貴族令嬢の喧嘩
大国ベルリーザの裏で蠢く何かしらの陰謀からは少し離れ、学院の臨時講師としての日々を過ごす。
地下のバーで情報将校と会ってから数日が経ったくらいじゃ、特にこれといった動きはないらしい。不意に訪れた束の間の平和だ。
ところが小さなトラブルはいつだって起こる。
ハイレベルなセキュリティが敷かれた生徒会棟、以前にも訪れた会議室で生徒からの相談を聞いてやることになった。これも生活指導の仕事だ。
「青コートの元隊員からカネをせびられてる? そんなもん、自業自得じゃないの」
「そうかもしれませんが、もう過去の事です!」
「過去って、つい先日までやってた悪事が原因よね? 相手は過去だなんて思ってないわよ」
やった事は消えたりしない。どこまでも付いて回る。だからこそ、悪事なんてのは気軽にやるべきじゃないんだ。
まったくもって私が言えたセリフじゃないけどね。
「助けてくださってもいいでしょう!?」
ちょっと前までは人の事を見下して敵対してたくせに、調子のいい奴だ。助けてくれという割に偉そうな少女は生徒会会計の肩書らしい。
雁首揃えて集まってるほかの生徒会役員どもも、いつ自らに降りかかってもおかしくない脅しには同様の心配があるようだ。うん、そのとおりで決して他人事じゃない。
「元隊員ってことは、今は権力とは離れてるわけよね。だったら適当に脅し返せば? クレアドス生徒会長、お前が口を利いてやったらいいじゃない」
元青コートが相手なら、現役の青コートは仲間意識を持ってるかもしれないから相談相手としては微妙だ。
それに自分の悪事が原因だから、親などの親族にも相談しにくいのも理解はできる。ならば適当に金を掴ませて動かせる伝手が頼りだ。慎重にやる必要はあるけど、これまでのようにそれをやればいい。
「先生がおっしゃったのではありませんか。わたくしたちはならず者とは縁を切りました。もう伝手などありませんわ」
「舐めるなよ、ルース・クレアドス。本気で言ってるわけじゃないわね?」
「……しかし金銭で動かせる伝手を使ってしまっては、同じことの繰り返しではないかと思いますが」
悪党はいつだって、金持ちや権力者の弱みを握りたいと考えてる。
ならず者を都合よく使ってるつもりでも、それ自体が弱みになりかねない事や、想定外のトラブルに巻き込まれる事を学んだ結果が私への相談らしい。
たしかに私ほどの大悪党ともなれば、こんなガキどもを脅して得られるものなんか別にないからね。もし私が本気で脅したいと思ったなら、財力も権力もあるこいつらの親を直接脅す。ガキを突破口にする事はあっても、ガキ自身に用はない。
生徒会長には困ったことがあったら相談しろとも言ってあったし、意外にも素直に話を聞いたってことだろう。
「短絡的に問題を解決しようとしないだけ進歩はしてるわけか。しょうがないわね、でもタダとはいかないわよ? 学院を品行方正に向かわせることを条件に受けてやってもいいわ」
「条件付きですか?」
「学院内の問題ならともかく、今回はお前たちの尻拭いじゃないの。私の目的は学院の綱紀粛正よ、それに協力するならこっちも力を貸してやるわ」
生徒会の影響力は当初考えてた以上に大きい。ミッションその一、綱紀粛正を達成するには生徒会の協力は不可欠と思ってる。
すでに大きな貸しがあるから、そこに加えて今回の厄介事の解決を条件に約束させてやろう。うん、言い出すにはちょうどいい機会だ。
「綱紀粛正ですか……生徒会が乗り出せば、たしかに可能とは思います」
「形だけの標語程度じゃ納得しないわよ。そのための制度や体制を作りなさい。生徒会の権力ならできるわよね? そこまで約束するなら力を貸してやるわ」
生徒たちは私が同席にしてるのに、その目の前で数分ほどの議論を経て結論を出した。
「綱紀粛正を目指す体制作りを、聖エメラルダ女学院生徒会としてお約束します」
「嘘ついたら許さないわよ」
「イーブルバンシー先生を謀ることなどできないと心得ておりますわ」
「ルース様、方向性は良いのですが具体的にはどのようになさるおつもりですか?」
「それはこれから考えましょう」
この生徒会長はどうにも胡散臭い感じが消えない。何を考えてるのやらね。
まあ約束すると言うならそれでいい。
「よし、生徒会のお前たちなら良い制度を作ると期待してるわ。裏切ったら許さないから、それだけは覚悟しとけ。で、脅してきてる奴の詳細は? あと具体的に何をネタに強請られてんの?」
「それがその、愚連隊との繋がりやちょっとした悪さの揉み消しを少々……」
「しょぼいわね。そんなもん、無視しとけばいいじゃない」
「そういうわけには参りませんわ! 醜聞が噂としてでも広まれば、どこから掘り下げられてしまうか」
まったくしょうがない奴。しっかし、本当にしょぼい脅しの内容だ。
ちょっと一考の余地ありかもしれない。それに毎度なんかある度に私に助けを求められても面倒だし、こいつらのためにだってならない。ここは一つ、指導も兼ねてやってみるか。
「……ふーむ。私なら容易く解決してやれるけど、お前たちも貴族の娘ならこの程度のトラブルは自分で解決できないといけないわね。やり方を教えてやるから、自分たちでやってみなさい。今回は私が特別にケツを持ってやるわ」
「ケツって……やり方というのは?」
「お前たちのやり方は簡単すぎるのよ。だから失敗する。本来はお前たちの家が教育すると思うんだけど……学院にいる間は自分で学べってことなのかもね」
よく考えたら若いうちから悪事の尻拭いの教育なんか普通はしないか。
「ご教示いただけるのでしたらぜひに」
「イーブルバンシー先生のやり方でしたら、非常に興味深いです」
次々と生徒会役員どもから前向きな声が上がった。
よし、やる気があるのは大変に結構だ。ならば学院の講師として教えてやろう。偉そうにふんぞり返りながら講義の開始だ。
「いいか、まずは基本中の基本。敵をよく知る事が重要よ。そいつは本当に単独なのか、実は組んでる誰かがいるのか、あるいは背後で動かしてる誰かがいるのか、敵が単独じゃなかった場合にも対応できるよう備える必要があるわ」
意表を衝かれたようになってるのは、脅されてる生徒会会計だった。元青コートから金をせびられるなんてしょぼい脅迫行為だけど、最初から単独犯の行動と決めつけるのは早計だろう。ちょっとした揺さぶりから入り、何か別のことに利用するよう持ってくのは悪党の常套手段でもある。
「次に真の目的を探るのよ。カネを要求されたとしても、それが本当の目的とは限らないわ。お前たちの小遣い程度で済む金額ならともかく、要求額が大きければどうにかして調達しようとするわね? 借金か手持ちの物を手放すか、カネをせびることに見せかけてそっちが本命の可能性だってあるわよ。あるいは金銭以外の解決方法を示して、とんでもない悪事の片棒を担がせようとしてるとかね。なんだって考えられるわよ」
本当にしょぼい脅しだったとしても、カネをせびることに成功すれば何度だって同じことを繰り返す。絶対に一度で済むはずがない。
脅しに屈することは、終わりのない要求に応えることにもなってしまう。それこそ泥沼だ。最初できっぱりとはね退けないといけない。
最悪、敵がいいカネづるを手に入れたって別の奴に自慢するかもしれないんだ。そうすりゃ悪党どもがわんさか群がってしまうことにもなるし、もう秘密も何もない。
しょぼい奴のしょぼい要求だったとしても、決して受け入れずに徹底的に型にハメてやる必要がある。
立場のある人間ほど、付け込ませないために反撃しなければならないんだ。そのためにも敵をよく知らなければならない。
「敵の人間関係、財務状況は必須として、可能な限りなんでも洗いざらい調べ尽くしなさい。これはお前たちの小遣いや伝手でもできるわね?」
「はい。しかしそうした行為自体がまた怪しくはありませんか?」
当然だ。痛い目に遭って、ようやくそういうことにも考えが回るようになったらしい。
「怪しいわね。調べさせる奴だって保険が欲しいと思うもんよ。いざって時のためや、自分の商売に繋げるために、なんで調べるのか必ず興味を持つわ。だから的を絞らせないようにすんのよ。適当に雇った奴に調べさせるなら、ターゲットは適当な奴含めて複数人を指定して調べさせなさい。もちろんお前たち自身や周囲の者が依頼するんじゃなく、別の人間を経由してやらせるのよ」
貴族を脅す奴は貴族を恐れてないってことだから、本当は実家以外の後ろ盾が欲しいところだ。自分を脅せば、こんなおっかない奴が出てくるぞって後ろ盾が。
要は私のような奴を雇えれば手っ取り早いんだけど、抑止力になり得て話も通じる後ろ盾を得るのも簡単じゃない。だから回りくどくなってしまう。
情報を集めるにしても、信用できる人間がいないとこれまたややこしい。
カネで雇った奴にやらせるのはリスクがあるし、やっぱり広く調べさせるには金額も多くかかる。でも金持ちのこいつらなら金銭面の問題はないし、少々のリスクはどうしたって受け入れるしかない。
「情報を得たら次は行動。これも直接的に動くのはダメよ」
「また別に雇った者たちにやらせるのですわね」
「足が付かないようにするにはもっと徹底しなさい。敵をよく洗えば、新たな情報がいくつも入るはずよ。常習的な犯罪者なら、そいつが個人だろうが組織だろうが敵は多いと想像できるわね? あるいは現状で敵がいなかったとしても、敵になり得る存在がいるはずよ。必ずね」
「敵の敵は味方、ということですか」
ちょっと違う。味方にするのはそれはそれで厄介事のネタが増える可能性がある。
誰にも知られず、自分は表に一切出ずに敵を排除することができれば、それがベストだ。
「いや、敵の敵を動かして始末させるのよ。そう仕向けるの。もし上手いこと乗せられる相手がいなかったとしたら、誰かの弱みを握って敵に流してやるのもいいわ。重要なのは別の弱みを握られた誰かにやらせるってことよ。仕込みは面倒でも、そこまでやるからこそバレにくい。本気で慎重を期すなら、カネも手間も惜しむな。他者の想像が及ばないくらい回りくどくやれ」
立場のある人間だからこそ、喧嘩は慎重に。貴族のご令嬢には武勇伝なんて不要だろうしね。
「お前たちの甘いところは、相手の事を大して知りもしないのに敵を舐めて見切り発車で喧嘩を始める点にあるわ。雑魚相手ならそれでいいかもしれないけど、同格や格上には準備不足で太刀打ちできないわよ。挽回できる何かしらの『力』を持ってるならともかく、そうじゃないならとにかく情報面で上を行くことを心掛けなさい。まあ、今回は無茶を始める前に私に相談したことは褒めてやるわ」
一度は痛い目に遭わされて進歩したってことだろう。
それに勝てない相手と喧嘩してもしょうがない。こいつらは喧嘩自体が目的じゃないんだし、少女たちが看板背負ってメンツのかかる商売をやってるわけでもない。退くときには退くことを学ぶのも重要だ。こいつら学生が後には退けない戦いをする場面なんて、そうそうあってたまるかってもんだし。
だからこそ情報集めが重要になる。勝てる勝てないもあるし、どうすれば脅しが終わるのかも最初の段階で見定めないといけない。終わりを想定できれば、そこに向かってプランを立てるだけだ。
生徒会役員どもは、各々が持つどの伝手を使ったら良いか真面目に相談し始めた。
さてと、あとはこいつらが上手くやるのを祈るとしよう。
席を立つと強気な少女たちらしからぬ不安そうな視線を向けられた。
「最初にケツは持つと言ったはずよ。もし上手く行かないようなら、その時はまた私に言いなさい。消してやるから」
少女にカネをせびる外道やその関係者が数人程度消えたところで、世間は気にしもしないだろう。もし気になった誰かがいたとしても、真相にたどり着けるような痕跡など残さない。
「どうなさるのですか?」
「お前たちが知ったことじゃないわ。でもそれは最後の手段と心得なさい。お前たちで解決できるか、私が見ててやる」
事もなげに言い放ち、今度こそ立ち去った。
消す、という不穏極まる言葉は文字通りの意味だ。人間を跡形も残さずに消し去るというのは、単に殺すのとは違って魔法がある世界でも普通ならそう簡単な事じゃない。誰にも知られずにやらないといけないしね。
冷たく言い放ってやれば、ガキどもに私のような存在の恐ろしさも想像させてやれる。敵に回したら絶対にダメな奴が存在するって意味でも勉強になるだろう。
私に出番が回ってくるかどうかは、今のところ半々って感じかな。ちょっと前まで悪党を気取って好き勝手やってた生徒会だ。煽ってやれば根性見せるはず。
貴族の令嬢らしく、毅然と問題をはね退けてみせろ。少しくらいは期待してやる。
――後日。生徒会から問題が解決したとの報せを受けた。
幸いにも敵に仲間はおらず、背後関係などもなかったお陰で簡単に事が進んだらしい。
青コートの元隊員は借金漬けで多方面にカネの無心や無茶な強請りたかりを繰り返してる状況で、相応に恨みを買ってたようだ。典型的なしょぼい犯罪者でイージーな相手だったわけだ。そんな奴程度に苦戦するようじゃ、これから先の長い人生でも苦戦続きだろうけどね。
より慎重に、悪辣に、闇深く。保険は多重に、予想外の失敗を想定し、どんな事態にも対応できるようプランを複数用意する。
貴族社会で権力闘争を生き抜くなら、それくらい出来て当然。ましてや悪事に手を染めるなら、より一層の慎重さや準備の良さが求められる。
たぶん、食うか食われるかの戦いは裏社会以上なんじゃないだろうか。やっぱし貴族って大変だ。




