重なる事故は故意か偶然か
魔法封じの腕輪を手首に通し、これでひとまず魔法は使えなくなった。
すぐに外せるタイプの物だから破壊もせず、一時的に魔法が使えない状態を受け入れる。この程度なら全然問題ない。
なぜなら身体から漏れ出る魔力で外套の防御力や刻印魔法は機能するから、大幅に制限されつつも戦闘力はそこそこ高いままキープすることが可能だ。私の素の格闘能力も併せて考えれば、客観的にはまだまだ油断できない脅威だろう。
伯爵の護衛どもだって、荊棘の魔女の評判くらい知ってるはず。帝国に賞金かけられてる事実は伊達じゃないんだ。力を見せつけるまでもなく、かなり警戒されてる。
いつでも武器を抜ける態勢を保ち、三人の騎士だけじゃなくルース嬢の付き人たちにまで厳しい目を向けられてる。
まったく。そんなに警戒されると、ついおちょくってやりたくなるじゃないか。
「イーブルバンシー先生、戯れはおやめください」
「まだ何もしてないわよ」
ルース・クレアドスは随分と察しが良い。非難がましい視線をこっちに向け、遊びを牽制されてしまった。無用な緊張をほぐしてやろうかと思ったのに。
「お父様、ルースですわ。イーブルバンシー先生をお連れしました」
「入りなさい」
おもむろに開かれた扉の向こうは広い応接室って感じで、中には複数の男たちがいた。
部屋の真ん中に鎮座するソファーには、かなり太った大男がいる。なんと言うか、なかなか見ないレベルにでかい。態度や服装からして、あれが伯爵だろう。娘のルースとは全然似てないわね。
それはいいとしてだ、なんだこの悪臭は。
「くさ」
予想外の悪臭に正直な感想が口をついて出てしまった。
正直者の感想は失言と思われたらしく、伯爵のお付きの者どもに反感を与えてしまったようだ。
瞬間的に部屋に満ちる緊張。それに気付かない振りをし、誤魔化すことにした。
「初めまして、クレアドス伯爵……ところでこのひどい臭いは?」
誤魔化すのは無理だった。だってかなり臭いし。
「少し前に予定外の訪問客があってな、いま片付けさせる」
伯爵の合図で動いた男たちが、片付けとやらを始めた。
なるほど、そういうことか。どうやらソファーの裏側に転がされた何者かがいるらしい。
チラッと見えた様子だと、暴力や薬物によって拷問された後っぽい。その時の薬物やら血やら、なんやかんやの悪臭が入り混じった臭いが原因らしい。
うーむ。どうせなら私たちに入室許可を出す前に片付けとけよって感じだ。この程度で私が怯むと思ったら大間違いだし、やっぱり舐められてるんだろうか。
いや、悪党で鳴らす私の様子を見てやろうって魂胆かな。顔色を少しでも変えるようなら、与しやすい相手と思われたに違いない。
なんでもいいけど、あんなもんを見せられた上に悪臭を嗅がされたルースが気の毒だ。
「随分と慎重だった割には、敵に情報が漏れてんのね」
「虫はどこにでも紛れ込む」
話を聞いてみれば、私が到着する少し前に襲撃者を撃退したばかりで、部屋に転がってたのが手引した裏切り者らしい。
ちょうどその裏切者を尋問、処分したところだったわけだ。伯爵の日常もなかなかにハードじゃないか。
それにしても敵対勢力の監視はともかく、内部に裏切者がいたんじゃ大変だ。
「場所を変える?」
「次の予定もあってな、あまり時間に余裕がない」
最悪の展開は私が伯爵を暗殺したように見せかけられることかな。秘密の面会時にやられれば、疑われるのは確実だ。
しかもこの場所の情報は漏れてる上に、もう襲撃済みの現場だ。襲撃が一度だけとは限らないし、早々に場所を変えるのが賢明だろう。
「……私としては伯爵が良ければ今ここで構わないし、日時を改めてもいいわ。こっちも暇じゃないけど、伯爵の身の安全が優先されるわね」
というか、そもそもこの部屋はなんなんだろう。通常のホテルの部屋とは思えないことから、伯爵の隠れ家的な場所だろうか。ホテルの備え付けとは思えない、でかい金庫まで置いてある。
「気遣いは無用だ。用件を聞こう、掛けてくれ」
そっちの身の安全てよりは、私のために言ってんだけどね。
まあしょうがない。こっちとしてもバドゥー・ロットの情報は早く欲しいからいいけど。
「そう? んじゃ遠慮なく」
「ルース、お前は学院に戻りなさい」
「はい、お父様」
素直に出て行くルース嬢を見ながら対面のソファーに腰を下ろし、さてどうしたもんかと考える。
非公式な場だし、今さら回りくどい挨拶は不要だ。敵に襲われてる状況を思えば、無駄話をしてる場合じゃない。普通なら会話を通じてまずは腹を探りたいところだけど……時間がないと言われちゃね。
うん、ここは単刀直入に行こう。
「手短に話すわよ。バドゥー・ロットのアジトと、奴らを動かしてる黒幕を知りたいわ」
「娘からも聞いている。アジトは知らないが不審な貴族に心当たりはある。彼らに訊いてみるといい」
話の早い奴だ。へりくだらない私に対しても不満を表に出さず、中途半端に偉ぶる貴族とは違って好感が持てる。大国の大物貴族だってのに、権威主義に囚われない存在は貴重だ。
「さすが伯爵、すでに当たりは付いてるわけね。正面から訪ねても問題ない相手?」
「後始末を考えるなら、可能な限り秘密裏に行え。そうしたほうが後々、情報部の協力も得られやすいだろう。名簿を用意している、少し待て」
伯爵の言いつけによって、秘書っぽいおっさんが鍵の掛けられた金庫を開け始めた。厳重で複雑なロックを外すには、少しばかり時間がかかりそう。
タイミングよく出された紅茶に口を付け、伯爵が暇つぶしなのか語り始めた襲撃の様子について曖昧にうなづきつつ、自分の考えをまとめることにした。
当初、バドゥー・ロットは御曹司のひも付きだと見られてたけど、調べてみれば実際にはおそらく違う。
それはベルリーザに騒乱を引き起こし弱体化させ、その原因として御曹司、ひいてはアナスタシア・ユニオンまでをも弱体化させたい思惑から出た悪質な噂だと考えられる。
現総帥の妹ちゃんを狙った暗殺計画まであるんだから、彼女に熱を上げる御曹司がバドゥー・ロットを動かしてるとは考え難い。御曹司は性格的に謀には向いてないっぽいこともあるし。
ベルリーザ情報部によれば、御曹司の側近にはメデク・レギサーモ帝国の工作員が潜り込んでるらしい。悪意ある大陸外の勢力の奴らだって、そこら中で息を潜める状況もあり、敵勢力は連携してるようにさえ感じられる。
さらに敵は外部の勢力だけにとどまらない。
ベルリーザの騒乱によって利するのは大陸外の国家や帝国だけかと思いきや、ベルリーザ貴族が利権や権力闘争に絡んで積極的に関与してる。
新たに利権に食い込みかねない我がキキョウ会は、こいつらにとって敵と認定されてるわけだ。しかも私はなんとかって殿下に気に入られてるみたいで、嫉妬に駆られた愚かなご令嬢方にも呪い殺さんばかりに嫌われてるらしい。ふざけた話だ。
話のでかい陰謀に私欲が入り混じり、敵の中でも関係性は複雑になってると考えられる。
内にも外にも敵だらけ。お陰でベルリーザの本家本流と我がキキョウ会は共通の敵を相手にすることになり、私たちは図らずも大国のお偉いさんや情報部と誼を結ぶことになった。
これからベルリーザに事務所を構えるウチとしては、面倒事に巻き込まれる対価としてなかなかに上等なものを得たと思える。
事が上手く運べば、ただの余所者が一気に功労者になり得るんだ。先を考えれば、こんな状況も悪くない。
もっとも、上手く行けばの話だ。最悪の展開は何らかの責任をおっ被せられて、ベルリーザに二度と足を踏み入れられなくなるかもしれない。
国家の利益だけじゃなく、偉い奴が己の権益と相反すると考えたなら、邪魔者なんか簡単に切り捨てる。相互に利益の得られる存在として、私たちは立ち回らないといけない。ブレナーク王国で築いた立ち位置と同じように。
「――うわっ!」
唐突に上がった悲鳴に、考え事から引き戻された。
声のほうに目を向ければ、金庫を開けてたおっさんがうずくまってる。
「何をしている?」
「も、申し訳ございません。誤作動を……起こした、ようで……」
おっさんは釈明しながらぶっ倒れた。状況からして金庫に仕掛けられた何らかの罠が発動したっぽい。ああ、毒針に刺されたのか。
思いもよらないミスに、部屋の中には呆れと戸惑いの空気が漂った。
「治癒してやれ。しかし誤作動などするものか?」
「どうでしょうか。古い物ではありますが、これまでには一度も……お待ちください、確認してみます」
倒れたおっさんが奥の部屋に連れられて行き、別の男が金庫に取りついた。
「ん? うわあっ! ああああ……目が、目が焼けるっ」
またか。情けない悲鳴が上がったと思ったら、白っぽい煙が金庫から噴き出してるじゃないか。
「なにをしているかっ! 旦那様、お客人、ここは危険です。ひとまず別室へ」
どんな影響のある毒霧かは不明だけど、毒は薄く部屋に広がりつつある。
外套の浄化刻印に守られた私は問題ないし、慌てた様子がないことから伯爵も毒に対抗できる魔道具を持ってるんじゃないかと思われる。とはいえ、毒霧が漂う中でゆっくりできるはずもない。執事っぽい奴の言葉に素直に従い、別の部屋まで移動した。
バタバタと騒がしい離れの屋敷で、私と伯爵は改めて向かい合って椅子に座る。
窓のない部屋は圧迫感があり、慣れない人間には余計な重圧感を与えるだろう。そうした雰囲気作りはあえてやってる面もたぶんある。密談や襲撃からの防御を考える意味ならこの部屋は悪くない。
警戒の網は緊張感をもって敷かれてるがの分かる。私がくる前に襲撃されてたことから、誰もが気配や音に敏感になってるらしい。
そして側近の事務官らしき奴らまで、この部屋の中で警戒の姿勢を取ってる。誰もが護身術程度の心得はありそうだし、いざとなれば伯爵の盾になる覚悟っぽい雰囲気だ。
私に対してまで厳しい視線を向けるのはそろそろやめて欲しいところだけど、よくできた部下どもじゃないか。
「恥ずかしいところを見せてしまったな、招いておきながらすまない」
貴族は簡単に過ちを認めたり謝ったりしないもんだけど、客の前でくだらないミスを連発すればさすがに言わざるを得ないって感じかな。
面白かったし毒の効かない私だからよかったけど、普通なら部屋の中であんな事故を起こされたら激怒もんだ。
「それにしても金庫の故障なんてあり得ると思う? しかも使用者の命に関わるような壊れ方よ? あり得ないわ」
「同感だが、しかし起こってしまったことは仕方があるまい」
「出処不明の安物ならともかく、そうじゃないわよね。となれば不幸な事故、それで片付けられるほど能天気じゃないわよね?」
「……まさかこれが噂に聞くバドゥー・ロットの呪いか?」
思い当たったか。
「たぶんね。それに私がくる前に襲撃されてんのよね? 重なる事件と事故が偶然なんて、そんなことはあり得ないわ」
あるわけがない。運が悪かったね、で済ませたらただのアホだ。
でも私にとっては好都合と言える。これでクレアドス伯爵はバドゥー・ロットに対して他人事じゃなくなった。国家云々だけじゃなく、個人にとっての脅威と考えるはずだ。
「奴らを排除しない限り、こうした事故が続くということか?」
「毒霧程度ならいいけどね、どこで何が起こるか分かんないのが厄介よ。それに一度狙われて失敗した以上、必ず次があるわ。それが避けようのない惨事じゃないことを祈るしかないわね。このまま放っとくなら、だけど」
「……元より協力は惜しまないつもりだったが、早急に片付けてもらいたい」
「金庫に怪しい奴らの名簿が入ってんのよね? そいつを渡してもらえれば、今夜にも取りかかるわ」
伯爵は一度は引き上げた部屋に部下を向かわせた。まだ毒が引いてなくても、対抗できる魔道具の一つや二つは用意してるだろう。
しかし、どうやらダメだったらしい。
「扉が開かない? それも故障のせいか」
「誤作動の影響か魔力認証を受け付けないのです。早急に魔道具技師を呼び修理させます」
なにがあっても取り乱さず落ち着いた様子だった伯爵も、度重なる面倒に苛立ってきたようだ。
そういや次の予定があるとも言ってたし、のんびりしてる場合じゃないんだろう。
「伯爵、私に直接話しときたいことがなければ、あとは名簿だけ受け取って勝手に帰るわ。次の予定を優先して構わないわよ。それに金庫をぶっ壊していいなら、修理を待つまでもないし」
「旦那様、そろそろ移動しなければ間に合いません」
「そうか。どうせ壊れた金庫だ、破壊できるならそうしてくれて構わない」
「んじゃ早速――――ああ、伯爵。やっぱり出発は待ったほうが良いみたいね」
「なに?」
「招かれざる客ってやつよ」
護衛連中はまだ気づいてない。私はホテル周辺で見張りに付いてるハイディから入った通信で気づけた。
私の不穏な言葉に緊張した側近連中の一人が、慌てて外の護衛に伝えに行った。
「またか……間違いないのか?」
「少なくとも、このホテルに向かってる怪しい連中がいるのは間違いないわね」
「旦那様は避難を、お客人も早く」
「下手に動かないほうがいいわ。襲撃者は……十五人も? 暗殺にしては派手な仕掛けね。それに少ないけど手練れも混じってるわよ。中途半端に逃げるより、この屋敷で守りを固めたがほうがいいんじゃない?」
座ったまま茶をぐびりと飲み干した。
よし、久しぶりに楽しめそうな相手だ。殴り込み上等!
それにせっかく情報源が向こうからやってくるんだ、こいつを捕まえない手はない。
「……慌てて逃げ出したのではクレアドス家の評判も地に落ちるな。ここは客人に倣うとしよう」
「しかし旦那様、敵が十五人では数で劣ります」
「騒ぐな、逃走中に襲われたのでは現状よりも不利になろう。ここで迎え撃ち、敵の手駒を減らせ」
それでいい。なにより、この私がここにいるんだ。誰が襲ってこようが、やらせはしない。
周辺を見張ってるハイディたちはあえて動かない。普通なら彼女たちが数を減らしに動きそうなもんだけど、私が何も言わなくても手を出さないのはさすがだ。そのほうが得になるって分かってるからね。毎度の手だけど、ピンチを助けてやった恩は高く売れる。これを逃す手はない。
ふふふっ、クレアドス伯爵。命の恩人になってやるから恩に着ろ。
数分ほど待ってるとけたたましい音が鳴り響いた。火災報知器のような、寝てようが誰でも気づく大音量の警告音。これは陽動だろう。ホテルの警備はそっちに対応せざるを得ない。
クレアドス伯爵の護衛は無能じゃないけど敵の数は多く強い。いい勝負になるだろうね、そしてたぶん私にも出番が回ってくる。
「そろそろご到着よ。面白くなってきたじゃない」
不謹慎なつぶやきは、もうどうしょうもない私の本音だ。にやける口元が自覚できるくらい。我ながらもうこういう世界でしか生きてけないろくでなしよね。
ああ、久しぶりに手ごたえのありそうな敵に少しばかり胸が弾む。
悪の巣窟からやってきた三大ファミリーのボス、そして帝国から首を狙われる女の戦いを見せてやろうじゃないか。
大国ベルリーザの実情は、非常にシビアなことになっています。
横から首を突っ込んで面白がるのも、いざとなればすぐに逃げられる立場にいるからかもしれません。
次話「選ぶのはいばらの道」に続きます。




