氷を笑う夏の虫
闇の中をスキップするような浮き立った気持ちで駆ける。
なんせ闘身転化魔法の使い手に対し、こっちは呪いを受けた身で戦わないといけないんだ。不利な状況が逆に心を浮き立たせる。
さっきまでの戦いで指揮官として未熟なのは理解した。でも個人の戦闘能力には期待してもいいはずだ。少しはね。
「……お前はどこまで私を追い込める?」
希望としては期待を上回って欲しいんだ。私に限界を感じさせ、それを乗り越える機会をくれる存在を欲してる。
どうか呪いを打ち破る切っ掛けになってくれと願わずにはいられない。ギリギリの戦いの中でこそ、次へのヒントが得られると思ってる。
背筋の凍るような戦いをして見せろ!
こっちは切り札のほとんどを使えない。特注のタリスマンがあっても、身体強化魔法はいつもの七割程度が限界だ。
魔力の乱れから生じる体調不良だってある。動きのキレや察知能力、判断力だって万全には程遠い。
呪いが及ぼす負の影響は、まだこれからも私を苦しめるだろう。そしてすぐには解消できない呪いだからこそ乗り越える必要がある。
調子が悪いからって敵は遠慮なんかしてくれない。少しだけでも弱みを見せれば、むしろここぞとばかりに攻めてくるんだ。
不利な条件を乗り越え、私はさらに先に進む。
強者相手に己の状態をたしかめるだけじゃなく、糧にしてやる。
「踏み台として、役に立ってもらうわよ」
濃密な黒煙は姿かたちを隠してくれるけど、あえて音や魔力から生じる攻撃的な気配は隠さない。
近づく気配には、優男がボンクラだったとしても味方じゃないことくらいは分かるだろう。
挑発だ。今から行くぞと宣言してる。
不利な要素がいくつあっても、私はまったく負ける気がしない。これが勝者のメンタリティってやつなのかもね。
闘身転化魔法を発動し、一段上のステージに立ったと思ってる優男に、今から敗北を植え付けてやろうじゃないか。
でもこれは私なりの親切だ。これが本物の闘争だったら、次の機会などなくこいつは死ぬ。
近い将来には同じ街で看板出して、共存共栄する相手だからね。ライバルがボンクラの集団じゃ、張り合いがなさ過ぎてつまらないんだ。
糧にする対価として、特別に良い経験をさせてやる。死なずに敗北を味わう機会なんて、こんな稼業じゃ得難いはずだ。ありがたく思うがいい。
「そこかっ、舐めるなよ!」
どっちがだ。
優男の闘身転化魔法、その底の浅さを教えてやる。
常識をひっくり返すように強烈な魔力の奔流は、特別な強者にしか使えない魔法の奥義。でもこの魔法はあまりに奥深く、使えてもピンからキリまで幅がある。
使えるだけで大したもん。ただ、こいつの魔法は私からすれば、まったくもって稚拙だ。近づいて動きを見れば、より分かる。
魔力の制御がほぼできてない。膨大な魔力を持て余して、戦闘能力として考えれば二割も活かせてない。たぶん会得してからそれほど時間が経ってないか、現状で満足してしまってるのか。ひょっとしたら、私が編み出した闘身転化魔法とは少し系統が違う魔法の可能性はあるか。
いずれにしても、この程度じゃ超一流とは認められない。
「特別よ、稽古をつけてやる」
「舐めるなと言った!」
十分に間合いに入ったはずと思ったら、黒煙を裂くように細身の剣が突き出された。それを盾で防ぐも、結果はある程度読めてる。
宙に浮かべた薄い盾は予想したとおり剣に貫かれた。薄いと言っても並大抵の攻撃なら弾く性能だから、簡単に貫くなんてことはできない。悪くない威力だ。
膨大な魔力を帯びた業物の一撃は見かけ倒しじゃなく、あの威力なら特製の外套でもまともに受ければ貫かれそうだ。
さすがは闘身転化魔法を発現した戦士が繰り出す攻撃、そうじゃなかったら嘘ってもんだろう。背筋を正すような緊張感が心地よい。
即座に繰り出される二撃目は、紙一重で見切って避けた。
思ったよりギリギリだ。やっぱり体が重い。
ただ精密な感知能力と予測能力が合わされば、魔力の流れから次の動きはほぼ読める。それを逆手に取れるほどの技量はこいつにはないと見た。
「悪くはないけどね、そんなんじゃ当たらないわよ」
もっともっと本気を出せ。避け切れないくらいの攻撃をやってみせろ!
「これなら、どうだああああああっ」
威力を考えず手数で攻めるか。立て続けに繰り出される突きは正確だ。闇の中でも私の腹や胸を狙ってくるし、足運びにだって不安はない。
一般人なら平衡感覚すら危うくなりそうな闇だってのに、まったく怯まず気配を読んで攻撃を繰り出し続けてる。感知能力や戦技については、客観的にもキキョウ会の基準としても優れた戦士と評価できる。
こっちも魔力の流れから攻撃を先読みだ。あるいは避け、あるいは盾で受け流し、優男が繰り出す猛攻のことごとくを凌ぐ。
奴の動きに先んじてステップを踏み、上半身を傾け、盾の角度も一撃ごとに洗練させていく。
いいぞ踏み台、猛攻が私の感覚を研ぎ澄ましてくれるようじゃないか。重い体の動かし方にも慣れてきた。
基本的な技量は悪くないし、まあこのくらいやれなきゃ強者とは呼べない。アナスタシア・ユニオンの幹部なら、このくらいは最低限だ。
「おおおおおおっ、当たれえええっ!」
繰り返される激しい攻撃は、どれをとっても私をやれる威力がある。それだけは認めてやる。
ただし、湧き上がる強大な魔力に振り回されてる印象が強い。だから本調子じゃない私にも当てられない。かすりもしない。
闘身転化魔法はたしかに凄まじい。しかし魔力が多いだけで活かせてないんじゃ通用しない。
「……ちっ」
感覚が研ぎ澄まされる一方で、やっぱり呪いの影響は大きいとも実感した。
体力の消費が異常に大きい。短い時間の攻防くらいで疲労なんか覚えないはずなのに、すでに疲れを感じ始めてる。
そして疲労が呪いの影響を強く及ぼし始めてもいる。
魔力の乱れは強くなり、身体強化魔法の出力が維持できない。
徐々に体調不良は悪化し、頭痛と吐き気に加えて倦怠感まで強くなってる。まだ息が乱れるほどじゃないけど、もう少しでそうなりそうだ。
長引けば敗北の文字もきっとチラつく。
でも、このくらいがちょうど良かったんだ。いや、違う。まだ足りない。
もっともっと力を見せろ。もっと私を追い込め、苦しめろ。
こんな程度じゃ、呪いを乗り越えるなんて全然無理だ。
「アナスタシア・ユニオンの幹部ってのは、こんなもん?」
「黙れえええっ」
剣の攻撃に加えて魔法攻撃も混ざり始めた。威力だけなら上等な攻撃を避けて避けて避けまくりながら、もっと力を出せと挑発してやる。
私がやる気なら、とっくにケリがついてることくらい優男だって分かるだろう。
怒涛の攻撃を防ぎ避けるだけで精いっぱい、何もできずに追い込まれてるなんて勘違いは、まさかしてないだろうとも。
「これが限界だってんなら、もう終わらせるわよ」
切り札があるならさっさと使え。温存したままやられたいか?
この私をほんの少しでもいいから、焦らせてみせろ。それでも天下のアナスタシア・ユニオンか!
闇の中で肉薄し、指先だけを使って優男の頬をひっぱたいた。
圧倒的な上から目線だ。やれるのにやらなかった。奴のプライドをこれ以上なく刺激してやった。
言葉にしなくても態度で通じただろう。
お前は私よりずっと弱いんだ。全力どころか死力を尽くせ!
優男は一瞬だけ呆気にとられて攻撃の手を止めたものの、より激しい攻撃を再開した。そうして攻撃を続けながらもブツブツと何事かを呟き、優男の魔力が流れを変えた。
これまでとは違う、何らかの魔法がくる。いいぞ、やってみろ。
【――白亜の禁牢っ!】
発動の前にはもう分かってる。それが魔力感知を高度に実戦レベルで使いこなすってことだ。
起こる現象を予測しながら、慌てることなく受けて立つ。
来た。私を左右から挟み込む濃密な魔力が、実体を伴いながら高速で迫る。
避けようと思ったら、前後にも上にも逃げにくい絶妙な攻撃だ。怒りに任せて雑になってないのも評価できる。
迫る分厚くて大きな魔法の壁は、放っておけばこの身を挟み潰すだろう。
「これで逃げられまいっ」
「誰が逃げるって?」
前後に一本ずつ、つっかえ棒を浮かべただけで迫りくる障壁を受け止めた。
「馬鹿め、自ら逃げ道を塞いだなっ!?」
左右を大きな壁に挟まれ、前後にはつっかえ棒のある状況は、非常に身動きが取りづらい。
そんな狭い空間にいる私に対し、優男は距離を詰めて剣を突き出した。そこそこレベルの盾なら平気で貫く渾身の突き。
いつもなら殴って返すか、蹴り上げてやるのも造作ない。ただ今の私にそれは無理だろう。
微妙に力が入らない。強くなる魔力の乱れと体調不良のせいで、握った拳や足腰から力が抜けていくような感覚がある。
あれを力でねじ伏せることは無理だと、冷静に判断を下した。
返せないなら避けるのみ。
胸に迫る剣先を身を逸らしながら躱し、そのまま後ろに倒れ込む。ブリッジするように地面に手をつき、つっかえ棒を避けながらバク転で体勢を立て直す。
「逃がすかっ」
だから逃げないっての。
壁の魔法はまだ終わってない。あれには続きがある。
今度は背後に壁がそびえ立ち、左右と後ろを完全に塞がれた。
前方にいる優男が今にも次の攻撃を放とうとし、もし逃げるとするなら上しかない。と思った瞬間には、上にも魔法の壁が出現して圧迫感を与える。
壁を出すタイミングが巧い。わざとタイミングをずらし、思考の時間を奪うことによって、その先の一撃を確実に決めにくる腹だ。
しかも濃密な魔力で構成された魔法障壁は、簡単に破れるほど柔じゃない。
出口は優男が立ち塞がる前方のみを残した箱の出来上がり。奴にとっての必殺、その状況が整った。
最後はどう詰める?
一番重要なのが、最後のトドメだ。この私を倒せるかもしれない、千載一遇の機会。
力の入らない拳を握り、まだ休憩時間じゃないと自分自身に言い聞かす。
戦闘中に体調不良?
そんな言い訳、くだらなすぎて笑ってしまう。
呪いなんて、ねじ伏せろ!
「死ねえええええええええっ」
雄たけびを上げながら優男が乾坤一擲の攻撃を繰り出す。素直な全力攻撃だ。
鋭くも力強い踏み込みから繰り出される刺突は、魔力をまとって剣が大きく見えるほど。
敵の動きを制限する壁と、まるで馬上槍かと思うような剣の突きこそが奴の切り札らしい。
ただ、どんな力を秘めた攻撃だろうが、当たらなければ意味はない。
私に当てるなら、全然工夫が足りてない。
「稽古をつけてやると言ったのよ? よく覚えときなさい」
どんなに威力があっても、攻撃のタイミングが分かり易すぎる。これじゃ防いでくれと言ってるようなもんだ。
不調があってもこれなら余裕で対処可能。
ほら、今だ。
完璧なタイミングで地面からせり上がったトゲが、真っ直ぐな軌道の刺突を斜めに逸らす。受けるんじゃなく、逸らすだけなら耐久力はそんなに要らないし、複雑な魔法だって必要ない。
技術だ。魔法を絡めた戦闘技能によってなる超絶技巧。これには黒煙の中で見えないけど優男の顔が驚きに歪んだのは間違いないだろう。
すでにこいつの突きは何度も見た。
渾身の力だろうが、多大な魔力をまとってようが、大した違いはない。
「芸がないわね、だからこうなる」
剣の軌道を逸らしたら、今度はこっちが前に一歩踏み出す。そして前に伸びた奴の手首をがっちり掴んだ。
ちょいと捻って関節を極めてしまえば、闘身転化魔法の馬鹿力もとっさには発揮できない。
そして振りほどく隙を与えず、一気に圧し折った。こういうのは力よりもタイミングが重要になる技だ。今の私でも十分にやれる。
優男がわずかに呻き声を上げて引こうとし、逆にこっちから距離を詰めて押し込みバランスを崩してやる。
完全に後ろによろけたところで胸倉を掴んだら、そのまま背負い投げて地面に叩きつけた。
力より技を重視した一撃だけど、タイミングが完璧なら威力は十分に出せる。膨大な魔力で強化された装備や肉体があっても、瞬間的に意識が飛ぶほどの衝撃が期待できる。
現に力の抜けた優男に対しては、足首を踏み潰して戦闘力を大幅に奪いつつ頭も蹴っ飛ばしてしまえば、完全に意識を奪うことに成功した。
「しょうもない奴」
魔力も技術もそこそこレベルで悪くなかった。でも優男は強者とやり合うことにかけて、圧倒的に経験不足だったに違いない。
特に最後のあれはなんだ。たかだか手首を折られた程度で、怯んで逃げ腰?
ウチのメンバーだったら、逃げるどころか頭突きの一発もかましに行く場面だろうに。せっかくの闘身転化魔法が台無しじゃないか。
逃げる奴を恐れる道理はない。あんなもん、負けて当然だ。
振り返るまでもなく、奇襲じゃなくても私の勝利が揺るぎなかったことは確実と考えていい。
まあ闘身転化魔法を会得して、一つ高みに登ったと思うのは錯覚じゃない。あれは本物の特別だからね。
でも会得しただけじゃ、まだまだひよっこも同然。深淵に迫るべく訓練を続けた私の敵じゃない。
通常の身体強化魔法と魔法薬を合わせれば、闘身転化魔法状態の敵だって打ち負かせると証明した。たぶんインチキ魔法薬がなかったとしても勝てただろう。完勝だ。
ふう、しかし疲れた。少しだけ上がった息に、己の不調を実感せずにはいられない。
当分は呪いに付き合っていかないといけないと思えば、今のままの戦闘スタイルから進化する必要性も感じる。経験不足の若手が相手じゃなきゃ、ヤバかったかもしれない。
これもいい機会だと考えよう。進化が成れば、私はもっと上に行けるんだしね。
「……気付いたわね」
優男の飛び抜けた魔力が霧散したことに、アナスタシア・ユニオンの連中は気付いてる。
迂闊にこっちに走り寄らないのはさすがと言ったところか。
敵は強いけど私たちはもっと強い。しかも黒煙を生む魔道具のお陰で、完全に主導権を握ってる。
ウチのメンバーは当然のように全員が立ってるし、敵の数も約五十人から半分以上はすでに減ってるらしい。
バドゥー・ロットとは違って搦め手を使ってこないのはやり易くはあるけど、脳筋すぎるのも考え物だ。これなら魔道具なんか使わなくたって普通に勝てた。多分にあいつらの準備不足の面はあるだろうけど。
それにしてもだ。天下のアナスタシア・ユニオンがこんなもんか?
五十人近くも雁首揃えて、ボンクラばかりの集団か?
もっともっと、根性見せろ!




