不明瞭な正義と悪の境目
ホテルからしれっと学院に戻り、午後の見回りを終えて倶楽部の指導も終わらせる。
非常ベルから始まったホテル襲撃事件は、まだ学院の連中には伝わってないらしい。当事者の伯爵次第だけど、もしかしたら襲撃事件は表には出ないかもしれない。
ホテル側の損害は伯爵の隠れ家的なスペースにとどまり、一般客が使うスペースにまでは及んでないから誤魔化すのは可能だろう。非常ベルは単なる誤作動と言い張れるだろうしね。
事件のことを公表して味方が増えるか逆に減るかは、きっと伯爵の人徳や力量次第だ。どっちに転ぶか見極めてって感じかな。
何事もなかったように学院での業務を終え、夜は仲間と共に裏仕事だ。
妹ちゃんの護衛には私以外の先行組を残し、ハイディたちとグラデーナたちとで合流する。
「聞いたぜ、よりにもよってこのホテルで襲撃沙汰とはな。あたしも残ってりゃ良かったぜ、まったく間が悪くてしょうがねえ」
総帥からの手紙を届けにアナスタシア・ユニオンの御曹司を訪ねたグラデーナたちだったけど、奴は不在だったらしい。なんでも早朝にこの街を出たんだとか。
まさかグラデーナが行くことを知ってたわけじゃないだろうし、逃げるような奴でもないはずだ。何をしにどこにってのも教えてくれなかったらしく、すかされたような結果に終わったグラデーナはストレスを溜めてる。
「もう一触即発だったんですよ? 三席ったら、隠れてないで出てこいとか言って挑発してましたから」
「いやー、凄い迫力でした。はたから見れば、あれは完全に殴り込みでしたよ」
「向こうも受けて立つみたいな感じになったんですが、幸いにも前総帥の奥方が出てきて宥めてくれまして……あの人はあの人で迫力ありましたね」
「ちっ、あのババア。あたしのことをガキ扱いしやがって」
なにをやってんだか。天下のアナスタシア・ユニオンに明るいうちから堂々と喧嘩を売ったんじゃ、向こうにもメンツってもんがある。グラデーナの場合には、ただの勢いに見えて計算も働いてるはずだから別に心配はしないけど。
実際、あまり状況の良くないアナスタシア・ユニオンに対しては、敵対姿勢を明確にしとくほうがいい。見張ってる奴らへのアピールとして、これ以上ない行動だと考えることもできる。
「それで結局、手紙はどうしたのよ?」
「ババアが預かるって言い張って聞かなくてよ、しょうがねえから置いてきた」
「前総裁の奥方か。これまで聞いたことなかったけど、組織の中じゃそれなりの立場にいそうね」
「影の実力者ってやつじゃねえか? あのババア、隠してやがったが相当やりやがるぜ。まあ、あたしらほどじゃねえがな」
グラデーナがそこまで言うとはね。さすがはアナスタシア・ユニオン前総帥、その奥方ってところか。また要注意人物が増えてしまった。
「んなことより、今日は悪徳貴族どもに殴り込みだろ? 早く行こうぜ」
「まだ時間早いわよ。ハイディ、あんたが追いかけてった奴は?」
ハイディはクレアドス伯爵襲撃事件の時に、見物してる怪しい奴を発見し追跡した。そいつの報告をまだ聞いてない。
「えーっと、ですね。これです、ありました。この家の間者でした」
伯爵からもらったバドゥー・ロットに繋がってると疑わしき貴族一党のリストだ。ハイディはそこに指を差した。
「てことは、バドゥー・ロットに関係する奴らが伯爵を襲ったってことになるか。あの伯爵に敵対する奴らは、バドゥー・ロット以外にも普通にいるだろうけどね」
伯爵が自分の敵を都合よく私たちに叩かせようとしてる可能性は大いにあり得る。でもさすがにバドゥー・ロットと完全に無関係な貴族はリストアップしないとも思える。それをやってしまえば今度は私たちの不興を買うことになってしまうから、最低でも薄っすらとは関係あると考えていい。
こっちが知りたいのはバドゥー・ロットを動かしてる奴、バドゥー・ロットの潜伏場所、そうした直接的に関係のある貴族や事情に詳しい貴族であって、薄い関係の奴はあまり興味がない。できれば本命を一本釣りしたいところだ。
「別にいいじゃねえか。あたしらにとっての本命じゃなかったとしてもよ、そん時は金目の物でも奪って帰ろうぜ。どうせ相手はろくでなしだろ? 全部まとめてぶっ潰そうぜ」
「ですね。情報部のムーアはユカリさんに対してクレアドスの娘に聞けと言い、その親である伯爵から渡された敵の一覧です。締め上げるだけで殺しを避ければ、それほどの大事にはならないと思いますよ」
まあ細かいことを気にして動きが鈍ることは、敵に取っちゃありがたいことだろう。拙速でもガンガン攻めるほうが絶対に厄介だ。
「面倒な下調べを省略するために組んだようなもんだし、あんまり勘ぐってもしょうがないか。こっそりやれば、ムーアたち情報部が後始末を付けてくれるって話もあったし」
「そうですよ。殺しを避ければ大抵のことには取り返しが効きます」
バドゥー・ロットはメデク・レギサーモ帝国や、悪意ある大陸外の勢力ともつるんでると考えられる。つまりベルリーザという国家にとっての敵。
貴族ともあろう者が、そうした勢力に少しでも加担することは重大な裏切りにほかならない。その自覚があろうがなかろうが、罪状としては家の存続すら危ういレベルだろう。
だからこそ情報部なんてもんまで出張ってきて、私たちにお墨付きを与えてる。細かいことを気にして行動に移せないんじゃ、せっかくの暴力組織として存在価値がない。真っ当な奴らがやれない仕事を期待されてるんだからね。
「……よし、まあいいか。とりあえず全部に殴り込んで情報吐かせるわよ。数はそれほど多くないし、手分けしてやれば今夜中に終わるわね。ただ、ウチが暴れまわってると第三者に知られるのは避けたいわ。スカルマスク着用の上、隠密行動を心掛けること。それと標的が不在とか客がきてるとか、秘密裏の襲撃が厳しい場合には、無理せず日を改めること。いいわね?」
「面倒だが、そこはしょうがねえな。お前らも調子に乗ってやりすぎんなよ」
勢いだけでやってるようで、グラデーナは案外慎重に立ち回れる女だ。おまけに仲間思いで慕われるからこそ、私とジークルーネに次ぐ三席の地位に収まってる。汚れ仕事に積極的に参加する姿勢も、悪の組織の幹部として頼りにできる重要な要素だ。
「一か所に人数かけても意味なさそうだし、二人ずつでいいか。振り分けは適当でいいわね?」
「ユカリはあたしと組め。警護役が留守番だからな、あたしが代わりならちょうどいい。ほかは適当に決めろ」
特に時間をかけることなく、さくっと組み合わせが決まる。
「殴り込む順番はどうします?」
「どうしても襲撃できないところ以外は、今夜中に始末を付けるから順番はどうでもいいわ。場所だけ考慮して適当に割り振るわよ。ハイディは全体の進行を見つつ、もしもの場合の予備戦力として待機。それでいいわね?」
「了解です」
襲撃から締め上げて吐かせるなんて、ここにいる誰でも可能な仕事だ。戦力や適性を考慮してどうのといった組み分けも必要ない。厳しそうなら引く判断だってできる連中だ。だからこそ、ここにいる。任せられる。
クレアドス伯爵が用意した資料には、貴族の所在の詳細からそこにいるだろう家族や使用人の有無、特に護衛に関しては人数まで書いてあった。さすがに間取りや警報装置については書いてなかったけど十分参考になる。あとは現地で確認すればいい。
そうして夜が更け、深い時間になって動きだすスカルマスクの集団。
墨色の外套にスカルマスクの集団は、客観的に見てヤバすぎる。見る人が見ればキキョウ紋などから正体を推測できるかもしれないけど、暗闇の中で細かい部分を判別することは難しい。特にスカルマスクの印象が強すぎて、その他が印象に残らないだろうし。
スカルマスクを我がキキョウ会と結び付けられる事情通なら当然バレるわけだけど、私たちはどうしても正体を隠したいとも思ってない。
バレたらキキョウ会の恐ろしさを教えてやれるし、バレなくてもスカルマスクの恐怖を刷り込んでやれる。あとでキキョウ会の仕業だったと分かっても、それはそれで普通に恐怖だろう。
悪事がバレても関係ない。だからどうしたってなもんだ。
特に今回の騒動ではベルリーザ情報部がバックについてるんだしね。まさに鬼に金棒だ。
ふふっ、開き直った悪党ってのはホントに厄介な存在だと思う。
ホテルを出たところで二人ずつ分散し、それぞれの目的地に向かって走り、遠くまで行くメンバーは車両も使う。
場所は本来なら立ち入ることも難しい貴族街だったり、街の中の別邸だったりホテルだったりで色々だ。これらはたぶん居る確率の高い場所ってだけで、今夜においては外すこともあるだろう。
でもそれはしょうがない。もし明日以降、雲隠れした場合でも機会を改めて追い詰める。この襲撃はベルリーザって国の要望でもあるのだから。
「ふふっ」
思わずにやけてしまう。
今夜は楽しい殴り込みだ。特にお国の情報部が承知した行動で、後顧に憂いがないのがいい。権力を味方に付けるってのはこういうことだ。そして敵に回した際に、どうなるかってのを知る意味でもいい機会になる。
いくら私たちのような悪党でも、できればお国の組織を敵に回したくはない。地方の小国ならともかく、特にベルリーザのような大国はね。逆にできるだけ恩を売って、便宜を図ってもらえるようにしときたいもんだ。
「あそこか。随分とでけぇホテルだが、あんなとこから探せんのか? 数百単位で部屋があんだろ」
ほぼ毎日の高頻度で宿泊してると資料にはあったけど、具体的な部屋までは分かってない。クレアドス伯爵のように特別に造った隠れ家的なアジトがあると厄介なんだけど、そうそうあんなものを用意する奴はいないはずだ。
「標的は貴族よ? どうせ最上階の高い部屋に決まってるわ。でもたぶん部屋にはいないわよ。あのホテルの売りはカジノだからね」
「そういうことか。遊んでやがるなら、部屋を探すまでもねえな」
顔や体格は写真で分かってる。資料によればギャンブル好きってことだから、カジノを見て回ればたぶんいるだろう。
私たちはスカルマスクを外し、まずは普通の客としてカジノに入り込んだ。ここはハイクラス向けっぽいけど、私たちの上等な外套や身形から入って良しと判断されたらしい。止められることなく無事に入れた。
「手分けして探すわよ。適当に遊びながらね」
「あたしは酒飲みながら入り口のほうを見張っとくぜ。下手に遊び始めると熱くなっちまうしよ」
「そうね。入れ違いになるかもしれないし、見張りは頼んだわよ」
あからさまに人捜しをすれば無駄に目立つ。金持ちの多い場所だから、用心棒の目だって光ってる。第三者を巻き込むのは本意じゃないから、出来るだけ目立つ行動は避けて事を成したい。
サングラス越しに周囲に目を配り、まずは適当なテーブルでカードゲームで場に馴染むことを心掛けた。
そうして少しばかりの時間が過ぎた時だ。ボーイから飲み物を受け取りながら遠くのほうに目をやれば、見覚えのある顔が目に入った。
怪しまれないようゲームをして、少しずつテーブルを移動しながら探そうと思ってたのに、あっさりと見つけてしまった。
「グラデーナ、私の右斜め後ろのほうを見て。ずっと離れたテーブルで壁際のほうね。若い女を侍らした野郎よ」
「待ってろ」
極小の独り言っぽい囁きはかなり範囲を絞った通信だ。それに応えたグラデーナがバーカウンターから動く。
「……あのツラ、間違いねえ。だがどうする? 女連れなら色仕掛けで連れ出すわけにもいかねえだろ」
「どうにかする」
カードゲームに区切りが付いたところで席を立った。
「化粧室のほうにあった用具室で待ち構えといて。そっちに行かせるわ」
「おう、来たら引っ張り込んどくぜ」
ゆっくりと歩き、目標に近づきながらタイミングを計る。人の流れと動きはこのカジノに入った時からずっと見てる。
飲み物の乗ったお盆を持ってる従業員がそこかしこにいるんだ。そいつらの動きに合わせれば、なんてことはない。どついたりなんてことはせず、足元に小さな盾を作り出してやるだけでいい。
後は勝手につまづいて飲み物をひっくり返す。その先にいるのは、当然ターゲットだ。
「な、なんだね、いったい」
横手から腕や脚に酒をかけられた男が驚いて立ち上がり、ちょっとした騒動になった。ハイクラス向けのカジノとして、普通ならあり得ないミスだろう。
平謝りする従業員とは別に、すぐに立場が上と思しき従業員まで飛んできた。おしぼりで水気を拭い、浄化魔法を使ってもやっぱり手くらいは洗いたいと思うのが人情ってもんだろう。
目論み通りに男は連れの女を残して席を立った。よし、たぶん手洗いだろうね。
「グラデーナ、行ったわよ。私もすぐに行く」
遠目に男の動きを監視しながら、もし行き先が違った場合に備えるも想定通りに動いたらしい。部屋に帰るならそれはそれで構わなかったけどね。
廊下の奥に消えた男に遅れること、少しの間を開けて追いかける。誰の目もないことを確認し、ささっとスカルマスクを被ってから用具室に入り込んだ。
パッと部屋の中を見れば、さっきの男が体を丸めながら倒れてる。若干焦げ臭い感じからして、たぶん電撃をまとわせた拳で腹を殴り、声を上げられなくしたんだろう。グラデーナはそんな男に魔法封じの腕輪を付けてるところだった。
「おう、先に身体検査しちまおうぜ」
「そうね」
通信や護身用の魔道具を持ってるかもしれない。無駄なことはせず、魔力感知で反応を示す場所をピンポイントで探った。
やっぱりそれなりの用心をしてるのか、護身用の魔道具はアクセサリー系を中心にいくつも持ってる。それらをすべて奪い取り戦利品とした。捨て値で捌いても数百万ジストは下らないだろう。ついでの駄賃としては上等だ。
反撃の芽を完全に封じたところで男を見下ろす。黒衣にスカルマスクの二人にそうされる気分はどんなもんだろうね。
脂汗に塗れ恐怖に目を見開く男に対し、グラデーナがしゃがみこんで胸倉を掴み上げた。
「下手なこと考えんなよ? 訊かれたことに素直に答えりゃ、殺しはしねえ。もし大声でも上げようもんなら……」
これ見よがしにグラデーナが私に顔を向け、釣られて男も私を見る。その期待に応えてやろう。
用具入れの中には色々な物が置いてある。ざっと見まわし、金属製の手のひらよりちょっと大きいくらいの置物を見繕った。そいつを握り締めてグニャリと潰して二つにねじり切って見せれば、異常な力が馬鹿でも分かる。
すでに腹を殴ったグラデーナの一発で、こっちが容赦しないことくらい想像だってできるだろう。
「つーことだ。答えなけりゃ、まずは左足から握り潰す。黙ってても同じだ。左足の次は右足、次は腕、両腕を潰したら、その次はそうだな、どこがいいか選ばせてやる。分かったな?」
「わ、わわ、分かっ!?」
焦って大きな声を出しかけた男の顔面をグラデーナが殴る。
「でかい声出すな、次はねえぞ? 答える時は静かにな」
歯が折れて口から血を垂れ流す男に構わず質問タイムだ。
痛みにショックを受ける男の意識を覚醒させ、動揺してる内に進めてしまう。
「バドゥー・ロットについて、知ってることを洗いざらい吐け」
グラデーナは威圧を込めていきなり核心に踏み込む。
そして男は明らかに動揺した。これは当たりだろう。
初っ端から幸先がいいじゃないか。最低でも成果はゼロじゃないと期待しよう。




