人の数だけある思惑
ハイディたち情報局のメンバーは、徹底的に御曹司を監視した。
遠距離から目視で監視し、魔力感知で監視し、あちこちに魔道具を配置して万が一にも姿を消されないよう徹底し、外出時にも付いて回る常時の監視体制だ。
アナスタシア・ユニオン前総帥の実子であり、次代の総帥としての期待もある御曹司には、私たち以外にも監視する勢力は数多く奴らが結構な邪魔だ。こっちが完璧に姿を隠しながらの監視をしたって、ほかの奴らのせいで上手く行かないことは想像できる。
ただ、監視される側はもう慣れたもので、いちいち気に留めないから監視の仕事としては簡単だったらしい。
「ハイディから見て、実際のところ御曹司の印象はどんなもん?」
誰もいない授業中の屋上で、諸々の報告を受けてから個人的な感想を求めてみた。
「そうですね……御曹司はほとんどの時間を敷地内の武道場で過ごしていますから、姿を目にする機会は多くないです。たまに外に出た時には、聞き及ぶ無鉄砲な感じというよりも単に快活な男のように見えました。どちらにしても策謀を巡らせるタイプには思えませんね」
ほう、意外と悪い印象はないらしい。
「バドゥー・ロットらしき連中との接触もないわけね」
「まったくないですね。外出先と言えば鍛冶屋や武具関連を取り扱う店ばかりですし、その先にこれといった人物が待ち構えていたこともないです。他の人物や組織などとの交渉事はすべて側近や部下に任せているみたいなんで、怪しい人物と接触する機会自体がないですね。見張りに付いているベルリーザ情報部や他の組織の連中のほうがよっぽど怪しい感じですよ」
もっと遊び歩いてるイメージだったのに、むしろストイックな感じじゃないか。ハイディたちが見張ってる直近に限れば、酒を飲んだことも女遊びをしたこともないらしい。放蕩息子どころか、自己鍛錬に必死な毎日を送ってる真面目な奴だ。
なんだろう。実際に本人を調べてみれば、思ってた悪印象は遠ざかるばかりだ。
「……監視を意識した上での演技なら、大した役者ね」
「はい。ですがさっきも報告した通り、気になる奴が出てきました。今後はそいつに焦点を当ててみようと考えてます」
それは御曹司の周囲を固める側近の一人らしい。
アナスタシア・ユニオンってのは大国ベルリーザでデカい顔ができる特別に大きくて強い組織だ。人が多く集まり派閥も多くなれば、色々な考え方をする奴が出てくる。裏切者だってね。
「ウチだけで握っててもしょうがないから、ベルリーザ情報部にも流すわよ? あいつらだって気付てるかもしれないけど」
「流すまでもなく、向こうは気付いてますよ。情報部は人員が豊富みたいですから、御曹司以外の幹部にも監視が付いてますんで」
「なら、今のところ尻尾までは掴んでないって感じか」
「おそらくは。今後はこっちでも見張りますんで、出し抜くくらいのつもりで気合入れます」
大国の情報部の鼻を明かしてやるもいい。ハイディにしてみれば、ちょっとした力試しって感じなんだろう。
「それと一つだけ気になることが」
「なに?」
「敷地内に一か所、やけに厳重に封鎖された建物がありました。かなりの年代物で管理もろくにされていない雰囲気だったんですが、魔力を通さない点が気になりまして」
ふーむ。ウチの本部にも封印した部屋はある。そこには私が実験で作った危険な魔法薬が置いてある感じだけど、アナスタシア・ユニオンなら捨てるに捨てられない危険な道具やら薬やらを持っててもおかしくない。
「単に魔道具を保管する倉庫じゃないの? 管理されてないってのは気になるっちゃ気になるけど、骨董品の使えない道具を詰め込んでるだけとか」
「ですね、なんとなく気になっただけです」
「妹ちゃんなら知ってるかもよ? どうしても気になるなら、あとで聞いてみるといいわ」
お宝の匂いを感じはしても、まさか泥棒に入るわけにもいかない。アナスタシア・ユニオン現総帥とは友好関係なんだしね。
それに裏稼業に首までどっぷり浸かった組織なら、ヤバい物を持ってて当然でもある。別に気にするほどのことじゃない。
そうして静かに数日が過ぎ、また情報部のムーアから呼び出しがかかった。
あいつも暇じゃないから、それなりに重要な話のはずだ。もしかしたらバドゥー・ロットの尻尾を捕まえたのかもしれない。
学院での仕事を済ませた夜に、少しばかり期待しながら毎度のバーに向かった。
薄暗い店に入ってすぐ、いつもとは違う状況に気付いた。待ち合わせ相手がまだ到着してないようだ。
ムーアの奴とはこれまでに数回会ってるけど、あいつがいつもギリギリかちょっと遅れる私より遅くなったことは一度もない。それにムーア以外の情報部員らしき奴らが必ず数名はバーの中にいた。さり気なく紛れてたけど、こっちの様子を窺う感じで私にはバレてる。そんな奴らも今日は姿がないらしい。
いつもと違う事が起こった時は要警戒のサインだ。
まあ普通に仕事が長引てるだけかもしれない。少し待ってみよう。
そして酒をゆっくりと一杯飲み干したタイミングで、ようやくムーアは姿を現した。
「遅かったわね」
「すまん。身動きが取りづらくなっていてな」
ひどく疲れた様子だ。言い草からして、単純に仕事が忙しいって感じとは違いそうだ。
「なんだってのよ?」
「大したことでは……いや、黙っていても仕方ないな」
「ロクな話じゃなさそうね。言いたくないなら聞かないわよ」
「聞いておけ。つまらん話だが、情報部は上が揉めていて現場に圧力が掛けられている。その影響で人員が動かせない」
情報部の上? ムーアの奴だって貴族の端くれみたいだから、相当に上の連中が原因なんだろう。
「大陸外の勢力が浸透して戦争だ何だって言ってる時に、のんきに派閥争い? 随分と余裕ありそうね」
「他人事のように言っているが、お前は無関係ではないぞ」
「はあ? 私がどう関係してんのよ?」
ベルリーザ情報部やその上の貴族に目を付けられるようなことは……うん、やってる可能性はあるっちゃあるわね。
「細かいことは伏せるが、お前との共闘に異を唱える貴族がいる。もっともらしい理由など山ほどあるが、本音はただ単にお前が気に食わんということだろう」
「情報部に口を出せる貴族なのよね? そんな大物が今の不味い状況を理解できてないわけ?」
私を頼りたくないのは別にいい。所詮はエクセンブラからやってきた余所者だしね。
そもそもこっちだって、ややこしい事に巻き込まれずに済むならそれに越したことはないんだ。
アナスタシア・ユニオンの御曹司が外国勢力の浸透に関係してそうってことで、情報部と一時的に共闘関係になってるだけ。解消したいなら一向に構わない。でも好き嫌いで現場に口を出すなんて、なかなかに面倒な奴っぽいわね。
「俺の口からは何とも言えんが、クレアドスの娘にでも聞いてみろ」
「クレアドスの娘って……ルース・クレアドス生徒会長か。なんでよ?」
「そんなことより、バドゥー・ロットと御曹司だ。実は御曹司の側近の一人が帝国出身だったことが判明した」
露骨に話題を変えやがった。まあいい。
しかし帝国か。メデク・レギサーモ帝国と言えばブレナーク王国への進攻を企み、レギサーモ・カルテルともズブズブの軍事国家だ。ベルリーザとも長年に渡って敵対関係にある。
「よく調べられたわね。帝国が送り込んだ工作員て可能性は普通にありそうなもんよ」
「経歴を完全に消す事など、なかなかできるものではない。誤魔化せば必ずどこかに不審な点が残る。基本から徹底的に洗い直して、ようやく尻尾を掴んだところだ」
ハイディも御曹司の周りに怪しい奴がいるとか言ってたから、これで確定っぽい。
「でも結局のところ、御曹司の意向はどうなってんの? 奴自身が帝国や大陸外の勢力を引き込もうって腹なわけ?」
「根拠のない私見に過ぎないが、おそらく違うだろうな。あれは自身の武とシグルドノート・グランゾへの関心しかない」
「妹ちゃんにはご執心なわけか。その割にはなんのアプローチもないけどね」
「何通もの手紙をしたためていたのは、こちらで確認している。届けられていないとすれば、どこかで握り潰されているのだろうな」
なんとラブレターを横取りするとは。ひどい奴らもいたもんだ。
「あれ、まさか私が握り潰してると思われてるとか? それで呪いなんか使われたんじゃ、たまったもんじゃないわよ」
「お前が呪われる理由など無数にあるだろう。こちらで掴んだ新たな懸念としては、シグルドノート・グランゾの暗殺だ」
「……私はともかく、なんで妹ちゃんを殺すのよ?」
「御曹司とアナスタシア・ユニオンを誘導するためだろう。暗殺を我が国の仕業とでも吹聴すれば、単純な御曹司は真相をたしかめもせずに怒り狂って暴れ回るかもしれん。あるいはお前の仕業に見せかけ、御曹司と潰し合わせることもな。いずれにしても、帝国や大陸外の勢力にとって有益だ」
ふざけた話だ。
帝国の謀略に加えて大陸外からの干渉、更にはベルリーザ内部での権力闘争。他人事なら良かったのに、私はもろに渦中に置かれてるらしい。
しかも情報部に口を出せるほどの貴族が私に対して何らかの思惑まで持ってるときた。モテる女は辛いわね、まったく。
「ちっ……バドゥー・ロットについては?」
「話せるほどの進展はない。横やりのせいで動こうにも動かせん状況にあるからな」
「ならこっちで探るわよ。面倒な奴らにこれ以上、増えられても困るわ。勝手にぶっ潰して構わないわね?」
「秘密裏にできるならな。身動きの取れない情報部では支援に回ることも難しい」
バドゥー・ロットに関しては、情報部に任せられると思ってたのに。使えない奴らだ。
ここがブレナーク王国なら、ロスメルタの後ろ盾を得ながら邪魔な貴族なんか排除できそうなもんだ。さすがにベルリーザで好き勝手やれるほどの伝手も信頼も私たちにはない。もし今回の面倒事の解決に一役買うことができたとしたら、今後は誰ぞの後ろ盾を得られるかもしれない。
我がキキョウ会には帝国に痛打を与えた実績があり、アナスタシア・ユニオン総帥の妹とは昵懇の間柄でもある。ポジティブな面だけ見れば、ベルリーザとは悪くない関係を築けると考えられる。
後々の利益を考えて、ここは大変でも骨を折るとしよう。
「……とりあえず、そっちの事情は分かったわ。今のところ、ウチとあんたたちの利益は共通したままと思ってる。だけど、意味不明な逆切れや逆恨みやらで邪魔が入るなら、誰が相手だろうがぶっ潰すわよ? もし潰されて不味い相手なら、その前に言わないと手遅れになるとだけは言っとくわ。それに情報部だって、完全に動けないわけじゃないわよね。だったら私たちに茶々入れようとする動きくらいは牽制して欲しいわね」
「無論、そのつもりだ。それにいつまでもこの状態に甘んじるつもりはない」
「ならいいわ」
ややこしい時だからこその権力闘争なのかな。これが普通と思えば、きっと情報部だって秘密裏に動かせる部隊の一つや二つは抱えてるだろう。協力関係だったとしても私は所詮、余所者だ。すべてを明かすはずなんかない。
互いの状況と諸々の現状を確認後、より慎重に動くことにして店を出た。
翌日にはさっそく、ルース・クレアドス生徒会長と面会だ。
私とベルリーザ情報部との共闘に異を唱える貴族がいる、そうムーアの奴は言ってた。それは誰かと質問してみれば、ルース・クレアドスに訊いてみろときた。
あの生徒会長がどうしてそんな事情を知ってるのか。学生のルースが、情報部まで巻き込むような込み入った事情まで把握できるもんなんだろうか。
不思議には思うけど、訊いてみろと言うなら訊いてみるまで。
「クレアドス生徒会長、ちょっと付き合いなさい。急ぎの用件よ」
「ええ、構いませんわ」
放課後になって、生徒会棟に行く前のルースを捕まえた。
話を聞かせろと講師個人の仕事部屋に誘ってみれば、こうなることが分かってたかのように応じてみせるじゃないか。もうこいつのことは子ども扱いしなくていいだろうね。
「なんの用か分かってるみたいね」
「想像は付きます。父からもイーブルバンシー先生の質問には答えるようにと言われていますから、なんなりとどうぞ」
「へえ、クレアドス伯爵が? まあ疑問が晴れるならなんでもいいわ。とりあえずはそうね、私が何やってるか分かってる?」
「情報部と一時的な共闘関係にあると聞き及んでいますわ」
さすが大物貴族の娘って感じか。それが分かってるなら、大まかな状況は知ってることになる。たぶん私の正体だって分かってるだろう。普通の学院の講師のやることじゃないからね。
「その共闘を邪魔する奴がいるわ。誰が何のつもりでやってる?」
「あなたを邪魔に思う貴族は少なからずいますわよ? マクシミリアン殿下に好意を寄せる貴族令嬢は特に、といったところでしょうか」
「マクシミリアン? 最近どこかで聞いたわね……」
殿下ってことは王族だろう。どういうことかイマイチ分かんないわね。
「その様子では自覚がないようですが、あなたのことをマクシミリアン殿下が気にかけておられます。それを快く思わない女がいても不思議ではないと思いませんか?」
不思議に決まってるだろうに。水面下の動きばかりとはいえ、なんてったって今は有事に近い状況だ。
殿下に思いを寄せる女? こんな時になにを言ってんのか意味不明だ。
「まさか、女の嫉妬で? 死ぬほどくだらないわね。そんな事情とも言えない事情で私の邪魔すんなら、今からでも地獄見せに行ってやるわ。そもそも私はマクシミリアンなんて奴には会ったこともないわよ」
「恋する女の嫉妬深さは、時に想像以上に恐ろしいものですわよ。女だけではなく、政治的に関与されたくないと思う貴族もいます。あなたの協力を得たいとする勢力がある一方で、どうにかして排除したいと思う勢力もあるということです」
私個人や組織としてのキキョウ会が、全面的に受け入れられるような存在じゃないとは当然自覚してる。それがいよいよ出てきたってことになるか。
しかし帝国の工作や大陸外の勢力が浸透しようって時に、協力者を叩こうとはどういう了見なんだかね。いかにも現場の苦労を分かってない、雲の上のボンクラお貴族様って感じだ。
「クレアドス伯爵の思惑は? お前の親はどういった立ち位置で関わってんのよ」
「父はイーブルバンシー先生に対して好意的な立場ですわ。わたくしの邪魔をしたことは気にしていないようですね」
こいつと巻き毛は生徒の弱みを作り出し握ることによって、政治的な交渉材料にしようとしてた経緯がある。
まさかそんな思惑があるなんて思わず、こいつらの悪事を潰してしまったけど、特に恨まれてはいないらしい。
「へえ? でも好意的だってんなら、邪魔する奴らに釘くらい刺して欲しいわね。こっちはこっちの都合で動いてるけど、ベルリーザとは共通の利益があってのことよ。私の邪魔をするってことは、国益に背くことになるはずなんだけどね。クレアドス伯爵ほどの立場なら、それができると思うけど」
「先生に言われずとも、父はすでに動いています。父はアナスタシア・ユニオンを快く思っていませんので、対抗勢力になり得るキキョウ会には期待しているとも言っていましたわ」
ほう。アナスタシア・ユニオンとベルリーザは、古い時代から貴人の護衛を任せるくらいズブズブの関係だ。たしかに、これを気に食わないと思う奴らなんて、それこそごまんといるだろう。特に軍関係者はそうだろうね。細かいことは知らないけど、近衛騎士なんて呼ばれる連中だっているみたいだし。
でも王室にすら影響力を持つアナスタシア・ユニオンには、正面から異を唱えにくいし下手に排除しようとすりゃ内乱にもなりかねない。そんなアナスタシア・ユニオンに対して、別の勢力が牽制してくれるならこれほど痛快な話もないだろう。
私たちキキョウ会は、武で鳴らすアナスタシア・ユニオンに正面切って武で対抗できる数少ない勢力だ。
取り込みたいとまでは思わなくても、唾くらい付けときたいって思うのは理解できる。
それに現状だとアナスタシア・ユニオン自体が厄ネタになってしまってる上に、我がキキョウ会が外敵の排除に動いてるんだ。しかも私たちは裏の勢力だから実利のみにしか興味がなく、名誉も手柄も必要としてない。私たちに協力した実績をもって、その手柄を掠め取りたいって貴族が出てくるのは、不自然どころか当然の流れだろう。
うん、分かった。気色の悪いただの好意じゃなく、利益を見込んでのことなら信用してもいい。
「先生?」
「伯爵に伝えときなさい。そっちの思惑は分かったってね」
悪党同士、多くの言葉は必要ない。これで通じる。
なんにしてもこれで貴族に対する工作は、貴族が上手くやってくれそうだ。
クレアドス伯爵がどこまで役に立つかは未知数でも期待だけはしといてやる。
各勢力によって蒔かれた種が芽吹き、動き出すのはそろそろです。
その前に、次話「王者への第一歩、新生魔道人形倶楽部」に続きます。




