選ぶのはいばらの道
戦いの始まりは静かなものだった。
派手な魔法をぶっ放すのではなく、金属のぶつかり合う地味な音が始まりの合図だ。護衛騎士どもは敵の接近を許してしまい、いきなりの接近戦になったようだ。
近づかれる前に少しは削っときたかっただろうに、そこは敵も暗殺者らしい隠密能力を持ってたんだろう。非常ベルの騒音も注意を逸らすのに一役買ったに違いない。
次いで怒号が飛び交い、魔法でそこらを壊す破壊音が断続する。こうなってしまえば、そう時間を掛けずに青コートが出張ってくるだろう。敵はその前に目的を果たす腹積もりに違いなく、なりふり構わず攻めてくる。
十五人の襲撃者の内、半数以上は護衛騎士に劣る実力だと思われる。でも数で上回り、少数は明らかに護衛騎士より格上だ。魔力の大きさからそう判断できる。魔力だけで勝負は決まらないけど、強さのバロメーターとして無視できない要素だ。
ただし、ここは伯爵陣営の拠点。陣地には様々に有利な仕掛けがあるはずだから、単純に戦闘員の数や能力だけじゃ勝負は決まらない。
もしかしたら伯爵の護衛騎士だけで撃退するかもしれないし、逆に突破されて伯爵の首元まで迫るかもしれない。今のところは五分五分って感じかな。護衛たちは私の勝手な予想よりも意外と頑張ってる感じだ。
さてと、どうなるにせよ準備だけは万全にしとこう。懐から小瓶を一本取り出し、ぐいっとチャージ!
身体強化の魔法薬が染み渡り、とんでもないエネルギーを与えてくれる。我ながらこれは反則だと思う裏技だ。
「それはなんだ?」
「ちょっとした景気づけよ。飲む?」
「……遠慮しておこう」
別に害はないのに伯爵は怪しさを感じたらしい。襲撃されてる状況にもかかわらず、やけに陽気な私の態度からハイになる薬の類を疑われたのかもしれない。
「ところで伯爵、これはどうする?」
私はまだ魔法封じの腕輪を付けたままだ。取り外しが自由なタイプの物とはいえ、そのための動作を見逃すほど甘くない、と私を見張ってる連中は考えてることだろう。
伯爵からしてみれば、私のことは完全に味方と信じるにはまだまだ不確定要素の多い、特級の脅威ってのが客観的な評価だろうね。
ここで油断して魔法の行使を許せば、襲撃者に連携して牙を剥くかもしれない。
もしかしたら敵とグルかもしれない。
襲撃されてるのにリラックスしてることだって不気味に思うだろう。私は別に脅威と思ってないし、殴り込み上等なだけなんだけど。
相次ぐ敵の襲撃に味方の裏切り、バドゥー・ロットの呪いと思しき事故、これだけのことが伯爵の身には一気に降りかかってる。
誰に対しても疑念を抱き、決して他人に心を許せる状況じゃない。
しかし脅威は目の前に迫りつつある。まさか襲撃者と護衛の戦いを楽観視はしてないだろう。
使える破格の戦力を目の前にしながら、それを信じていいか葛藤し苦悩する。私の軽い問い掛けは、即答できない意地の悪い質問だったかもしれない。
伯爵が黙ってると若い側近が口をはさんだ。
「そ、それはご遠慮いただきたい。こちらで対処しますので、お客人はどうかそのままで……」
「客は客らしく、大人しくしとけって? まあいいわ」
ちょっと残念ではあるし暴れたいのは事実でも、出しゃばるつもりはない。護衛騎士で対応できるなら、それはそれでいいんだ。ただ魔力感知で経過を見る限り、その望みは薄いだろう。五分五分の状況は不利に傾きつつある。
どうせ出番が回ってくるなら、ここで四の五の言う必要はない。
ふふっ、それに一応言ってみたけど魔法は封じられたままでも構わないんだ。身体強化の魔法薬はもう効いてるし、不確定要素を加味しても敵戦力に私が負ける確率は極めて低い。
そしてこの状況で伯爵陣営の要望に沿うことは、大きく信用を与えることにもなるはずだ。売れる恩と感謝は、できる限り高く売りつけてやる。
部屋の中は緊張の高まりで息が詰まりそうなほど。
外から聞こえるやかましい非常ベルに怒声、剣戟、魔法の破壊音は激しさを増し、逆にクレアドス伯爵とお付きの者どもは黙してる。私だけが他人事みたいにリラックスして茶を飲んでる状況だ。
なんというか部屋の外への脅威と同時に、私に対しても無駄な警戒心があるせいだろうね。この緊張感は。
無駄な緊張を解きほぐしてやりたい気はするけど、何かすれば余計に緊張を強いる結果になりそうな気もする。おちょくるような真似はやめとこう。
ハイディから時折入る戦況報告を聞きながら、その時に備えることにした。
「――ここは通さんっ!」
「誰かっ、こっちに手を貸せ!」
「突っ込むんじゃない、時間を稼げばいい! 応援が向かってるんだ!」
なかなか頑張ってるじゃないか。でも脅威はもうこの部屋の近くに迫ってる。
敵の中でも強力な魔力の持ち主が二人、あれを押さえるの難しいだろう。そして。
「だ、旦那様ーっ、お逃げ……」
悲痛な声を掻き消すようにドカンと扉が破られた。まあ護衛連中も格上や多人数相手によくやったほうだ。
壊された扉の向こうには、血に塗れた巨漢がいる。怪我は負ってても、ほとんどは返り血だろう。そしてハイディからあらかじめ聞いてた通り、巨漢の野郎を目の前にしても微妙に薄い気配しか感じ取れないのは、たぶん魔道具の効果だ。あれのせいで護衛たちは接近されるまで気付けなかったんだと思われる。
それにだ。瞳孔の開ききった目は、何らかの薬物の使用を簡単に想像させた。もしかしたら、レギサーモ・カルテルの痛みを知らない戦士と似たような感じかもしれない。
二人の巨漢の戦士が無造作な足取りで、大きな剣をぶら下げながら部屋に入ってくるのを横目で見やる。
狙いは間違いなく伯爵だ。身体強化魔法を使ってないからって、この私を眼中にも入れないなんて判断力は下の下ね。それも薬物のせいなのかな。
伯爵と私は椅子に座ったまま。伯爵の秘書官みたいな奴らは息をのむように固まってたけど、気を奮い立たせて伯爵の周囲で身構える。根性のある奴らだ。
よし、そろそろ動こうか。
「どうやら出番が回ってきたみたいね。クレアドス伯爵、私がやって構わないわね? ああ、これは外さないから安心しなさい」
若干の嫌味と大きな余裕をもって言い放ち、ウキウキと立ち上がった。
もし痛みを知らない戦士だったとして、その手の奴らとの戦い方は分かってる。
痛みを与えることに意味はないんだ。さっさと殺すか、生かして捕らえるなら身動きの取れないよう人体を破壊すればいい。
機動力を重視した暗殺者だけあって敵は軽装だ。魔導鉱物製の全身鎧でもないから、私からすればなんら難しくない。
「借りるわよ」
決死の覚悟で前に進み出た秘書兼護衛のような男から、返事も待たずに槍を奪い取った。あっさり奪われた側近は、これだけで実力の差を思い知っただろう。
うんうん、伯爵の側近だけあって良い槍を持ってるじゃないか。特注品だろうね。
感情のない顔で動き出した巨漢の暗殺者が目を向けるのは、間違いなくクレアドス伯爵だ。ターゲットが実は私だった、なんてことがなくてよかったと密かに安心する。
伯爵たちにも自覚させるため、あえて先に敵を動かす。
先手を譲ってやるんだ、地獄の底で泣いて喜べ。
そうして動く暗殺者。巨漢の二人は意外なほどの連携を見せ、魔道具を発動させてまず火球を放った。それを目くらましに挟み込むようにして、伯爵の左右に並ぶ側近に走り寄る。私のことは完全に無視するらしい。
速さよりも思い切りの良さとタイミングの合わせ方が巧い感じ。二人の巨漢はほぼ同時に大きな剣を振りかぶろうとした。
なるほどね、悪くはない。二人の動きに注視しながら、飛んできた火球に対してティーカップを投げつける。
完璧な投擲は火球の中心に命中し、その場で爆発を引き起こす。しょぼい魔道具のしょぼい魔法だから、衝撃波や熱波は無視して問題無いレベルだ。
しかしこんなもんか。ここまで辿り着いた二人の暗殺者は、そこそこ大きな魔力を持ってる割には戦闘能力的に全然活かしきれてない。残念ながら想像したよりこれは弱い。
「遅すぎて、あくびが出るわね」
色々と分かったことだし、譲ってやるのはここまでだ。
予備動作なしで椅子を蹴っ飛ばし、巨漢その一の邪魔をする。同時に槍を長く持って突き出し、巨漢その二の側頭部に深々と穴を開けた。予備動作のほとんどない神速の突きは、敵の反応を許さず一方的な死を与える。生かして捕らえるのは一人でいい。
そして顔面にぶつかりそうになった椅子を振り払ったものの、攻撃の機会を逃した巨漢その一。
ダメージ無視で大きな剣を振り下ろせば、伯爵にまで凶刃が届いたかもしれないってのにね。でもこうした防御本能の行動が優先されたってことは、三流の暗殺者だからか、あるいは薬を使った弊害なのかもしれない。
なんにしてもやらせはしなかったけど、たった一度の機会を逃したこいつはもうノーチャンスだ。
再び剣を構えた時には、すでに巨漢の背後に立ち、服の襟を掴んで乱暴に壁まで投げ飛ばした。
巨漢がぶつかる威力にも頑丈な造りの壁はびくともしない。良い建物じゃないか。これならもう少しやっても大丈夫だろう。
「降参するなら、早めに言いなさい!」
綺麗に背中から叩きつけられた巨漢に一歩で迫り、槍の穂先とは逆側の石突きを肩に打ち込む。
砂糖菓子を崩すような感触を得ると続けてもう一方の肩も石突きで粉砕、肉も骨も潰しながら、あまりの威力に石突きが頑丈な壁にめり込んだ。
力の抜けた腕から剣が零れ落ちるのを見届ける前に、次の攻撃を猛然と振るう。
「まだまだ、終わんないわよ!」
引き続き刃のある穂先は使わず、根元の石突きを連続で繰り出した。
空間を穿つような音を立てながら槍を繰り出し、その連撃は腰骨を砕き、太腿を砕き、膝を砕いて足首も砕く。壁に縫い付けるようにしながら、徹底的に骨と筋肉を破壊し動けなくする。
敵は薬によって死を恐れず、痛みを知らない恐るべき存在だと考えられる。現に滅多打ちにされてる男の顔色は変わってない。
普通ならショック死してもおかしくない怪我を負わせてるってのに、どう考えてもまともじゃない。傍からは無茶苦茶やってるように見えて、ちゃんと様子を見ながらやってるからこそ分かる。
立ち上がれないよう完全に下半身を破壊し、それでも変わらぬ不気味な目付きには少しばかり戦慄した。ゾンビみたいなおっかなさがある。
最後に喉仏の下のくぼみに突きを食らわし、そのまま壁に押し付けて窒息させた。
この程度の三流には無理だろうけど、私のような超一流なら骨や筋肉がダメになっても魔力操作で身体を動かせる。実力的にはそこまでじゃなくても、怪しい薬を使ってるなら意識を奪うまでやるのが正解だ。どんな切り札を隠し持ってるか分かったもんじゃないし。
「……よし、まだ死んじゃいないわね」
さすがに脳に酸素が行き渡らなければ、痛みがどうのと関係なく気を失う。上手く生かしたまま捕まえた。半死半生っていうか、まだギリギリ死んじゃいないって感じだけど。
「ボケっとしてないで、こいつを拘束しなさい。貴重な情報源になるかもよ」
唖然とした側近どもに言い付け、周囲の戦闘を感知する。
たぶん、私が倒した二人は襲撃者の中での最高戦力だったはず。それが倒されたことくらい気付きそうなもんだけど、敵が引き上げる気配はない。
無駄死にだとしても全滅覚悟でやり合う気……いや、使い捨てなのかな。やるかやられるかのどっちかだけ、撤退って選択肢がないんだろう。
最初から死ぬ気で突っ込んでくる敵ほど怖いものはない。実力的に格下でも、場合によっちゃ足元をすくわれることはある。
もしかしたら自爆するような敵がまだ残ってるかもしれない。この建物は頑丈そうだから、よっぽどの威力じゃないと伯爵にまで危害は及ばないだろうけど……うん、私はいざって時のために魔力感知に集中し、この場を動かず伯爵を守るとしよう。
「こちらハイディ。ユカリさん、後詰めはなさそうですよ。あと高みの見物を決め込んでる奴を見つけました。襲撃の見届け役じゃないですかね? このまま泳がせて、どこに戻るか突き止めます」
「……ん、任せる。ここはもう私だけでいいわ」
密かな通信を交わしながら、屋敷の魔力を探る。
この部屋にもう脅威はない。側近たちが倒れた巨漢を拘束し、死体を別の部屋に運んでる。伯爵も表には動揺を見せず、椅子に座ってる状態だ。
外の戦闘も優位に推移してる。不意を衝かれた初動を乗り切れば、護衛騎士にとってここはホームだ。地の利に加えて本来の実力を発揮し始めたところだろう。
たぶん、そう時間をかけずにこの騒動は決着する。余裕を取り戻した雰囲気からして、伯爵もそう見込んだようだ。
「助けられたな……あれで魔法を使っていないのか?」
「封じられてるからね、使えないわ。もし使えてたら、戦いになる前に始末できたわよ」
ハッタリじゃなく普通に可能だ。周辺を私の支配領域にしてしまえば、範囲内の敵にはトゲの魔法を食らわせてやれる。足元からズドンと一撃、雑魚相手ならこれだけで終わりだ。
ま、そんな風情のない戦いを好みはしないけどね。たとえ命がかかってようが、闘争は私の仕事の一部であり娯楽でもある。その時の気分次第で、やりたいようにやる。誰にも文句は言わせない。
「なぜ外さなかった? そちらの身の安全もかかっているのだ、文句を言うつもりはない」
「そこの若いのが外すなって言ったからじゃない。それに『安全』なんて、私の世界には存在しない言葉よ」
常識的にはそうだろう。身を守るために全力を尽くすべきで、私以外の奴なら何も聞かずに魔法封じの腕輪なんて外すだろうね。一般的、常識的に考えれば、そりゃごもっともな意見だ。
「ふっ、裏の世界に安全などありはしないか。まだ若い女が、分かったような口を利くものだ」
「まだ若いのはそのとおり。でも私のような悪党が安全な道を歩くなんて許されないのよ。より危険な道を選んで進むような馬鹿だから恐れられんの。エクセンブラ三大ファミリーとして、でかい顔して商売やれんのよ。安全? そいつが欲しかったら、さっさと引退して姿を消すわ」
この私が選ぶのは、常に最も危険が満ちた茨の道だ。それが楽しいからそうしてる。悪党を気取って、誰に恨まれようが肩で風切って街を歩く。それがキキョウ会だ。
実際、闘争と安全を秤にかけて、安全に重きを置くようになってしまったら、そいつは足を洗うべきだ。とてもじゃないけど切った張ったの世界で生き抜けるメンタリティじゃない。
「ふ、ふははははははっ」
おおう、急に笑いやがって。ビックリするじゃないか。まあ笑いたけりゃ笑え。権力闘争なんぞで命を狙われる伯爵だって、似たようなもんだろうに。
ひとしきり愉快そうに笑った伯爵は、周りに控えるお付きの者どもに何事かを告げてからこっちに向き直る。
「今日のことは借りておく。また困ったことがあったら娘に言え」
「でっかい貸しだからね、覚悟しときなさい。それより、次の予定があるんじゃなかった?」
「ああ、お前のお陰で急げばまだ間に合いそうだ。金庫の資料は好きに持って行くといい」
クレアドス伯爵は言いながら立ち上がり、後始末や敵の尋問を部下に指示しつつ、ドスドスと足音を立てながら部屋を出て行った。
ついさっき戦闘が終わったばかりで、倒れた敵や負傷した護衛騎士がたくさんいる状況だろうに。それには全然構わず、次の予定とやらを消化するらしい。
感心するほどマイペースな野郎だ。普通なら動揺して次の予定どころじゃなくなるか、更なる襲撃に備える場面だろうに。大物貴族ってのは伊達じゃないわね。
よし、とにかくバドゥー・ロットに繋がる情報が得られそうだ。金庫の資料とやらを見てみるか。
ここからは敵に近づいていくため、悪党らしいバイオレンス成分が高めになっていくと思います!




