテからの通信を待とう。




